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聖将記  作者: 玉兎
第六章 点灯
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第四十八話 清介と喜四郎


 俺と景虎様が高野山から戻って、さらに一ヶ月が過ぎた。

 暦ははや三月に入っている。

 この間、京および畿内の情勢は穏やかすぎるほど穏やかであった。



 これは三好家がほぼ全面的に軍事活動を停止させていたことによる。

 冬の只中ただなかであるという気候的な制限もあったろうが、将軍義輝の下に上杉、武田両軍が控えている事実が三好軍に自重を促したことは想像に難くない。

 八千の軍隊が駐留することで食料、衣服、武具、日常品その他、多くの物資の需要がうみだされ、それにともなう商業活動も盛んになった。

 乱暴狼藉をせず、略奪を働かない上洛軍の評判は京の内外で高まる一方であった。




 もっとも、三好軍が上洛軍の武威にすくんでいると考えるのは浅慮というものであろう。

 上洛軍はたかだか八千。それに対し、三好家は畿内だけで三万近く、四国からの援軍もあわせれば六万に届こうかという動員能力を有している。当然ながら地の利もある。鉄砲という新兵器も持っている。

 もし上洛軍との間で戦端を開けば、最後に勝つのは三好軍である。これは客観的な事実であった。



 そうである以上、三好軍が上洛軍に竦むはずはない。

 三好軍が動かないのは単純に動く必要がないからだ。

 上洛軍はいずれ必ず京を去る。わざわざ犠牲を払ってまで戦う必要はない。そもそも京と畿内の平穏は三好家にとっても益になるのだ。上洛軍は金銭と兵糧を費やし、三好軍にかわって治安を維持してくれている。ますます戦う理由がない。



 こう考えると、将軍家も上洛軍も、三好という大大名の手のひらの上で転がされている感がある。

 そのあたりを将軍義輝はどのように考えているのか。

 俺は義輝と直接言葉を交わせる立場ではないので、景虎様に聞いた話からの推測になるが、おそらく義輝はこの状況を想定していたのだと思われる。



 義輝は三好家が軍を動かした場合に備えてはいた。そして、その事態が起こることを期待してもいたはずだ。

 そうなれば、将軍家への謀反として堂々と三好長慶を討てるのである。



 三好家六万は強大である。だが、三好家の領土は広大であり、それゆえに敵も多い。

 各地で三好家に敵対している大名に使者を飛ばし、彼らを決起させることで大軍を分散させることは難しくない。

 その上で上洛軍を中核とした部隊で三好の各軍団を個別に撃破していく。義輝、あるいは側近の細川藤孝はそんな戦略構想を抱いていた節がある。



 同時に、そうはなるまいとの確信もあったようだ。

 義輝は三好長慶が軽挙妄動しない人物であることを熟知している。仮に長慶が動こうとしても、松永久秀などが制止するであろう。

 義輝の狙いは軍事的な動乱を引き起こすことではなかった。三好家の掣肘のない状態で、将軍家としての政務を行うこと。ただそれだけで十分だったのである。



「今の将軍家は他人の兵を借りねばまともに政務一つみることもできぬ。情けない話じゃがな」



 あるとき、義輝は山のような政務を処理しながら、そんな言葉を景虎様にもらしたそうだ。

 そういった努力の結果、これまでは三好家に専断されていた京の統治機構の半ばは義輝の手に戻りつつある。

 そこから捻出した資金で兵を雇い、将軍家固有の武力を蓄える。いずれ上洛軍が帰国するのは確かなのだから、時間を無駄にはできない。

 義輝とその家臣たちはこの三ヶ月間、寝る間も惜しんで精力的に立ち働いていたわけだ。

 その努力と執念には頭が下がる思いだった。



 だからこそ、心配になる。

 繰り返すが、いずれ上洛軍は必ず帰国する。後に残るのは京を取り戻した将軍家と、満を持して勢力の挽回をはかる三好家だ。

 両者が激突するのは避けられない。

 この激突が俺の知る永禄の変――将軍暗殺事件につながるのではないかと思われてならなかった。



 できれば義輝に警告したいのだが、そもそも年代も人物も入り乱れているこの世界で、俺の知る知識がいったいどれだけ当てになるのか。

 証拠もなしに特定の人間の名前をあげてしまえば、それは誣告ぶこくとなる。

 だいたい暗殺やら奇襲やらに気をつけるなんて、俺に言われずとも幕臣たちがやっているだろう。

 上洛軍の俺がへたに暗殺だ何だと騒げば、それが原因となって戦火が発生してしまう可能性さえある。考えなしの行動は慎むべきであった。



◆◆



 さて、そういった戦略政略上の悩みとは意をことにするが、今の俺はほかにも若干の悩みを抱えていた。

 ぶっちゃけ人間関係である。

 景虎様とは問題ない。景綱、定満らの僚将とはたぶんうまくいっている。高野山から戻ってからというもの、俺と景虎様を見やる景綱の目に尋常ならざる鬼気が宿っていたが、それも最近は落ち着いてきたし。



