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聖将記  作者: 玉兎
第四章 上洛
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第二十八話 呉越同舟


 京の将軍足利義輝からの命令をうけた上杉軍が武田軍と和睦したのは、俺と政景様、斎藤朝信らが佐渡の地から大急ぎで戻って間もなくのことであった。



 そこにいたる前、佐渡遠征の軍千二百と定実様、定満らの徴募した兵六千をあわせた部隊は信越国境で景虎様の軍と合流を果たした。

 これで越後上杉軍は、景虎様が当初率いていた三千をくわえて一万を超える大兵力となった計算になる。

 もっとも、佐渡遠征の軍と景虎様の軍はすでに敵と幾度も矛を交えていたため、死傷者を省くと一万を大きく下回ってしまうのだが、ともあれ大軍には違いない。



 一方の武田軍は当初からの八千弱。数の上ではこちらが有利である。

 こちらの作戦計画を看破され、一度は劣勢におちいったものの、それも景虎様や景綱の奮戦によってしのぎきった。

 これにより形勢はこちらに傾いた――と言いたいところだが、武田軍が飯山城に差し向けた五千を戻せば再び兵力数は逆転する。



 くわえて、越中、陸奥方面の部隊からは両国が大規模に動く気配ありとの報告も届いていた。間違いなく武田晴信に使嗾されてのことだろう。

 越中と陸奥にはそれぞれ備えの部隊が置いてあるとはいえ、攻防が長期にわたれば防備を食い破られる恐れもある。

 戦況はいまだ混沌としており、勝敗をつかさどる天秤は上杉にも武田にも傾きかねている。



 ――将軍家からの使者が到着したのはそんな時であった。



◆◆



 上杉、武田両軍の陣営をおとずれた使者の名は細川藤孝。

 言わずとしれた将軍義輝の側近であり、卓越した文武の才はつとに名高い。

 その藤孝がやってきたのは信越国境の戦を終わらせるためであるが、ではどうしてわざわざ将軍家が地方の一戦いちいくさに出張ってきたのか。

 もちろんこれには理由がある。



 足利将軍家の権威が失墜していることは、現在の争乱絶え間ない全国を見れば誰の目にも明らかであろう。

 だが同時に、将軍の影響力すべてが失われたわけではなかった。

 戦が長引いた場合、将軍家に金銭を献上して調停を依頼する場合があるのだ。あるいは将軍家が自主的に動き、後から謝礼をせしめることもあるらしい。

 こういった収入が現在の将軍家の主な財源となっているという。



 今回の藤孝の来意もこれにつながる。

 だが、はっきり言ってしまえば、今回の幕府の行動は上杉家にとってありがた迷惑であった。

 何故といって、上杉家の目的は村上家の旧領奪回にあるからだ。



 和睦の成立のためには両軍の領土認定が欠かせない。そして、武田家には村上旧領を手放す理由がない。少なくとも現在武田家が占領している旭山城までの領有権は主張してくるに違いなく、それは将軍家にとっても不当とは映るまい。

 城も領土も武力で奪い合うのが当然の世。まして武田家が信濃に進出したのは、甲斐の内乱につけこんだ信濃国人衆の侵略に対抗するためという名分がある。

 将軍家が武田の主張を認めた瞬間、村上家の旧領奪回という越後側の大義は失われる。これからさき信濃に踏み込めば、それは『将軍家が認めた信濃武田領』への侵略とみなされてしまうのだ。

