第三十七話 加州豊弘
細川晴元という武将がいる。
足利幕府第三十四代管領にして、山城、摂津、丹波の守護を務める人物。
武将というよりは大名、あるいは大大名といった方が正確だろう――頭に元の一字がつくが。
三好家の当主長慶に敗れて所領の大半を失い、現在は勢力も激減している。
ただし、いまだ畿内で浅からぬ影響力を有しているのも確かであり、過日、上洛軍が入京する際に攻撃を仕掛けてきた細川家の部隊も晴元のひそかな指示で動いていたという。
以上のことからもわかると思うが、晴元と三好長慶とは不倶戴天の間柄であり、どれだけ長慶や久秀から叩かれても三好家への敵対をやめようとはしなかった。
この晴元と将軍の関係は単純である。
将軍と三好が敵対しているときは味方、将軍と三好が結んでいるときは敵、という具合だ。
現在、義輝は三好長慶の庇護下にあり、三好家の影響力を排除せんと苦心しているが、味方であることは間違いない。
つまり、細川晴元とは敵対関係にあるということである。
細川晴元麾下の武将、香西元成が二千の丹波衆を率いてにわかに山城丹波国境を越え、京の西方に陣を構えたのは、俺と久秀の深夜の密会から半月ばかりが過ぎた頃であった。
久秀に紹介された鶴屋とはかり、ようやっと上洛軍八千の遊興体制を整え終えた矢先の出来事だっただけに俺は怒りを禁じえなかった。
このままだとせっかく集まったくれた遊女の皆さんが、戦火を怖がって逃げてしまうではないか! 集めるのにどれだけ苦労したと思ってんだこんちくしょう!
――というのはまあ冗談としても、現在、上洛軍の略奪を恐れて京を離れていた町民、商人が、上杉武田の軍規が厳正であることを知ってぽつぽつと戻り始めている。堺の方から上洛軍目当ての人や物も流入し始めたところだ
このまま香西軍を放っておくと、再び京の町から人々が離散してしまう。
ゆえに、一戦して叩きのめすにしかず。
そう主張して容れられた俺は、総大将に新進気鋭の人物を推してこちらも容れられた。
今はその大将と共に上杉軍二千を率いて出陣している最中である。
「………………あの、加倉様?」
「豊弘様。何度も申し上げますが、加賀守護職にある御方のご子息がそれがしに様付けする必要はございません。どうぞ加倉と呼び捨てになさってください」
「い、いえ、危急を救っていただいた方に礼節をもって接するのは当然のことで……って、そうじゃなくてですね! あの、加倉様、なんで私が上杉軍の指揮をとることになってるんですか!?」
「それはもちろん景虎様のご命令によるもので――」
「その命令を引き出したのは加倉様だって聞きました!」
甲高い声で悲鳴をあげる富樫豊弘。
言うまでもなく、加賀から上洛軍に加わった富樫家の三男(実は長女)である。
当初は俺に対して硬い態度を崩さなかった豊弘だったが、最近はそれなりにくだけて接してくれるようになっている。
転機は、たぶん宗滴殿の茶席でしどろもどろになっている俺を見たあたりだろう。あれから少しずつ態度が軟化しはじめた気がする。
といって、別にそれが嬉しくて豊弘を指揮官に推したわけではない。
以前にも述べたが、豊弘は国主の息子とはいえ、兵の一人も従えてはおらず、上洛軍での発言権は皆無に等しい。
将軍や公家への献上品も持って来なかったので、京に入ってから盛んにもてはやされている景虎様や虎綱と異なり、無視同然の扱いを受けている――悪意をもって無視されているというわけではなく、そもそも将軍たちの眼中に入っていないのであろう。
豊弘自身はそれを当然のことと思い、かけらも気にしていないのだが、このまま事態が進めばどうなるか。
豊弘は何一つ成さず、成せず、上洛軍と共に加賀に戻ることになるだろう。
そして父の下に戻るか、あるいはまた寺に入るのか、いずれにせよ元の木阿弥だ。
上洛軍の陣中で得られた経験は豊弘にとって貴重なものとなるであろうが、その経験をいかす機会や立場がめぐってくるとはどうにも考えにくい。
豊弘自身がそういう生き方を望むなら他人がどうこう言うことではないと思う。
が、その生き方しか選べないと思っているのなら――異なる選択肢を用意してあげたくなるではないか。
