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聖将記  作者: 玉兎
第三章 開戦
24/112

第二十四話 南北激戦


 赤泊城、陥落。

 心配して損したと思ってしまうくらいに楽勝だった。

 本間軍と上杉軍は数の上では倍以上の開きがあり、なおかつあちらは城にたてこもっている。

 苦戦は免れないと思われていたのだが、協力者である久知正泰と軒猿の手引きによって夜襲を敢行した上杉軍が目にしたのは、予期せぬ敵襲に慌てふためく赤泊本間軍の姿であった。



「手応えなさすぎね」

「久知殿と軒猿の手柄ですね。まったくこちらの動きに気づいていなかったようです」



 政景様の呆れまじりの言葉に、ようやく船酔いから復活した俺が言葉を添える。



「うん、こっちの被害は?」

「死者三人、重傷八人、軽傷は二十人ばかり、といったところです。さすがは上田長尾の精鋭ですね、城攻めをしたとは思えない被害の少なさです」

「当然よ、私が手塩にかけて育てた兵たちですからね」



 もっと褒めろ、とばかりに無い胸を張る政景様。

 実際、政景様の軍は強かった。

 敵が不意をつかれて混乱したことを差し引いても、これほど速やかに赤泊城を陥とすことができる武将は越後でも一握りしかいないだろう。



 もともと坂戸城の長尾房長は一族の中でも出色の豪将であった。当然、その配下の将兵も精鋭として知られている。

 そして、その房長の娘である政景様はただしく父の血を受け継ぐ驍将であった。

 刀をとっては敵兵を寄せつけず、采配をふるっては反撃を許さない。的確に防備の弱いところを見抜いて切り裂いていく戦ぶりは見事の一語に尽きる。



 襲撃あるをまったく予期していなかった赤泊の兵は、政景様の武威に一矢報いることもできずに城を捨てて逃げ出した。

 その彼らも待ち構えていた俺と軒猿たちに一網打尽にされた。城主をはじめ、主だった武将たちはことごとく上杉軍の捕虜となっている。

 完勝であった。




 政景様の率いる軍勢は、景虎様ほどではないにせよ、それに迫る武威であるといっていいだろう。もう一つ付け加えるならば、政景様は相手が強ければ強いほど、兵の数が多ければ多いほど、その実力をより高く発揮していくタイプなのかもしれない。

 多々益々弁ず、という奴だ。

 敵のもろさに不満げな顔をしている政景様を見ていると、そう思えてしまう。



 ともあれ、俺たちは赤泊城を陥落させた。

 事実上の佐渡の支配者である河原田貞兼と羽茂左馬助は、これを聞けばすぐに動き出すだろう。

 わずか二百の上杉勢では苦戦は免れないだろう――今回の戦の協力者である久知正泰はそんな風に考えているのかもしれない。勝利したというのに彼の表情は硬い。

 だが、しかし。

 赤泊城を陥とされた時点で――いや、俺たちが妨害なく佐渡に上陸できた時点で、すでに今回の戦は八割方決している。その事実に間もなく正泰は気づくだろう。




「赤田城(越後領、斎藤朝信の居城)に使者を出す……というか、もう出してるわよね?」



 政景様の言葉には俺ではなく段蔵がこたえた。



「はい。夜襲がはじまって、すぐに」



 言葉少なにこたえる段蔵。

 緒戦ですでに勝利を確信したということであろう。



「良い判断ね。朝信であれば、佐渡上陸まで時間はかけないでしょう。朝信の上陸を待って佐渡制圧にとりかかり――」



 言いかけた政景様が言葉を止めた。俺が挙手したからである。



「相馬、何か考えがあるの?」

「はい」



 俺は頷いて、地図上の一点を指差した。周囲の視線が、俺の指先に注がれる。

 羽茂城。羽茂左馬助の居城である。

 俺はその城を指して口を開いた。



「斎藤殿を待っていては勝機を逸します。このまま全軍をもって羽茂城を陥落させるべきかと」

「お、お待ちくだされ!」



 唐突にも思える俺の提案に、慌てたように口を開いたのは久知正泰。

 一見すると四十路に達しているように見える正泰の実際の年齢は、実のところ三十をわずかに過ぎた程度。老け込んで見えるのは、本領を失った心労によるものだろう。

 眉間にきざまれた縦しわは、今や正泰の表情の一部になってしまっていた。



「羽茂城の城兵はおおよそ八百。現在の上杉軍では城を陥落させることは難しいでしょう。上田の殿の仰るとおり、援軍を待つべきと存ずる。羽茂本間家は甘い相手ではございませんぞ」



