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聖将記  作者: 玉兎
第四章 上洛
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第三十一話 貧乏守護


 寺を出た加賀国主 冨樫晴貞の子豊弘は、近くの林に足を踏み入れると、枯れ草を踏み分けながら目的地へ向かって歩きだした。

 粗末な身なりはとうてい国主の子供とは思えない。寺での畑仕事によって土に汚れた手足は農民そのものだ。

 よくみれば端正といえる顔立ちをしており、憂いを帯びた横顔には年齢に見合わないつやを漂わせているのだが、今の豊弘を見てそうと気付く者はなかなかいないだろう。

 たぶん本人も気付いていないに違いない。



 面差しを伏せながら豊弘は歩いていく。

 父の命によって寺奉公をするようになって、およそ三年。周囲から向けられる軽侮の視線は、豊弘にとって日常となっている。

 やむを得ぬことだと納得してはいても、時に心が悲鳴をあげることもある。そういうとき、豊弘はよくこの林に足を運んだ。

 


 枯れ草の降り積もる林はどこか寂しげな雰囲気に包まれている。

 冬が近づき、枯れゆく草木の静寂。その静寂を愛でるように豊弘は静かに息を吐いた。



「ああ……ほっとします……」



 時折、林の中を駆け抜ける風が冷たく肌をさすが、それでも城や寺の陰鬱とした空気に比べればずっとマシだ。

 そう思った豊弘は、ふと先刻の寺での出来事を思い起こして顔を青ざめさせた。

 粗末な衣服に包まれた自分の身体を抱きしめる。

 この頃、とみに目立つようになってきた胸や腰を怪しまれてしまったのだ。



 富樫豊弘は国主晴貞の三男である。そういうことになっている。

 だが、事実は違う。康弘は晴貞の長女なのだ。

 今日まで女性であることを隠してきたのは父晴貞の指示による。



 一向宗の傀儡たる晴貞の娘がどのように扱われるかは想像に難くない。他者の妻になれれば良い方で、おそらくは坊官(一向宗の指揮官)どものめかけ、最悪は慰み者だ。

 また、一朝いっちょうことあらば一向宗に背こうと考えている晴貞は、自分の蜂起が失敗に終わった際、残された娘がかぶる危難を恐れた。こちらは間違いなく嬲り者であろう。

 男と思われていれば、討たれるにしても無用な苦しみを味わわなくて済む。あるいは、女性の姿に戻って追っ手の目をくらますこともできる。



 そういった理由の下、豊弘は三男として育てられてきた。

 豊弘自身、気付かれないように気をつけていたのだが、身体の成長ばかりは自分の意思では如何ともしがたい。

 父晴貞にも、近ごろ寺の中でも不審な目を向けられることがあると報告しておいたのだが――



 と、このとき、不意に豊弘の前に木々の間を割って二匹の獣が躍り出た。

 驚いた豊弘は悲鳴をあげかけたが、こちらを見る二対の視線を見て口をつぐむ。

 冬篭り前の準備でもしていたのだろうか、そこにいたのはおそらく親子と思われる二頭の狐であった。

 豊弘が狐に驚いたように、狐の親子も豊弘に驚いたらしい。親狐は戸惑ったように数回首を左右に振ると、豊弘の様子をうかがうように尻尾を振った。

 すると、それを見た子狐が親の仕草を真似するように、親の後ろで同じように尻尾をぱたぱたと振り出した。



「あはは。ほら、おいで」



 その姿を見て、思わず豊弘の口から笑いがこぼれる。

 物はためしとばかりに手まねきをしてみると、親子の狐は戸惑ったように動きを止めた。それを見て、豊弘は懐に持っていた胡桃くるみの実を掌にのせる。

 だが、野生の狐がそうそう人に近づくはずもない。

 それと気付いた豊弘はなるべく狐たちを驚かせないよう、そっと前方の地面に胡桃を置くと、しずかにあとずさった。

 そうして豊弘が木々の合間に身体を隠すと、ようやく安心したのか、狐たちは豊弘が置いた胡桃の実を口にくわえた。



 それを見た豊弘は嬉しくて思わず手を叩いてしまう。

