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聖将記  作者: 玉兎
第二章 宿敵
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第二十一話 飛び加藤



「……ふむ、佐渡の情報でございますか」



 俺の前に座る初老の男性はあごひげをこするように指でもみながら、うろんげな視線をこちらに向けてくる。

 これは断られるかな、と思ったが返答は思いのほか色よいものだった。



「もとより、景虎様の御依頼とあらば否やはござらぬ。ただちに人数を派遣いたしますが、期間はいかほどいただけるのか?」

「出来るかぎり早く、ということでお願いしたい。佐渡の心底次第で取る策が分かれますので」



 それを聞いた男性はもともと細い目をさらに細めた。糸のような目から針のような眼光が伸び、俺の顔に突き刺さる。

 その鋭すぎる眼光を俺は真っ向から見返した。

 しばしの間、沈黙がその場に満ちる。

 やがて、男性は再び口を開いた。



「忍も万能ではござらん。無理を通すのであれば、相応の代償を頂くが用意はおありか?」

「はい、もっとも相場を知らないので、これでよいものかわかりませんが」



 そう言って、俺は懐から持ってきた金子を取り出す。

 ずしりと重い手ごたえも当然のこと。何せこれまでの俺の俸禄を全てかき集めてきたのだから。



 男性はその袋を受け取り、中を確認すると何ともいえない渋面をつくった。

 足りなかったかと冷や汗をかくが、どうもそうではないらしい。



「加倉殿、貴殿、我らに佐渡の本間を暗殺しろとでも仰せか。そうでなければ、これはさすがに多すぎまするぞ」

「い、いや、もちろん情報を得るだけで十分です。このようなことを聞くのはお恥ずかしいのですが、いくらぐらい用意すればよかったのでしょう?」

「相場を申せば、この半分の半分の、そのまた半分の半分、というところでしょうかな。それとて景虎様に限ってのことで、他家はもっと安く我ら忍を使っております」



 この時代、忍といっても後年の誇張されたイメージのそれではない。

 炎を巻き起こしたり、身体を幾つにも分けたり、あるいは見上げるような高さの壁を手掛かりなしで飛び上がったりといった芸当は出来ない。

 無論、常日頃鍛えた心身はそこらの人間に比するべくもない域に達しているが、あくまでそれは人として可能な範囲の強さ。漫画やテレビのような忍はそれこそ空想の中にしかいないらしい。少し残念かも。



