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聖将記  作者: 玉兎
第五章 深淵
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第三十八話 姦計


「元成が討たれただとッ!? まことか!?」

「は、京に放っている密偵どもがそれぞれに連絡をよこしました。間違いないかと思われます!」

「おお、元成が……なんたる、なんたることか……」



 近江朽木(くつき)城の一室で、細川晴元は頭を抱え、崩れるように座り込んだ。

 まだ五十路に届かぬ年齢ながら、晴元の髪は白一色に染まり、顔には深いしわが幾重にも刻まれている。六十の坂を越えていると言っても不思議には思われないであろう。

 三好長慶との戦で多くの家臣を失ってきた晴元は、今また一人、頼りになる家臣を永遠に失ったのである。



「元成を討ったのは何者ぞ! 長慶か、久秀か、それともあの忘恩の義輝めか!?」

「は、現在洛中に滞陣している上杉、武田、富樫の三軍による攻撃であるとのことですッ」

「なんだと!? 将軍に尻尾を振りに来た田舎侍どもが元成を討ったと申すか!?」



 晴元は愕然とする。

 上洛軍に対する晴元の評価はひたすら低かった。八千の軍勢と称したところで実数は四千がいいところ。くわえて、その内実は越後甲斐の田舎侍、田舎百姓。将軍のために命をかけて戦う気概などつゆあるまい、と。



 京の周辺を荒らしてまわれば、いずれ食うに困って領地へ逃げ帰るに違いない。

 実際、晴元は香西元成にそのように命じていた。

 そうなれば寄る辺を失った義輝は、遠方の大名を頼る愚かさを悟って再び晴元らに頭を下げてくるだろう――そんな見通しが一戦で叩き潰されたのである。



 香西元成を失った今、丹波における晴元の影響力は激減した。

 かの地には波多野家や赤井家など反三好勢力が割拠しているが、いずれも独立性が高く、晴元の命令は届かないだろう。

 政権奪還のための貴重な戦力、貴重な所領を失った晴元は畳に拳を打ちつけた。



「忌々しい奴輩やつばらめが! どうしてくれようかッ」



 源平の世、木曽義仲の昔より、京に入った遠国の将兵は略奪放火を繰り広げて民心を損なうものである。

 だが、上杉武田の軍規は厳正であり、物を買うにも人を雇うにも銭をもって行い、町人に迷惑をかけることを決してしないという。将兵専用の遊女小屋まで自分たちでこしらえたと聞いた晴元は呆れたように鼻で笑った。

 遊女にばらまく金があるなら幕府なり朝廷なりに献金して地位を高めればよいものを、とあざけったのだ。



 しかし、これらの行いが稀有であることは事実。

 他国者に厳しい京童きょうわらべの評判も悪くないという。

 畿内では名の知られた香西元成を一戦で討ち取った武功も、上洛軍の人気に拍車をかけた。さらに聞けば、元成を討ち取ったのは今回の戦が初陣だった加賀の富樫豊弘であり、なんと弱冠十二歳であるという。京女たちは、この紅顔の美少年の武勲を華やいだ声で寿ことほいでいると聞く。



 かつて晴元が京を支配していた頃、香西元成は京を守るために奮戦していたというのに、その元成の死を悼む声は聞こえてこない。

 晴元としては幾重にも腹立たしいことであった。



「細川に背いた長慶は言うにおよばず、将軍も、下民どもも恩知らずばかり! まこと、今の京は悪人の巣窟よなッ」



 吐き捨てたものの、その悪人たちに自分が追い詰められている事実は否定できない。

 どうしてくれようか、と晴元は唇を噛む。

 晴元の主敵は三好長慶だ。

 その意味では義輝や上洛軍を味方に引き込む算段をつけるべきだったかもしれないが、腹心を討たれた晴元にその気はない。



「まずは上洛軍だ。元成の仇をうってやらずばなるまい。彼奴らを京より放逐すれば義輝の心胆を寒からしめることもできよう」



 その呟きに対し、晴元とは異なる声があがった。



「管領殿。上洛してきた諸勢は春には領国へ引き上げましょう。あえて挑む必要はなかろうと存ずるが」



 そう言ったのは若狭わかさ国の元守護 武田信豊(のぶとよ)だった。

 近江六角家から妻をめとった関係で晴元とは義兄弟にあたる。

 かつては若狭の国に君臨し、晴元方として三好軍と戦ってきた信豊であるが、嫡男義統(よしむね)との不和が原因で国をおわれ、子の元康と共に晴元に身を寄せていた。

 この乱によって若狭での影響力を喪失した信豊は、以後、側近として晴元の近くに座すようになる。

 この信豊の意見に対し、晴元は苛立たしげにかぶりを振った。



「奴らが国元へ戻るまで一ヶ月か、二ヶ月か、それとも三ヶ月、四ヶ月か。それをのんびりと待っていられるような余裕はない。その間にも義輝の、そして長慶や久秀の勢力は着々と拡がっていくのだ!」