 すると、その音に驚いた狐たちは来た時と同様、すばやく木々の間を縫って豊弘の前から駆け去ってしまった。その口に胡桃をくわえながら。



「あぁ……」



 残念そうな声を漏らした豊弘は、狐たちが消えた木々の隙間を窺ってみるが、すでに親子の姿はどこにも見あたらなかった。

 ため息を吐く豊弘だったが、この予期せぬ出会いが沈んでいた心を幾分か和らげてくれたらしい。林を歩く豊弘の足取りは先刻よりもずっと軽くなっていた。



 やがて豊弘は林を抜けて小高い丘の上に出る。

 眼前には加賀の穀倉庫と言うべき肥沃な田園地帯が広がっていた。

 涼しい風が吹き付けてくる。思い切り伸びをした豊弘は、ゆっくりと地面に腰を下ろした。

 寺で嫌なことがあったとき、豊弘はよくここに足を運ぶ。この広々とした景色を眺めていると、自身の悩みがちっぽけで取るに足らないものに思えるからだ。

 とはいえ、悩みそのものが掻き消えるわけではなく、豊弘の口から嘆くような呟きがこぼれた。



「いつまで続くのでしょう……いつになったら終わるのでしょう……」



 この煉獄れんごくのような日々は。

 そう呟き、豊弘は力なく面差しを伏せた。





 晴貞の父――豊弘にとっては祖父にあたる人物が一向宗に敗れた後、加賀の国は一向宗徒の国と化した。

 守護大名とは名ばかりで、国の実権を握るのは尾山御坊の坊官であり、彼らの息のかかった家臣たち。

 父晴貞は彼らの圧迫を受けながら、なんとか勢力を回復しようと努めているが、その成果は一向にあがらないようだ。

 豊弘としては父に危ないことをしてもらいたくないのだが、それは一向宗の傀儡であり続けろということである。苦悩する父にそんなことが言えるはずもなかった。



 と、その時。

 背後の梢が鳴り、はっと豊弘が振り返る。

 すると、そこには見覚えのある少年たちの姿があった。

 いずれも豊弘と同じ寺の奉公人たちだが、彼らの目に豊弘への親しみはない。

 そこにあるのは軽侮と嗜虐が混じりあった泥濘でいねいの色であった。 




「ああ、やっと見つけましたぞ、豊弘様。我らに黙って寺を抜けるとは薄情ですな」

「そうそう。野武士や野盗のたぐいはどこにでも沸いて出ますから、ちゃんと用心しないといけません」



 丁寧な言葉遣いは寺の大人たちに叱られないための方便だ。寺の住職は、晴貞が信頼して豊弘をあずけただけあって分別をわきまえており、小僧たちがあからさまに豊弘を苛めると雷を落とす。

 そのため、彼らは言葉遣いだけは丁寧に豊弘に接するようになった。

 あくまで言葉遣いだけは、であったが。



 ずかずかと歩み寄ってくる二人の少年を前に、豊弘は息をのんで後ずさる。

 豊弘とて一応の護身術は心得ているが、身体の大きさ、力の強さは年頃の女の子のそれだ。

 一方の二人は力士か熊かというくらい身体が大きい。組み付かれてしまえば抵抗のしようがなかった。

 豊弘はとっさに頭を下げて口を開いた。



「す、すみません。外の空気が吸いたくなったので。すぐに寺に戻ります」



 そんな豊弘を見た二人は口から嘲笑を吐き出した。



「まったく。謝るくらいなら勝手な行動は謹んでほしいものですね」

「そのとおり。あなたがいなくなったことで住職から叱られるのはぼくたちなんですから。どうしてちゃんとあなたのことを見ていないのだ、と」

「は、はい、すみませんでした」

「では、今後一切、勝手な真似はやめてもらいます。全部、ぼくたちの言うとおりにしてください」



 少年たちの言葉に、豊弘はとっさに言葉に詰まる。

 この散策は豊弘にとって唯一ともいえる心休まる時。それを手放すのは、たとえ一時の方便であってもつらいことだった。

 そんな豊弘のためらいを見た一人が呆れた顔で口を開く。



「まったく。自分の身勝手で他人に迷惑をかけておきながら反省もできないのですか。そんなことだから豊弘様は城から追い出されたのですよ。寺の生活の何がご不満なのやら。野には戦や飢えで死んだ者がいくらでもいるというのに」



