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聖将記  作者: 玉兎
第一章 邂逅
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第十三話 戦い終わって


 春日山城の戦いは終わった。

 城は景虎様の手に落ち、俺は捕虜となった。

 まあ捕虜とはいっても敵方の指揮官であり、なおかつ景虎様を焼き殺そうとした者の末路なぞ死刑以外にありえない。

 そう思っていたのだが。



「縄でがんじがらめにされるのはもちろん、その場で首を刎ねられる覚悟もしていたんだけどな」



 困惑しつつ部屋の中を見渡す。

 室内には俺一人しかいない。さすがに襖の向こうには見張りの兵士が二人ばかりいるようだが、捕らえた敵将の監視体制としては甘いとしか言いようがなかった。

 まあ、俺の力量では見張りの兵士ひとりを倒すこともむずかしい。二人もつけておけば完璧だ。その意味では必要十分な体制ではあるのだが。



 それに、逃げるつもりのない人間が監視体制をどうこう言うのも不毛だろう。

 俺は行儀悪く畳の上に寝転がり、大きく伸びをした。

 米山の戦況はどうなっているのか、晴景様や弥太郎は無事なのか。気になることはいくつもあるが、ここで悩んでいても仕方ない。

 今は疲れた心身を休め、いずれ来る事態に備えよう。景虎様にしても、まさかずっと俺を閉じ込めておくつもりではないだろう。



 そんなことを考えながら目をつむる。

 どうやら思っていた以上に疲労が溜まっていたらしく、たちまちのうちに眠気が襲ってくる。

 俺は素直に眠気に身をゆだねた。





 ……それからどれくらい経ったろうか。

 どこでも寝られる特技は役に立つが、さすがにこの状況で熟睡できるほど肝は太くない。体感的に、たぶん一時間かそこらだろう。

 そんなことを考えながら上体を起こした俺は、大きくあくびしながら身体を伸ばし――そこでようやく室内に俺以外の人間がいることに気がついた。



「誰――って、景虎様!?」

「うむ。いかにも景虎だ。よく眠っていたようなので起こすに忍びなかったのだが、さすがにこれ以上時間を食うと景綱たちに怒られる。どうしたものかと思っていたところだ」

「それは、何といいますか、お待たせして申し訳ありませんでした……」



 というか、捕虜がぐうすか眠っていたら叩き起こしても許されると思います。

 それ以前に一軍の大将が一人で捕虜の部屋に来るというのもどうなんだろう。それは確かに俺が景虎様をどうこうできるわけもないのだが。



「景綱と実乃さねよりは城内の始末で忙しくてな。一部の棟は完全に焼け落ちてしまったようだし、元の状態に戻すのに一朝一夕というわけにはいくまい」

「重ね重ね申し訳ありませんッ」



 深々と頭を下げる。

 これに対し、景虎様はからりとした笑いで応じた。



「冗談だ。そなたには散々してやられた。これくらいの意趣返しはしておきたくてな」

「は、はあ……」



 なんと答えればいいかわからず、俺はあいまいな返事で応じる。

 あれ、景虎様って冗談とか言う人なんだ。もうちょっとこう、神様然とした人となりを想像していたんだが――いや、でもそんな人なら晴景様のことであんな台詞を言ったりしないか。

 天守の間で対峙した時のことを思い出し、俺は心ひそかに納得した。



「御用向きをうかがいます」



 まさか意趣返しをしに来たわけでもないだろう。俺は景虎様の顔を見た。

 処刑の刻限が決まったとか、そういうことではないことを願いたい。

 すると、景虎様は真剣な表情で俺の目を見た。



「この国の兵火を鎮めるため、そなたの力を借りたい」

「――兵火を鎮めると仰いましても、敗軍の将に何をお望みなのですか、景虎様?」



 俺は戸惑いを覚え、反問する。

 春日山城が奪われたことを知れば、米山の軍勢は必ず動揺をきたす。たとえ晴景様が合流しても立て直すのは至難の業だろう。

 栃尾勢の勝利はもはや動かない。時をかければ、血を見ることなく戦を終わらせることさえ可能であろう。

 俺が何かをする必要は特にないと思うのだが……あるいは、米山への降伏勧告に俺を使うつもりだろうか。

 そう訊ねると、景虎様はかぶりを振った。



「戦に関してではない――そなたには、姉上のところに赴いてもらいたいのだ」



 そう口にする景虎様の顔がかげりを帯びる。

 俺は思わず眉根を寄せてしまった。

 景虎様の言わんとするところは理解できたが、俺がその役目を果たせるかはまた別の話だ。



「晴景様は私の言うことを素直に聞き入れて下さる方ではありません。ましてこの身は敗将。持ちかける内容が降伏であれ、和睦であれ、おそらく首を横に振られると思います」



 若輩の身で指揮官に抜擢されたせいだろうが、越後国内では俺が晴景様の信頼厚い寵臣であると思われている節がある。

 それが間違いだと主張するつもりはない。

 柿崎と戦う際に城の府庫を開いたこと、戦で功を立てた弥太郎らを士分に取り立てること、春日山城もろとも景虎様を葬るという策を実行すること、いずれの場合も晴景様は俺の具申をほぼそのまま受け容れてくださった。