 それはともかく、情報を収集する場合にも商人や虚無僧として各地を歩き、民との会話や物品の売れ行き等から情勢を推し量るのが主であるらしい。

 時には城内に忍び込む場合もあるが、敵に見つかればまず間違いなく命がなくなってしまう。そのため、よほどのことがないかぎり、そこまで踏み込むことはないそうだ。

 そういった危険な任務を平然とこなす者もいないわけではないらしいが、そういう忍びはごくごく例外だという。



「ことに我ら軒猿のきざるは数が少のうござってな。無理は慎まねばならんのです」



 男性――軒猿の首領であるその人物は、そういって小さく笑った。

 すると、先刻までの尖った雰囲気が一変し、好々爺と形容できそうな人の好い顔になる。

 忍者の棟梁というくらいだから、強面で、常に殺気を撒き散らしているような人物を想像していたのだが、なかなかどうして温厚そうな人だった。

 もっとも、笑いながらも視線の鋭さはいささかも変わらないあたり、その気になれば笑顔で人の首を切ることも出来るのかもしれない。





 軒猿は長尾家の忍びではあるが、正式な家臣というわけではない。

 普段は土地を耕し、作物を育て――つまり農民と大差ない。

 そして、忍としての力が入用になったとき必要に応じて雇われる。もう少しいえば、土地を耕すだけでは食っていけないから技術を売るわけだ。



 党首には多くの忍を養っていく経営者としての才覚も求められる。

 忍者はその特殊性ゆえに敵からは目のかたきにされ、味方からは猜疑の目を向けられる。

 身分としても武士より劣るものとして扱われ、日陰者として蔑まれる。そんな忍の集団を統率することがいかに困難であるかは言をまたないだろう。

 この首領は笑顔で人を斬れるかもしれないと俺はいったが、そのくらいの人物でなければ軒猿はとうの昔に滅ぼされていたのかもしれない。



 その後、いくつかのやり取りを交わした後、俺は差し出した金子はそのままにして軒猿の里を辞去した。

 今後彼らの協力は不可欠であったから、その挨拶もかねてということで向こうにも納得してもらっている。

 それに、弥太郎たちの俸禄分以外ろくに使い道もない金だから、手放したところで痛くもないしな。



「ひとまずこれで佐渡はよし、と。越中は親不知おやしらずの道を塞げば大丈夫だろうって話だったが、やはり一度は見ておくべきか」



 軒猿の里から春日山城に戻る道すがら、俺はひとりごちる。

 弥太郎たちは武芸の修練に勤しんでいるため、声をかけてこなかった。

 一人では落馬するのが目に見えていたので当然徒歩だ。本格的な夏を間近に控え、頸木平野は鮮やかな緑で彩られつつある。ぽかぽかとした陽気に、自然と足取りも軽くなった。

 と、その時。



「――春日山の重臣が供も従えず、腰に大小も差さずに一人歩きとは。無用心に過ぎます」



 いつかどこかで聞いた声が背後から聞こえてきた。気配など微塵も感じていなかった俺は大慌てで振り返る。

 すると、そこには見覚えのある人物の姿があった。

 黒髪を耳の後ろあたりでばっさりと切り揃えた髪型、子供と見まがう小柄な体格、こちらを見上げる鋭い眼差し、いずれも関川の戦で共に戦った猿鳶さるとびのものだった。



◆◆◆



 時をわずかに遡る。



 加倉が退出してからしばらくの間、軒猿の長は無言で何やら考え込んでいたが、ややあって室内の影になっている空間に向けて声を発した。



「段蔵」



 すると、それに応えるように今の今まで誰もいなかったはずの空間から、宙からにじみ出るように一人の少女の姿が浮かび上がる。

 関川の戦のおり、猿鳶さるとびと名乗って春日山に潜伏していた人物――加藤かとう段蔵だんぞうだった。



「こちらに」

「あれが加倉相馬か。たしかにおぬしが言っていたとおり変わった人物であるな」

「はい。そして、変わっているだけでは済まされない才覚の持ち主です」

「世人は景虎様と並び称しているようであるが、おぬしも同様か」

「いえ、そこまでは申しませぬ。景虎様には遠く及ばぬかと」



 武芸も、知識も、軍略も、教養も、およそ考えうるかぎりの面において加倉相馬は長尾景虎に及ばない。

 段蔵はそう断言する。

 そこにはいかなる私心もない。忍びとしての冷徹な思考を経て下された判断だった。 



「そうだな、それはその通りだが……」



 少女の言葉に長は頷いてみせたが、その肯定にはどこか戸惑いが含まれていることを段蔵は察した。



「あの男、何か気になることでもございましたか」

「うむ、確かに加倉殿は景虎様には及ぶべくもない。だが、あの者の内実がどうであれ、越後に知れ渡った名声は真のものだ」



 長の言葉に段蔵は頷く。



「はい、それは否定いたしませぬ。あくまで私が申し上げたのは、あの者個人に関する見解でございます。付け加えるならば、他の武士と異なり、吝嗇りんしょくという欠点はありません」



 段蔵はそういって加倉が置いていった金子きんすの袋を見る。

 忍び働きでの収入があるとはいえ、軒猿の里は貧しい。山がちな里の土地では食物もあまり育たず、食料庫はほとんど常に空の状態であった。

 これは軒猿の里に限った話ではない。頸木平野や越後平野は豊かであるが、そういった沃野を有するのはごく限られた大地主だけ。越後の民の多くは懸命に今日を食いつないでいるのが現状である。



 だからこそ、柿崎戦に先立って加倉が城の庫を開いたとき、数百もの兵士が海のものとも山のものとも知れない加倉の下にとどまったのである。彼らにとって、あの金は自分のみならず家族を救える額であった。

