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聖将記  作者: 玉兎
序章 前夜
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第四話 鬼小島


 九曜巴くようどもえの軍旗を掲げ、城門前に整列する長尾勢。

 その数は五百。

 事実上、現在の春日山長尾家が集めうる総兵力である。

 そして――



「加倉様、どうぞ出陣のご命令をッ!」



 俺のかたわらで力みかえって促す女武者。

 名を小島こじま弥太郎やたろうという。

 後に「鬼小島」として諸国に恐れられる(はずの)武将であった。



 念のためにもう一回いうが女武者である。

 そう。後に鬼武将として勇名を馳せる(はずの)小島弥太郎は今、女性として俺のかたわらに立っていた。

 乙女としては大柄な体躯――十五になっていないのに俺より背が高い――を気にする年頃の女の子が後年の鬼武将だと知ったときは、思わず目と口で三つの(ゼロ)をつくってしまった。



 その弥太郎の言葉に頷きながら、俺は晴景様から預かった采配を高々と掲げた。

 そして、まっすぐに振り下ろす。

 迫る柿崎勢の精強を考えれば、この出陣の勝算は決して高くない。だが、出陣する兵士たちの口からは絶えず雄雄しい喊声があがり、部隊の士気の高さをうかがわせた。



◆◆



 さて。

 言うまでもないことではあるが、この状況に到るまでには様々な理由が存在する。

 ……まあ、一言で言えば晴景様に指揮官を押し付けられただけなのだが。



 人を斬ったり、斬られたり。そんな物騒なこととは無縁の俺は、軍議の席で他人事のようにのんびり座っていただけなのだが、そんな俺の姿が晴景様の目には端倪たんげいすべからざる胆力の持ち主と映ったらしい。

 いきなり名を呼ばれたと思ったら、前置きもなく「よし、相馬、大将はそなたじゃ」ときたもんだ。

 あまりに突然すぎて辞退するという選択肢さえ浮かんでこなかった。



 抜擢ばってきといえば聞こえはいいが、内実はやぶれかぶれのすてっぱち。

 これが通常の軍議であれば、間違いなく他の面々によって退けられていただろう。

 だが、今回春日山城の軍議に出ていた人々は身分の低い者たちばかり。守護代たる晴景様の決定に否やを唱えられる者はいなかった。

 結果、俺は長尾軍を率いる指揮官になった。なってしまった。



 当然、抵抗はした。

 晴景様には命の恩がある。戦えと言われれば従うしかない。

 だが、俺自身だけならともかく、俺以外の人たちの命まで背負うことなど出来るはずがないではないか。皆、親もいれば子もいるのだから。

 しかし、そんな反論を受け入れてくれる晴景様ではなく――



「ならば、そちが勝てば良いだけのこと。そうじゃろう、相馬」



 などと笑って言うと、事は決したとばかりにさっさと軍議を終わらせてしまった。

 残った者たちはみな呆然と座り込むばかりであった。



 俺としては、できればそのままずっと放心していたかったのだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。

 柿崎勢は俺が呆然としている間にも、刻一刻とこの城に迫りつつあるのだ。

 晴景様に再考を促す時間はない。

 降伏したところで良くて虜囚、悪くすれば斬首である。また、この時代、勝者の略奪暴行は黙認される――というより当然の権利として考えられている節があった。降伏した後、城の人間がどんな目に遭わされるかは想像に難くない。