実は先日来、豊弘にちょくちょくお茶の作法を習っている俺はそう考えた。
景綱にガミガミ言われながら習うのに比べたら、豊弘のそれは楽しくて仕方ない。我が師よ。
こんなに素直で控えめな良い子が、諦め顔で生きていくのは間違っている。間違っているのだ。
「――というわけで、景虎様にかけあってみた結果がこれです」
「どういうわけですか!?」
がーと吼える豊弘の姿は、加賀出国時からは想像もつかない。
弥太郎や段蔵と一緒にいることが多いからだいぶ染まっているのだろう。特に俺への態度なんかは。
「安心してくれ。実際に指揮をとれとは言わないから。豊弘様は本陣ででんと構えていてくれればいい」
「……あの、それだってかなり大変なんですけど……私、初陣なんですよ……?」
「京に迫り来る悪鬼のごとき大軍勢。都と将軍家の危機を救うべく、一人の少年が敢然と悪鬼どもに立ち向かう。初陣を迎えた少年の名は富樫豊弘、後に加賀の驍将と呼ばれる人物であった……!」
節をつけて大げさに謳ってみると、聞いていた弥太郎が目を輝かせた。
「か、カッコいいです、豊弘様!」
「ああ、弥太郎さんが加倉様の口車に乗せられた!?」
「そこは加賀ではなく加州の方がよろしいかと。驍将というのもやや大げさです。単純に加州豊弘の方が聞く者の耳に馴染むのでは」
「段蔵さんまで!? しかもなんか乗り気です!?」
がーんとショックを受ける加州豊弘。
だが、豊弘はくじけなかった。以前なら流されていたかもしれねいが、これもまた上杉家に慣れた影響かもしれない。
「そ、その、私に手柄をたてさせようとして下さるのはありがたいのですが、命をかけて戦うのは上杉の方々です。私がそれを横取りするわけには参りません!」
「大丈夫大丈夫。兵士の皆さんは豊弘様のために頑張ろうと超やる気」
「ちょ、超? え、なんでですか、私、兵士の皆さんのために何かした記憶はないのですが……?」
それは先ごろ開業した上洛軍の遊興施設を完成させるため、豊弘がものすごく尽力したという噂が広がっているからである。
なお、噂を広めたのは俺だが事実無根というわけではない。
田舎の兵士に乱暴されるんじゃないか、上洛軍と三好軍の戦闘に巻き込まれるんじゃないか。そう考えて京都入りを渋る一部遊女さんたちを説得したのが豊弘だったのだ。
傍目には紅顔の美少年に見える豊弘の心を込めた説得――上洛軍が必ず皆さんを守ります!――に心打たれた遊女さんたちは、喜んで御仲間と一緒に京都入りしてくれた。
なお、豊弘は彼女たちが遊女であるとは知らず、戦火におびえて京から逃げ出した町民だと思いこんでいたのだが、これは些事であろう。
ともかく、そんなわけで富樫豊弘の人気は上杉軍、武田軍問わず兵士たちの間でうなぎのぼりなのである。
豊弘は戸惑いもあらわに問いかけてきた。
「あの、どうしてそこまで私を気にかけてくださるのですか? 世話になるばかりで、何一つ返せない私を……?」
「弟子が師を立てるのは当然。それにですね、普通はどれだけ見目が良くても、民は上の人間の言うことをそうそう信じたりしないものです」
内実はどうあれ、富樫豊弘は加賀守護の子だ。庶民にしてみれば雲の上の人間である。 その豊弘の言葉で海千山千の遊女たちが動いた。それを目論んだのは俺だが、その俺にしてもあれほど速やかに事が進むとは思わなかった。
俺に同じことはできない。
極端な話、景虎様が同じことを口にしても彼女たちは動かなかったのではないかと思う。最終的には動いたにしても、もっと時間がかかったであろう。
幼い頃から辛酸をなめてきた、今なお辛酸をなめている、そんな弱い豊弘が真剣に訴えた言葉だから彼女たちの心にじかに響いたのだ。
これは疑いなく豊弘の長所であった。今の上洛軍にとってこれほど有用な才はない。
開花させることなく朽ちさせるにはあまりに惜しい。もういっそ上杉家にスカウトした方がいいのではないか。
さすがに今の段階でそんなことは口にしなかったが。
「ともあれ、ここまで来て帰ることもできないでしょう。もう公方様にも豊弘様が指揮官である旨を伝えてしまっていますし、ここは一つ覚悟を決めてください」
