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聖将記  作者: 玉兎
第二章 宿敵
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第十五話 武田襲来


 日本海に接する越後から南に下ると、山緑深き信濃の国にたどりつく。

 信濃は山並みが幾重にも重なって複雑な地形を形作っており、その天険を利して幾人もの小領主が覇を競っている状態であった。

 北信濃の村上氏、高梨氏、南信濃の小笠原氏、木曽氏らの名が知られていたが、いずれも群小の勢力の中で相対的に優位を保っているに過ぎず、信濃全土を統べるだけの器量才幹を有する者は長く現れなかった。



 だが、近年、長きにわたって不変であった信濃の勢力図に大きな変化が起こりつつあった。

 変化の源は信濃の南東に位置する甲斐の国。

 代々、この地の守護職を務める甲斐武田氏は、新羅三郎義光を祖とする清和源氏の嫡流にあたる由緒正しき武門の家柄である。

 そして現在、その甲斐武田氏を率いる者の名を武田晴信という。



 よわい二十に満たぬ女性の身ながら卓越した文武の才を有し、圧政をしいていた父信虎を追放して守護職につくや、たちまちのうちに甲斐国内を掌握する。

 次いで、父子抗争を好機として攻め込んできた信濃の諏訪氏、小笠原氏らから成る連合軍を国内に誘い込み、退路を遮断した上で撃滅した。

 これに勢いを得た晴信は、時をおかずに信濃へ侵攻。

 直前の甲斐侵攻戦で当主と軍の主力を失っていた諏訪氏は、この武田の侵攻になす術なく屈服する。父信虎が念願としていた信濃進出をいともたやすく成し遂げた晴信は、さらに余勢をかって小笠原氏の居城林城へ侵攻、これをも陥落させる。



 信濃守護職である小笠原家当主長時(ながとき)はかろうじて城から脱出するも、従う家臣もなく、ひとり北信濃の村上氏を頼って落ち延びねばならなかった。

 かりそめにも一国の守護職である小笠原氏の居城に侵攻した武田の暴挙に対し、信濃のほとんどの国人衆は憤激し、同時に武田のあまりに鮮やかな勝いぶりに脅威を覚えた。

 その怒りと怯えが村上氏を中心とした信濃国人衆の団結へとつながり、ここに信濃の地を巡る甲斐武田氏と信濃国人衆との戦いが幕を開けることになる。



 だが、この戦いもまたあっさりと決着がついてしまう。信濃側の完敗という形で。

 もともと武田兵は信虎時代から強兵として知られている。くわえて、当主の晴信の武威は信濃の山野で安穏としていた者たちが容易に対抗できるものではなかった。

 武田軍は信濃国人衆の必死の抵抗を、虎が卵を踏み砕くがごとく粉砕し、次々にその領土を広げていく。



 当初、武田軍は軍を二つに分けて南北両信への侵攻を行っていたが、南信濃の木曽氏が晴信に降伏したことにより、戦力を北信濃へ集中させることが可能となった。

 それまで押されながらもかろうじて武田軍の侵攻を食い止めてきた村上、高梨らの信濃連合軍は、圧力を増した武田軍の猛攻の前に敗北を重ね、ついには盟主である村上義清の居城である葛尾城さえ陥落してしまう。



 当主義清はかろうじて城から逃れ、残兵を率いて北へ向かう。

 これを追うのは当主武田晴信自らが率いる一万二千の大軍。

 晴信は今回の出陣によって信濃を巡る攻防に終止符を打つ心算であり、その晴信の決意を示すかのように、軍中には武田家の文武の精髄ともいうべき武将たちが勢ぞろいしていた。



◆◆



「――そうですか。義清は旭山城へ篭りましたか」



 報告を聞いた武田晴信は手に持った軍配を小さく揺らす。

 その晴信の眼前で、志願して物見に赴いた人物がかしこまって告げた。



「はい。敵勢の内訳は騎馬二百、徒歩三千。されど武士は一人もなしと見受けました。御館様、なにとぞ、私めに先鋒をお命じ下さいませ。信濃の国人衆に武田の武威を知らしめてやりとう存じます!」



