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聖将記  作者: 玉兎
第四章 上洛
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第三十四話 京の都


 かくて上洛軍は山城の国に入り、京の都を視界におさめた。

 ここまで戦らしい戦もなく来られたため、兵力は当初の八千のまま。将軍にとっては頼もしい戦力の到来であろう。

 反面、上洛軍を歓迎しない者にとっては招かれざる客の到着である。



 すでに上洛軍の情報は随分前から洛中に知れ渡っていたらしい。

 上洛軍をこころよく思わない勢力にとっては十分な準備期間があったことを意味する。

 それを証明するように、京の都の前には三千の軍兵が陣をしき、上洛軍の道を塞いでいた。



 彼らが掲げる旗印は『三階菱さんがいびし』――近畿、四国にまたがる大勢力を有し、将軍家を傀儡とする大大名 三好家の家紋である。

 向かい合った両軍に緊張がはしる。特に将軍家の使者である細川藤孝の顔は険しい。ここに三好軍が現れたことの意味を、藤孝ほど知る者はいない。

 特に三好軍の先頭に立つ人物に向けた藤孝の眼光は鋭かった。このまま斬りかかるんじゃないか、と心配してしまうくらいに。



 俺はここまで藤孝とあまり接点を持ってこなかったが、言葉を交わしたことは幾度かある。

 その時の藤孝は常に物腰柔らかく、ふとした言葉にも教養があふれ、立ち居振る舞いは雅の一語に尽きた。剣術は塚原つかはら卜伝ぼくでんに学び、弓術、馬術にも秀で、もちろん芸術にも造詣深い青年武将。

 容姿? 目元涼しいイケメンに決まってるでしょうが。言いたかないが、景虎様と並ぶとお似合いのカップルにしか見えないデス。



 ……正直に言うと、俺が藤孝と接点を持とうとしなかったのは、この青年があんまりにも完璧すぎてとっつきにくかったからだったりする。

 藤孝本人は自分の容姿や才覚を鼻にかけない好青年(年齢は俺より六、七歳上)で、俺にも色々と気をつかってくれるのだが、仲を深めようという気にはなかなかなれなかった。

 くらい負けというやつです、はい。



 その藤孝がここまで警戒と敵意をむき出しにしている姿を、俺は初めて目にした。

 いったい何者ぞ、と藤孝が睨んでいる相手を見やる。

 眼を凝らす必要はなかった。一目でそれとわかるくらいに目立っていたからだ。



 それは女性だった。

 統一された軍装で規律正しく立ち並んでいる三好軍の中にあって、ただひとり、鎧も兜も身につけず、それどころか大小さえ差さずに立っている。

 身に寸鉄帯びぬその姿を見た俺が、真っ先に思い浮かべた言葉は手弱女たおやめだった。



 糸杉を思わせる肢体は折れそうなほどに細く、それでいて胸や腰は優美としか言いようがない曲線ラインを描いている。彼女が具足を身に着けていないことを喜んだ将兵は一人や二人ではないだろう。

 腰まで伸びた黒絹の髪、白磁を思わせる肌、風でなびいた前髪をさらりと払う仕草は艶を含んでなまめかしく、およそ戦場からはもっとも遠い人種のように思える。



 と、女性がゆっくりと前に進み出た。

 華美な衣装もこの女性がまとえば瀟洒しょうしゃに映る。しずしずとした足取りは、やはり武将のそれとは思えない。

 だが、そんな女性を見据える細川藤孝の敵意はふくれあがる一方だった。



 怒り、戸惑い、警戒、不審、敵意――八千の軍勢の視線を全身で浴びながら、しかし、女性は微塵も怯えることなく穏やかに笑んでみせる。

 子供のように無邪気な、とろけるような笑み。

 それでいて都の者らしい馥郁ふくいくとした気品に溢れ、繊手で背筋を撫ぜられるような色気をもかもし出している。



 本来、並存するはずのないそれらを女性は一身に修めていた。その一事だけをとっても、ただものではありえない。

 いったい何者、と内心で身構える俺の声が聞こえたかのように、女性の桜色の唇が開かれた。



「ようこそいらっしゃいました、上杉家ならびに武田家の皆様。そして富樫家の御方。公方様の招請に応じ、はるばる遠国より京までお越しになった方々の忠誠、感じ入るばかりにございます」



 鈴を転がすような澄んだ声が耳朶を甘くくすぐる。

 知らず、ぞくりと背が震えた。



「我が名は松永久秀。公方様の命により、京での案内役を務めさせていただきます。皆様がご不自由することのないよう努めてまいりますので、どうかよろしくお見知りおきくださいませ」