 弥太郎、段蔵、豊弘とも良好だ。こちらも高野山から戻った直後は少しぎくしゃくした感じはあったが、今となっては笑い話のタネとなっている。

 問題は三人娘だ。

 ちなみにこれは岩鶴、清介、喜四郎の三人をまとめた呼び方である。使っているのは俺一人だが。



 妙なえにしで上杉陣屋で起居するようになった三人。

 当初は小汚い浮浪児にしか見えなかった外見も、今では立派な女の子のものになっている。

 とくに、男になりすますために短く切っていた髪が伸びてきたこの頃は、これまで以上に可愛くなっていた。



 岩鶴はまっすぐな髪質とつり目がちな顔立ちが気の強い性格に合っている。いかにも勝ち気な女の子といった感じだ。

 俺へのあたりもけっこうきつく、特に高野山から戻ってからは事あるごとにすねを蹴飛ばされているのだが――まあ、さすがにそれが心配の裏返しであることくらいは分かる。そういう意味では優しく不器用な女の子だ。



 なんだかんだ言いつつ俺にも積極的に話しかけてくれるし、岩鶴との関係は良好といって差し支えないだろう。

 問題は残る二人である。



 清介と喜四郎。この二人、はっきりいって俺とまったく喋ってくれない。

 基本的に向こうから用件があるときは岩鶴経由。俺が話しかけた際も、近くに岩鶴がいればそちらを頼る。この岩鶴の部分に弥太郎や段蔵、豊弘を入れても可。

 つまり、俺以外の面々とは普通に会話しているわけだ。



 いやまあ、女の子同士だからと言ってしまえばそれまでだし、男の俺を警戒もしくは怖がっているのだとしたら、無理に距離をつめるのは悪手だ。

 そう思って、今日まで特にこれといった行動はとってこなかったのだが――



「……」

「……」

「……」



 何の因果か、その三人で向かい合って座ることになると、ひっじょーに居心地が悪い。

 それというのも、つい先刻二人を連れてやってきた岩鶴が開口一番「こいつらがお前に話があるんだってさ!」と言い置いていったせいである。

 当人はさっさと部屋を出て行ってしまったので、残された俺たちは途方に暮れていた。



 まあいつまでも黙っていても仕方ない。ここは大人として俺が口火をきろう。

 こほんと咳払いして二人に訊ねる。



「ええと、俺に話ってなんだ、二人とも?」

「あ、あの、その、ですね。おれたち、いえ、私たち、その……」



 喜四郎がしどろもどろになりながら言う。

 この喜四郎、岩鶴とは違ったタイプの可愛さだった。髪質の違いか、それとも単純に髪の量が多いのか、喜四郎の髪はとてももこもこしている。さわり心地も良いらしく、よく子供たちがぺたぺた触っては喜四郎を困らせていた。

 ぱちりと大きな目と、太めの眉が印象的チャームポイント。女の子にとってほめ言葉になるか分からないが、親近感の湧く顔立ちといえた。



「ああ、別にかしこまった話し方をしないでいいぞ。具体的にいえば岩鶴みたいな感じでかまわない」



 蹴飛ばすのは勘弁してほしいが。

 そう言うと、喜四郎は困惑したように目を瞬かせた。



「う……で、でも、岩鶴は、ちゃんと喋ろうと思えば喋れるし……おれ、じゃない、わたしたちも、ちゃんと喋れるようにならないと駄目って、加藤様が……」

「加藤様……? あ、段蔵か。うん、まあそれは段蔵の言うとおりなんだが、喋り方なんてそうすぐに変えられるものじゃない。それにほら、その話し方だといつまで経っても話が進まないだろ?」

「あう……それは、そうですね……」



 むむむ、と考え込む喜四郎。

 助けを求めるようにちらと清介を見やるが、その清介はうつむいて畳を見るばかりで、喜四郎の視線にまったく気づいていなかった。

 喜四郎もそれに気づいたのだろう、はぁとため息を吐くと、何かを思い切るようにぱちりと自分の頬を叩いた。



「じゃ、じゃあ、その、おれの話し方でいきます。ご、ご無礼があったら、お許しください」

「うん、そうしてくれ。それで、俺に話ってのは?」

「あの、おれたち、加倉様に謝らないとって思って、それできましたッ」

「謝る? 何を?」



 心当たりのない俺が不思議そうに訊ねると、喜四郎は驚いたように目を丸くして答えた。



「な、何をって、あの、もちろん加倉様を殺そうとしたこと、です……」

「ぬ? それについてはもう気にするなって、三人には何度も言っただろう?」

「そ、そうだけど、いえ、そうですけど、おれたちは岩鶴と違って、ちゃんと謝ってもいないし……」



 そういって喜四郎は俯いてしまう。

 繰り返すが、この手の会話をするとき二人はいつも岩鶴に任せていた。たしかに二人から謝られた記憶はない。まあ、それを言うなら岩鶴だってきちんと謝ったことはないのだけれど。

