第二話 越後の暗君
「ほほう、加倉相馬、か。下民にしては大層な名じゃの」
そう言って、眼前の女性はかしこまる俺に気だるげな目を向けた。
華美な衣装、派手な装身具が不思議と良く似合う人である。
年の頃は二十代後半くらいだろうか。だが、濃い化粧のせいでそのあたりは判然としない。もっと若いようにも見えるし、逆に三十を越えていると言われても納得してしまうかもしれない。
容姿を見れば秀麗と言ってもよいのだが、過度の飲酒と不摂生のせいで身体に締まりがなく、動作の端々に退廃的な雰囲気がにじみ出ている。
眼を啓いて正装すれば、辺りを払う気品を感じさせるに違いないのに惜しいことだ。
向こうにしてみれば、余計なお世話以外の何物でもないだろうが。
この人物、名を長尾晴景という。
身分は越後守護代。名のみの存在となった越後守護に優るこの国の支配者である。
評判は芳しいものではなかった。
政道をかえりみず、歌舞音曲に耽溺し、自身を飾り立てるために多くの金銀を費やす。
それを批判した者は君側から退けられ、代わりに阿諛追従の輩が周囲に侍る。
これで評判がよかろうはずがない。
越後は領内に金山や穀倉地帯を抱えており、また長尾家は晴景の父 為景の代には隣国の越中にまで領土を持つ大家だった。
したがって春日山城の府庫に蓄えられた財貨はかなりの量にのぼる。
だが、それらは決して無限の富ではない。浪費するばかりの晴景の施政が続いた長尾家が財政難におちいったのは当然の帰結であったろう。
そこで浪費を改めれば、まだ取り返しはついたかもしれない。
だが、晴景はなおも益のない浪費を続けた。晴景の浪費を補うために長尾家の税率は上がり続け、領民は過酷な収奪に苦しみ、喘いだ。
彼らの怨嗟の声はすでに春日山の城下を覆いつくしており、城内に及ぶのも時間の問題だった。
そんな晴景であるが、父為景の後を継いだ当初の評判は決して悪いものではなかった。
有能ではあったが苛烈な気性で恐れられた為景と違い、晴景は国人衆にも礼儀を尽くし、民心に留意し、人望によって支えられる守護代の道を歩くかと思われた。
だが、武を尊ぶ長尾家にあって、温和さは軟弱さととらえられ、慎重な判断は優柔不断なものと断じらた。それらの評価には晴景が女性であることへの偏見や蔑視も含まれていたであろう。
晴景の必死の努力にもかかわらず、長尾家の統制力は越後国内で減少の一途をたどっていく。
為景時代からの家臣であり、晴景の側近といわれていた黒滝城主 黒田秀忠が謀反を起こしたのはそんな時であった。
当初、黒田氏の謀反は早期に決着がつくものと思われていた。衰えたりとはいえ、長尾家は守護代として越後全土に影響力を有している。
一方の黒田氏はたかだか一城の主であるに過ぎぬ。手勢の数も限られており、討伐に赴いた長尾軍の勝利は確実であるはずだった。
ところが、である。
討伐に赴いた長尾軍は黒田軍を相手に大敗を喫してしまう。
この戦いにおいて、知略に優れた黒田秀忠はいくつもの策を施しており、それは間違いなく戦を有利に進める力となった。
ただ、実のところ、その細工がなくとも長尾軍は敗れていたであろう。
その理由はただ一人の敵将に求められる。
柿崎和泉守景家。
越後随一の豪傑と謳われ、また文にも明るいと評判のこの猛将の突撃の前に、長尾軍は緒戦から散々に蹴散らされてしまったのである。
景家と景家率いる三百騎の騎馬隊は戦場に累々たる屍の山を築き上げ、そこから流れ出した血の量は川のごとしであったという。
この時代、守護ないし守護代は絶対の君主ではない。各地の豪族の、いうなれば旗頭として相対的に上に立っているに過ぎず、指揮権の統一もなされていないことがほとんどだった。
簡単にいえば、参陣した豪族が「帰る」といって退却してしまえば、指揮官はそれを止めることができないのである。
そこをいかに束ねるかが指揮官の器量の見せ所といえるのだが、あいにく晴景にその器量はなく、また諸将もそんな晴景のことを知っていた。
