第三十話 北陸路
長尾景虎率いる上杉軍五千。
春日虎綱率いる武田軍三千。
合わせて八千に及ぶ上洛軍の進軍は迅速を極め、この軍が越中の国に入った時、いまだ紅葉は散っていなかった。
この速やかな行軍の理由は両家が冬の到来を恐れたからに他ならない。
高らかに上洛をうたって国を出て、北陸で豪雪に閉じ込められてしまうなど笑い話にもなりはしない。それゆえ、北信濃から越後、越後から越中へといたる道を進む上洛軍の進軍速度は神速と称しえる域に達していた。
親不知子不知の難所を通り抜けると、越中の有力者である神保氏や椎名氏の出迎えを受ける。
上杉軍は彼らとつい先日まで刃を交えていたこともあって緊張を隠せなかったが、それは向こうも同様であったろう。
もともと越中と越後には為景の父能影の代にまで遡る因縁が存在する。
かつて能景は越中の地で、国人衆と一向一揆によって討ち取られたのである。
当然、その後を継いだ為景は、越中と一向宗を敵視した。為景は越後国内で地盤を固めると、越中に侵略の矛先を向け、幾度かの戦の後、越中東部を長尾領とすることに成功する。
これにより長尾家の武名は北陸全土に響き渡ったのだが――それも長くは続かなかった。
為景の侵略に脅威を覚えた越中の国人衆と、為景の一向一揆禁止令に反発した一向宗は再び手を組み、協同で越中の長尾領に攻め込んできたのだ。
この戦いは圧倒的な戦力差から為景が敗れる。敗れた為景はおよそ一年後、越後の地で没することになるのだが、越中を失った心痛も死期を早める一因となったであろう。
景虎様にとって越中は因縁の地であった。
もっとも、凛と背筋を伸ばして馬を歩ませる景虎様の顔にはひとかけらの私怨もない。
そんな景虎様にならうように粛然と軍を進める上杉勢を見て安堵する越中国人も多かったであろう。
ただ、問題は他にもある。
むしろ最大の問題が残っていた。一向宗である。
信者の多い越中において、一向宗禁止令を出した長尾家は仏敵に等しい。現状、越後守護は上杉氏であり、禁止令は有名無実化されているのだが、それでも一向宗徒の長尾家に対する敵愾心は覆いがたい。
今回、将軍家から本願寺に対して上洛への協力要請がなされており、本願寺側もそれを受け入れているので滅多なことにはならないと思うが、気を抜くわけにはいかなかった。
いずれこの地に踏み込む時がきたら一向宗との対立は難事を引き起こすだろう。
今のうちから何か考えておく必要がある。
まあ、お盆もクリスマスも正月も違和感なく受け入れる現代人が、この時代の宗教問題に手を出しても良い結果になるはずもないが。
むしろ、いかにして一向宗とかかわらないかを考える方が建設的であろう。
ともあれ、この地に長く留まることは避けるべきである。
上杉軍にせよ、武田軍にせよ、道中の兵糧、薬、武具に馬具などの他に将軍家への献物や、道々の大名への贈答品などでかなりの大荷物を抱えている。
それでも鍛えられた両軍はすばらしい進軍速度で越中を横断、まもなく越中と加賀の国境へと到達した。
国境の彼方に遠ざかる神保らの軍勢を遠くにのぞみつつ、越中の地を後にした俺はぽつりと呟いた。
「――念のために段蔵に頼んで、越中各地に軒猿を放ってもらったのは、当然の用心というものだよな、うん。後ろから追い討ちかけられるかもしれんわけだし」
すると、同じくぽつりと隣の段蔵がこたえる。
「そうですね。そのついでに越中の地理を事細かに調べて地図をつくるのも、当然の用心というものですね。越後に入った武田も同じようなことをしていましたし、さすがは加倉様、腹黒さは甲斐の虎殿と良い勝負です」
「……これを褒めてもらってると思えれば、人生、幸せに生きられるかもしれないなあ」
「何を遠い目をしているのですか。あと、一応言っておくと、私は褒めていますよ。もっとも加倉様がとられた措置を、景虎様や直江様がお知りになればどう思われるかまでは保証いたしかねますが」
「さいですか」
などと語り合う俺と段蔵。
隣では、俺と段蔵の話についていけない弥太郎が、先刻から首を傾げっぱなしである。
そんな風にいつもの調子で馬を歩ませていた俺たちであったが。
「そういうお話は、できれば私がいないところでして頂きたいのですが」
傍らから冷静なツッコミが飛んでくる。