 その言葉に俺はあっさりと頷いた。

 そして言う。



「だからこそ、早目に潰しておく必要があるのです。羽茂が赤泊の落城を知らない今こそ、その好機と考えます。この城からの使者と偽って城内に入ることは、さほど難しくはござるまい」



 この城のくらに積まれている金の半分も持っていけば、左馬助は喜んで城門を開いてくれるだろう。

 幸い、主だった敵将はすべて捕らえている。

 赤泊城のもろさを考えるに、命惜しさにこちらに協力する者を見つけるのは難しいことではあるまい。

 正泰は俺の言葉を吟味するように、しばしの間目を閉じる。



「……確かに。赤泊本間家は左馬助にしたがっておりましたゆえ、機嫌伺いに参じるのは不自然なことではありません。しかし、全軍をもって羽茂を攻めると言われたが、この城はいかがなさるおつもりか?」

「放棄します」



 またしてもあっさりと言う俺に、正泰は目を丸くした。



「放棄……捨てるということでござるか。しかし、それでは……」

「より正確に言えば、しばらく放っておく、ということです。何も城を手にいれたら、必ずそこに兵を入れて持ち城にしなければならないというわけではありません」



 逃げた兵士が戻ってくる可能性もあるので焼き払おうかと考えたが、火を放てばその煙から羽茂家に情報が伝わってしまう可能性がある。

 捕虜やけが人は放置――するわけにもいかないので、城の金の残り半分を対価にして、赤泊の民にあずけてしまおう。こちらがもらうのは兵糧だけでいい。

 城主たちが圧制をしいていたら悲惨なことになりそうだが、そこまで面倒を見てやる必要もない。



 城は四方の城門、すべてを開け放っておこう。平然と門を開けておけば、逆に入りにくいと感じるだろう。それも長い間ではない。斎藤勢が来るまでの二、三日の間、無事であればいいのである。

 その間に組織だった軍が赤泊城を占領するような事態はまず起こらないだろう。仮に起きたとしても、金も兵糧もない城にたてこもったところで脅威にもならない。



 俺の説明を聞き、正泰は小さく唸った。そして、それ以上反論しようとはしなかった。

 政景様も賛意を示す。



「よし、相馬の策でいこう」

「御意。将兵には無理を強いることになってしまいますが……」

「ふふん、私の麾下にこの程度で音を上げるような軟弱者はいないわ。ああ、そうだ。羽茂への使者は相馬、あんたにやってもらいましょう。弥太郎と段蔵がいれば滅多なことはないでしょうし」



 その言葉に俺は頭を下げ、段蔵も無言でそれにならう。

 問題は弥太郎だった。

 ここまで無言で座っていただけの弥太郎は、政景様の口から自分の名前が出たことに驚いたらしく。



「が、がんばりますッ!」



 と、いきなり大声で叫んでしまったのだ。

 そして、驚き呆れる周囲の視線に気づき、顔を真っ赤にして深々と頭を下げ――下げすぎて、がつんと地面に額をぶつけてしまう。

 やたらといい音がした。



「……大丈夫か、弥太郎?」



 あまりにいい音だったので、俺がおそるおそる尋ねると「だ、大丈夫です……うう、いたいよう」と湿った声が返ってきた。

 場違いな(と当人は思っている)軍議に出され、ずっと緊張しっぱなしだったのだろう。ようやく終わると思った途端の呼びかけに、なんとか保ち続けていた緊張の糸が切れてしまったようである。