このため、柿崎勢に蹴散らされた長尾軍は、帰る者、留まる者、進む者、それぞれの部隊が勝手に判断し、勝手に行動したため、四分五裂の状態に陥ってしまう。
この好機を逃す黒田秀忠ではなく、本隊を動かして長尾軍に痛撃をあたえることに成功する。これがとどめとなった。
逃げ帰った晴景は堅城と名高い春日山城に篭り、報復の軍を起こそうともしなかった。
この醜態を目の当たりにした国人の心は、以前にもまして春日山を離れてしまい、黒田氏に誼を通じる者は後をたたない有様。
その状況を知りながら、現実から目を逸らすようになおも無益な蕩尽を続ける晴景。
春日山長尾家の命運は尽きたと、国人衆のみならず直属の家臣でさえそう考えていた。
そんなときである。
一つの知らせが春日山に、そして越後全土に轟きわたった。
――黒滝城陥落。城主 黒田秀忠、自刃。
それは誰もが予期せぬ知らせであった。
それはそうだろう。守護代の軍勢を撃破し、意気軒昂たる黒田勢が一夜にして滅亡するなど誰が予測できるというのか。
あまりの驚愕に言葉を失った越後の武者たちは、驚きが去った後、皆いちように同じ問いを発した。
黒田秀忠を討ち取った者は何者なりや、と。
こうして人々はその名を知るにいたる。
栃尾城主 長尾景虎の名を。
◆◆
「なるほど、そんなことがあったんですね。教えてくださってありがとうございます」
俺は近年の越後の騒乱を教えてくれた下男に礼を述べた。
長尾景虎の名を口にした下男の顔には隠しきれない敬慕の色が浮かんでいる。
聞くかぎり、謀反を起こした黒田家を制した手腕は水際立ったものであり、人々の期待はしごく当然のものであった。
たとえ景虎様が二十歳に満たない乙女であるとしても――いや、乙女であるからこそ、人々の熱は高まる一方なのだろう。
いまや長尾景虎の声望は越後国内を覆い尽くしていた。
だが、むろんというべきか、この現状を面白く思わない者もいる。
その筆頭が実の姉である晴景様であるというのが、何とも皮肉な現実だった。
晴景様が完膚なきまでに叩きのめされた相手に対し、妹である景虎様がいともたやすく勝利してのけたのだ。姉としても守護代としても面目丸つぶれである。
その現実を許容できるだけの度量を、残念ながら晴景様は持っていなかった。
「このままだと、姉妹対決になりかねない、か」
俺の知る歴史でも晴景様と景虎様は家督をめぐって争っている。
このままだと、それはこの世界でも繰り返されることになりそうだ。
何とかその事態を回避できないだろうか。俺は眉根を寄せて考え込んだ。
正直、十日前なら長尾家の家督争いなんて他人事だった。だが、今の俺にとってはそうではない。
あの日。
荒くれ者たちに暴行を受けていた俺を助け、さらに城で手当てまでしてくれたのは晴景様だった。
本人曰く「気紛れじゃ」とのことだが、たとえそうであっても命を救われた事実は事実。
しかも、晴景様は俺に仕事と住む場所を提供してくれた。
あのままこの世界をさまよっていたら、遠からず野垂れ死んでいただろう。晴景様は二重の意味で俺の命の恩人なのである。
なお、今の俺は春日山城に籍を置く晴景様の御伽衆(相談役)の一人となっている。
大きな声ではいえないが、暗君と名高い晴景様がどうしてここまでの大盤振る舞いをしてくれたのか、俺にはさっぱりわからない。
あるいは、ひそかにこういったことをして人材を集めていたりするのだろうか。そう思って周囲の人に訊ねてみたが、そんなことはこれまでなかったという。
「わからん」
俺は首をひねるしかなかった。
ともあれ、肥溜めの近くで寝泊りしていたことを考えれば、今の環境は天国に等しい。それを与えてくれた晴景様にはどれだけ感謝しても足りない。
恩義に報いるためにも、何とか妹君である景虎様との衝突を回避しようと務めた。
御伽衆はいわゆる相談役であるが、当然ながら俺のような氏素性の知れない新参者が国政に携わる枢機に参画できるはずもない。せいぜい晴景様の無聊を慰める話をするくらいである。