 実をいえば、段蔵もその一人である。

 春日山の情報収集という本来の役割をこえ、関川戦まで長尾軍に留まったのは、俸給分の働きくらいはしてみせねばなるまいと考えたからであった。



 吝嗇という欠点はない、という段蔵の言葉に長は大きくうなずいた。

 金子の袋を取り上げて、やや呆れたように言う。



「その点は間違いないのう。それに、こちらを城に呼び出さず、自らの足で里まで来たことも評価できる。忍を見下さぬという一点では景虎様と同じ御仁のようだ」



 もっとも、忍の恐ろしさを知った上でそう接する景虎と、それを知らない加倉を同列に並べることに意味があるかは疑問だったが、少なくともこちらが敵愾心を抱く理由は今のところ見当たらない。



「落日の守護代を盛り立て、柿崎景家を討ち取り、長尾景虎と対等に戦った春日山のいま正成まさしげ。おぬしの報告を聞いて以来、会いたいとは思うていたが、まさかこのように早く会うことができるとはな」



 正成とは南北朝の動乱の際、南朝側にくみして最後まで戦い抜いた智勇兼備の名将 楠木くすのき正成まさしげを指している。

 この時代、正成はいまだ朝敵とされており、公的には大逆の罪人のままだったが、当の敵手であった足利尊氏が正成に敬意を抱いていたように、その忠誠と報われぬ最後は尊崇の念と共に人々の心に深く根ざしていた。

 そして、その正成の再来が加倉である、との評がこの時期出始めていたのである。

 加倉が聞いたら驚きのあまりひっくり返ったに違いないが、長尾晴景という暗愚な主君に忠誠を尽くし、決して屈しようとしなかった加倉の行動は、それほどに越後の人々に賞賛されていた。



 ――だが、物事には常に裏の面がある。



「晴景殿の悪政を助長したとて、加倉殿を狙う者も少なくない」

「はい。あの警戒心のなさではいずれ命を落とすやもしれませぬ」



 長の言葉に頷きを返しながら、段蔵の表情がかすかに動いた。

 長の言わんとしていることを察したのだ。



「里のためにも、気前の好い客を逃さぬことは必要であろう」

「……そうかもしれませぬ」

「このまま時を経れば、景虎様やあの者の周囲には多くの人と物があつまってくるじゃろう。我ら以外の、より大きな忍の集団が配下に加わることもあるやもしれぬ。そうなっては我らは金も糧も得られず、この貧しい土地を耕して汲々と生きていくしかなくなる」

「はい」



 長は大きく息を吸ってから、結論を口にした。



「それを避けるために、今、行動する。景虎様はともかく、加倉殿はまだ新参。評判こそ高いが、頼りになる味方は数えるほどしかおるまい。ここでしっかと手を結んでおけば、後々まで我らに益するであろう」

「……逆に加倉がつまずけば、里に被害が及んでしまいますが」

「そうならぬための我らよ。我らの言葉に耳を傾けぬようなら、その時は見限ればよい」



 長の言葉に段蔵は頷いた。

 反対する必要はない。それはこれまでの里のやり方となんら変わらないのだから。

 どれだけ優れた忍の技をふるったところで、米も野菜もできはしない。技を金にするためには買い手が不可欠であり、そして忍の技を買えるだけの金を持つ人物は限られている。

 加倉が上客となる可能性があるのなら、こちらから売り込みをするのは当然であろう。

 そして、少女の予測どおり長の命が下される。



「加藤段蔵」

「はッ」

「汝に命じる。加倉相馬の配下となりての者を助け、軒猿の価値を知らしめよ。忍を下賎とさげすむ武士どもに我らの力を知らしめるのだ」

「承知仕りました」



 段蔵は深く頭を下げる。

 と、次の瞬間、段蔵の姿が長の視界から掻き消えた。部屋のどこをさがしても、その姿を見つけることはできない。

 自分の目すら欺く早業に、長は小さく唸った。



「さすがは我が孫、飛び加藤の名を与えたのは間違いではなかったな――さて、今正成殿は我が孫を使いこなすことができるかな。まあ、できるとしてもさぞてこずるであろうて」



 そう言ってくつくつと笑う長の顔は、忍の棟梁としてのそれではなく、どこか温かみを感じさせる祖父のそれである。

 人前では決して見せない、長のもう一つの顔であった。



◆◆◆



「弱い! もっと両脚で強く馬体をはさみなさい。脚の力が弱いから、そうも簡単に振り落とされるのですッ」

「あ、はい、わかりました!」



 景虎様の許可を得て、越中との国境へ向かう道すがら。

 俺は何故だか段蔵の叱咤を浴びながら、全身傷だらけになっていた。

 どうしてこうなった?