 ゆえに今回の調停はありがた迷惑なのである。




 こう考えると調停を願い出たのは武田家の側だと決め付けたくなるが、着々と越後包囲網を築き上げている武田家が今になって和睦を画策するだろうかという疑問があった。

 もっといえば、あの晴信が景虎様と決着をつけるのに他者(将軍家)を利用するだろうか。

 もちろん俺は晴信の詳しい人となりは知らないが、以前景虎様と激しくやりあった晴信の言動を見るに、敵は自分の手で叩き潰さなければ気がすまないタイプだと思う。



 ともあれ、今回の将軍調停が上杉家にとって厄介なものであるのはわかってもらえただろう。

 調停に従えば村上家および信濃衆の旧領奪回は絶望的になる。彼らは上杉家を非難し、恨むことだろう。

 かといって上意に逆らって戦闘を続ければ、望んで将軍家を武田側に追いやるようなものである。



 緊張した顔で使者の言葉を待つ上杉の首脳陣。

 だが、驚いたことに使者としてあらわれた細川藤孝は、この上杉の事情をほぼ正確に把握していた。

 その上で、将軍家が武田家に示した条件は驚くべきものだった――良い意味と、悪い意味と、両方の意味で。






 そうして舞台は飯山城へと移る。

 ええ、義清に一連の事情を説明するために派遣された使者の名前は加倉相馬です。めっちゃ気が重い。



「――犀川さいがわ以北、じゃと?」



 ざんばらな髪、ぼうぼうに伸びたひげ、漂ってくる汗血の臭い。長期の篭城を感じさせる義清の姿は、どこか越後に落ちのびてきた当時の義清を思い起こさせた。

 俺は深々と頭を下げながら、ここにいたる事態をゆっくりと説明していく。



 ちなみに、どうして使者が俺なのかといえば、こういうときに非常に使い勝手が良いからである。

 春日山城にいる定実様は無論のこと、政景様や景虎様は簡単に軍から離れられない。

 一方の俺は軍を率いていないので身軽に動ける。もちろん、条件がそれだけならば他にもあてはまる者は無数にいる。その中で俺が選ばれた理由は、俺の名が越後のみならず他国にも鳴り響いており――自分で言うのも面映いが――越後側の誠意を相手に認めてもらえるからであった。



 簡単にいえば「あの加倉殿みずから足を運んでくれるとは! 拙者感激!」と思ってもらえる、ということだ――少なくとも、俺は定満にそう説明されたのだが本当か、これ?

 俺の虚名が広まっていることは認めざるをえないのだが、外交にまで影響を及ぼすとは今ひとつ信じがたい。まあ、どのみち命じられたら行くしかないんだけど。

 義清は俺の報告を一通り聞き終えると、首を傾げつつ確認をとってきた。



「……まことに晴信がこの和睦案を受け容れたのか?」

「はい。将軍家の御使者に確認をとりました。間違いなく、武田家はこの案を受け入れ、旭山城から兵を退くとのことです」



 ざわり、と周囲の村上家の家臣がどよめいた。当主である義清の顔にも当惑の影がちらついている。

 そして、彼らの表情は俺にも共感できるものだった。なにせ藤孝の話を聞いたとき、ほぼ同じ反応を俺や政景様たちも返したからな。



 地図を見れば明らかなように、犀川以北とは旭山城から飯山城へいたる北信濃の穀物地帯である。

 武田は現在確保している旭山城ごと、それを越後に、というより村上家に返還するという将軍家案を受け容れたのだ。

 大きな譲歩といってよい。

 武田家が戦で敗北寸前だというならともかく、現在の戦況は五分。長期的に見れば、武田家の方が有利とさえ言える。

 この状況で晴信が兵を退くどころか、旭山城まで明け渡すとあっては容易に信じられないのも無理はない。



「むろん、それだけではありません。和睦が成立した暁には武田家は信濃守護に任じられるとのこと。事実上、犀川以南は武田領として公認されることになります。以後、村上家の旧領奪回の試みは武田領への侵略とみなされます」