 俺がこの城に起居するようになってしばらく経つ。

 知り合いもできたし、不慣れな俺に優しく接してくれた人もいた。

 むろん気に食わない人間はいたし、追従者と陰口を叩かれたこともあったが……だからといって彼らが蹂躙されるところを見るなど御免こうむる。



 なにより、ここで俺が降伏ないし逃亡すれば晴景様が殺されてしまう。

 柿崎勢に勝てるとはまったく思わなかったが、命を救われた俺には晴景様のために全力を尽くす義務がある。

 自らにそう言い聞かせ、俺は晴景様から授かった采配を手に立ち上がったのである。





 そうして、まずはじめに手をつけたのは、城の府庫ふこからありったけの金子きんすを引き出すことであった。

 長尾家が保有する財貨は晴景様の蕩尽とうじんのために減少の一途をたどっていたが、いまだ府庫にはそれなりの額が残っている。

 ぶっちゃけ晴景様の遊興費、化粧料けしょうりょうとして取り分けられていた分であるが、俺はその半分を徴集した兵士に配ることにした。



 間違いなく後で大問題になるが、負ければ俺は死ぬので罪も消える。勝てば大功、大勝利。やっぱり俺の罪は消える。うん、問題ない。

 今回徴集された五百人は小者に下男、下級武士に農民と、みな金銀など見たこともないような人たちだ。配られた金子きんすに目を丸くしていた。

 そんな彼らの前に立った俺は、やや緊張しながら口を開く。



「こたびの戦で晴景様より采配をお預かりした加倉相馬と申します。今、各々に配りし財貨は、この危急存亡の危機に馳せ参じてくれた皆々の忠勤に対するささやかな褒美とお考え下さい」



 それを聞いた将兵からざわめきが起こる。

 喜びの声はすくない。大半は戸惑いの声だ。

 こんな大金を本当にもらっていいのか。懐に入れたとたんに罰せられるのではないか。そんな疑念まみれのささやき声がそこかしこから聞こえてくる。

 うん、まあ評判の悪い守護代からいきなり大金を渡されたらそうなるよな。戦って勝利した後ならまだしも、まだ敵と矛を交えてさえいないのだ。



 配られた大金を抱えて逃げようと考えた者も一人二人ではないだろう。

 だが、俺はそういったざわめきに頓着とんちゃくせず先を続けた。



「いま申し上げたように、お配りしたのはここに立っている皆々の忠義に対する褒賞。これから始まる戦で手柄を立てた方には新たな褒美が与えられます。それを踏まえた上で、皆々に伝えておきたいことがあります」



 俺はそう言って一呼吸いれた。

 ここからが本題だ。



「こたびの相手は勇猛名高き柿崎勢。それがしは必勝を期して策を練りますが、犠牲はどうあっても避けられないでしょう。まして我が身ははじめて采配を預かる若輩者。私などに命を預けられるか、とお考えになる方もおられましょう。それゆえ、これより始まる戦は志願してくれた方のみで行う所存です。我が采配に従ってくれる方は、お名前を記帳に記していただきたい」



 言いながら、俺は額に冷や汗が流れるのを感じていた。

 指揮官たる者、将兵に対して必勝の信念を植え付けることが第一の責務である。

 その意味でいえば、俺が口にしていることは言語道断であった。



 だが、実績のない若造が柿崎に勝てると大言壮語したところで誰が信じるというのだろう。

 そんなみっともない真似をするよりは、利を提示して戦意を高揚させる方がずっとマシだ。



「この記帳は忠義と献身の心を持つ方々の名を知ると同時に、武運つたなく戦場に散ることになった際、残されたご家族へ金銀の補償を行うためのものでもあります。勝利すれば、その勲によって更なる褒美を得られましょう。敗れたとしても、皆々の忠義は残された家族をうるおしましょう。このこと、長尾晴景様の御名にかけて、ここでお約束するものであります」



 言うべきことを言い終えた俺は、思わず大きく息を吐く。

 そうして将兵の反応をうかがった。



 忠義の心を金で買う。ろくでもないことなのは自覚している。

 忠誠心の厚い人の中には侮辱されたと感じた者もいるかもしれない。

 だが、これ以外の手が思いつかなかったのだから仕方ない。

 ここにいる者たちが呆れて立ち去ってしまえば、春日山長尾家は終わりだ。晴景様には申し訳ないが、俺を抜擢した人選は晴景様最後の失策として史書に刻まれることになるだろう。



 両肩にのしかかる責任が重い。限界をこえた緊張でめまいがする。

 正直、吐きそうだった。

 ざわめくばかりで動こうとしない兵士たちを見て、どっちでもいいからさっさと決めろと怒鳴りたくなる。



 と、そんなことを考えていた俺の前に、一人の若者がためらいがちに進み出てきた。

 大柄な体格をしているが、顔にはまだ幼さが残っている。おそらく俺よりも何歳か年下であろう。



「加倉……様」



 相手の声を聞いて驚いた。

 男性とばかり思っていたが、その高い声音は明らかに女性のものだった。

 女性兵士はおずおずと、一言一言確かめるようにゆっくりと話し始めた。



「あの、私、家に父ちゃんと母ちゃん、あと、弟たち、妹たち、あわせて六人、いるんです。家、貧乏で、それで今回、お城の兵隊の募集に応じただけ、なんです。それなのに、こんなにたくさんのお金、もらっちゃって、いいんですか?」