「何をぼうっとしているのですか、のんびりしている時間などないでしょうッ」

「す、すみません!」



 少しでも気を抜くと、小柄な少女から火のような叱咤が飛んでくるため、考え事一つできはしない。

 いや、本当にどうしてこうなったんだろう?





 軒猿の里から派遣された猿鳶さるとびあらため加藤段蔵が俺の配下となったのはつい先日のこと。

 段蔵の能力を知っている俺が喜んで迎えたのは言うまでもない。

 生きていたことに関しては、正直なところ予測していた。増水した関川を苦もなく往復する人間が、そうそう倒れるとも思えない。柿崎隊の生き残りから飛苦無とびくないの話を聞いていたのでなおさらだ。

 ただ弥太郎などは猿鳶さるとびが死んだと思いこんでいたから、大泣きして再会を喜んでいた。それを見た段蔵はさすがにばつが悪そうであった。



 ともあれ、こうして再会した段蔵の第一声が、一人歩きは無用心に過ぎるというあの叱声である。

 俺に武芸の心得がないことを段蔵は知っていたが、だからこそ供を連れずに軒猿の里を訪れたことを問題視したらしい。

 危機意識に欠ける、と。

 これは一から鍛えなおさないと――そう呟いた段蔵がキッと俺を見据えたあの瞬間、俺たちの関係が決まってしまった気がしなくもない今日この頃である。




 越中への途次、段蔵の特訓は続いている。

 ぼろぼろになっている俺を見かねたのか、弥太郎がおそるおそる助け舟を出そうとしてくれた。

 しかし。



「あ、あの段蔵、そろそろ一休みしたらどうかな。ほら、加倉様も疲れているだろうし……」

「弥太郎」

「は、はひッ!?」



 段蔵の鋭い視線を浴びた弥太郎が背筋を伸ばして返事をする。

 小柄な段蔵が大柄な弥太郎を見ると、文字通り「見上げる」格好になるのだが、この場合、背の高さは立場の違いにいささかの影響も及ぼさなかった。



「まもなく戦が始まるというこの時期、将たる者が馬のひとつも御せずに、どうして軍を御すことが出来るのですか。これが平時であれば、あなたが轡をとって移動するのもいいでしょう。しかし、戦場にあってそのように悠長な真似はできません。あなたとて背に主をかばったままでは本気を出すことはできないでしょう?」

「う、は、はい、出せないです……」

「であれば、なんとしても加倉様にはこたびの偵察任務の間に馬を御せるようになっていただきます。主たる人が戦場で馬に乗れぬ醜態をさらすことなど許しません。それは仕える我らの恥でもあるでしょう」

「そそ、そうかもしれない、けど、そのやっぱり限度ってあるんじゃないかな、と」

「ええ、ですから限界を越さないように気をつけていますよ。かりそめにも主人なのですから、当然のことです」

「そ、そうなんだ……」



 それ以上の抗弁は無理だったのか、それとも段蔵の言葉に理を認めたのか、弥太郎は口を閉ざした。

 俺は助け船があえなく撃沈されたことを悟る。

 まあ、段蔵の言葉に理を認めたのは俺も同じである。これまでの教練というか特訓というか、とにかく問答無用な馬術の修練に気遣いをもって臨んでいたというのは、ちょっと信じられなかったりするのだが。