 俺がそれを口にすると、家臣の中から強面の武将が口を挟んできた。

 確か楽巌寺雅方といったかな、この人は。



「それでは筋が通るまい! 将軍家は武田の侵略を正当と認められるのかッ!?」

「……そうですね。認めるおつもりでしょう。藤孝殿の口から信濃守護の件が出たことがその証かと」

「ばかな! そのようなふざけたことをぬかす公方くぼうに、どうして我らが従わねば――」



 楽巌寺が拳を振り上げ、激昂しようとする、その寸前。



「雅方!」



 義清の口から、鋭い制止の声が飛んだ。



「し、しかし、義清様。かような裁定、我らに従ういわれなどッ」

「雅方、口を慎め! 公方様に対して異議を唱えるさえ不敬であるに、誹謗を行うなど逆臣の行いぞ。そなたは村上家を逆賊におとしめるつもりかッ」

「い、いや、そのようなことはありませぬが、しかし……」



 義清の言葉に楽巌寺は口を閉ざしたが、その顔にはありありと今回の調停に対する不満の色が浮き出ていた。

 そして、それは将軍家や武田家にのみ向けられたものではなかった。

 一ヶ月以上に渡る武田家の猛攻に孤立無援で耐え忍び、ようやく訪れた上杉の使者が裏切りともいえる報告をもたらしたことを、楽巌寺ははっきりと非難していた。



「……武田家が信濃守護ということは、上杉家は管領にでも――」

「雅方ァ!」



 楽巌寺の口から皮肉が出ようとした直後、義清の口から勁烈な叱咤が飛んだ。

 村上家の諸将のみならず、俺までが背筋を正してしまうほどの威厳の篭った一喝。

 粛然とする一同を前に、義清は打って変わって冷静な声を発した。



「村上の将が婦女子のごとき物言いをするでない。もとより我らの力だけでは飯山城一つ保持しえぬところであった。犀川以北が戻ってくるのは、これすべて上杉家の助力あってのこと。そなたとてそれがわからぬわけではあるまい」



 楽巌寺がうなだれるように首を縦に振ったのを見て、義清は申し訳なさそうに俺を見やった。



「加倉殿、部下の非礼はわしが詫びる。どうか今の言は聞かなかったことにしていただきたい」

「――さて、楽巌寺殿は何か言われたのですか? 佐渡から帰って休む暇もなかったもので、少しぼうっとしておりました。こちらこそ無礼をお許しいただかねばなりません」



 ここで義清が浮かべた笑みは、感謝のそれというより、あまりにも拙劣な俺の演技に対する苦笑だったようだ。

 とはいえ、他に適当な言い訳も思い浮かばなかったのだから仕方がない。



「礼を申す」

「何を仰せになりますか。本来であれば詫びるべきは上杉の方です。貴家にかかわる大事であったというのに事後承諾になってしまったのですから」



 上杉家はすでに将軍家案を受け容れることを決定している。

 仮に村上家が反対ないし譲歩を求めて異議を申し立てようと、上杉家がそれを支持することはない。

 なぜなら、それをすれば間違いなく武田に利用されるからだ。上杉家は将軍家に逆らう不義不忠の家である、と。

 武田が大幅な譲歩をもって将軍家案を受け容れたにもかかわらず、上杉がそれをはねつければ将軍家の心証も一気に武田側に傾くだろう。今後のことを考えれば、それは是が非でも避けたかった。



 俺はそのあたりのことを村上家に納得させねばならない。

 政景様の言葉を借りれば「あんたの口八丁手八丁で何とかしなさいッ」となる。

 そんなわけで俺は密かに緊張していたのだが、案に相違して――あるいは予想通りというべきか、義清はあっさりとこう言った。



「上杉家が将軍家の調停を拒めないのは当然のこと。加倉殿、戦が始まる前にも言うたが、すでにわしは上杉家と命運を共にする覚悟でおりもうす。ゆえに、調停を拒むつもりもない。ただ――」



 義清はここで低くうなった。



「武田の狙いが不分明なのが気にかかる。信濃守護というても、今の将軍家であれば金品を積めばそれを得るのは難しくなかろう。あの晴信が城と領土を捧げてまで名誉を欲するとはとうてい思えぬ」

「はい、仰るとおりです。将軍家の話には続きがあります。武田の譲歩はそこにも絡んでくるのです」



 義清だけでなく、周囲の家臣団も俺の話に耳をそばだてる。

 そして、話が将軍家の目的に踏みこんでいくにつれ、飯山城の軍議の間には驚愕とも感嘆ともつかない声がわきおこっていった。




◆◆




 上洛令。

 それが足利将軍家から上杉、武田両家に下された命令であった。

 上洛とは言うまでもなく京へ上ること。もちろん将軍家は定実様と晴信の二人にただ京へ来いと命じたわけではない。

 上杉と武田、東国でも強兵と名高い両家の兵を率いて都に参れという上意である。



 現在、足利将軍家は山城国を支配しているものの、その実態は近畿一帯に強い勢力を持つ三好・松永の傀儡である。

 第十三代将軍足利義輝はそれら権臣に頭をおさえつけられ、京の統治すらままならぬ状況に置かれているらしい。また、今回のような調停や和睦の斡旋に関しても、全面的に三好らの意見が反映されているそうだ。