 そう言って女性――松永久秀はにこりと微笑んだ。




◆◆




 その後、俺たちは京の都を目前にしながら、実に五日に渡って待たされることになった。

 久秀の説明によれば、上杉、武田らの軍勢が京を焼き払うのではとの流言があり、それを恐れた一部の町人や将兵が洛内の各処で不穏な動きを見せているらしい。

 彼らのせいで上洛軍に被害が出ては諍いの種になる。

 慮外者たちを説得ないし排除するまでお待ちいただきたい、というのが久秀の言い分であった。



 いちおう筋は通っている。偽りと決めつける理由も証拠もこちらにはない。

 景虎様と虎綱は久秀の申し出た十日の猶予を五日に区切った上で待機を了承した。



 野営のための陣を構えた上洛軍の眼前には、まるで京への道を塞ぐかのように三好軍三千が立ちはだかっている。

 久秀によれば、敵対勢力が上洛軍へ攻めかけてきたときのための防衛役だそうだが、さてどんなものか。まあ、わずか三千で上杉武田連合に喧嘩を売ってくるような真似はしないと思うが、油断は禁物であろう。



 見たところ三好軍は騎馬や鎧武者の数が極端に少なく、全体の過半を足軽が占めている。

 軍装こそ美々しく統一されているものの、それは上方者かみがたもののこけおどしであり、いざ戦闘となったら越後(甲斐)の騎馬部隊で軟弱な上方兵を蹴散らしてくれよう――というのが三好軍に対する上洛軍内部の評価であった。



 中でも甲越両兵の笑いを誘ったのが三好軍の武装の貧弱さである。

 特に一部の三好兵が持つ『細い筒の形をした鉄の武具』に嘲笑が集まった。

 目新しさこそあれど、刀にしては刃がなく、槍にしては穂先がない。どうやら鉄を棒状に伸ばした打撃武器のようだが、扱う兵士たちの慎重な手つきを見ていると耐久力はさほどでもなさそうだ。

 あれでは物の役に立つまいと大笑いする兵士たちを見かけた俺は、内容を聞いて慌てて三好軍を見た。



 昨日までの三好軍はそんな武器を持っていなかった。隠していたのだとしたら、どうして今になって上洛軍に見せ付けるような真似をし始めたのか。

 兵士たちの言葉どおり、三好兵は見覚えのある武器を持って忙しく自陣を移動していた。

 それを見て、俺は小さく呟く。



「――なるほど。まずは三好家の武力を思い知らせて機先を制するつもりか」



 あの武器の正体を知っているはずの細川藤孝は、将軍のいる二条館に赴いたまま戻ってきていない。

 おそらくは三好軍を平和的に退去させるため、そして上洛軍の受け入れ態勢を整えるためにてんてこ舞いの状態なのだろう。

 五日の待機は今日で終わる。藤孝は上洛軍を先導するために翌朝には戻ってくるだろう。となると、敵が仕掛けてくる時期はおおよそ読める。



「相馬様、どうかしましたか?」

「お、弥太郎、ちょっと頼んでいいか」

「あ、はい、なんなりと」



 ごにょごにょと弥太郎の耳元でやってほしいことを伝えると、弥太郎は不思議そうな顔をした。

 俺がどうしてそんなことを言うのかがわからなかったのだろう。

 だが、特に反問もせず、言われたことを実行するために弥太郎は走り去った。

 弥太郎を見送った俺はその足で景虎様の陣に向かう。その次は武田軍の虎綱のところだ。

 三好軍が動くとしたら今日中だ。準備を急がねばならなかった。





 ――日没を迎える時刻、俺の予測は的中する。

 それまで動きのなかった三好軍が慌しく動き始めたのである。

 上杉、武田の両軍は何事かと緊張を高めた。



 すると、三好軍から久秀があらわれ、澄ました顔で状況を説明した。

 なんでも一部の強硬派が久秀らの説得を受け入れず、武力で上洛軍を追い払おうとこちらに向かっているという。

 数はおおよそ三百。



「こちらに向かっている部隊は細川家の手勢です。勝ち目など無きに等しいのですが、彼らは公方様に対してたびたび無礼な行いをしておりまして……上洛軍が洛中に入れば、それに力を得た公方様に誅殺されると思い込んでいるようなのです。こちらの説得に耳を貸さず、入洛はまかりならぬと繰り返すばかりで、ついには激発してこのような愚行をおかすことになりました」