「――何か異論がおありですか、加倉様」

「いえ! 何一つありません!」

「よろしい。では続きです」

「サー、イエッサー!」

「? 今、なんといったのですか?」

「はい、わかりました、と」

「とてもそうは聞こえなかったのですが……まあいいです。では行きますよ。次はあちらに見える木の根元まで馬を駆けさせてください。鐙と手綱に頼りすぎないように気をつけて。何度も言いますが、馬は股で乗るのです」



 かくして、加藤先生の馬術教室は日が落ちるまで続いたのである。






 で、その夜。

 とある寺の一つに宿を求めた俺たち(俺、弥太郎、段蔵の三人)は、翌日の道中に備えて鋭気を養っているところだった。

 あらかじめ使者を出しておいたため、寺の方では夕餉を準備してくれていた。精進料理が傷ついた身体に優しく染み渡り、ちょっと泣きそうになったのは内緒である。



 ろくな娯楽がないこの世界では、夜は早く寝るしかないのだが、それでもさすがにまだ床に入るのは早い時間である。

 ついでに言えば、馬から落ちたり蹴飛ばされたりした身体は延々と痛みを訴え続けている。とても寝られたものではない。

 そんなわけで、ただぼうっと縁側で空を眺めていた俺だったが。



 そこに弥太郎を引き連れた段蔵がやってくるのを見て、俺は思わず、げ、と言いそうになってしまった。

 それを見た段蔵はかすかに目を細め、腰に両手を当てて胸を張ってみせる。



「何か言いたいことがおありのようですね。どうぞ遠慮なさらずに。謹んでお聞きいたしますよ、主様」

「イエ、ナンニモ」

「……加倉様、なんか目が虚ろですけど」

「気のせいですよ、ハハッ」



 元気一杯であることをアピールしたつもりなのだが、弥太郎から痛ましいものを見る目で見られてしまった。泣きたい。

 その後、俺はあてがわれた寝室で二人に服をはぎとられた――こう書くと誤解を招きそうだが、お子様にも優しい内容である。

 俺の傷を気遣って、二人して傷薬を持って来てくれたのだ。

 段蔵にいきなり「服を脱いでください」と言われた時にはどうしようかと思ったもんである。



「加倉様、ここ、痛くありませんか?」

「ん、だいじょうゥッ、ぐ!」

「あ、わわ、すみません、もうちょっと優しく塗りますね」

「弥太郎、この薬はしっかりと塗り込まないと効果が十全に発揮されません。もっとこう力を込めて塗るのです」

「あいたたッ!? ちょ、まてまて、もう少し手加減を」

「聞く耳もちません」

「待っ……ぬわーーッ!?」

「か、加倉様、かくらさまーッ!?」



 と、まあそんな感じの治療であった。軒猿御用達の傷薬は確かに効き目があったようで、傷口から発する熱と痛みが短時間でおどろくほど薄れていく。

 当然ながら、完治には時間がかかるだろうが、少なくとも夜中に傷でうなされることはなさそうだった。



「でも、段蔵、もうすこし優しく出来ないの?」

「十分優しくしています、弥太郎。里の者が今の私を見たら、驚くに違いないほどに」

「……そうなんだ」

「そうなんです」



 痛みはおさまったものの、つい先刻までの治療の影響で声も出せない俺は、寝具に身体を横たえて聞くともなく二人の会話を聞いていた。

 体格も性格も正反対の二人だが、それゆえにこそ惹かれるものがあるのか、弥太郎と段蔵の関係はとても良さそうだ。

 段蔵が弥太郎に向ける言葉は、時に無愛想ではあったが、俺に向けられるそれとは比べ物にならないほど穏やかである。

 俺にももう少し優しくしてほしいが、それを言うとますます厳しくなりそうなので黙っておこう。



 ふと思う。

 小島弥太郎と加藤段蔵。

 この凸凹コンビを配下にした俺は、たぶん恐ろしく運が良い。それも諸国の大名がよだれをたらすレベルで。

 だが、その運の良さにあぐらをかいている暇はない。二人に暇乞いをされることがないよう、俺自身も精進を重ねなければなるまい。それは結果として景虎様の助けにもなるはずだ。



 対武田家の戦略を練り、一方で部下たちに教練でしごかれるという、色々な意味で大変な俺の四ヶ月がこうして幕を開けた。



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