 義輝はこの状況に危機感を覚え、有力な地方勢力を京に招いて、三好一党を牽制してもらうことを思いついたという。

 そのためには、まず何よりも三好らに対抗できるほどに強く、そして将軍家への忠誠を失っていない家を見つけねばならなかった。

 これが昨今の情勢では意外なほどに難しい。

 強大な国力を持つ家、忠誠をつくしてくれる家、いずれか一つだけであれば難しくない。だが、その二つを兼備した家は日本全土を見回してもなかなか見つからなかった。



 そんな義輝の目が上杉と武田に注がれるのは、ある意味で当然のことであったろう。

 両家とも強さという点では東国でも抜きん出ている。

 では二番目、すなわち将軍家への忠誠心はどの程度のものなのか。

 将軍の使者である細川藤孝は調停のために両家を訪れた際、彼らの態度をつぶさに観察した。



 とはいえ、藤孝としても両家に過度な期待をするつもりはなかった。そもそも今の時世で心底将軍を敬慕する大名など百に一つ、精々二つ、その程度である。

 極言してしまえば、三好松永と結託しない人物であれば誰でもかまわないのだ。

 この点、京にいる義輝よりも各地を歴訪している藤孝の方が現実主義者リアリストであった。



 そんな藤孝の目から見ると、武田、上杉、共に十分合格ラインに達していた。

 この両家ならば上洛を行うだけの力があり、なおかつ三好松永にくみしない分別もある、と。



 ただ、一つだけ問題があった。武田の上洛路である。

 当初、義輝と藤孝は上杉軍には北陸路を、武田軍には美濃路を通っての上洛を命じようと考えていた。

 道々の領主には将軍から手紙を送り、両家の通過を認めるよう命じるのである。



 だが、これに武田が反対した。

 今、美濃を治めるのは油売りの身から一国一城の主になりおおせた斎藤道三。奇略縦横のこの人物が、武田勢の領内通過を認めるとは考えがたいと主張した。

 美濃路を通らないとなると、後は東海道しかないのだが、こちらはこちらで問題がある。

 現在、尾張の織田信長と駿河の今川義元は激しく矛を交えている最中。そして、武田家は今川と同盟を結んでいる家である。

 そんな武田家の通行を尾張の織田が認めるはずがない。くわえて、うつけと評判の信長であれば、どのような狼藉を働いてくるかわかったものではない、というのが武田方の主張であった。



 この言い分は細川藤孝にとっても首肯しえるものであった。

 しかし、美濃路も駄目、東海道も駄目となると武田軍の上洛路は閉ざされてしまう。

 そう考えて苦慮する藤孝に対し、武田晴信は薄い笑みを浮かべながら告げた。



 ――我が軍も北にまわしましょう。



 北。上杉軍と同じ北陸路。

 むろん、そこを通るためには武田軍は北信濃の村上領はもちろん、越後春日山城周辺を通り、越中へと進軍することになる。

 上洛のための精鋭を引きつれ、つい先ごろまで矛を交えていた相手の居城近くまで踏み込ませろ、と晴信は要求したことになる。



 これには藤孝も慌てた。いくらなんでも、そのような要求を上杉側が呑むはずはない。

 武田軍が矛をさかしまに春日山城に攻めかかり、同時に信濃の武田軍が動けば、上杉家は一日で滅亡の危機を迎えることになるのだから。

 今回の上洛は将軍家の命運がかかったもの。藤孝としては是が非でも成功させねばならないが、それでも武田の案はどう考えても無理がある。藤孝の懊悩に、晴信は次のような提案を行った。



「使者殿が何を懸念しているか。そして上杉が何を恐れるかはわかっています。それゆえ、私が背信を行わぬ確たる証を示しましょう。我が武田の所領はここ――犀川以南とします」



 晴信が指し示した地図を見て、藤孝は唖然とする。

 晴信は武田領と主張し得る領土を村上に譲りわたし、それをもって自身が決して将軍の上洛令を反故にせぬことの証とする、と申し出てきたのである。

 つまりは、これが晴信が旭山城を放棄した理由であった。



 この武田の提案を上杉は拒否できなかった。それは上洛を望む将軍家を蔑ろにすることであり、より多くの領土を返還される村上家に対して不誠実となってしまうから。

 かくて、上杉、武田両家の和睦は成立する。

 それは同時に、上杉武田連合の上洛という前代未聞の大遠征の始まりであった。



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