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聖将記  作者: 玉兎
第三章 開戦
26/112

第二十六話 佐渡終戦


 佐渡島さどがしま雑太(さわた)城外 国府こくふ川。



 上杉軍と、河原田貞兼を中心とした佐渡の国人衆の軍は、国府川を挟んでにらみ合っていた。

 羽茂城を奇襲で陥落させて佐渡南部を制した上杉軍二百は、斎藤朝信を主力とした一千の援軍を得て兵力を膨らませ、さらに久知正泰ら一部の佐渡国人をも加えて総兵力は二千に達している。

 対する河原田軍の兵力は、佐渡の中部および北部の国人衆を中心としておよそ三千。その中には河原田貞兼によって徴兵された子供、老人も含まれていた。



 それら子供と老人によって編成された部隊は、河原田軍の先頭に立って上杉軍と対峙している。

 対峙させられている、と表現した方が正確だろう。

 ほとんどが刀も槍も持たず、農具で武装している。彼らの後ろにはおそらく督戦の役割を負った河原田、羽茂の兵が展開していた。



 なりふり構わずに勝利を求めた河原田貞兼と、その隣に座す羽茂左馬助の顔からはとうの昔に余裕が消えうせている。

 赤泊城の陥落、そして羽茂城の落城。

 惣領たる本間有泰を強引にうなずかせ、上杉に叛旗をひるがえそうとした正に寸前、彼らは上杉家に機先を制されたのである。

 ことに居城を失った左馬助は落ち着かない様子で目線を絶えず左右に動かし、ときおり歯軋りの音をたてては周囲の者に気味悪がられていた。



 それは貞兼にしても大してかわらない。

 無論、貞兼はいずれ越後側の侵入を招くことを予測はしていた。だが、それはあくまで信越国境で武田が負けた場合の話だ。

 上杉の敗北を予想、というより期待していた貞兼はこちらからどのように侵攻するべきか、そればかりを考えていたといってよい。



 だが、上杉軍は想像を絶する速さで佐渡に踏み込んできた。

 まるで本間家が上杉に叛旗を翻すことを、その時期さえ含めて予測していたように。



 和睦、という選択肢が浮かばなかったわけではない。

 しかし、一度の使者もよこさずに侵攻を続ける上杉軍を見るに、和睦が成る可能性はきわめて低い。

 今さら白旗を掲げても手遅れであろう。そう考えた貞兼は戦に踏み切った。

 なに、上杉軍といっても全軍挙げて攻め込んできたわけではない。兵力数からいえば、こちらが圧倒的に優勢なのだ。そう判断してのことであった。



 かくて農民兵を壁として前面に押したてた河原田軍は、国府川を渡って対岸の上杉軍へと突撃を開始する。

 そこには陣形らしきものはなく、ただ農民と国人衆の部隊が大雑把に分けられているだけであった。

 国人衆はそれぞれの手勢を率いながら、しかしすぐに渡河をしようとはしない。前軍の農民たちが上杉勢を少しでも消耗させるのを待つつもりであると思われた。





 対する上杉軍はこのとき部隊を三つに分けていた。

 すなわち本隊は長尾政景率いる二百、左翼に斎藤朝信の千を配置し、右翼には加倉相馬率いる佐渡国人衆八百を据えたのである。

 上田長尾の兵のみで構成される本隊は数の上で劣勢に立たざるをえなかったが、政景はまったく気にかけなかった。



 それどころか、魚鱗陣を敷いた政景はみずから先頭に立って河原田軍にぶち当たるつもりだったのである。

 だが、敵の前軍が少年と老人の軍であると知った政景はあっさりと作戦を変更する。

 みずからは留まって敵の攻勢を受け止め、その間に左右の部隊を前進させて敵を押し包む、いわゆる鶴翼の陣を敷いたのである。



 政景の狙いは敵の前軍をあしらいつつ引き寄せ、その間に斎藤、久知の二将をもって敵の後軍――佐渡の国人衆の部隊を攻めさせることにあった。

 河原田軍の主力を討てば、農民たちも死を賭してまで戦おうとはしないだろう。この政景の案に斉藤、加倉両将も賛同し、上杉軍はゆっくりと動きだす。




 かくて日の出と共に始まった合戦で、はじめに国府川に踏み込んだのは、味方に押し出されるように最前線に出た河原田軍の農民兵であった。

 退却すれば殺されるとわかっている彼らは死に物狂いで眼前の政景部隊に襲いかかる。

 刀どころか木製の農具を持つ者さえいる敵部隊に対し、政景は適度にあしらいながらも徐々に陣列を下げ、河岸から離れていった。

 その進退は巧妙を極め、対岸で戦況を窺っていた河原田軍は政景の部隊が農民たちの勢いに押されていると信じ込んだ。政景の部隊がわずか二百であったことも、河原田軍の推測を補強した。