 そういって頭を垂れた武将の名を武田信繁(のぶしげ)という。当主である晴信の四歳下の弟にあたる。

 まだ少年といってもよい年齢ながら、すでに文武の令名高く、晴信が出陣していない戦場では総大将を任されることもしばしばある。



 目元涼しく鼻梁は高く、性格は温和で礼儀正しい。武勇に優れ、古典に通じ、詩や和歌も巧みにこなす。およそ欠点というものがない信繁をいたく可愛がっていた先代信虎は、一時いっとき信繁を後継者に据えようと考えていた節がある。

 信繁より上の子供が長女の晴信しかいなかったこともあり、この信虎の意向に賛同する家臣も多かった。



 だが、信繁本人は自身の才が姉に及ばぬことを承知しており、後継者の席に色目を見せずに常に姉を立て、自身をその下に置いた。

 そんな信繁であるが、いざ戦場に出れば疾風迅雷、長大な槍を縦横無尽に振り回し、敵陣に突っ込んで鮮血の雨を降らせる活躍をみせる。その勇猛な戦ぶりは、智将、猛将が列座する武田家にあってなお尊敬の対象となるものであった。

 ……ときに勇猛がすぎて敵陣に深入りしてしまい、晴信からお叱りの言葉を受けるのは愛嬌というものであったろうか。



 この時も信繁は姉の下にあって存分に武勇をふるっており、このまま村上勢を信濃から駆逐せんと意気軒昂であった。

 ただ、そのように望んでいたのは信繁ばかりではない。

 この場にはもう一人、先陣を駆けて不敗を誇る猛将がいた。



「あいや、お待ちくだされ。先鋒は武人の栄誉。いかに信繁様とて、そう簡単に譲って差し上げるわけには参らぬ」



 低く重々しい声が信繁の請願に待ったをかける。

 ほりの深い精悍な顔立ちといわおのごとき体躯が印象的なこの人物、名を馬場美濃守信春という。年齢は三十五。武田家にあって猛将とは誰かと問われれば、真っ先に信春の名が挙げられるだろう。

 常に兵士の先頭に立って敵中に突撃する勇敢さ、にもかかわらずこれまでに参加した三十余の合戦で一度も手傷を負っていないという剛勇ぶりから「不死身の鬼美濃」とも渾名あだなされる。

 もとは教来石きょうらいし氏という小領の豪族に過ぎなかったが、その武勇を晴信に認められ、武田譜代の名家である馬場家を継いだという経歴の持ち主である。



 この信春の主張に対し、信繁は何事か口にしかけたが、それに先んじて口を開いた者がいた。

 わらべのごとき小兵こひょうの男性は、軽やかな口ぶりで言った。



「ふむ、御一門である信繁様に先鋒を任せては、武田の家臣は主君の弟御を押し立てて、その背に隠れる卑怯者よと世人に笑われよう。かというて、毎度毎度信春が先鋒を務めれば、武田に馬場以外の将はおらぬのかと、これまた笑われよう。というわけで、間をとってわしが先鋒を務めるというのはどうであろう?」



 山県三郎兵衛(さぶろべえ)昌景。そのせい沈着にして、およそ物に動じるということがない武田家臣団の宿将である。

 必要とあらば礼儀も教養も表に出すが、普段は飄々として同僚をからかいのたねにする一面を持っている。

 いちおう武田家臣団の中で最年長ではあるのだが、体格は子供のように小さく、顔にも老いを示すものがないため、昌景を知らない者にはなかなか信じてもらえない。

 言うまでもないが、幼く見えるのは外見だけであり、いざ戦となれば信繁、信春におさおさ劣らぬ働きをしてのける。ことに戦場で兵を進退させることに関しては、主君晴信でさえ昌景には一歩譲るのではないかと囁かれていた。



「これはしたり。武田家に山県昌景ありとの評を知らぬ者が甲信の地に一人とておりましょうや。それがしが幾度先鋒を務めようと、馬場以外に人なしなどという評が立つはずがありませぬ」