 そう言うと、その少年は悔しげに地面を蹴った。



「私の父は、あなたの御父上に兵にとられた挙句、一向宗との戦いで死んだのです。勝ち目のない戦に駆り出されて犬死したんですよ! 残された家族はばらばら、私は引き取られた家で邪魔者扱いされて寺に放り込まれました。それに比べれば、豊弘様は御父上は健在、住職の覚えもめでたい。まったくうらやましいかぎりですよ!」



 そう言うと、少年はいきなり拳を繰り出して豊弘の腹をなぐりつけた。

 いきなりのことで、豊弘は避けることができない。

 かは、と空気のかたまりを吐き出した豊弘は、激しく咳き込みながらその場に膝をついた。

 顔をなぐりつけなかったのは、以前にそれをして住職にこっぴどく折檻されたからであった。



「おい、やめろ」



 膝をついた豊弘をさらに足蹴にして地面に蹴り倒したところで、ようやくもう一人が止めに入った。



「うるせえよ! こいつ見てるとむかついてくるんだ! なんで親父を殺した奴の子供にへいこらしなくちゃいけねえんだ!」

「あ? お前、誰に向かって口きいてんだ?」



 どうやら立場としては止めた側が上だったらしく、ぎろりと睨みつけると、豊弘を痛めつけていた小僧はしぶしぶ口を閉ざした。

 だが、どうにもおさまりがつかないらしく、倒れた豊弘に唾を吐きながら言う。



「でもよ、もうちょっと痛めつけておいた方がいいんじゃねえか? 放っておくと、こいつまた勝手に寺から抜け出すぜ」

「いいじゃねえか。その方が俺たちももっと楽しめる」

「は? どういう意味だ、そら?」

「こういうことだよ」



 そう言うや、その小僧は苦痛にあえぐ豊弘から無理やり服をはぎとろうとする。

 豊弘が悲鳴をあげてあらがってもおかまいなしに、力ずくで。

 それを見て、もう一人は目を丸くした。



「お、おい、楽しむってそういう意味か? お前はともかく、俺は衆道しゅどうの気はねえぞ」

「これ見てこいつが男に見えるなら、お前の目は節穴だわな」

「あん? ……て、おい、これ!」



 思わず、というように目を瞠る。

 倒れて衣服をはぎとられた豊弘の身体は肌着姿になっている。女のように華奢な奴だと馬鹿にしていた相手の胸や腰は、それとわかるほどに曲線を描いていた。女のように、ではない。女そのものだ。



「前々から怪しいと思って、剥く機会をねらってたんだ。寺は住職の目があるからな」

「こいつ、女だったのか! てことは富樫の殿様のお姫さまってことか!?」

「そういうことだ。どうして隠してるのかは知らねえが、わかることはある。今、この秘密を知ってるのは俺たちだけだぜ。こいつはもう俺たちの言うことに逆らえねえよ」



 その言葉の意味に気付いた小僧は目を見開き、ついで唇を歪めた。

 豊弘の――城の姫君の身体を好きにできる。そう思ったことが一つ。

 くわえて、この秘密を利用すれば、憎い晴貞に復讐することもできると思い至ったのである。

 改めて豊弘の顔を見れば、なかなかに整った顔立ちをしている。これまでは苛立ちしか感じなかった顔も、こうなってみればそそるものがある。



 二人の口元に好色な笑みが浮かぶのを見た豊弘は、何とか拘束から逃れようとするが、身体をくみしく相手の巨体はぴくりとも動かない。

 そもそも仮に逃げられたとして、その後どうするのか。豊弘が女であると分かれば寺にはいられまい。かといって城に戻ったところで、今よりもさらに苦しい生活が待っているだけ。

