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聖将記  作者: 玉兎
第六章 点灯
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第四十七話 不在の影響


 景虎様と共に高野山におもむいてから、およそ一ヶ月。

 京に戻った俺はおそるおそる上杉陣屋に顔を出した。

 心配もかけたし、迷惑もかけた。正直、どんな顔をして皆に会えばいいのか分からない。



「往生際が悪いな、相馬。心配をかけたなら、きちんと頭を下げて詫びるべきだろう」

「それはその通りなんですが……うぅ……」



 敷居が高い。わりと本気で怯んでいる。

 どうしたものかと頭を抱えていると、景虎様の軽やかな笑い声が響いた。



「ふふ、上杉家の誇る軍師の手並み、しかと拝見させてもらおう」

「……思いっきり楽しそうに聞こえるんですが、景虎様?」



 微笑む景虎様に情けない顔を向ける。

 が、景虎様の顔を見ていると勝手に頬が赤くなってしまうので、すぐに顔をそむけることになった。

 その原因はもちろん高野山での出来事だ――いい年して、女性の胸に顔を埋めて大泣きするとかありえん。

 おかげで色々なことに気付くことが出来たし、心も軽くなったし、気持ちも良かったし、これ以上ないくらい感謝しているのだが、それでも恥ずかしさは消せないわけで。

 いかん、思い出したらますます頬が赤くなってきた。



 と、俺が一人でおたおたしていると。

 とんとんと後ろから肩を叩かれた――訂正、がんがんと肩をどつかれた。

 何事ぞと振り返った俺の前に突きつけられる刀の切っ先。いちおう鞘はついていたが、そこには白刃なみの迫力が込められていた。



「帰ったか、相馬」



 満面の笑みを浮かべる直江景綱。顔だけ見れば十年来の戦友と再会したような喜びっぷりであるが、目はまったく笑っていない。

 ここで会ったが百年目とか言い出しそうな眼光である。



「景綱、今戻った」

「お帰りなさいませ、景虎様。一日千秋の思いでお待ちしておりました」



 刀を腰に差した景綱は、安堵の表情を浮かべながら頭を下げる。

 景虎様が小さく笑った。



「大げさだな。たった一月ひとつきではないか」

「遠征軍の大将が自軍から一月も離れるなど本来あってはならぬこと。幸い、さしたる大事は起こりませんでしたが、以後はお慎みください」

「ん、すまなかった。景綱の言うとおり、なるべく慎むことにしよう」



 景虎様が言うと、景綱はうやうやしく頭を下げた。

 次いで、じろりと俺の方を睨む。



「――聞くまでもないが、これだけ景虎様に時間をとらせたのだ。まさか、まだグズグズしているわけではあるまいな。であればその性根、私がじきじきに叩き直してやるが」

「い、いえ、遠慮しておきます。もう景虎様にお手間をとらせるような醜態は晒しませんので、ご安心ください!」



 早く否定しないと物理的に叩き直されそうな気がしたので、慌ててかぶりを振る。

 と、それを聞いていた景虎様の口から爆弾発言が飛び出した。



「む、そうなると二人で旅に出るのは今回かぎりか。それも少し寂しい気がするな」

「か、景虎様、何を!?」



 冗談でもやめてください。今の景綱殿はわりと本気で怖いんです!