 向こうが謝ろうとするたび、俺が誤魔化してうやむやにしてしまうからだ。もしかしたらそれが負担になっていたのだろうか。



 気をつかっていたつもりが逆効果になっていたことに気づき、俺は渋面になる。

 と、そのとき清介が初めて口を開いた。



「あ、あの、最初に言い出したのはあたし、なんです……! 岩鶴でも、喜四郎でも、ありません。だから、罰するなら、あたしだけにしてくださいッ」



 そう言ってがばっと頭を下げる清介。どうやら俺の渋面を勘違いしたらしい。

 ちなみに三人の中で唯一髪留めを使っているのが清介である。髪のくせが強いのか、それとも意外にお洒落さんなのか分からないが、髪留めでまとめられた後ろ髪が馬のしっぽのようにぴょこぴょこ揺れている。



 はじめて会ったときは無口でぶっきらぼうな少年だった。

 ところが今、外見は大きく変貌し、行動も台詞もぶっきらぼうとはとうてい言えない。

 そういう意味では、三人の中で一番変化が大きかったのが清介だろう。それだけ注意深く少年に成りすましていたわけだ。



 ともあれ、俺は慌てて渋面を引っ込め、清介に顔を上げるように促した。



「ああ、別に怒ってないし、罰するつもりもないから。そのつもりがあるなら今までいくらも機会があっただろ? 正真正銘、俺は気にしてないよ。ただまあ、それでは気がすまないっていうんだったら、今ここでしっかりと謝罪を受けとろうと思う」



 どうする、と問いかけると、清介と喜四郎はちらと視線を交わした後、額を畳にすりつけるようにして頭を下げた。

 はじめに清介が、次に喜四郎が叫ぶように言う。



「あの、本当に、すみませんでしたッ」

「ごめんなさい!」

「よし。しっかり謝ったことに免じて、今回だけは許してつかわそう!」



 ちょっと芝居がかった返事になったのはばつの悪さをごまかすためである。

 十歳かそこらの女の子二人に土下座させるとか、素面しらふではやってられん。いや、素面しらふだけども。



 そんな風に内心でもだえていた俺だったが、行動自体は正しかったようで、顔をあげた清介たちは明らかにほっとした様子だった。

 心なし、顔色も良くなっている。どうやらずっと気にしていたようだ。

 俺自身があんな状態だったから仕方ないといえば仕方ないのだが、気づいてあげられずに悪いことをしたな。




 その後、気を取り直して二人と言葉を交わす。

 心にのしかかっていたものが消えたせいだろう、二人はこれまでが嘘のように積極的に応じてくれた。

 その最中、喜四郎が妙なことを口にする。



「清介は幽霊が見えるんですよ、すごいでしょ!」

「ちょ、喜四郎!? それは言うなって……!」

「あ、ご、ごめ!?」



 なにやらもめだす二人。

 幽霊が見えるというのはあれか、霊感が強い的な意味か。



「それはすごいな。話したりできるのか?」

「い、いえ、そういうことはしちゃいけないって……おばあちゃんに言われてて」



 この世ならざる者を相手にするのなら、きちんと寺で修行してからにしなさい、と諭されたらしい。

 そう言った後、清介はちらと俺の顔をうかがい、不安そうに言う。



「あの……気持ち悪い、ですよね?」

「ん、何がだ? すごいとは思うが、気持ち悪くなんてないぞ。もちろん怖くもない」



 正直な話、心霊現象とか怪談とかホラー映画とかは苦手である。だが、この地に来て人を殺して以来、そういうものへの嫌悪や恐怖は消えた。

 幽霊と人殺しを比べたら、たいていの人間は人殺しの方が怖くて気持ち悪いだろう。

 俺が本心から言ったことがわかったのか、清介は目にみえてほっとしたようだった。



 この時は別に話が膨らむでもなく、幽霊話はここで終わる。俺自身、長らく忘れていたくらいだ。

 俺がこの話を思い出したのは、後年の北陸侵攻戦でのこと。

 異様な嵐に遭遇して進むも退くもならず、立ち往生していた上杉軍にあって、ただ一人その嵐を怪異の仕業だと見抜いた清介が一体の地蔵を切り捨てて悪天候を払うという出来事があった。

 これにより上杉軍は窮地を脱し、清介あらため『地蔵斬り』鰺坂あじさか長実ながざねの勇名はおおいに広まることになる――のだが、むろん、このときの俺にそんな未来が予知できるはずもなかった。



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