それも毎日呼ばれるわけではない。御伽衆は俺のほかにもたくさんおり、その中には容姿や頭脳、話術に優れた者がいくらでもいた。俺などは下っ端の、そのまた下っ端程度であった。
それでも呼ばれた時は頑張った。
一ヶ月以上に及んだ放浪生活を面白おかしく語り聞かせる一方、晴景様の行状を改めてもらうべく頭を捻って風諌の辞を呈す。直諌などしようものなら、下手すると俺の首が飛んでしまうので、このあたりは本当に気をつかった。
俺が晴景様に伝えたかったのは、景虎様との関係を良くすることが春日山長尾家の安泰の道である、ということ。
そもそも、景虎様が黒滝城を落としたのは姉である晴景様のためであり、その功績を嫉んで敵にまわすなど愚の骨頂。
晴景様手ずから景虎様を褒め、今後の奮闘を期待すると伝え、姉妹で手をとりあった方が良いに決まっている。
そうすれば情に厚く義を尊ぶと噂の景虎様のこと、喜んで姉君のために刀を振るってくれるだろう。
そもそも、守護代たる身に武将としての力量は不可欠のものではない。あるにこしたことはないが、戦は景虎様に任せ、晴景様は政治に専念するというのも守護代としての一つのあり方であろう。
そのように晴景様に説いたのは俺一人ではない。
それどころか、心ある家臣の多くは晴景様にそう進言していた。
だが、晴景様はその進言を取り上げようとはしなかった。それどころか進言がされるたびに眉間にしわを寄せ、不快をあらわにし、ついにはそれを口にしようとした者の顔に酒盃を投げつけることまでした――ちなみに、投げつけられたのは俺なわけだが。額がぱっくりと割れて、洒落にならないくらい血が出て焦りましたよ、ええ。
城の典医さんに治療してもらって事なきを得た俺は、やれやれと胸をなでおろした。
そして翌日、さすがにばつが悪そうな晴景様の前に進み出て同じことを口にしたら、晴景様の唖然とした顔が見られた。
「普通、そこまでやられれば口を噤もうとするものじゃろうに……」
とは半ば呆れた様子の晴景様の台詞である。
この態度でもわかると思うが、晴景様は決して暴虐の性質ではない。善良かと問われれば目をそらすしかないが、臣下を傷つければ罪悪感を覚えるくらいの良識は持ち合わせている。
おそらく、黒田秀忠が謀反を起こす以前の晴景様は、こちらの面がより表に出ていたのだと思う。
この一件以降、申し訳なさも手伝ったのか、俺の意見にも多少は耳を傾けてくれるようになった。
もっとも、耳を傾けてはくれても、実践してくれたわけではない。
晴景様の行状は相変わらずであり、家臣や国人たちの心は一日ごと、一刻ごとに春日山を離れ、栃尾に寄せられていった。
その現状がまたいっそう晴景様の自尊心を傷つけてやまず、晴景様の勘気は城内、城外、あるいは家臣や領民、国人を問わず、いたるところで爆発した。
それを聞いた人心はますます晴景様から離れていき……負の連鎖はもはやとどめようがないように思われた。
そして、俺が春日山に来てから一月あまり。
決定的事件が起きてしまう。
黒滝城陥落後、沈黙を保っていた柿崎景家が再び謀反を起こしたのである。それも栃尾城主である長尾景虎の配下につくことを宣言した上で。
この挙によって、それまで水面下で行われていた諸勢力の動きが一気に表面化する。
これまで景虎様は晴景様の臣下である立場を崩さず、家督を争う素振りを見せなかった。
それが柿崎の宣言によって一気にひっくり返ってしまったのだ。
柿崎の宣言が栃尾と綿密に打ち合わせた末のものなのか、あるいは柿崎の独断なのかはわからない。
だが、柿崎ほどの猛将が公然と景虎様を旗印として謀反すると宣言したのだ。その影響力は計り知れない。
柿崎の行動はそのまま栃尾城の独立宣言であると受け止められた。
当然、その報を聞いた晴景様は激怒した。
そばにいた俺の背筋が震えるほどの深甚とした怒りの表情を浮かべた晴景様は、ただちに栃尾城に使者を出した。景虎様を詰問するためであろう。
だが、柿崎景家の動きは春日山側の予測をはるかに越えるものだった。
自身の宣言が十分に越後国内に浸透したとみるや、間髪いれずに春日山に向けて軍を発したのである。