 だから先鋒は自分に譲れ、と信春が言外に訴える。

 信繁もそうだそうだとうなずいている。



「ふむ、残念、反対されてしもうたか。それでは古式にのっとり多数決で決めるとしよう。虎綱は誰が先陣にふさわしいと考える?」

「私にふらないでください。どなたに票を投じても残りの二人に恨まれるじゃないですか。そもそも先陣をどなたが務めるかは御館様がお決めになることです」



 そう言ってささっと火の粉を避けた者の名は春日かすが虎綱とらつな

 農民上がりの身ながら、その才知に目をかけた晴信に近習として召抱えられ、この場に席を与えられるまでに出世した逸材である。

 農民という出自、さらに武田重臣の中では唯一の女性であることも手伝って、軍議の場で目立った発言をすることは少ない。目上の意を汲む才に長け、一方で同僚の反感を買わない所作も会得している虎綱なりの処世術である。



 虎綱にうまくかわされた形の昌景は、それでは最後の一人に意見を聞いてみようとこうべをめぐらした。



「それでは次に昌豊まさとよに……はて、あやつはどこへいった?」

「今しがた配下の方に呼ばれて退出されましたよ。御館様にきちんと挨拶されていたではないですか」

「なんと。まったく気付かなんだぞ。知りがたきこと陰のごとくとは、まさにあやつのことであろう」

「……それ、ご本人に言っては駄目ですよ? 影が薄いこと、気にしてらっしゃるんですから」



 虎綱がため息まじりに言及した者の名は内藤修理亮(しゅりのすけ)昌豊。

 政治にも軍事にも手堅い力量を有する武将であり、昌景などは「あやつが副将のときは、わしは何もする必要がない」と諸事における手際の良さを褒め称えている。

 ただ妙な影の薄さと間の悪さを持っていることも否定できず、しばしば悪意のないからかいの対象にされ、当人もそれを気にしていたりする。



「ふむう、知ろうとて知られぬは武将として真に得がたき資質。夜討ち朝駆けし放題ではないか。わしなどから見ればうらやましい限りなのだがなあ」

「ぜひご本人にいってさしあげてください」

「そうさな、この戦が終わったら共に勝利の美酒を飲むとしよう。その際は勘助、おぬしも付き合え」



 昌景が声をかけた先には黒々とした影がわだかまっていた。

 よく見れば、それは黒一色の衣服を着た男性だと分かるのだが、曲がった背、潰れた片目、落ち窪んだ顔に陰気な表情、その他あらゆる部位がその人物に暗い印象を投げかけていた。

 身長自体は昌景よりも高いのだが、常に胸を張って堂々と歩く昌景に対し、背を丸め、腰をかがめるようにして歩く勘助は実際の身長よりも小さく見られるのが常であった。



「承知つかまつりました」

「おうよ。それで勘助、先陣についてだが、おぬしはどう考える?」

「御三方、同時に進まれるがよろしいかと」



 陰気な外見に比して勘助の声は明晰であり、それ以上に頭脳は明哲である。

 昌景の問いにあっさりと応じた。

 それを受けて昌景は腕を組む。



「三人同時。ふむ、たしかに先陣を駆ける者が一人と定められているわけではないな」

「御一門の信繁様、猛将と名高き鬼美濃殿、そして家臣団筆頭たる三郎兵衛さぶろべえ殿。武田家が誇る勇武の三将が一斉に攻めかかれば、ただそれだけで信濃衆は崩れましょう。もとより敗戦続きの者ども、士気が高かろうはずもなく、攻めに攻めて旭山城を抜くが得策と存ずる」



