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聖将記  作者: 玉兎
第三章 開戦
23/112

第二十三話 佐渡侵攻



 先ごろまで頚城平野を彩っていた黄金色の稲穂はその多くが刈り取られ、味気ないこげ茶色の田土が取って代わっている。

 秋深まる季節、空にはうろこ雲が広がり、吹く風は肌に心地よい。

 こんなときはゆっくりと昼寝でもして過ごしたいところだったが、あいにく戦乱という名の台風はすぐそこまで迫っていた。



 迫っていた、なんて言うといかにも受動的であるが、正確にいえば台風を起こそうとしているのはこちらである。

 上杉軍の先鋒となる村上義清はすでに信濃に潜入した頃であろう。

 俺は最近ようやく手に馴染んできた鉄扇を取り出すと、音を立ててそれを開いた。



 刻まれた長尾家の九曜巴の家紋が視界に入ってくる。

 定満の助言を受けながら俺が考案し、定実様、景虎様、政景様、景綱らと討議の末に採用された対武田の戦略。それが、いよいよ現実のものとなる日が近づいているのだ。

 いくつかの修正を経た上で皆の承認を得たとはいえ、その根本はまぎれもなく俺の案である。



「武田信玄と戦略を競う、か。これも得がたい経験、と言うべきなのかね」



 景虎様――上杉謙信と矛を交え、今また武田信玄に戦いを挑む。

 どちらも一介の大学生にとっては大それたことに違いない。それを自覚する俺は、しかし、かつて景虎様と対峙した時と違い、不思議なほどに落ち着いていた。



 敵が信玄といえど、味方に景虎様がいれば何とかなるという楽観ゆえか。

 あるいは、手に持つ鉄扇が示す景虎様の信頼を感じているゆえか。

 それとも――歴史に名を刻む英傑たちと同じ舞台にたつ。俺はそんな奇跡を受け入れ、そして喜んでいるのかもしれない。この戦乱の世にあって人の死と不幸は現世よりもずっと身近にある。それはつまり、俺程度の力でも救うことが出来る人がたくさんいるということではないのか。



 ――なんとも手前勝手な戦う理由だ



 脳裏を横切る今際の際の父親の顔。

 砕けるほどに強く奥歯をかみ締めながら、俺はその光景を追い払う。

 今はまだ早い。そう自分に言い聞かせながら。





「――加倉様、景虎様がお呼びです」

「……わかった、ありがとう、弥太郎」



 部下の知らせを聞き、俺は開いていた鉄扇を閉じて立ち上がる。

 俺が襖を開けると、そこには弥太郎と段蔵の姿があった。

 いくぞ、と声をかけることもしない。俺が歩き出すと、二人はすぐについてきてくれた。

 この後、俺たちは春日山城を離れることが決まっている。

 向かう先は日本海に浮かぶ孤島 佐渡島。

 ここ数月、幾度も練り直した戦略をようやく机上から現実へ移す刻が来たのである。




◆◆




 佐渡本間氏の惣領そうりょうである雑太さわた城主 本間ほんま有泰ありやすは、長年の心労でほとんど白一色となった頭を力なく抱えていた。

 その前に座するのは一族の有力者である本間貞兼(さだかね)。河原田城城主にして、今や惣領である有泰を凌ぐ権勢を手中にした野心家である。有泰とは異なり、未だ黒々とした色艶を発する髪に手をあてながら、貞兼はこともなげに口を開く。



「何も悩む必要はござるまい。もともと我らは春日山の同盟者。臣下の誓いをしたわけではない。同盟は結び、そして破るもの。為景とていくつもの盟約を破棄していたではござらんか。別にわれらが躊躇する理由はござるまい」



 その貞兼の言葉を聞き「左様、左様」と頷くのは羽茂城主である本間左馬助(さまのすけ)

 河原田城の貞兼と提携し、佐渡における権勢を河原田本間氏と二分する人物である。



 貞兼と左馬助が手を組み、有泰を傀儡としている。

 今の佐渡の情勢を一文で示せばこうなる。

 その二人は今、隠しきれない野心を顔中にみなぎらせていた。佐渡本間氏にとっての宿願、越後進出が現実味を帯びてきたからである。

 有泰は重い口を開き、血気に逸る一族を何とかおしとどめようとする。



「かつての内乱で、我らは為景殿と定実様をお助けし、お二人が越後に返り咲く一助となった。それゆえにこの佐渡の地を任され、今日までその地位は揺らいでおらぬ。そして定実様が守護職に復権なさったからには、今後も揺らぐことはないであろう。なぜに今、危険を冒してまで越後に兵を向けねばならんのだ」