 農民ごときに押される軍など恐るるに足らず。

 奇襲ならばともかく、正面からの決戦であれば兵力の多い方が勝つのが戦というものだ。

 そう考えた佐渡の国人衆は、喊声と共に次々と国府川に足を踏み入れ、一斉に渡河にとりかかった。



 その様子をじっと見ていたのが右翼の加倉相馬である。徐々に退く政景の本隊を横目に不動を貫いていた加倉は、河原田軍の半ば以上が渡河をはたしたことを確認するや、たちまち采配を揮って麾下の全軍に攻撃を命じた。

 時を同じくして左翼の斉藤朝信も部隊を動かす。敵の半渡に乗じた上杉軍の両翼は、瞬く間に挟撃態勢をつくりあげ、河原田軍に襲いかかっていった。


 

◆◆



 馬上、具足甲冑を身に着けずに戦場の只中を進む俺の姿は、やはりというべきか、敵味方双方の注目の的であった。

 手に持っているのは刀でも槍でもなく、ただの鉄の扇である。

 言うまでもないが、馬に跨ったままこれを振るったところで敵兵を討ち取ることはできない。傷をつけることさえ不可能だ。



 これが部隊の一番奥で指揮をしているだけなら、ここまで目立ちはしなかっただろう。

 だが今、俺がいるのは最前線。周囲には敵兵が群れをなしている。

 何かやむをえない事態が起こって出てきたわけではない。はじめからの予定どおりだった。

 俺が率いていたのは佐渡国人衆、もともと指揮に関しては久知正泰に任せるつもりだったのである。



 右翼の指揮官を引き受けたのは、俺という人間がこの戦に出ることを味方に、そして敵に周知させるためだ。

 加倉相馬は上杉軍指揮官の一人である、と。

 河原田勢は俺の姿を見つけると、みな一様に驚きの表情を浮かべた後、血走った目を俺に向けてくる。

 今もまた一人、俺に気づいた敵将がいた。



「見よや! 敵将加倉相馬ぞ! 戦場に甲冑もなしとは気が狂うたか! 弓兵、構えッ、手柄首ぞ、討ち取れェッ!」



 絶叫と共にその武将が命令を下すと、配下の兵はそれにしたがって一斉に弓を構える。

 次の瞬間、両手に余る数の矢が俺に向かって放たれた。

 討ち取った、と敵将は思っただろう。だが。



 轟、と。



 唸りをあげた豪槍が一閃するや、俺の身体に突き立つはずだった矢はすべて宙空でへし折られ、力なく地面に落ちていく。

 弥太郎の槍働きであった。



「加倉様に手出しはさせませんッ」

「く、小癪な女めが。かまわん、続けて射よ! 加倉を討ち取れば上杉は大打撃を被る。貞兼様も喜ばれようぞッ!」

 

   

 佐渡の地にまで鳴り響いている虚名の大きさに思わず苦笑をもらす。

 俺を討ち取ったところで上杉が大打撃を受けるはずがないというのに、一体噂はどれだけ膨れ上がっているのやら。

 だが、向こうは俺の苦笑を別の意味に受け取ったらしい。

 怒りをあらわにしながら馬をあおった。どうやら部下に任せてはおけないと判断したようだ。



「本間貞兼が臣、氏家半兵衛! 加倉相馬、その首、頂戴いた――ぐァッ!」



 今まさに駆け出そうとした氏家某は、突如奇怪な絶叫をあげて咽喉をおさえ、そのまま落馬していった。

 どこからか飛来した飛苦無とびくないが敵将の咽喉を貫いたのだ。

 将の死に動揺しながらも弓に矢を番えようとした兵士たちは、次の瞬間、使い慣れた弓から受ける奇妙な感触に戸惑いの声をあげ、そしていつのまにか全ての弦が断ち切られていることを知る。



 同じようなことが先刻から幾度繰り返されたか、正直数えるのも面倒なほどだ。

 だが、これこそ俺の狙いでもある。

 指揮官を討ち取る機会が転がり込んでくれば、誰しもそちらに目を向ける。その隙を突くのはたやすいことだ。

 そのためにこそ、弥太郎たちの反対を押し切って無防備な姿で戦場に出てきているのである。



 上杉軍の大軍師、長尾晴景股肱の忠臣、長尾景虎が三顧の礼をもって迎えた懐刀、春日山城の今正成、えとせとらえとせとら。

 越後の国で膨れ上がる俺の虚名は留まるところを知らない。

 その理由の大半は先の越後内乱にあるのだが、中でも春日山城で具足も大小も身に着けず、丸腰で景虎様と対峙して城ごと焼き払おうとしたくだりは大きな評判となっているそうな。