柿崎の離反、栃尾臣従、そして春日山への進軍。
打ち続く凶報は、ただでさえ揺れ動いていた春日山長尾家の人心を崩すには充分すぎる出来事であった。
それまで、落ち目であると知りながらも春日山に従っていた者たちの多くが晴景様を見限った。
攻め寄せるのは猛将柿崎景家。そして、間違いなく栃尾城の長尾景虎も出てくるだろうと思われたからである。
いずれか片方だけでも手に負えないのに、この両者が攻め寄せて来るとなれば、命大事、御家大事の者たちが逃げ出すのは当然のことであったろう。
迫り来る柿崎勢に対抗するため、晴景様は越後各地の国人衆に動員を命じたが、春日山に参上しようとする者は一人としていなかった。
ほとんどの国人衆が領内の防備などを理由に参戦を拒否し、中には使者を捕らえて栃尾城に突き出す者もあった。
もはや守護代の権威など笑い話の種にしかならない状況であった。
結局、春日山がかき集めた兵力はわずか五百。それも、小者や下男まで含めた上でのことである。
名のある将は一人としておらず、総指揮を委ねるべき者を見つけることも難しい。
晴景様自らが出るしかないと思われたが、先の戦いで柿崎勢の勇猛に蹴散らされた記憶が生々しい晴景様に出陣という選択肢はない。
結果、春日山城で開かれた軍議は初手からつまずくことになった。
◆◆◆
「えぇい、忌々しい! 柿崎はおらずとも斎藤はどうした!? 本庄、色部、北条らは何故来んのじゃッ! 守護代たる身を軽んじおって、戦が終わりし後はただではおかぬぞ!」
晴景の怒声が軍議の間に響き渡ると、皆、平伏して一言も発することが出来なかった。
だが、それも仕方のないことだろう。この場にいる武士は中堅以下の身分の者ばかり。常であれば、軍議に参加できるような者たちではないのである。
晴景は城に残った者の中で位が上の者をかき集めたのだが、その結果がこれであった。
改めてこの場に集った者たちを見た晴景は、さすがに寂寥を感じざるを得なかった。
はっきり言って、ほとんど見覚えがない顔ばかりなのだ。
今の春日山城には、先年まで晴景と顔を合わせることさえ出来ない程度の武士しか残っていない。その厳然たる事実を突きつけられ、扇を握る晴景の手がわずかに震えた。
「――まあ、良い。だれぞ、意見はないのか。愚かしくも守護代たる妾に逆らい、攻め寄せてくる謀反人どもを血祭りにあげるのじゃ。今、手柄をあげれば地位も恩賞も望みのままよ。名を上げ、家名を高めるにまたとない好機じゃぞ」
晴景は武士たちの功名心を鼓舞しようと試みるが、誰も意見を出そうとはしなかった。隣の者と視線を交わし、力なく視線を落とす者ばかりである。
攻め寄せる柿崎の先手は三百。数の上では春日山が上回るが、兵の質を見れば違いは歴然としていた。
数々の戦で負けを知らぬ柿崎の黒備え。先の黒田攻めでも、数にして五倍を越える長尾軍を蹴散らした歴戦の騎馬部隊。
勇猛なること無比とうたわれる柿崎の精鋭に対し、味方は小者、下男にまで武器を持たせて、ようやくかきあつめた五百の軍。文字通りの烏合の衆だ。
これでどうやって越後最強の部隊と渡り合えというのか。
武士たちが言葉を発しないのは、ある意味で彼らが最低限の現状認識が出来るだけの力量を有することの証明であった。
勝ち目などない、とわかっているのである。
そして、それでもなお城に居残った事実に彼らの忠節が感じられるはずであった。
しかし、晴景はそこまで察することが出来ない。
不甲斐ない配下への憤りと、迫る破滅への足音に心身を圧迫された晴景は苦しげに息を吐く。
自身で出陣はできぬ。配下に任せることもできぬ。妹に降伏することなど、なおできぬ。
追い詰められた心が悲鳴を上げ、たまりかねた晴景は何度目かの叱声を放とうとした、そのとき。
ふと。
この場にあって、諦観もなく、動揺もせず、泰然と座る者の姿が晴景の眼に映った。
その者の額に生々しく残る傷跡が、晴景にその者の名を思い起こさせる。
――加倉、相馬。
知らず、晴景はその名を口にしていた。