「しかし、向こうは八千の大軍ですぞ。香西殿が討たれた今、お味方に千以上の兵をもよおすことのできる者は……」

「わかっておる! もとより戦を挑もうとは思っておらぬ」



 それを聞き、信豊は怪訝そうな顔をする。



「戦によらず、八千の兵を京より放逐するとおっしゃる?」

「そうだ。大軍には大軍の弱点があるのだよ、若狭わかさ殿。勝利に酔いしれる彼奴らの兵糧米を焼き払ってやろうではないか。さすれば国元に逃げ帰るか、略奪に走るかしかない。恩知らずの愚民どもは近いうちに彼奴らの正体を思い知るであろうさ」

「甲斐も越後も領内に金銀の鉱山を抱えておる由。金子きんす銀子ぎんすで賄おうとするかもしれませぬぞ。秋の収穫が終わったのは先ごろです。蔵に余裕のある大名、商人は多かろうと存ずる」



 信豊が甲斐越後の情報を持っているのは甲斐武田家と若狭武田家が同族であるからだ。

 もっとも、同族といっても上洛してきた武田軍に対して格別な親しみを抱いているわけではない。

 信豊とよしみを通じていた先代信虎は甲斐から追放されており、後を継いだ晴信は息子義統を若狭武田家の当主として認め、追放された信豊に関心を向けない。

 晴信がわずかでも信豊に関心ないし同情を持っているのなら、上洛軍が近江を通過する際に朽木城に使者の一人も送ってよこしただろう。

 それがなかったということが晴信の心底をあらわしている。となれば、信豊とて晴信に好意を向けようがない。



「ふん。買い集めるなら買い集めるでかまわん。そうしたらまた焼き払ってやるだけのことよ」

「なるほど。しかし、一度目はともかく二度目はそうたやすくは運びますまい。そも、どうやって兵糧を燃やすおつもりで?」

「こういうこともあろうかと、先ごろから京の破落戸はらくこどもを手なずけておったのよ。長慶と戦うときに使つこうてやるつもりだったが、上洛軍相手にも役に立とう」



 破落戸とはごろつき、ならずものの意であるが、ここで晴元が言及したのは田畑を捨てて逃散ちょうさんした流民や、戦で住む場所を焼かれた難民などである。

 日ノ本の中心であり、将軍の膝元である京ならば自分たちでも食べていけるのではないか。そういった希望ないし幻想をもって各地から集まってくる者たちを、晴元は破落戸と呼んだ。



 当然、今の京にそういった者たちを受け入れる余裕があるはずもなく、よほどに運が良い一部の者を除いて、彼らは食も職も得られずに貧民窟ひんみんくつに流れ着くことになる。

 晴元はそういった悪所に配下を送り込み、金や食べ物を配っていざという時に役立てようとしていたのである。



 それを聞いた信豊は眉をひそめた。

 奇策といえば聞こえはいいが、仮にも管領たる身がとる策ではないと思えたのだ。

 とはいえ、信豊に代わりの良案があるわけでもない。

 成功すれば儲けもの、失敗したところで配下を失うわけではないのだから傷を負わずに済む。そう考えれば悪い手ではないのかもしれぬ、と思い直す。

 信豊が思案する間にも晴元の声は続いていた。



「破落戸には子供も多い。潜入するはたやすく、たとえ見つかっても怪しまれにくい。女をつかって件の遊女小屋とやらを焼き討ちにするのも手であろうな。とにかく、京で好き勝手をすれば報いがあることを思い知らせてやるのだ。その上で火を放ったのは三好の手の者なりと伝えてやれば、くく、さぞ面白い見世物が見られるだろうて」