「うう……逃げ道を残らず塞いだ人が覚悟を決めろと迫ってきます……これが城下の盟というものなのですね」
「はいはい、もうそれで結構ですから早いとこ納得してください」
「とうとう説得まで雑になってきました!」
と、そんな会話を俺と豊弘の間で(ひそひそと)交わしていると、本陣に伝令が駆け込んできた。
「申し上げます! 敵陣の後方に激しい土煙を確認いたしました! 敵の増援かと思われましたが、敵陣がにわかに乱れたち、足軽どもが右往左往している様子!」
「来たか。それは後方にまわった武田軍だ。これより我らは武田と共に敵を挟撃する! これは京での初戦。将軍、公家、畿内の大名、畿内の民、すべての目が注がれていると心得よ。この戦で甲州勢に後れをとることは許さぬ! 全軍にしかと伝えよ!」
「ははァ!」
先刻までの静けさとは一転、慌しく動きはじめる上杉軍。
今回、上杉軍が敵と同じ二千しか兵を出さなかった理由は二つ。
一つは香西元成の軍が陽動である可能性があったため。全軍で出撃した後、細川の別働隊によって御所なり京の町なりを襲われたら、上杉の名前は上方者の笑いぐさになってしまう。
もう一つは下手に多数を出すと、敵が逃げ散ってしまう恐れがあったためだ。逃げた丹波衆がそのまま国に引っ込んでてくれるなら逃がしてもいいのだが、まず間違いなく時間をおいてまた出てくるだろう。
将兵の負担、畿内での評判を考えると、もぐら叩きをしている余裕はない。
香西軍はここで叩き潰す。
作戦は簡単である。
まずは同程度の兵を出して敵の注意を正面の上杉軍に集め、その間に迂回した武田軍が敵の後背を塞ぐ。
馬の蹄に布袋をかぶせ、口に枚を含ませた武田軍は夜の間に京を進発。粛々と迂回を成功させてのけた。敵にまわすと恐ろしいが、味方にすると実に頼もしい方々である。
挟撃態勢ができあがれば、後は前後からかわるがわる叩くだけだ。
前門の上杉、後門の武田。さあ耐えられるものなら耐えてみるがいいわ!
「いざ、豊弘様。突撃のご命令を!」
「…………何故でしょう。加賀にいる時よりも今の方が自分の存在価値に疑問を覚えてしまいます」
「ほら、わが師よ。遠い目をしてないで早く早く。このままでは戦機を逸しますぞ」
「ああ、もう、わかりました。わかりましたよ、我が弟子! ――全軍、突撃してくださぁい!!」
開き直った豊弘の口から発された号令は、意外なほど澄んだ響きを帯びて上杉軍に響き渡る。
恩ある豊弘の命令に兵士たちは奮い立ち、また武田軍に負けてなるものかという競争心も手伝って、上杉軍二千は怒涛のごとく香西軍へ殺到した。
同時に武田軍も香西軍の後方に襲いかかり、越甲両軍に前後から揉みたてられた香西軍はたちまち壊乱、算を乱して逃げていく。
両軍はこれを追い討って更なる戦果をあげ、敵将香西元成もこの追撃戦の最中に戦死を遂げた。
なお、矢を放って逃走する元成の首筋を射抜いたのは富樫豊弘である。
このとき、元成の腰にはひときわ立派な太刀が差さっており、この太刀『香西長光』は戦勝報告の席で豊弘から将軍義輝に献上された。
刀剣大好きっ娘の義輝はこれをたいそう喜び、香西軍をすばやく撃滅した武功も含めて豊弘を激賞。豊弘はおおいに面目をほどこすこととなった。
また、その席で豊弘が戦勝後の上洛軍内部で「加州殿、加州殿」と慕われていることをとある人物から聞かされた義輝は楽しげに笑い、これ以後、豊弘のことを「加州」と呼ぶようになる。
加賀の驍将『加州豊弘』の呼び名が足利将軍のお墨付きを得た瞬間であった。
かくて香西元成による京都撹乱は終結する。
俺としては文句なし。まさしくめでたしめでたしの結末だったのだが――
「ほら、我が弟子! 茶がはねてますよ! もっと集中しなさい、集中ゥ!」
この戦い以後、豊弘による茶道の教えが直江景綱のそれなみに厳しくなってしまったのは計算外と言わざるを得なかった。
まあその分、俺に対する豊弘の遠慮は琵琶湖の彼方まですっ飛んでしまったので、収支トントンというところで納得しようと思う次第である。