 つっかえつっかえなのは自分の粗野な口調を気にしてのことであるようだ。

 もしかしたら、城の人間である俺に馬鹿にされると思ったのかもしれない。

 むろん、そんなことはしない。むしろ、一番はじめに進み出てくれたこの子には感謝の念を禁じえなかった。



「もちろんだとも。理由はどうあれ、君が今ここに立っていることは確かなのだから。遠慮することはないよ」



 相手が年下(多分)の女の子とわかって口調をくだけたものにする。

 よくみればこの少女、重たげな具足ぐそくを着ているのにまったく苦しげな様子がない。手に持った長槍もかなりの重量であるはずだが、少女は直立不動の姿勢を保っている。

 かなりの膂力りょりょくの持ち主と思われた。



「で、では、今度の戦、頑張れば、もっとご褒美、もらえますか?」

「ああ、もちろんだ!」



 少女を安心させるために力強くうなずいてみせる。

 今は女の子を戦わせることの是非はおいておく。周囲の兵たちは俺の一挙手一投足を観察しているに違いない。

 目の前の少女一人安心させられないような指揮官に、いったい誰がついてきてくれるというのか。



 俺の答えを聞いた少女はようやく緊張が解けたようで、かすかに頬をほころばせた。

 そして最後の問いを俺に向ける。



「あの、もし、私が死んじゃっても、父ちゃんたちのところに、お金は届くんですよね? 弟や妹が、ひもじい思いをすることは、ないんですよね?」

「約束するよ。勇敢に戦った者たちの家族が路頭に迷うことはない」



 ちゃんと財源も確保してある。前述した晴景様の化粧料、半分はここにいる兵士たちに配ったが、残る半分は戦死者の家族への弔慰金ちょういきんである。

 俺は少女の左の腕をそっと叩いた。



「ただ、君のご家族はお金よりも君が生きていることを望むと思う。私はできるかぎり勝利のために力を尽くす。君は生き延びられるように力を尽くしてくれ」

「……は、はいィッ!!」



 俺の手が身体に触れるや、少女は電気に触れたかのようにビクッと身体を振るわせた。声も裏返っている。

 予想をこえた反応に目を丸くすると、向こうは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 なんだ、この可愛い生き物は――いや、そうじゃない、そうじゃない。



「……じゃ、じゃあ、その、名前を教えてくれるかな」



 こほんと咳払いして仕切りなおす。

 記帳するとはいっても、この場にいる兵士の半分は自分の名前も書けないだろう。

 俺の後ろに控えていた城の祐筆ゆうひつが心得たように進み出た。



「こ、小島こじま村の弥太郎やたろうといいますッ」



 それを聞いた祐筆は見事な達筆で少女の名を記していく。この時代、苗字を持っている農民は少なく、村外の人間に名乗る際は少女のように何とか村の誰々、という形で行う。

 晴景様に拾われたとき「下民のくせに大層な名じゃの」と言われたのは、氏素性の知れない人間が加倉という苗字を名乗ったからであろう。



 それはさておき、少女の名乗りを聞いた俺は驚きのあまり言葉を失った。

 小島村の弥太郎――小島弥太郎。

 その名を俺は知っていたからだ。



 戦国時代、鬼と呼ばれた武将が存在する。

 有名なところで鬼島津こと島津義弘。鬼柴田こと柴田勝家。鬼道雪こと立花道雪などである。

 優れた武威で諸国に恐れられた武将たち。

 鬼小島こと小島弥太郎もその一人だった。



 もっとも、他の鬼武将と異なり、小島弥太郎は実在を疑う説があるくらい資料にとぼしい人物なのだが――何の因果か、その鬼小島さんが目の前にいらっしゃるのですよ。しかも、純朴で好感の持てる女の子の姿で。