 それを聞いた者たちは小さからざる驚きに打たれて勘助を見た。

 智謀をもって晴信に仕える小兵の軍師は、こと戦に関しては慎重居士しんちょうこじ。常に無理を嫌い、勝つにしても完勝は敵に恨みを残すゆえ六分の勝ちこそ至上と断言する。

 そんな勘助が犠牲覚悟の強攻を推したことを意外に思ったのである。



 それまで黙って諸将のやり取りを聞いていた晴信もまた、訝しげに目を細めた。

 が、すぐに勘助の意中を察したように持っていた軍配を一振りする。



「城を包囲すれば犠牲少なくして勝ちを掴みえる。だが、それでは不都合が生じるということですね――越後に放った諜者からの報告、届いたのですか?」

「御意。つい先刻、届きましてございます」

 勘助の言葉に昌景が呆れたように口を開く。

「ならば早く申せばよかろうに」

「申し訳ございませぬ。いささか予想外の報告でありまして、真偽のほどを確認していたのでござる」



 勘助は晴信の前にかしこまる。

 居並ぶ諸将も表情をあらためて軍師の報告に耳をそばだてた。



「越後における争乱、はや鎮まったとのことでございます。春日山城にて上杉定実が守護職に復権。その下に各地の国人衆が集い、新しい統治体制がすでに動き始めているよし

「――ほう」



 勘助の報告を聞き、晴信の目に鋭い光がはしった。

 いぶかしげに口を開いたのは春日虎綱である。



「先の報告では、越後は二つに分かれて争っていたはずです。これほどの短時日で国内統一が為されたというのですか?」



 虎綱の疑問に同意するように信繁、信春らが頷いた。

 北信濃の国人の中には越後と深い関わりを持つ者が少なくない。

 旭山に篭る将の一人である高梨氏などは春日山長尾家と縁戚関係にある。北信を巡る抗争に越後が介入してくる可能性は常に存在した。

 それゆえ武田家はかなり早い段階から越後に諜者を放っており、越後騒乱の発生もいちはやく察知していた。

 今回、晴信が一万を越える大動員を行ったのは、越後の内乱に乗じて一挙に信濃の領有権を固めてしまおうという思惑あってのことであった。





 万端の準備を整えて北信濃に侵攻を開始した武田軍の下に、越後国内の争いの激化が伝えられたのは先日のこと。守護代長尾晴景と、その妹景虎の争いは越後を二分する規模に発展し、どちらが勝とうとも、しばらくは他国に手を出す余力は残らないと推測されていた。

 だが、その内乱がはや終結してしまったという。武田家にとって看過できることではなかった。



「勘助、説明なさい」

「御意。報告によりますれば――」



 勘助の口から語られる越後騒乱の顛末てんまつ

 戦とは、互いの兵力を正面からぶつけあうことと信じる者たちが多数を占める中で、越後で繰り広げられたそれは明らかに毛色が違っていた。少なくとも、この場にいる者たちはそれを感じ取ることが出来る者たちだった。



「ほう、まるでからの戦でも聞くような。越後守護代の長尾晴景、暗愚との噂があったが、爪を隠した鷹であったのか」



 昌景がひげのないあごをさすりながら感心したように言う。

 これを受けて信春が腕をしながら口を開いた。



「それがしとしては、山越えで春日山城に達した長尾景虎殿の用兵に関心がありまする。兵は神速を尊ぶ。景虎殿が相手ならば良き戦ができましょう」



 各自が感想を述べていく中、さらに勘助の説明は続く。

 中でも諸将を驚かせたのが、新たな越後の統治体制の首座に座った者の名が出た時であった。

 越後守護上杉定実。これはすでに聞いた。問題はその下、越後守護代に長尾政景が座ったことである。

 信繁が驚きをあらわにした。



「長尾晴景殿の居城を陥としたのは長尾景虎殿であり、その晴景殿が病で倒れられた。ならば、景虎殿が新たな守護代となるのが至当というもの。守護職に上杉氏をいただくのは傀儡ということで理解できますが、肝心の守護代の地位を他者に譲るとは、どういうことですか?」

「守護、守護代、いずれも景虎自らが出馬を請うたらしゅうござる。若年の身をはばかったのか、あるいはこれ以上守護代の地位をめぐる争いが長引かぬようにとの思慮か。いずれにせよ、実質的な勝者である景虎が一歩も二歩も引き下がったため、他の国人衆も口を封じられた形で、上杉定実殿の復権を認めざるをえなかった由。この行いにより、景虎の越後での声望はいやが上にも高まっておるようで、その人望は朝野を覆いつくす勢いだとか」



 勘助の報告に晴信は薄い笑みを浮かべた。

 だが、それは心温まる類のものではなく、見る者に刃物の煌きを感じさせるものだった。



「守護代の名より国民の声望という実を取りましたか。計算の上か、あるいはただの律義者か。そこはどう見ます、勘助?」

「おそらくは後者かと」

 主君の問いに、勘助はあっさりと言い切った。

「景虎は元々神仏の信仰厚く、みずからを毘沙門天に重ねている由。その性向は濁りなき清流のごとし。配下の将兵、越後の国民くにたみ、みな景虎を指して軍神と称え、心服する者は数え切れぬとのこと」