 逆に言えば。

 具足も大小も身につけずに戦場に出れば、皆が気づくのだ。

 あれこそ加倉相馬である、と。



 そして、俺の虚名が大きいがゆえに敵は俺の存在を無視できない。

 同時に、味方は俺を守るために奮起してくれるという寸法である。

 ゲーム風に言えば、自動挑発と自動鼓舞のダブル能力持ちである。陣の奥に引っ込めておく理由がないではないか。



 とはいえ、敵の刀も矢も俺にだけ向けられるわけではない。

 弥太郎たちがどれだけ強くとも、戦場でお荷物を守りながら戦う危険性は理解できる。

 それゆえ、せめて具足だけは着けてくれという配下の請願を退けた際、弥太郎や段蔵には不満があれば他の将のところに移れるよう取り計らうことを約束したのだが。



「そ、そういう意味で言ったんじゃありませんッ!」



 と顔を真っ赤にした弥太郎に正座させられ。



「……」



 と段蔵には無言で非難と呆れの視線を向けられ、素でへこんだ。

 他の者たちの反応も大体二人と大差なく、俺は改めていつのまにやら良臣を配下にしている自分の運の良さをしみじみとかみ締めることになった。



 ともあれ、右翼軍は進撃を続けた。俺が陣頭で存在を誇示して敵の足並みを乱し、その隙に久知正泰が指揮する国人衆が進撃するという戦法がはまった結果である。

 相手も必死に応戦してくるのだが、柿崎景家や長尾景虎とは比べるべくもない。

 左翼の斎藤朝信と歩調をあわせて左右から河原田軍をもみたてている間に、農民兵たちを降伏させた政景様が満を持してあらわれ、上杉軍は三方より河原田軍を押し包んでこれを撃砕する。



 激戦になると思われた国府川の合戦は、日が中天に達するのを待たずに決着をみたのだった。




◆◆




 勝敗がついた戦場で上杉軍の将たちは一堂に会し、互いの健闘を称え合うと、すぐに今後の動きに話題を移した。

 最初に口を開いたのは政景様である。



「これで終わり、というわけには行かないようね」

「御意。敵の本隊はいち早く戦場を脱したようですからな」



 斎藤朝信が感心できぬと言いたげに首を振りながら言う。

 戦場で戦う部下を置いて逃げ去った河原田貞兼と羽茂左馬助が気に入らないのだろう。

 それは朝信に限った話ではなく、政景様にしても俺にしても同じ心境であった。



「報告によれば、敵は雑太城に入りました。後方の河原田城と連絡を密にしているようで、まだ抗戦するつもりなのかもしれません」



 俺の報告を聞き、政景様は鼻をならす。



「ふん、往生際の悪い連中だこと。これだけ叩かれて、まだ力の差がわからないのかしらね」



 朝信が同意するように頷いた。

 とはいえ、朝信には河原田勢への理解もある。



「長年、佐渡を支配してきた者たちですからな。そう簡単に負けを認めるわけにはいかぬのでしょう。彼奴らにとって、ここは父祖の地でありますゆえ」



 その朝信の台詞を聞き、俺はふと危惧を覚えた。



「相馬、どうしたの、難しい顔して?」

「いえ、今の斎藤殿のお言葉で思い至ったことがあるのですが」



 俺の言葉に朝信が興味深そうな視線を向けてきた。

 思えばここにいる三人は、先の内乱時、同じ陣営に立った三人である。不思議な縁であるといえるかもしれない。

 ともあれ、俺は自分の推測を口にする。



「父祖の地を奪われないためにどうするか。連中が上杉家の力を見損なっているのであれば、また戦を仕掛けてくるでしょう。ですが、もしすでに奴らが自分たちに勝ち目がないと悟っているとしたら、取れる手段は――」

「降伏、だな」

「はい。それしかありません」



 俺は朝信の言葉に頷いてみせる。

 政景様が首を傾げた。



「降伏するなら、別に逃げ出す必要はないんじゃない? 頭を下げたところで許されないと思ったから、あいつらは城に篭ったんでしょう」

「許してもらうための生贄を用意しているのかもしれません。その生贄を差し出して言うのです。自分たちは命令に従っただけであり、上杉家に逆らった首謀者はこの者なり、と」



 それを聞いた瞬間、朝信と政景様の目に紫電が走った。



「本間の惣領、有泰は雑太城にいるわね。なるほど、そのために雑太城に入ったか」

「ふむ。子供と老人を戦に連れ出すやり方を見るに、十分ありえる話だな。これは急ぐ必要がある」



 俺の危惧を正しく察した二人はたちまち表情に鋭気を宿した。

 政景様は鋭い視線を俺に向け、口を開いた。



「相馬、策は?」

「上杉軍は雑太城を迂回して河原田城へ。堂々と進軍して、敵にそのことを見せ付けてやりましょう。敵将河原田貞兼はあわてて居城に逃げ帰るでしょう。その後、城内に残った羽茂左馬助に使者を。上杉軍は事の首謀者を貞兼と見ており、有泰殿を解放すれば左馬助を罪に問わないと確約すれば、おそらくこちらの言うことに従うかと」



 従わないようなら、河原田城に向かわせた部隊を戻して雑太城を包囲すればよい。

 俺は一つ息を吐いてから、さらに説明を続けた。



「軒猿からの報告によれば、本間有泰殿は道理を心得た人物であるとのことです。それが真であれば、雑太城ではこれ以上の血は流れないでしょう。後は有泰殿の話を聞いて、今後の対応を定めるのがよろしいかと存じます」



 俺の案を聞いた政景様は軽やかに頷くと、勢いよく立ち上がり、部隊を指揮するために歩を進めた。

 俺と朝信はすぐさまその後ろに続く。

 佐渡平定にいたる最後の一山が目前に迫りつつあった。



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