 ちらと景綱をうかがうと、驚きのあまり口を半開きにしている。

 だが、すぐに我に返ったようで、ぎりぎりと奥歯を噛みながら俺を睨んできた。



「おのれ加倉相馬! 貴様、景虎様に何をしたッ!?」

「何もしておりませ……!」



 断言しかけて、この一ヶ月のことを思い起こし、少し訂正した。



「それがしからは何もしておりません!」

「いま思いきり言いよどんだな!? ええい、この不埒者めがッ!」



 再び景綱が刀に手をかける。

 鞘ごと振るわれた一刀は、俺が黙って立っていれば肩のあたりを鋭く打ち据えたであろう。

 だが、しかし。



「――なッ!?」



 ほんの半歩。

 俺は最小限の動きで景綱の一刀を避けた――いやまあ、明らかに手加減した一撃だったから出来たことなのだが、とにかく俺は直江景綱の一刀をかわしたのだ。

 その鮮やかな身ごなしを見た景綱が目を丸くしている。

 俺はおおげさに胸を張ってみせた。



「男子、三日会わざれば刮目かつもくしてこれを見るべし。甘いですよ、景綱殿」

「……ほう。少しは身体の使い方がましになったようだな」

「ふっふ、景虎様じきじきに稽古をつけていただきましたからね。京を発つ前のそれがしと同じとは思わないでいただきましょう」



 ちょっと調子に乗ってみた俺に、景綱はしばし憮然としていた。

 が、すぐに何かに気づいたように意地悪そうな顔になる。



「そうか、ならば私が注意を促すまでもないな」

「はい?」



 何のことだ、と俺が首をかしげた瞬間だった。



「そうまさまーッ!!!」



 背後から凄まじい衝撃に襲われ、俺はひとたまりもなく地面に倒れこんだ。

 もう少し具体的に述べると、背後から弥太郎に飛びつかれ、その勢いのまま地面に押し倒されたのである。

 受身を取る暇もあらばこそ。ダイレクトで地面とキスする羽目になった俺は、しばし苦悶にのたうちまわ――ろうとしたが、弥太郎にしっかりと身体を押さえ込まれていたのでそれも果たせず、びくんびくんと身体を痙攣させる羽目になった。