 そう思った豊弘が双眸を悲痛の色で染めたときだった。



 がさり、と再び背後で梢の鳴る音がした。

 驚いた小僧たちが振り向くと、そこには二匹の狐が睨むように小僧たちを見つめている。



「なんだ、狐か。驚かせやがって」

「放っとけ。狸なら鍋にできるが、狐なんて骨ばっかりだ」

「けど、俺らを見ても逃げようとしないな。石でも投げてやるか」

「そうしろそうしろ。お楽しみを邪魔しやがって」



 小僧の一人が石を投げて狐たちを追い払おうとする。

 用心深い野生の獣だ。それだけでさっさと逃げ出すものと思われたが、驚いたことに狐たちはわずかにあとずさるだけで、この場を離れようとしなかった。



「ち、変な獣だな」



 舌打ちしたもう一人の小僧が人間の頭ほどもある石を掲げ持って近づいていく。

 示威ではなく、狐たちを殺すつもりであることは明らかだった。

 それと悟った豊弘は慌てて止めようとする。

 現れた狐が、先刻の狐であることに気付いたのだ。



「や、やめて! やめてェ!」



 思わず叫び、立ち上がろうとする豊弘。

 だが、そんな豊弘の行動は小僧の一人にあっさり遮られる。



「畜生ども相手にお優しいことですな。さすがは加賀国主の娘。その慈悲、禽獣きんじゅうに及ぶといったところでしょうか」



 なぶるように言葉を紡ぎながら、その小僧は豊弘に馬乗りになる。

 荒い息を顔に感じた豊弘は悲鳴をあげようとするが、その口はすばやく小僧の手で塞がれた。



「畜生どもにさえ情けをかけられるのです。父を殺されたぼくに情けをかけられない道理はありますまい」



 押しつぶさんばかりの重みに喘ぎながら、豊弘はその声を聞いた。

 あまりに手前勝手な理屈。そんな理屈にさえあらがえない自分の弱さが、ただただ情けない。

 せめて狐たちは逃げていてほしい。歪む視界の中、迫ってくる小僧の顔に怯えつつも豊弘がそう願ったときだった。



「――ばひゅッ!?」



 そんな奇怪な声をあげながら、今まさに豊弘の唇を奪おうとしていた小僧の姿が掻き消えた。

 豊弘の目にはそうとしか映らなかった。

 正確にいえば、背後から横殴りの剛槍の一撃を受け、真横にすっ飛ばされたのである。

 豊弘の目からは不動に見えた小僧の巨体が、まりのように宙を飛んでいた。



「え……え……!?」



 わけもわからず目を瞬かせる豊弘。

 豊弘の視界の先には天を衝くような長大な武者が槍を小脇に抱えて立っている。豊弘を助けてくれたのはこの人物だろう。

 そう思ったとたん、ふわりと柔らかい感触が身体を包んだ。

 あわてて横を見れば、槍武者とは正反対の小柄な、おそらくは自分と同じ年頃の子供が肌もあらわな豊弘を気遣って布着をかぶせてくれていた。

 そして最後に。



「罪を犯す口実に親の死を利用するな、下衆げすが」



 狐を殺しにいった小僧が地面に突っ伏しているその横で。

 ひどく酷薄な顔をした青年が鉄扇を片手に立っていた。



◆◆◆



 実のところ、俺が豊弘を助けたとき、状況の全てを掴んでいたわけではなかった。

 寺にいったら豊弘は留守。住職が小僧どもに聞いたところ、どうやら町外れにある林に向かったらしい。二人の小僧が迎えにいったので、待っていればじき戻ると言われた。

 お言葉に甘えようかとも思ったが、あまりのんびりしていては上洛軍に置いていかれてしまう。



 なので弥太郎と段蔵を連れて林とやらに向かったところ、俺たちの前に突然親子らしき狐があらわれ、子狐の可愛さにほだされた弥太郎が後を追って――顛末としてはそんな感じだった。



 襲われている女の子を助けてみれば、なんとこの少女が富樫豊弘だという。

 男に扮していた理由も聞いた。

 なるほど、たしかに「三男」と「長女」では周囲の対応もずいぶんと違ってくるだろう。

 晴貞が豊弘を上洛軍に帯同させようとした理由も察しがつく。



 そうなると、問題は豊弘が女性だと知った小僧二人の措置だ。

 こいつらの口から豊弘の性別が漏れると面倒だ。

 国主の三男が国外に出るのはかまわないが、長女が国外に出るのは妨げたい。そんな者たちが現れるかもしれない。豊弘を妻に迎えた者は、晴貞の婿として一躍加賀国主の座に近づけるのだから。