 だが、その有泰の言葉に貞兼は鼻をならして答えた。



「そもそもそれが気に入らぬのでござるよ。守護職に返り咲いた定実様は、かつての我らの功に何も報いてくださらぬ。佐渡の安堵などと言ったところで、我らは鎌倉の昔よりこの地を守護してきた者でござる。それは褒美などといえたものではござるまい」



 貞兼の言葉に追随するように、左馬助も口を開く。



「左様、左様。此度の戦で名をあげた小娘どもとて、かつて我らが彼奴らの父親を助けておらねば、そもそもこの世に生をうけることさえ出来なんだではありませぬか。であれば、越後の地の半分も差出し、我らに礼を申すべきところ。しかるに、春日山への不参を理由に譴責の使者を向けてくるとは増長も極まるというものでござる」



 貞兼は慎重論を唱える有泰に向けて冷笑を向ける。



「なに、惣領殿は雑太城で佐渡の地に睨みをきかせていただければよろしい。戦は我らがやりましょうぞ」

「本間家の力で集められる兵の数など知れたもの。まことに春日山に勝てると思っておるのか? まして敵は軍神と名高い景虎殿じゃぞ。先の蘆名殿との一戦で陸奥の強兵を苦もなくやぶったこと、知らぬわけではあるまい」

「無論、存じておりますよ。確かに惣領殿の仰るとおり、我らが集められる兵力は、農民どもをかき集めても四千、五千が精々でござろう。しかし、金鉱脈の開発のおかげで、我らの金蔵には唸るほどの金が貯えてござる。これをばらまけば、越後の国人衆を味方につけることも難しくはござるまい。武器も兵糧もしっかとたくわえてありもうす」

「左様、左様。それに我らが動いたところで景虎は出て来れませぬでな。惣領殿の心配は無用ですぞ」



 左馬助の言葉に有泰は困惑の表情を浮かべた。

 その顔を見て、左馬助は揶揄するように口を開いた。



「おや、惣領殿は上杉が信濃を急襲したことをご存じない? すでに一族郎党を率いた村上義清は、北信濃の飯山城を攻め落とし、そこに篭ったそうでござる」

「なんと!?」



 有泰の驚きに、左馬助のみならず貞兼の顔にも嘲弄が浮かんだ。



「この程度の情報も掴めず、軽挙を慎めとは笑止ではありませんかな、惣領殿。武田と上杉がついに激突したと、今や町民たちの間でさえ話題になっておるというのに」



 貞兼の皮肉に、有泰は苦渋の表情を浮かべて押し黙るしかない。

 雑太城主とはいえ、周囲はすべて貞兼らの息のかかった者たちで固められている。そのような情報が有泰の耳に届くはずもなかった。

 当然、貞兼も左馬助もそれを承知の上で言っている。

 ここで貞兼は一枚の書状を懐から取り出した。



「申し忘れておりましたが、実はこのような書状が先日、私のもとに届きまして」

「……誰からのものだ?」

「甲斐守護職、武田晴信殿」



 その名を聞いて有泰は息をのむ。

 そして、眼前の二人による佐渡本間氏の命運を賭した博打じみた戦が、最早とめられないことを悟った。

 顔色を失った惣領を見て、貞兼は心地よさげに笑う。



「内容は語るまでもありますまい。武田との戦の最中、上杉の背後を衝けば、晴信殿が越後を制した暁には越後国内より十万石を賜るとの墨付きでござる」

「むろん我らが切り取った領土はそれに含まれぬとの気前の良いお言葉。清貧を旨とする辛気臭い軍神どのではこうはいきますまいよ」

「いかさま。その軍神も信濃に遠出中とあらば、春日山から出てくるのは上田の小娘。父親の房長であればともかく、女子おなごに率いられた軍などたやすく打ち破ってみせましょう」

「左様、左様。佐渡は長年、越後の者らに搾り取られてきましたからなあ。恨みは骨髄に徹しております。先達の無念、こたびの戦で見事晴らしてご覧にいれましょうぞ」



 互いに笑いあいながら、野心と驕慢を露にする貞兼と左馬助。

 彼ら二人の主筋にあたる有泰は、ただ黙然とその笑いを見ていることしかできない。

 有泰には二人の作戦を否定するだけの情報も、識見もない。あるいは二人の言うとおり、これは本間家にとって稀有の好機なのかもしれない、とも思う。

 だが、その可能性に思いを致しつつも、有泰の胸奥には黒雲が湧き上がっていた。

 鎌倉より数百年、佐渡の地を支配し続けてきた本間家の栄光の光を閉ざす、厚く重い黒雲が。

 