 だが、加害者である弥太郎はまったくもって自分のやったことに気がついていないらしく、俺の首筋に顔を埋めたまま、何度も何度も涙交じりの声で俺の名を呼んでいる。

 その声を聞けば文句など言えるはずもない。

 弥太郎の手は二度と離すまいと言わんばかりにしっかりと俺の身体を抱きしめており、そのことも自責の念を煽り立てた。



「つ……た、ただいま、弥太郎。心配かけてごめんな」

「うう、い、いいえ、そんな謝ってもらうことじゃないです。でも、うう、やっと声聞けたよぅ……」



 なんかその言葉を聞いてじーんときた。

 こう、自分が愛されていると感じる心地よさとでもいうべきか、そんな暖かい感情が胸裏を満たす。

 同時に、こんな良い娘に泣くほど心配かけていた自分の情けなさを再認識して、さきほどから感じていた自責の念が五割増しになった。

 と、そんな俺に向かって、どこか小ばかにするような声がかけられる。



「真昼間からなにやってんだ。そういうのは暗くなってから、部屋の中でするもんだろ」



 これが少年の口から出るなら問題はないのだろうが、見た目綺麗な女の子の口から出ると違和感がすごい。

 弥太郎に押さえつけられたままの俺は、無理やり首を動かして相手を見た。



「岩鶴、女の子がそういうことを言うものではありません」

「大人がそういうことを子供の前でやるよりましだろ」

「別に色恋沙汰で抱き合ってるわけじゃないんだが」

「へー、じゃあそれは上杉軍特有の戦稽古か何かか?」



 皮肉たっぷりに言ってくる岩鶴。なんか少し見ない間にさらに口が悪くなってるな。あるいは、女の子の格好をしているから、その差異でそう感じてしまうのかもしれないが。

 そんなことを考えながら、俺はようやっと落ち着いてきた弥太郎を促して立ち上がる。

 すると。



「――主様、お楽しみのところ、大変申し訳ないのですが」

「ををッ!?」



 立ち上がった途端、また死角から声がした。

 今度は押し倒されることはなかったが、後ろから聞こえてきた声は身体ではなく心を切り裂く効果を持っているようだ。なぜか身体が震える。

 おそるおそるそちらを見やると、そこには何故かたくさんの紙の束をかかえた段蔵が立っていた。



「だ、段蔵か、びっくりさせないでくれ」

「申し訳ありません。男子三日会わざれば、と聞こえてきたものですから、今の主様ならこの程度の気配は気づいてくださるものと思っておりました」

「――返す言葉もございません」

「一度口にした言葉には責任が伴います。お気をつけください」



 きわめて冷静にそう言った後、段蔵はちらと俺の顔を見上げた。

 そしてわずかに表情をやわらげる。



「お帰りなさいませ。どうやら問題は解決したようですね。さすがは景虎様です」

「ん、そうだな。段蔵にも心配をかけて悪かった」

「心配などしておりませんが、迷惑はこうむりました。よって、これから償っていただきます。主様に拒否権はありませんので、あしからずご了承ください」



 まあ、迷惑をかけたのは事実だし、と言いかけた俺に対し、段蔵は持っていた山のような紙の束をどすんと手渡してきた。

 慌てて抱えなおしながら、俺はおそるおそる問いかける。



「あの、段蔵。これは?」

「ここ一月ほどで溜まった情報をまとめたものです。全て目を通しておいてください。新たな指示が必要なものもありますので今日中にお願いいたします」

「……了解しました」

「部屋の方に、これと同じ束が三つありますので、そちらもお願いいたします」

「…………それも今日中ですか?」

「答える必要がありますか?」

「…………鬼」



 ぼそりと呟いた俺を見て、段蔵の目がきらりと光った、ような気がした。



「何か仰いましたか一ヶ月近く仕事をためた主様そのせいで派生した厄介事を寝る間も惜しんで処理した私に対し何か仰りたいことがあるならお聞きしましょう主様」



 句読点を一切つけない段蔵の話し方に、俺は全身冷や汗まみれになった。



「さあて! 鬼のように働いて部下の献身に報いずばなるまい! 仕事だ仕事!」



 失言を覆い隠すべく、ことさら気合を入れて声をあげる。

 と、それを見ていた岩鶴がぼそりつ呟いた。

 