 身の程知らずもはなはだしい、と久秀はかぶりを振ってみせる。

 それに対して景虎様は厳しい顔で確認をとる。



「降りかかる火の粉は払わねばならぬ。蹴散らすが、構わんな?」



 景虎様としては当然の要望だったが、これに対し久秀はもう一度かぶりを振ってみせた。



「いいえ、長尾様。こちらが軍を配備していたのは、まさしくこのような事態に備えてのこと。京の不始末は我ら三好の手で片付けましょう。どうか上洛軍の方々におかれましては、事態を静観なさっていてくださいませ。そのことをお願いしに参ったのです」

「ふむ。ならば我らは手を出すまい。だが、こちらに被害が及ぶと判断したときは勝手にやらせてもらうぞ」

「御意のままに」



 景虎様に向かって完璧な礼をした久秀は、すぐに部下に向かって何事かを命じる。

 すると、その部下は陣の外に走り出し、前方の三好軍に大きく松明を振ってみせた。

 それが合図だったのだろう、三好軍はそれまでの慌しさが嘘のように整然と陣を展開させ、瞬く間に鶴翼の陣をつくりあげる。

 ただ、通常の鶴翼と異なるのは、中央部隊がもっとも陣容が薄いことであった。精々二百程度しかおらず、これでは敵が中央突破を図った場合、止めることが出来ないのではないかと思われた。



 三好軍が突破されれば、次に標的となるのは上杉軍である。

 それと承知している景虎様が合図を送ると、たちまち上杉軍も動き出した。

 敵を迎撃するためだ――そう久秀は思っただろう。

 だが、このときの景虎様の合図は敵を迎え撃つためのものではなかった。



「……ふーん。そう来るの」



 それまで言葉遣いを崩さなかった久秀が、ここではじめて素の声を漏らす。

 景虎様の合図を受けた上杉軍が、一斉に下馬を始めたからである。少し離れたところに布陣していた武田軍も同様であった。

 騎馬部隊を主力とする両軍が、どうして戦闘を間近に控えて馬を下りたのか。

 犀利さいりな久秀の頭脳は一瞬にして答えを導き出した。



 それは久秀にとって目論みの一つが崩れたことを意味していたが、もともと相手の力量を測るために講じた策だ。見抜かれたら見抜かれたで、それもまた上洛軍の実力を測る一つの目安になる。無駄にはならない。



「ふふ、まあいいわ。とりあえず鉄砲の威力を田舎侍たちに教えておきましょうか」



 その久秀の言葉を引き金にしたように戦闘は劇的な変化をとげる。

 喚声をあげて突進してきた細川の部隊に向けて、三好軍の中央部隊から天地をつんざく轟音が響き渡ったのだ。

 その音のあまりの凄まじさに、上杉武田両軍の将兵は慌てて耳を塞がねばならなかった。そして、そんな人間以上に動揺をあらわにしたのは、突然の轟音にさらされた馬たちである。



 良く訓練された軍馬であっても、こんな轟音を耳にした経験があるはずはない。

 それも一度や二度ではなく、続けざまに何度も何度も響いてくるのだ。

 時刻は日暮れ近く、空も地上も夜闇に覆われつつある。

 元は臆病な草食動物である馬にしてみれば、暗がりの向こうから得体の知れない化け物に襲われているようなものだろう。

 落ち着いていられるはずもなく、あちこちで甲高い嘶きがわきおこり、暴れる馬が続出した。



 もし騎馬部隊が騎乗したままであれば大混乱におちいっていたであろう。

 だが、景虎様の合図に従ってほとんどの武者たちが馬から下りていたことが幸いした。

 彼らは叫喚する愛馬をすぐになだめにかかり、結果として混乱は最小限に留まったのである。



 なお、そんな上杉陣内にあって、絶対の自信をもって馬から下りなかった者が存在する。

 その人物――まあ景虎様なんだけど――がわずかに眉をひそめて口を開いた。



「――なるほど、あれが噂に聞く鉄砲というものか」

「御意。私も噂でしか聞いたことがありませんでしたが、威力もさることながら、この音が厄介ですね。騎馬部隊が思うように動かせなくなってしまう」

「うむ、相馬の進言どおり、耳には詰め物をしておいたが、馬にそれは難しいであろうしな。馬が怯えずにすむように工夫しなければならないか」

「はい、それがよろしいかと。いずれ馬たちも慣れてくれるかもしれませんが、一朝一夕には無理でしょうから」



 そんな風に会話をかわす俺と景虎様を久秀が興味深げに見つめてくる。

 不敵な笑みを浮かべて見返してやろうかと思ったが、やぶへびになる気しかしなかったので自重。

 結局、久秀は何も言わずに三好軍へと戻っていった。



 明けて翌朝、上洛軍は京に足を踏み入れる。

 季節はとうに冬を迎えていた。



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