 政景様はそんな弥太郎をしばし無言で見ていたが、やがて耐えかねたようにぷっと吹き出すと、その口からは押さえきれない笑い声がこぼれだした。



「く、くく、や、やっぱり弥太郎は面白いわね。元々そうだったのか、相馬に仕えたからそうなったのか、どっちだと思う、段蔵?」

「朱に交われば、と申します、守護代様」

「つまり、原因は相馬ということね」

「御意」



 あっさり頷く段蔵。多少はかばってもらいたいもんである。

 そんな俺の内心を読んだのか、段蔵はぼそっと呟いた。



「否定できない事実ですから」

「そんなことは……」

「ない、と断言できますか?」

「――できません」



 しゅんと俯く俺の隣で、政景様がころころと笑いながら、段蔵にこんなことを口走る。



「つまり、あんたもいずれは朱に交わるということね」

「ありえません」



 間髪いれずとはこのことか。

 そう驚愕するくらい、一瞬の間すら置かずに段蔵が政景様に反駁する。

 だが、政景様はそ知らぬ顔で続けた。



「それはそれで見てみたい気もするわ」

「断じてありえません」

「こう、頬をあからめる段蔵とか」



 政景様の言葉に、思わずその姿を想像してしまった俺は、怖気で背筋がふるえるのを感じた。

 見れば、弥太郎も似たような表情をしている。



「天地がひっくりかえろうとありえません――それはそれとして、そこで妙な顔をしている二人。お話がありますので、軍議が終わっても帰らぬように」



 段蔵の言葉に俺は手で顔を覆い、弥太郎は小さく悲鳴をあげる。

 その状況をつくりだした政景様は、そんな俺たちの様子を見てさらに笑い声を高めるのだった。




◆◆◆ 




 信濃飯山城。

 旭山城の北東に位置するこの城は、険阻な山中に建設された山城である。城の東側は断崖で遮られているため、城を攻めるためには北、西、南の三方しかなく、そのいずれも険しい山道を走破する必要がある。

 道はほぼ一本道。その道は城からの見晴らしが良く、城兵は用意していた丸太や巨石を落として城攻めの兵士を追い払うことが出来るようになっている。



 飯山城は城としての規模こそ小さいが、これを陥落させるためには数倍の兵力を要する難攻の拠点であった。

 これは信濃各地の城にも共通する特徴といえる。

 この天険ゆえに、長年にわたって信濃を統一する勢力は現れなかったのである。



 村上義清率いる北信濃勢五百がこの難攻の城を陥落させることができたのは、地理に精通していたこともさることながら、武田側の守備軍がきわめて少なかったからであった。

 しかも、そのほとんどは先の信濃制圧戦で降伏した国人衆だった。彼らは致し方なく武田家に降伏したものの、心底から武田に従っていたわけではない。時いたらば、との思いは胸中にずっとたゆたっていた。

 そのため、忽然とあらわれた義清の軍旗を見るや、彼らは抵抗のための武器をとるより早く、歓呼の声をあげる。

 義清が城内に迎え入れられたとき、武田側の指揮官はいつのまにか姿を消していた。



 こうして義清の手に落ちた飯山城は、遠からず来襲するであろう武田軍に対抗するため、防戦の準備に追われることになる。

 武田軍の脅威は全員が骨身に染みている。城の天険に頼るだけのこれまでの戦い方では、再び敗北の恥辱を舐めさせられることになるだろう。



 武田家は独自の城攻め方法を持っており、もっとも信濃勢に恐れられたのは甲州金山などの鉱山事業において優れた掘削技術を実践している金堀衆である。

 武田は城の水を絶つために彼らを積極的に用いた。

 いかに武勇に優れた将兵でも水が無ければ抵抗のしようがない。

 時には何里も離れた場所から地中を掘り進んでくる金堀衆に対抗するのは至難の業だ。

 水が絶たれてしまえば、あとは城を離れて野戦で勝敗を決するしかなく、満を持して待ちかまえる武田の騎馬隊に一蹴されてしまう。

 信濃の城の多くはこのように陥落してきたのである。



 そのため、特に水の確保は絶対に欠かせない。過去の経験からそれを知悉していた義清は、越後から百を越える樽を城内に運びこみ、これを土蔵に保管した。むろん、そのすべてに満々と水を湛えた上でのことである。