澄んだ声音は武田軍の指揮官、春日虎綱のものである。
如才ない虎綱は上杉軍の指揮官と友好な関係を築きあげ、ときおりこうして各陣をまわっている。おそらく情報収集の一環であろうが、上洛軍の間で目立った齟齬が生じていないのも虎綱のおかげであるため、あまり邪険にもできない――とは直江景綱の言である。
俺はもともと知られて困ることはないので、とくに気にしていない。
「――む、確かに晴信様が腹黒いなどと言うのは問題発言ですね。言ったのは段蔵ですが」
「反論もせずに私の見解を受け入れておいて、無関係を主張しても説得力がありません。付け加えれば、今も申したように、私の言う『腹黒い』は『細心さを失わない』という意味での褒め言葉です」
「つまり何も問題はないということか。良かったですね、春日殿」
「これに、はいそうですね、と応じられるようであれば、私ももう少し苦労の少ない人生を歩めたのでしょうね……」
なにやらしみじみと首を振る虎綱であった。
と、その虎綱の口から不意に嘆声がこぼれた。
その声に促されるように虎綱の視線をたどった俺たちの口から、虎綱と同じような感嘆の声がこぼれおちる。
俺たちの進むはるか前方、寒風吹きすさぶ加賀国の北の地に、その偉容は存在した。
北陸における一向宗最大の拠点である尾山御坊。
北陸一向一揆の策源地にして、本願寺の北の要。近づくにつれて明らかになる規模と堅固さは、凡百の城をはるかに凌ぐ。
ここを陥とすには、万を越える軍勢をもってしても、年を越える月日を必要とするだろう。
そう確信させる城構えであり、これだけの規模の城を築ける一向宗という勢力の強大さに空恐ろしい思いをいだく。
将軍家先導の軍とはいえ、一向宗側も警戒しているのだろう、上洛軍は尾山御坊に近づくことを許されず、城のはるか手前で道をかえることを要求された。
そのため、俺が見ることが出来たのは遠目からの光景だけであったが、それでも尾山御坊の強大さと壮麗さは、一向宗ならびに一向一揆というものに対する俺の考えを大きく変える切っ掛けとなった。
もちろん、この時代の一向一揆の恐ろしさは承知していた。
だが、それは強国の大名程度の認識だ。
その強大さを目の当たりにした今となっては、これまでの自分の認識がいかに浅はかなものであったかよく分かる。
いつか上杉軍が北陸に踏み込む日が来たとき、戦う相手は大名や国人衆ではなく一向宗であるに違いない。
この時、俺は彼方で行われる死闘をはっきりと予感していた。
◆◆◆
加賀に入国した上洛軍は休む間もなく、次の目的地である越前に向かう。
それに先立ち、俺は弥太郎たちを連れて加賀の国主である富樫晴貞の居城に向かっていた。
どうして俺がその使者に擬されたかというと――
「……村上殿への使者になった時と同じ理由に決まっているではありませんか。いいように使われている
だけです」
きっぱりと断言する段蔵。
言っていることは正しいのだが、もう少し柔らかい言葉遣いでお願いしたい。
「それだけ相馬様が景虎様に信頼されている証ですねッ」
嬉しそうに言う弥太郎。
主である俺が景虎様に重用されていることを誇りに思っていることが、その笑顔からありありと感じとれる。
く、わかってはいるが、なんて良い子だろう。この素直さ、段蔵に半分でもいいからわけてあげたいもんである――そう思って段蔵の方を向くと。
「……何か?」
氷のような目線で撃墜されました。
「いえ、何でもありません」
即座に降伏する俺。
段蔵は、ふん、という感じで顔を背ける。
「佐渡でも申し上げましたが、朱に交わるつもりはありませんので」
「墨に染まれば黒くなるとも言うぞ?」
「墨にも染まりません。そもそも、私が頬をあからめた顔を想像して、顔をしかめていたのはそちらではありませんか」
「あれは顔をしかめていたのではなくて、笑いをこらえていただけだッ」
「なお悪いです!」
怒られてしまった。
いやでも感情豊かになった段蔵とか、微笑みなしでは見られないと思うぞ、うん。
俺はそう思ったが、これ以上言うと本気で段蔵の機嫌を損ねてしまいそうなので自重する。
そうこうしているうちに俺たちは富樫城に到着した。
富樫城は「城」というよりは「舘」に近く、城主であり加賀国主である富樫晴貞もこれといって特徴のない人物だった。