 その意味で、確かに晴景様は俺を信頼してくださっているのだろう。

 だが、それはあくまで晴景様の意向にそって動いた場合の話。晴景様自身の意向に反する意見を述べた場合、俺の考えは確実に棄却された。

 今回、景虎様が俺に望むであろうことはおそらく晴景様の意に沿わないことだ。俺がいくら申し上げようとも晴景様が首を縦に振ることはないと思われる。

 俺がその旨を述べると、景虎様は再びかぶりを振り、澄んだ眼差しで俺を見た。



「降伏や和平を求めるわけではない。ただ、姉上と向き合って話がしたいのだ。なぜ姉上が私を疎むのか。誤解があるのならばそれを解かねばならないし、もしこの身に至らぬ所があるのならば改めもしよう。いずれにせよ、姉上の口から真実を聞きたいのだ」



 そういった後、景虎様は面差しを伏せ、今さらではあるかもしれないが、と小さく付け加えた。

 確かに、本来なら話し合いは戦に先立って行われるべきであったろう。

 しかし、柿崎を破り、昔年の勢威を取り戻して意気軒昂だった晴景様は、まず間違いなく景虎様との話し合いに応じようとはしなかっただろう。それは小細工を弄して柿崎弥三郎を操った事実からも瞭然としていた。



 景虎様に対する晴景様の敵意は隠れようもないものだ。

 このまま戦を続ければ、お二人が姉妹として言葉を交わす機会は永遠にめぐってこない。仮にめぐってきたとしても、それは勝者と敗者という形でのもの。景虎様が望むものにはなりえない。

 それを思えば、今こそお二人が姉妹として語ることが出来る最後の機会なのかもしれない。晴景様の慢心が崩れ、しかし、表面的には戦況いまだ定かならずと思われている今こそ。



 景虎様もそう思えばこそ俺に話を持ってきたのだろう。

 これは俺にとっても願ってもない話だった。

 このまま戦況が推移すれば晴景様の敗北と死は免れない。

 もちろん話し合いの結果によっては同じ事態が待っているし、仮に和睦が成ったとしても、晴景様の立場が苦しいものになることは間違いない。だがそれでも、陰謀をもって妹を除こうとした挙句、返り討ちにあったという醜名を残すよりはずっとマシな決着であろう。

 そう考えた俺が、景虎様に諾の答えを返そうとした時である。



「景虎様に申し上げます!」



 息をきらせた栃尾の家臣が部屋の外から呼びかけてきた。



「どうした?」

「う、上杉定実(さだざね)様よりのご使者がお越しでございます! 早急に景虎様にお会いしたい、とのことですが、いかがいたしましょうか!」



 それを聞いた景虎様は即座に立ち上がった。



「天守にご案内せよ。すぐに参る。景綱と実乃さねよりにも伝えよ」

「かしこまりま……な、何事だ!?」



 外から何やら慌しい物音が響いてきた。どたんばたんという大きな音と振動、野太い男たちの動転した叫び、そして――



「……加倉様、か、加倉様はどこですかッ!?」

「へ?」



 遠くから響いてきた声に思わず間抜けな声がもれる。

 俺が戸惑っている間にも外の騒ぎは続いていた。



「加倉様、加倉様ァ、かーくーらーさーまー!!」



 段々と近づいてくる声。その合間に派手な悲鳴があがるのは、どうも道を遮ろうとしている景虎様の家臣をそのつど吹き飛ばしているからであるらしい。

 ちなみに、いま春日山にいる景虎様の家臣は、黒姫山走破を成し遂げた精鋭中の精鋭である。その彼らをたやすくはねのけるとは、さすがは弥太郎と言うべきか。



「……って、ちょっとまてぃッ!?」



 のんびり感心している場合ではなかった! 