 さらには臨時に貯水池をつくり、そこに水を貯えるなど、長期の篭城に備えるための作業を大急ぎで進めていった。



 一方で義清は、北信濃各地に潜伏している旧臣に向けて書状を出し、飯山城奪還の成功を知らせ、士気高揚をはかった。

 長尾景虎、直江景綱の後詰があるとはいえ、彼ら越後勢は箕冠城で待機している。これは今回の出兵計画に沿ったもので、間もなく動くであろう武田軍の第一波を支えるのは義清の役割なのである。



 義清が飯山城に武田軍をひきつけ、景虎はその武田軍の動きを見た上で旭山城を襲撃する。これで城を陥とせれば良し。仮に陥とせなかったとしても、飯山城に攻め寄せた部隊は後背を絶たれることで動揺し、退却するであろう。そうすれば義清はその後背を追い討ち、景虎と挟撃して武田軍を撃滅する。

 今回の作戦の要は義清が飯山城を保持することにある。

 そのためにも兵力は多ければ多いほど良い。かといって、兵を増やしすぎれば篭城に支障をきたす。

 義清としては苦心のしどころであった。




 すでに計画通り、飯山城の防備は着々と固められつつある。諜者の報告によれば、旭山の春日虎綱、葛尾の内藤昌豊、二将の動きも慌しくなっており、まもなく飯山城奪還の兵が押し寄せてくるであろう。

 今頃は佐渡の地でも長尾政景、加倉相馬の二将による平定戦が始まっているに違いない。



 全ては作戦通り。義清は胸中でそう呟いた。

 後は春日、内藤の二将を飯山城にひき付け、箕冠の長尾景虎と挟撃して殲滅し、旭山城を奪回する。

 旭山城を陥とせば、景虎と景綱、そして義清はそこに立てこもり、間もなく甲斐の大軍を引き連れてくるであろう武田晴信と対峙する。

 この間、越後では上杉定実と宇佐美定満の二人が国人衆を束ねて大軍を編成する予定だ。旭山城に晴信を釘付けにし、その後背を定満らが突くのだ。

 佐渡の平定がうまくいけば、こちらの軍には守護代である政景や加倉相馬も加わっていることだろう。



 全ては作戦通り。

 義清は再び胸中で呟く。

 そう、作戦通りなのだ。



「あまりにも、うまく運びすぎておる」



 そう思ってしまうのは、武田に敗れ続けた我が身をかばうためなのだろうか。

 根が真面目な義清は、そんな風にも考え、腕組みしながら首を傾げる。

 あの加倉なる若者が考案した作戦は、対武田というにはあまりに作戦領域が広い。信越国境だけでなく、北の佐渡や西の越中、そして東の蘆名家にまで視野が及んでいた。にもかかわらず、それぞれの作戦には無理がなく、堅実とさえいえる内容なのである。



 東西の敵には当地の国人衆を充てて防備を固め、南北の敵には春日山の主力を差し向ける。

 それぞれの軍を孤立させることなく連動させ、かりにいずれかの一軍が敗れても、その後ろには必ず後詰が控えている。

 それは飯山城の義清であれば箕冠城の景虎、景綱であり、佐渡の政景、加倉であれば赤田の斎藤朝信であり、西の国境であれば春日山の定満であった。東の蘆名に関しても、すでに坂戸城の長尾房長が新発田城の後詰に動いている。

 


 作戦といえば、どこに軍を進め、どこで戦い、どこの城を攻めるのか。そういった事だと考えていた義清にとっては、加倉のそれは作戦というにはいささか範囲が広すぎるように思われた。