 晴景様も景虎様も女性の世の中だから、不思議というほどのことではないのだが、やはり驚くべきことではあった。もちろん同名の別人という可能性もあるが。



 弥太郎が名乗り終えると、それまで固唾を呑んで俺と弥太郎のやりとりを聞いていた者たちが一斉に動いた。

 みな我も我もと名乗りをあげる。

 それを見て、俺は思わずほうっとため息を吐いた。どうやら最初の難関は突破できたようだ。

 ちなみに、俺のため息癖はこのあたりから始まるのだが、この時の俺にそんなことがわかるはずもなかった。




◆◆◆




「……加倉相馬、ですか。聞かぬ名です」



 周囲の兵士が予期せぬ大金を得て狂喜乱舞する中、その兵士はひとり冷徹な眼差しで若すぎる指揮官を観察していた。

 配られた金子を嬉しそうに何度も数えているのは周囲から浮きあがらないための演技である。

 実はこの人物、春日山城の内情を探るべく忍び込んだ忍び――軒猿のきざるの一人であった。



 手当たり次第に兵士をかき集めている春日山のこと、徴集された兵士のふりをすれば簡単に城内に入れるだろうとの思惑はものの見事に奏功し、ほんの二日あまりで春日山のめぼしい情報は残らず拾うことができた。

 そちらはすでに連絡係の手で栃尾の景虎のもとへ送られている。

 あとは頃合を見計らって城を出るだけ。城内の混乱ぶりを見れば、それは造作もないことだと思われた。



 ところが、いざ脱出する段になって、とつぜん兵士たちは中庭の一画に集められた。

 新しく着任した指揮官が挨拶をするのだという。

 これは軒猿にとって願ってもないことだった。なにしろ今の春日山城にはめぼしい武将が一人もおらず、名のある国人衆も参陣していない。そのため、誰が指揮官になるのかだけが最後まで分からなかった。



 報告に記せなかった唯一の空白が埋められる。軒猿は城を抜け出す予定を変更し、澄ました顔で中庭に向かった。

 そこに現れたのが加倉相馬を名乗る若者であった。

 越後の有力な武将をことごとくそらんじている軒猿であったが、加倉という家も、相馬という名も聞き覚えがない。そもそも若すぎる。春日山長尾家にとっては危急存亡の事態。その戦を率いるのが二十歳になるやならずの若者であるなどと、ふざけているとしか思えなかった。



 おそらく晴景が気に入っているねやの相手なのだろう。

 みずからの命運を決する戦を情夫に任せるとは、さすが悪名高い長尾晴景というべきか。

 呆れ混じりに嘆息した軒猿は、春日山長尾家の命運は尽きたと確信した。



 ――だが、それは早計だったかもしれない。



 今、軒猿はそう考えている。

 他の兵と同様、軒猿にも金子は渡されている。はっきり言ってしまえば、今回の情報収集の報酬よりもここでもらった金子の方が高い。それも二倍や三倍ではない。一ケタ違うのだ。

 よくもまあ、あの晴景がこんな散財を認めたものだと思う。五百人の兵士にこれほどの金子をばらまけば、春日山の府庫が一時的に空になってもおかしくない。周囲の者たちが欣喜雀躍きんきじゃくやくするのも当然だった。



 しかも、それだけではない。

 戦に出る兵を志願で募ると加倉は言った。今もらった報酬を持ち逃げしてもかまわないと言ったのだ。

 志願した兵に対しては更なる褒美と、戦死した場合の追加金まで保障していた。

 小島弥太郎を名乗る少女と、加倉のやりとりはこの場にいた全員が耳にしている。今や中庭に集った兵士たちの士気は天をつかんばかりに高まっていた。



 面白い。

 自然とそんな言葉が口をついて出た。

 張り合いがない任務だと思っていたが、どうしてどうして、任務の最中にこれほど予測を外されたのは初めてである。

 柿崎相手の戦で兵士をやる気にさせるのは誰にでも出来ることではない。今日にも城を出るつもりであったが、この相手の情報を探るため、もう少し春日山に留まるとしよう。



 場合によっては柿崎勢と矛を交えることになるが、軒猿はさして気にしなかった。

 たとえ柿崎景家当人を相手どっても生還する自信があったからだ。

 軒猿の里でも他者の追随を許さぬ身のこなしは、あたかも空を飛ぶがごとく。

 ゆえに彼――いや、彼女は長から『飛び加藤』の名を与えられているのである。



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