 このままだと弥太郎が処罰の対象にされてしまう。

 そう考えた俺は慌てて襖をあけた。弥太郎を止めるためだったが、部屋の見張りをしていた兵士二人は異なる解釈をしたらしい。

 部屋を出ようとした俺を見とがめて素早く刀を突きつけてきた。



「痴れ者が。この期に及んで脱走など出来ると思うか」

「……ぐ」



 そんなつもりはない、と抗弁したいところなのだが、刀を握る兵たちの目は本気だった。

 下手なことを言おうものなら即座に突き殺されてしまうだろう。

 俺に殺されかけた栃尾の兵が、俺を殺すことに躊躇するはずもない。

 額に冷や汗を滲ませる俺と、そんな俺を冷たい視線で見据える兵士。

 緊迫した状況に、景虎様がやや戸惑いながら割って入ろうとする。景虎様は弥太郎のことを知らないので、どうして俺がいきなり襖を開けたのか分からないのだ。



「待て。ひとまず刀を……」



 おろせ、という景虎様の言葉が終わらないうちに、この小さな争乱の元凶となった人物が廊下の角から姿を現した。

 あと、他にも数名、景虎様の家臣の姿が見える。



「ま、待たれよ、加倉殿はご無事であるゆえ……って、ぬああっ!?」

「ええい、人の話を聞かんか、馬鹿者め! 守護の御使者とはいえ、これ以上の無礼は……」

「どいてくださいッ!!」

「だから話を聞けというに――がふ」

「お、おい、しっかりしろ! ……駄目だ、完全に白目むいてるぞ」

「ほ、ほんとに女子か、こやつ?」

「むう、いにしえ巴御前ともえごぜんもかくやという女傑よな……」

「貴様が平家物語を愛読しているのは知っているが、今は感涙を流す状況ではないぞ!?」



 なんだか緊張感に欠けるやりとりが聞こえてきた。

 そんなに心配する必要なかったかしら、と首をかしげる。

 と、ちょうどこちらを見た弥太郎と、俺の視線が正面からぶつかった。

 不安と緊張に苛まれていた少女の顔がぱっと輝き――直後、能面のようにあらゆる感情の色が消え去る。

 刃を突きつけられた俺の状況に気づいたのだ。

 やばい、と全身の毛という毛が逆立った。大慌てで口を開く。



「弥太郎、早ま――」



 早まるな、と言いたかった。

 だが、遅かった。俺の言葉が終わらないうちに弥太郎は爆発してしまった。



「お……お……おまえらあああああッ!!」



 弾かれたように突進してくる弥太郎。

 これまでは弥太郎なりに手加減していたようだが、今の弥太郎は明らかに手加減とか考えていない。

 景虎様直属の部下を殺してしまったら、勘違いでしたごめんなさいでは済まされない。

 俺は突きつけられた刃のことも忘れ、前に出ようとした。

 その瞬間。



 ふわり、と青色の風が鼻先をくすぐった。



「景虎様ッ!?」



 俺に刃を向けていた兵士が驚きの声をあげる。  

 景虎様が暴走する弥太郎の進路上にその身を晒したのだ。



「――ッ!」



 相手が誰かはわからずとも、自分の邪魔をしようとしていることはわかったに違いない。

 弥太郎は目に怒りの炎を燃やしながら景虎様に躍りかかり――



「まっすぐな、良い目だ」



 どこか楽しげにさえ聞こえる景虎様の声。

 右手を軽く前に突き出した形の景虎様は、弥太郎の勢いに抗しきれずに弾き飛ばされるかと思われたのだが。



「……え?」



 次の瞬間、弥太郎は戸惑いの声をもらした。

 たいして力を入れた様子もないのに、景虎様は弥太郎の突進を右手一本で押さえ込んでしまったのだ。

 いや、押さえ込んだというよりは、勢いをかき消したとでも言おうか。それほど景虎様の動きは自然であり、弥太郎の身体の重心を見抜いて的確にそこを押さえている。



「う、ううッ!」



 弥太郎も何とか抗おうとしている様子だったが、景虎様は涼しい顔で弥太郎の動きを制している。

 猛り立つ猫を虎が微笑みまじりにいなしているような、そんな光景だった。

 そして。



「う、わああッ?!」



 景虎様の手首が翻ったと思ったとたん、まるで曲芸のように弥太郎の身体がふわりと浮き上がり、空中で一回転してから廊下に叩きつけられた。

 受身を取る暇もなかった弥太郎は強い衝撃に目をまわし――



「……きゅう」



 その口からは実にわかりやすい気絶の声がもれていた。

 それを見た俺はどうやってこの状況をおさめようかと頭を抱える。

 景虎様の顔を見るかぎり、あまり怒ってはいない様子だが、顔を真っ赤にしている兵士たちは何とかなだめないとまずいだろう。



 景虎様が弥太郎に気付けをしている間、俺はそんなことを考えていたのだが……このとき、事態は思った以上に切迫していた。

 意識を取り戻した弥太郎の口から語られたのは、晴景様の身に起きた変事だったのである。




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