 逆にいえば、それぞれの戦場においてどのように勝利を得るのか、といった視点が欠けている。

 加倉の立場でいえば、対武田戦をどのように勝利に導くのか。飯山城をどう守り、旭山城をどう陥とすのかという計画は不可欠のものだろう。

 だが、加倉は義清がそれを指摘すると、あっさりと笑って言ったものだった。



「信濃の驍将 村上義清様がおられるのです。それがし程度の浅知恵で邪魔をするのは憚られますよ。義清様が今の計画に沿って戦術を考えてくだされば、それで結構です。景虎様といかに呼吸をあわせて軍を進退させるかが鍵になるでしょうから、互いの連絡だけは欠かさないようにしてください。それがしが言えることはそれだけです」



 そう言った加倉は言葉どおり、本来は加倉のものであった権限を丸ごと義清に投げ渡し、自身はその補佐にまわった。水を保管する樽を集めたのも加倉の仕事の一つである。



「不思議な若造よ」



 義清はそう思う。

 ただ、若造と口にする義清の顔に軽侮はなかった。

 かつて長尾晴景に仕えていた頃、越後内乱の一方を指揮して長尾景虎と渡り合った話は越後ではつとに有名である。

 机上で作戦を弄ぶたぐいの人物は好きになれない義清であるが、加倉は春日山城において自身もろとも景虎を葬り去ろうとしたというから、臆病者でないことだけは確かである。



「普段の姿を見ていると、とてもそうは思えんのだがな、くはは!」



 平常の加倉を見ていると、我が身を賭して主君の敵を葬り去ろうとした苛烈な人物とは到底思えない。

 部下に叱咤される姿を見たのも一再ではないのだ。

 今度のように、亡命の将である自分の下で進んで働こうとする行動も、加倉の地位と越後における立場を考えれば奇異に映る。

 それゆえ、義清の加倉への評価は「不思議な若造」の一語に尽きた。





 そこまで考えた義清は、思考がそれかけていることに気づいてかぶりを振った。

 義清は思う。自分があれほど苦戦した武田家が、こうも簡単に加倉の掌で踊らされることがありえるのだろうか、と。

 加倉の軍略の才を否定しているわけではない。だが、義清はそれ以上に武田晴信の軍略の冴えを警戒していた。恐れていた、と言いかえた方がいいかもしれない。あの甲斐の虎は、それだけ巨大な敵将であった。



 奇妙なまでの確信が義清の胸中に育まれつつあった。

 武田晴信は必ず来る、と。

 越後の先制を許し、慌てて甲斐で兵士を徴募し、こちらが旭山城を陥としてからようやく姿を現す。そんな無様を晒す人間では断じてない。

 それは幾度も晴信と矛を交えた義清の、偽らざる本音であった。



 ――そして、その義清の考えは数日を経ずして現実のものとなる。



 飯山城に現れたのは、春日虎綱、内藤昌豊が率いる五千。これは上杉側の予測を大きく越える数字であったが、飯山城への敵襲は作戦通りのこと。こちらに大兵を投じたからには、旭山城の防備はそれだけ薄くなっていることだろう。

 後は彼らが出陣して手薄になった旭山城を景虎、景綱の精鋭が襲う。そのはずであった。

 だが、そうはならなかった。

 箕冠城を発し、電撃的に信越国境を突破して旭山城を目指す景虎たちの前に、重厚な布陣を布いた甲州騎馬軍団が立ちはだかったからである。



 その陣頭に掲げられる旗印は『四つ割菱』と『孫子四如』、そしてその陣頭で上杉軍を睥睨するは、小柄な体躯から上杉全軍を押しつぶさんばかりの覇気を奔騰させる一人の虎将。



「――どれほどの策を講じようと、全ては私の手の中です」



 嫣然一笑、高々と軍配を掲げた武田晴信は、すでに動員を完了した武田軍八千に対し、突撃の命令を下す。

 対する景虎の軍勢は三千あまり。

 不意を突こうとして、逆に不意を突かれたことで、兵のみならず将たちの胸にも動揺は及んでいた。

 数に劣り、士気に劣る。

 武田晴信と長尾景虎の二度目の対峙、そして初めて矛を交える戦は、景虎にとってあまりに不利な状況で始まった。




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