 与板の直江、琵琶島の宇佐美、栃尾の本庄らが心魂を傾けてこれを補佐している。表面上はどうあれ、今回の戦の勝利によって景虎の権威はほぼ確立されたと見て間違いない。

 それが勘助の意見であった。

 晴信はゆっくりと頷く。



「そうですか。ただの律儀者であれば、損得を考えずに信濃の国人衆に加担するでしょうね」

「御意。旭山の信濃勢に越後の兵が加わるとなると、少しばかり厄介でござる。旭山以南の支配権を固める意味でも、ここは信濃の地にもう一楔ひとくさびうっておくべきと存ずる」



 勘助の言葉に武田の誇る精鋭たちの首が一斉に縦に振られた。

 もともと戦って負けを知らぬ武田軍にあって、先頭を駆け続ける武将たちである。普段の性向の違いはあれど、必要な時、必要な場所で発揮する資質の高さは信濃の国人衆の追随を許すものではない。



 晴信はそんな家臣たちを頼もしげに見渡す。

 晴信と、その父信虎が甲斐の主権をかけて争った、いわゆる『躑躅ヶ崎の乱』において、晴信は重臣であり守り役でもあった板垣信方、昌景の兄である飯富虎昌、軍略の師であった甘利虎泰、夜叉美濃と他国にまで武名を轟かせた原虎胤らの宿将をことごとく失うに至った。

 このほかにも、父、娘いずれに付いたかを問わず、武田家は数多くの有能な家臣を失い、その人的資源は壊滅的ともいえる打撃を受けた。



 武田家の歴史に血文字を以って記される悪夢の出来事。

 その躑躅ヶ崎の乱からまだ数年しか経っていない。

 にもかかわらず、これだけの将をそろえた晴信の眼力、度量、人材収拾に費やした熱意、いずれも見事としか言いようがなかったであろう。

 その誇るべき家臣たちを前に、武田家第十九代当主は涼やかな声で命令を発した。



「武田信繁、馬場信春。二人は先鋒となって旭山城に到る道を確保、我が本隊の到着を待って総攻めを行いなさい。信繁、深入りはなりませんよ」

「はッ!」

「承知いたしました!」



「山県昌景、春日虎綱。昌景は右翼、虎綱は左翼を指揮し、旭山城を取り囲みなさい。先鋒両隊が攻撃を開始するのを合図に二人も城攻めに加わるのです」

「承知」

「かしこまりました」



「勘助は私と共に本営に」

「御意のままに……」

「内藤昌豊。そちは直属の部隊を率いて、敵の退路をやくしなさい。前方と左右から攻め立てれば、敵が後ろに退くは必定。逃走する敵をことごとく討ち取るのです」

「御意」



 いつの間にか場に戻っていた昌豊がしっかとうなずく。

 その昌豊に晴信は一つの命令を付け加えた。



「期待していますよ。ただし――」

「は?」

「誰でもよい、敵将一人は見逃しなさい」



 その晴信の言葉に対する反応は二つに分かれた。

 意味を解しかねて怪訝な顔をする者。その深慮を悟り、しずかに頷く者。

 晴信はさらに言葉を続けた。



「景虎とやらが勘助の言うとおりの人柄であれば、助けを求める者の頼みをむげにすることはないでしょう。必ずやこの信濃に兵を発するはすです。我らと越後はいささかの怨恨もない。その我らに兵を向けるは越後勢の侵略にほかならず。このことは近い将来、越後に兵を入れるための良き口実となることでしょう」



 かつて躑躅ヶ崎の乱で信濃勢の侵攻を誘った時のように、とは口に出さぬ。

 だが、ここまで語れば晴信の意図は六将には明らかであった。

 晴信の視線は信濃にとどまらず、遠く越後にまで及んでいる。武田家の諸将はそのことを悟り、畏敬の念も新たに等しく頭を垂れた。

 ここに武田軍団は、信濃統一に向けた最後の戦いに足を踏み出したのである。




 ――それは信濃の国が武田の『四つ割菱』の紋に埋め尽くされる前日のこと。

 その馬蹄の轟きは日を経ずして越後に届けられることになる。



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