「よええ奴」



 はい、耳に痛いです……



◆◆



 その後、宣言どおり鬼のように仕事をしていると、御所から戻った豊弘が俺の帰還を聞いて飛んできた。

 あたふたした様子で俺のことを気遣ってくる豊弘に、俺は素直に礼を言う。あと迷惑をかけた詫びも述べた。



 一月前とは明らかに異なる俺の態度に豊弘は目を丸くし、ややあって目を潤ませて胸に手を置く。

 どうやら俺が思っていた以上に、一月前の俺は周囲を心配させていたらしい。



「気づくのが遅いですよ、まったくもう!」



 そういって泣き笑いする豊弘。考えてみれば、豊弘が笑った顔を見るのはずいぶんと久しぶりだ。これは弥太郎たちにも当てはまる。

 ……穴があったら入りたいとはこのことだ。

 が、それはそれとして豊弘には聞きたいことがあったのでちょうどよかった。



「聞きたいこと、ですか? なんでしょう?」

「段蔵の報告にな、加賀娘子(じょうし)軍の編成についてというのがあったんだが」



 これってなんぞと訊ねた途端、豊弘の身体がぴしりと固まった。

 娘子軍というのは、簡単にいえば女性だけの部隊である。それを豊弘がつくろうとしている――とうかすでに出来ている、らしい。

 俺が知るかぎり、京を出るまでそんな部隊はなかったはずなのだが。



 いや、もちろん豊弘は俺の部下というわけではないし、自前の部隊をつくるのに俺の許可はいらない。

 だからつくったことに文句を言うつもりはない。

 ただ、部隊をつくるならつくるで、何も女性だけに限る必要はないのでは、と思ったのだ。それに資金はどうしたんだろうという疑問もあった。



「ええと、それはですね、つくったというか、気が付けばできていたというか……」

「ふむ?」

「その、以前に加倉様の陰謀で武功をたてたじゃないですか。あれ以来、名前が知られるようになったのはご存知のとおりなんですが――」

「異議あり。陰謀ではありませんッ」

「異議を却下します! とにかくご存知のとおりなんですが、同時に私の素性というか、置かれている立場も広まってしまって……」



 豊弘の立場というのはつまり、加賀守護の息子ではあるが、率いる兵を持たない身であるということだ。

 誰が探ってきたのか、加賀で寺奉公を強いられていた事実まで人の口の端にのぼるようになったらしい。

 で、それを聞いた一部の豊弘恩顧(ファン)の方々が、我こそ加州殿の力にならんと立ち上がって出来たのが件の娘子軍であるそうな。



「私には家臣を養うお金も領地もありません。父上にお願いして富樫家で召抱えることも不可能でしょう。集まってくれた方々にはそう申し上げたのですが、皆様はそもそも私から銭一文、米一粒受け取るつもりはないから問題ないとおっしゃって……」

「義勇兵!?」

「それどころかすすんで資金や兵糧を提供してくださる方々もいて、私、もうどうしたらいいやら……」

「パトロンまで!?」



 すごいな、この子。なんという人望特化武将。素で感心してしまった。

 もちろん軍といっても五十名に満たない――正確には十七人――小部隊なのだが、逆にいえば、十七人の人間がいかなる見返りも求めずに豊弘のもとに集ったことになる。

 そのほとんどが筋骨たくましい女兵士であったのは、紅顔の美少年たる豊弘に惹かれてのこと、なのだろう。聞けば物資を提供してくれているのは遊女小屋の皆さんであるとか。

 まだ正式に認められたわけではないので上洛軍には加わっていないが、自主的に加州豊弘の旗印をつくって京都市中の見回りを行っていたりするらしい。



「加州豊弘の旗印?」

「富樫家の紋は北極星と北斗七星からとった八曜紋なのですが、これをそのまま使うわけにはいかないので、七星をかたどった七曜紋を」

「普通にカッコいいな」

「はじめて見せてもらったとき、ちょっと感動したのは内緒です……とにかく、そういう状況なんです。今のところ問題は起こっていませんが、万一、京の方々や他の兵士さんとの間で揉め事が起きてしまった場合、私ではかばいきれませんから――」

「なるほど、そうなる前に早急に上洛軍に組み込んでほしい、と。了解した。これは真っ先に処理する案件だ」



 俺が心得てうなずくと、豊弘は慌てたようにかぶりを振った。



「いえ、そうではなく! できれば皆さんには平和裏に解散していただきたいのです。その説得を手伝ってもらいたいと――」

「まわりが言って、はいわかりましたとうなずく人は、はじめから無報酬の兵士になったりしないと思いますよ」



 俺が言うと、豊弘はがくりとうなだれた。当人も分かってはいたのだろう。たぶん、これまで何度も自分の口から言っていただろうし。

 俺としても豊弘が自前の兵を持つのは悪くない。京でのあれこれではなく、加賀に戻った後のことだ。娘子軍がいれば寺に押し込められるようなことは起こるまい。

 へたに武力を持つと一向宗に目をつけられる恐れがあるが、娘子軍ならそこまで警戒もされないだろうしな。



 俺がそんなことを考えていると、不意に豊弘がくすりと微笑んだ。

 いきなりどうした、と思って不思議そうに見やると、豊弘は口元に手をあてて応じた。



「加倉様とこういう話をするのも久しぶりだな、と思いまして。急に笑ってごめんなさい」

「ああ、言われてみればそうですね。なんでしたら後で茶でもたてましょうか、わが師よ。実はそちらも景虎様に教えていただきまして、それなりの成長をお見せできるかと」

「…………それは楽しみですね。実は私も御所で公方様や細川藤孝様に教えをいただく機会がありました。そのときは加倉様のことが心配でなかなか身が入らなかったのですが、今の話を聞けば、我が弟子は私の心配をよそに景虎様に師事して存分に見識を広めていた様子。実にうらやましい」

「あ」



 やばい、口がすべった。

 見れば豊弘が浮かべている笑みは、少し前のそれとは明らかに質の違ったものになっている。

 その後、俺は拗ねた豊弘をなだめるために四半刻(三十分)を費やすことになった。




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