 ここは口封じするしかあるまいと冷めた目で小僧たちを見下ろしていたら、俺が鉄扇をこめかみに叩き付けた小僧が妙なことを言い出した。



「こ、こんなことをして、ただで済むと思うな……! 俺は城の重臣、駒井こまいの一族だぞ! お前ら、ぜったい許さないからな!」

「駒井?」



 首をかしげると、豊弘がおそるおそる、という感じで俺に教えてくれた。

 駒井というのは富樫城の重臣の一人であるらしい。もしかしたら城でけらけら笑っていた連中の中に、その駒井とやらがいたのかもしれない。

 まあ一族といっても子供や孫というわけではなく、末端のそのまた末端くらいらしいが、それでも有力者の一族であるには違いない。その血筋もあって、寺の小僧たちの中では一目置かれているのだそうな。



 事情を把握した俺は豊弘に礼を言うと、弥太郎たちに命じて豊弘を上洛軍まで案内させることにした。

 俺はこいつらの始末をつけてから行くと伝えると、弥太郎は特に疑う様子も見せずに元気よく応諾する。

 そうして弥太郎と豊弘の後ろ姿を見送った俺は、なぜかこの場に残った段蔵をちらと見やった。



「で、段蔵はどうしてここに残ってるんだ?」

「異国の地で主を一人にするわけにはいかないでしょう。ご安心を。『始末』とやらに口を出す気はありません」

「そうか」



 うなずいた俺は懐から小さな刀を取り出す。

 大小の刀を差さない俺であったが、いざという時のために懐刀は常備していた。それがこれである。

 鉄扇を使ってもいいのだが、景虎様からいただいた物に下衆の血をつけるのは一度で十分だ。あとでしっかり拭いておこう。

 ぎらつく刃物の輝きを目にした小僧二人は、さっと顔を青くした。



「お前、何のつもりだ!?」

「見りゃわかるだろ。豊弘様が女の子だって知られるといろいろまずいんでな。それを知っているお前らの口を封じる。当たり前のことだ」

「お、俺に手を出したら……!」

「その駒井とやら、女の子に乱暴しようとして誅殺された人間を自分の一族だと認めてくれるのか?」



 そのような無頼の輩は知らぬ、と切り捨てられるのがオチであろう。

 俺が本気だとわかったのだろう。それまで黙っていたもう一人が必死の面持ちで口を開いた。



「待て、待ってくれ! いや、待ってください! 俺たち、豊弘が女だったなんて言いませんから! 御仏にかけて誓います!」

「男二人で女の子を乱暴しようとする奴の誓いなんて誰が信じるか。それはともかく、お前、父を殺されたとか言ってたが、あれはどういうことだ?」

「それは――」



 小僧いわく、以前に晴貞が一向宗と戦ったとき、父親が徴兵されて戦死したという。そのせいで一家は離散し、小僧は厄介者として寺に放り込まれた、と。

 それだけ聞けば同情に値する境遇であるが。



「親の敵を討つために晴貞殿に切りかかったというなら庇いもしようが、その境遇を理由に豊弘様への乱暴を正当化しようとするあたり、やはり下衆げすだな」



 言って、俺は懐刀を小僧の首に突き立てると、そのまま真横に引いて咽喉を掻き切る。

 ひいひいと壊れた笛のような音をたてながら傷口から血が溢れ出た。

 咽喉をかきむしりながら倒れ伏す小僧を尻目に、血に濡れた懐刀を手にした俺はもう一人の小僧と向き合う。



「お、お前、ほ、ほんとに殺し……!? 俺たち、まだ、子供だぞ!?」

「だからどうした? 恨みたければ俺、加倉相馬を恨め。お前たちが真に御仏を崇めていたのなら、俺を呪い殺すことに力を貸してくださるだろうよ」



 そう言って再び懐刀を首に突き入れる。刃についた血と脂のせいか、一度目のようにすんなりとはいかなかったが、無用な苦しみを与えることはなかったと思う。

 相手の服で刀についた血を拭った俺は、無意識のうちにため息を吐いた。

 よくみれば、結構な量の返り血が服についている。弥太郎には見せたくないと思ったから豊弘様を理由に遠ざけたわけだが、これを見たら何があったか一目瞭然だよな。



 まあ、ばれたらばれたでその時のことか。

 俺はそう割り切ることにする。

 一部始終を見ながら沈黙を保つ段蔵の心遣いがありがたかった。




 ――なお、服に関しては帰陣する直前、段蔵がどこからか調達してきたものを差し出してきたので事なきを得た。

 かわりに、ますます段蔵に頭が上がらなくなったのは余談である。



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