加賀を支配している一向宗の傀儡であるとの噂だが、覇気の見えない顔つきからすると当たらずといえども遠からずといったところだろう。
ただ、覇気はなくとも諦観におちいっている様子はないから、現状に満足しているわけではないと推測できる。
なんとなく佐渡本間家の惣領だった本間有泰を思い出させる人物だった。
まあ加賀の内情に踏み込み義務も権利もない身だ、深入りする必要もない。
俺は通りいっぺんの挨拶を済ませて晴貞の前から退出しようとしたのだが、ここで晴貞の方から一つの提案を行ってきた。
それを聞いて俺は目を丸くする。
「ご子息を、でございますか?」
「左様。上杉、武田両家が将軍家のために力を尽くそうとしている今、加賀国主としてわしも一臂の力を貸したい。あいにくと両家のように数千の軍勢をこしらえることはできぬが……我が子豊弘は三男であり、家督を継ぐ役目も負うておらぬ。この子を将軍殿下の御為に役立たせたいのだ。承知してもらえようか?」
「富樫様が将軍殿下のために働こうというのに、我らがそれを妨げる道理がありましょうか」
そう言いつつ、俺はちらと晴貞の家臣たちをうかがった。
通常、当主の子供には傅役がついて後ろ盾になっているはず。ろくに付き合いもない異国の軍に従軍させるとなれば、反対の声があがって当然だ。
だが、そういった声は一向にあがらない。晴貞の発言にまったく関心のない様子だった。それはつまり晴貞の子にまったく関心がないことを意味する。
どうやらこの地の内情は噂以上に殺伐としているらしい。
そう思いながら、俺は晴貞に問うた。
「よろしければ、それがしが豊弘様を上洛軍に案内いたしますが、いかがなさいますか?」
「ああ、それなのだがな……」
晴貞が何事か口にしかけたとき、高笑いと共に数名の家臣が口を開いた。
「あいや、使者どのが知らぬのも無理はない。豊弘様は今城内におられぬのだ」
「左様、殿の命令で、なんと寺に奉公に出ておりましてな!」
「いや、国主の息子が寺奉公などなかなか出来ることではござらぬ。加賀人は百姓商人にいたるまで、さすがは晴貞様よ、豊弘様よと諸手をあげて称えておるのですじゃ!」
それらの声を契機として広間に笑い声が満ちる。耳障りな嘲笑。
どうやら晴貞は家臣どころか息子さえ養いかねるほどに困窮しているらしい。あるいは、家臣を困窮させないために息子を外に出したのか。
いずれにせよ、傀儡たる身のわびしさがこれほどはっきり感じられる例もなかった。
俺はけらけらと笑う富樫家臣に不快感を募らせつつも、再度晴貞に問うた。
「なるほど。それで豊弘様はどちらの寺にいらっしゃるのですか?」
「ああ、それは――」
晴貞の口から寺の名前を聞いた俺は、おおよその場所を教わると大きくうなずいた。
「かしこまりました。将軍殿下は晴貞様ならびに豊弘様の献身を必ずや嘉したまうでござろう。不思議な縁と申すべきでしょうか、我が主長尾景虎も幼き日に城より出され、寺で育った身。豊弘様の境遇に思うところは多かろうと存ずる。どうか晴貞様におかれましては、大船に乗ったつもりで京から吉報が届くのをお待ちくださいませ」
俺はそう言うと、寺奉公でばか笑いしている連中をじろりと睨む。
景虎様の境遇を聞かされた彼らは笑いを半ばでおさめ、ばつが悪そうに顔を背けた。
「――というわけで加賀国主の息子さんを迎えに行くぞ」
俺が城中での一部始終を伝えると、城外で待機していた弥太郎と段蔵は――段蔵が待機していたかは妖しいものだが――それぞれの表情で感想を述べた。
「殿様の子供なのにお寺で奉公なんて立派ですねッ」
「乱世ここに極まれり、というところですか。一城の主がわが子さえ養えぬとは」
念のため、弥太郎と段蔵以外の部下は先に景虎様のもとへ帰らせておく。
あんまりぞろぞろ人数を引き連れていっても豊弘を怯えさせてしまうだろう。晴貞の話ではまだ十二歳だというし。
晴貞から息子あてに手紙を書いてもらったから、こちらが疑われることはないはずだ。
幸いというか、当然というか、寺の場所は城から遠くない。
ないとは思うが、話を聞いた一向宗の家臣が妙なことを企まないとも限らない。
耳にこびりついた富樫家臣の笑い声に不快感を再燃させながら、俺は馬腹を蹴って馬を走らせた。