◆◆




  

「ふんふんふ~ん♪」



 鼻歌なんぞ歌いながら上機嫌な政景様の横で、俺は倒れる寸前であった。

 情けない話だが、今も弥太郎に支えられて何とか立っている状態である。

 そんな俺の様子にようやく気づいたのか、政景様は長く伸びた紅茶色の髪をかきあげながら口を開く。



「まったく情けないわね、ほんの数刻、舟に乗ってただけじゃないの」

「……そ、そうなんですが……うえっぷ」

「返事もできないほど弱ってるのはわかったから、とっとと横になって休んでなさい。戦はこれからなんでしょう、軍師殿?」

「は、はい、すみません……げふ」

「というか、ほんとに大丈夫?」



 からかい甲斐のない俺に不満そうな顔をしながら、それでもこちらを案じてくれる政景様に対し、俺は目線を合わせることさえ出来なかった。

 というより、あわせたくなかった。

 多分、今の俺、死んだ魚のような目になってるだろうからなあ……



 

 なんということはない。

 単に越後から佐渡に渡ってきただけなのだが――だけなのだが。

 まさかこの時代の舟がこれほど揺れるとは。船酔いには強い方だと思っていたのだが、科学満載の高速船と、人力オンリーの軍船がこれほど違う乗り物だとは思わなかったデス。

 越後と佐渡の間に広がる日本海が、佐渡の独立にとってどれだけ貴重な防壁であるかがよくわかる。




 政景様率いる佐渡征討軍二百は数月間に渡って潜伏していた軒猿らの先導と、佐渡国内の協力者によって敵の迎撃を受けることなく赤泊の海岸に上陸することができた。

 この協力者は本間正泰といい、現在の佐渡の有力者である本間貞兼、本間左馬助らによって居城を奪われたことで上杉にくみすることとなったそうだ。



 ……しかし、敵も味方も本間ばかりでややこしいな。余談だが、佐渡には本間を名乗る家が十以上もあるとのこと。

 どうやら当人たちもややこしいと思っているらしく、たいていは本領の名を冠する。

 河原田かわらだ城主の本間貞兼は河原田貞兼、羽茂はもち城主である本間左馬助が羽茂左馬助、久知くじ城主だった本間正泰は久知正泰といった具合だ。なので俺もそれにならおうと思う。

 なお、貞兼や左馬助の上には佐渡守護の本間有泰がいるとのことだが、この人物はほとんど傀儡であるらしい。



 ともあれ、正泰の案内で上陸した俺たちの最初の狙いは赤泊城だった。

 赤泊は羽茂左馬助が治める領地の一つ。ここを落として、まずは南佐渡最大の勢力を有する羽茂家を倒す足がかりとする。

 上陸後しばらくは陸にあがった河童かっぱ同然だった俺も、夜には何とか体調が回復したので、あらためて今後の予定を確認する。



 佐渡討伐。

 俺がこの一事に踏み切ったのは、軒猿から送られてきた一通の報告書を読んだ時である。

 そこには有力者である河原田貞兼や羽茂左馬助らに武田が手を伸ばしていることが記されていた。

 それを受け取った後、彼らが何を考えたのかはわからないが、武田家から書状が届いたことを隠している時点でだいたいは察せられる。

 信濃で戦っている最中、佐渡兵に後背を突かれてはたまったものではない。俺が佐渡討伐を決意した所以ゆえんである。



 なお、義清の信濃蜂起と景虎様出陣の情報を佐渡で広めたのは俺だった。

 こうすれば野心家たちは勝手にその気になってくれるだろう。へたに慎重になり、春日山に対して従順に出られてしまうと、こちらが攻撃する名分がなくなってしまう。

 ……佐渡の金銀鉱脈は上杉直轄にしておきたい俺の小細工であった。



「さて、机上の計算は現実でどうなるかな」



 床の上でしずかに呟く。

 決して政景様の強さを疑うわけではないが、こちらは上杉軍二百に軒猿が三十人ほど。

 対する赤泊城の兵はこちらの倍ではすまない。

 質で優る軍が数で押しつぶされることはめずらしくない。

 佐渡討伐のための試金石ともいうべき赤泊城攻略戦。これにてこずると、機先を制した優位がふいになり、佐渡を従わせるために必要な時間は膨大なものとなる。



 間もなく始まる戦は、絶対に負けることが許されない戦となるだろう。

 そう思った俺は、その言葉のあまりの無意味さに思わず苦笑してしまった。



「負けてもいい戦なんて、それこそ許されないよな」



 頬を強く叩いて立ちあがる。

 城攻めの時刻はすぐそこまで迫っていた。



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