巧知こうちとはまさにこのこと、感服つかまつりました」



 巧知というよりは狡知こうち奸知かんちのたぐいであるが、と内心でつぶやきながらも信豊は晴元を褒め称える。

 息子元康ともども若狭に帰還するためにも、晴元には復権してもらわねば困る。

 追従のひとつふたつ献じるのは何でもないことであった。




◆◆◆




「な、なあ、岩鶴いわつる! ほ、ほんとにやるのか?」

「……やる」

「で、でもよ、火付けだぞ。捕まったら縛り首だッ」

「それでもやる、喜四郎きしろう。成功したら金十両なんて眉唾物だけど……断ったらどうなるか、わかるだろ」

「そ、そりゃあそうだけど……!」



 喜四郎と呼ばれた少年が口惜しげに地面を蹴る。

 髪はふけにまみれ、顔は垢にまみれ、服は泥にまみれ――つまりは完全無欠に浮浪児の風体をしている。

 これは岩鶴と呼ばれた少年も同様であった。

 むっと鼻をつまみたくなる悪臭を放っている彼らは、商店の軒先を通りかかれば、店番の小僧にはたきで追い払われるに違いない。



「……利用されてるだけだぞ。わかってるだろ」



 押し殺した声で口にしたのは、それまで黙っていた三人目。

 清介せいすけという名で、ぶっきらぼうだが情に厚く、また鋭い直感の持ち主でもある。



「成功しても失敗しても切り捨てられる。あいつらは高みの見物をして、上前をはねるだけ。これまでとおんなじだ」



 清介の言うとおり、岩鶴たちが「彼ら」の指示に従うのはこれがはじめてではない。

 危ない橋を何度も渡らされてきた。

 世のあぶれ者たちが集まる貧民窟にも上下というものは存在する。そして岩鶴たちのような子供は常に下の立場を強いられる。



「やっぱりやらない、なんて言ったらあいつらが何をするかはわかるだろ、清介」

「逃げればいい。あいつらだって京の外までおれたちを追ってくるほど暇じゃないはずだ」

「おれたち三人だけならそれでもいい。けど……」



 岩鶴が言葉を切ると、清介と喜四郎はその先を悟って唇を噛んだ。

 三人は同じ境遇にある子供たちと共同生活を送っている。中には病人や幼子もおり、とてものこと、あてのない旅に連れ出せるものではなかった。

 みな岩鶴が放っておけずに連れてきた子供たちだ。捨てていこうとは言えなかったし、喜四郎や清介にしても心底から見捨てようと考えているわけではない。



 ただ、自分たちが悪党の食い物にされているという感覚はぬぐいがたいものだった。

 採り得ない選択肢を口にして、ありえない未来を夢見てしまうくらいに不快なものでもあった。

 ややあって、岩鶴と清介は同時にため息を吐く。



「気に入らないのはおれも同じだ。でも、仕方ない」

「……そうだな。ただ、喜四郎まで付き合う必要はない。おれと岩鶴でやるから、おまえは子供たちについていてやってくれ」

「そ、そんなわけにいくか!」



 清介の言葉を聞いた喜四郎は色をなした。

 そして憤然と言い返す。



「おれも行くぞ。行くったら行くからな。止めたって無駄だぞ。ああ無駄だとも。ちくしょうこええけど行くったら行くんだよ!」

「……わかったからちょっと落ち着け」



 傍目にもおびえた顔でぶるぶると震えながら、それでも同行を主張する喜四郎を見て、岩鶴は思わず苦笑していた。

 それまでずっと幼い眉間に刻まれていたしわが消えていく。



「火付けといったって、別に侍と斬り合いをしなきゃいけないわけじゃない。喜四郎が力を貸してくれるなら策がある」

「策?」

「そうだ。先に別の場所で火をつけるんだ。陣屋よりも簡単で、しかも兵士たちが大慌てするような場所でだ」

「そんな場所あるんか?」



 首をかしげる喜四郎に岩鶴がささやいたのは、上洛軍が築いたばかりの遊女小屋だった。

 一口に小屋といっても、へたな屋敷以上の規模がある。なにせ日々数百の人間が出入りするところなのだ。

 あそこで火が出たと知れば、兵士たちは驚倒して火を消すために駆けつけるに違いない。

 必然的に陣屋の警戒は薄くなる。

 遊女小屋なら夜でも人の出入りがあるし、忍び込むのも簡単だろう。

 問題があるとすれば――



「でも、あそこって武士以外にも、女の人たちとか、お付きの子供たちとか、たくさんいるんだろ?」



 喜四郎が泣きそうな顔をする。

 これまで戦で散々ひどい目にあってきた岩鶴たちは、武士がひどい目に遭おうとも気にしない。他人を踏みにじってきた奴らが、今度は踏みにじられる側にまわるだけの話だ。

 だが、何の関係もない女子供が焼け死ぬかもしれないと思えば心がきしむ。いや「焼け死ぬ」などという言い方では追いつかない。自分たちが「焼き殺す」のだ。

 それでも、岩鶴は鋭いまなざしで喜四郎の問いにうなずいた。



「ああ、そうだ――喜四郎。おれは見たこともない奴らよりおまえたちみんなの方が大事だ。どうしてもやりたくないなら、やっぱりお前は子供たちのところに戻ってくれ。全部おれがやる」

「おれたちが、だ」

「……ッ、なんども言わせんな、おれも行くったら行く! おれだって話したこともない人たちよりお前たちの方が大事だ! わかった、そっちはおれにまかせろッ」



 涙目で胸を張る喜四郎を見て、逆に岩鶴の方が泣きたくなった。

 どうして自分たちがこんな下劣な相談をしなければならないのか。

 貧しい農村で生まれ、毎日ひもじさに泣く弟妹のためにすすんで村を出た。都で働き口を見つけてみせると両親には大口を叩いたものの、実際は口減らしに他ならない。

 案の定、苦労してたどりついた京の町は、都とは名ばかりの寂寞とした場所だった。



 それから数年。同じ境遇だった清介や喜四郎らと助け合い、泥水をすすって生きてきた。

 すりもかっぱらいも散々やった。いまさら無垢を気取るつもりはない。

 だが、それでも精一杯に生きてきたのだ。



 それなのに……いや、だからこそ、なのだろうか。他人のものをかすめとって生きてきた罪の報いが、今こういう形でやってきたのだろうか。

 だとしたら仏さまは残酷だと思う。

 子供だけでは生きていけない世をつくっておきながら、子供が罪を犯すのは許さないという。

 生きる道を示しもしないくせに、岩鶴たちが必死で生きてきた道は間違いだと決め付けて、上から罪を問うてくる。



 ――ふざけんな。

 岩鶴は口の中で吐き捨てた。そんな仏、いらない。こっちから願い下げだ。

 おれたちは仏なんかに頼らずに生き抜いてやる……!



「――おい、岩鶴!」



 不意に清介が鋭い声をかけてきた。

 うつむいていた岩鶴は驚いて顔をあげる。



「どうした、清介?」

「あれを見ろ」



 そういって清介があごで指し示したのは上杉陣屋の表門である。

 巌のような体格をした足軽たちが常に複数人で見張っていて、こっそり入ることは不可能だ。

 岩鶴たちは彼らに見つからないよう物陰に潜みながら、どこかに隙はないかとうかがっていたのである。



 今、その陣屋から一人の青年が外に出てきた。

 容姿も身なりも取り立てて目立つところのない平凡な人物。門番たちと比べると身体つきも貧弱で、やりようによっては岩鶴たちでも勝てそうだ。腰に刀を差していないところを見ると、武士ですらないのかもしれない。

 はじめはどこぞの商家の使い走りかと思ったが、門番たちがしきりに頭を下げているところを見ると、かなり高い地位にあることがうかがえた。



 青年は門番たちに声をかけてから街中へ向かって歩き始める。

 それを見た瞬間、岩鶴は清介が言わんとすることを察した。

 岩鶴が清介を見ると、清介は懐から短刀を取り出してうなずいてみせる。



 この短刀は合戦後の戦場を漁った際に見つけた代物だ。血と脂で汚れた刃はところどころ刃こぼれしており、切れ味はないに等しい。

 それでも突き刺す分にはまだ十分に使えるだろう。

 清介はこの武器であの青年を脅そうと考えていた。可能であれば陣屋の中に入り込む協力をさせる。それが無理なら、首に短刀を突きつけてこいつを殺すぞと兵士を脅迫し、注意をひきつける。その混乱の隙に岩鶴や喜四郎が陣屋の中に入り込むという寸法だ。



「それも無理そうなら、物陰に引き込んでから殺して首をとる。兵士たちの態度を見るに、ずいぶん良い家の出みたいだ。たぶんあいつらにとっても価値がある」



 ここでいう「あいつら」とは岩鶴たちに火付けを強要してきた上の連中ではなく、上の連中に火付けを持ちかけた者たちのことだ。

 上洛軍を敵とする者たちであれば、上洛軍の武将の首に火付け以上の価値を認めるかもしれない。



 清介の策は即興で考えただけに稚拙であったが、岩鶴たちにとっては良い案に思えた。少なくとも火付けよりは簡単だ。武士以外の人間を巻き込まないところも三人の意にかなっている。

 三人はうなずきあうと、ひそかに青年の後を追い始めた……



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