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聖将記  作者: 玉兎
第一章 邂逅
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第十話 知略縦横



 春日山勢が安田城へ向かって進軍を続けていた頃、景虎らは駆けに駆けて栃尾城へ急行し、今まさに城を攻めようとしていた坂戸勢の後背を捉えた。

 これに気づいた坂戸勢は城攻めを中断し、城外に陣を敷く。

 その後はひたすら陣を固めて景虎の攻撃に耐え、しかし景虎が別方面へ動こうとすれば即座に城をうかがう態勢を取る。その繰り返し。

 それはつまり、琵琶島城における春日山勢との戦いの焼き直しであった。



 坂戸勢に手間取れば手間取るほど琵琶島城が危険にさらされる。

 坂戸勢は二千。四千の栃尾勢をもってすれば強引に押しつぶすことも不可能ではない。

 しかし、景虎の見るところ、房長と政景の指揮に穴はなく、本格的に坂戸勢に攻めかかれば栃尾勢も同程度の出血を覚悟する必要があるだろう。



 二千の坂戸勢を全滅させるために二千の軍兵を失えば春日山勢と戦うどころではない。

 かといって、味方の被害を恐れるぬるい戦い方では坂戸勢を撃破することは難しい。それどころか逆に栃尾勢が痛破される可能性さえある。

 使者を出して和睦を求めるのも一つの手ではあるが、景虎にとっては叔父にあたる房長は沈毅雄武ちんきゆうぶの武将として知られている。ひとたび春日山に味方すると決めたなら、そう簡単に決断を翻したりはしないだろう。



 坂戸勢の対応に苦慮する景虎たち。

 安田城や北条きたじょう城といった味方の城から急使が駆け込んできたのは、そんなときであった。

 使者たちはそれぞれ自領が春日山勢の侵攻を受けたことを報告し、早急な救援を求めてきた。



 琵琶島城に立て篭もる宇佐美定勝(さだかつ)は、景虎の側近である定満の子だ。主君景虎に殉じる覚悟はできている。城を守って死ねと景虎が命令すれば、死守することもいとうまい。

 だが、安田や北条、その他の国人衆は景虎有利とみて馳せ参じたに過ぎない。所領を失ってまで景虎に忠誠を誓うつもりはなく、ましてや春日山勢相手に全滅覚悟で篭城する気概があろうはずもなかった。



 ここで景虎が栃尾を優先して救援を断れば、安田らは春日山に降伏する。

 加倉もまたそれが分かっているから宇佐美家の守る琵琶島城ではなく、安田や北条といった城を標的としたに違いない。



 今や加倉相馬の狙いは明白だった。

 栃尾勢にくみした国人衆の切り崩し。

 坂戸勢によって景虎本隊を栃尾に釘付けにし、その間、敵の領地を荒らしまわって国人衆の動揺をあおる。景虎が救援の使者に応じて春日山勢に向かってきたら、今度は春日山勢が景虎を足止めし、その間に坂戸勢が周辺の土地をけずりとっていく。



 これを繰り返せば栃尾方の国人衆は悲鳴をあげて離反しよう。

 そして国人衆が離反すれば景虎麾下の兵力も減っていく。宇佐美、直江、本庄あたりはあくまで景虎に付き従うであろうが、それら主力部隊は救援のために越後を東奔西走させられて疲労を積み重ねていく。

 いかに景虎が優れた武将でも、疲れ果てた将兵を率いて何ができよう。



 兵力的に優位に立つ春日山勢は数十から数百の軍勢を小出しにし、栃尾に味方する地域を次々と攻略していった。

 時にこの攻略軍は、雷光のごとく栃尾城から急進してきた景虎率いる少数部隊に捕捉され、散々に蹴散らされたが、一度や二度の敗北で兵力差が覆ることはない。

 加倉は部隊を再編して失った兵力の手当てをしつつ、景虎がいない方面へ攻略隊を動かし、さらに栃尾への圧力を強めていった。




 後に加倉はこの戦いのことを「劉邦が項羽と戦うが如く」と表現する。

 西楚の覇王 項羽の戦場における強さは圧倒的であり、戦えば必ず負ける劉邦は、項羽と戦場で矛を交えようとはせず、広大な包囲網をつくりあげて項羽を奔命に疲れさせ、最終的に垓下がいかの決戦で項羽を葬るにいたった。



 それを模した、と加倉は言ったのである。

 加倉がいかに野戦における長尾景虎を恐れ、また警戒していたかが如実にわかる例え方であるが、ともかく形勢は加倉の意図する方向に向かいつつあった。



 だが同時に、加倉の予期せぬ動きも起き始めていた。

 有利な戦況を築き上げながら一向に景虎と戦おうとしない加倉を見て、春日山の諸将が疑念を抱きはじめたのである。



 戦術家として景虎と戦えるはずもないと考えた加倉は、戦略家として景虎と対峙していた。

 異なる表現を用いれば、最後の決戦で勝利をつかむべく兵を指揮していた加倉は、それ以外の戦いで何度景虎に敗れようとも気にしなかった。

 しかし、加倉の指揮を見て、そこまで思いを及ばせることができたのは敵味方あわせても数名たらず。

 将兵の大多数を占めるのは、眼前の敵に打ち勝つことこそ戦の勝利であると考える者たちだ。そんな彼らから見れば、春日山勢は数に劣る栃尾勢に負け続けているようにしか見えない。

 もっといえば、加倉は景虎と戦いたくないばかりに逃げ回っているようにしか見えない。



 越後の国を俯瞰ふかんすれば、栃尾勢はゆっくりと包囲され、追い詰められつつある。

 だが、地表では連戦連勝で沸き立っているのは栃尾勢であり、春日山勢は意気阻喪している感があった。



 それでも、あと少しこの戦況が続いていれば栃尾勢は力尽きていただろう。

 しかし、さきほどの加倉の言葉を引用するなら、景虎は項羽が持たなかったものを持っていた。

 配下の智者の存在である。



 この戦いを楚漢争覇戦にたとえるなら、最も重要なのは越後中部から北部にかけて勢力を持つ国人衆――揚北衆あがきたしゅうの去就である。

 彼らの存在は斉の韓信に匹敵する。揚北衆がどちらにつくかによって最終的な勝者が決まる、そういう意味だ。

 新発田、平林、鳥坂らの諸城に居を構える揚北衆には当然加倉も使者を遣わしていた。

 だが、加倉よりもはるかに早く、彼らに手を入れていた者が栃尾勢には存在したのである。



 宇佐美駿河守(するがのかみ)定満。

 かつて長尾為景をして「あやつに負けぬためには、はじめから戦わぬことだ」と嘆息せしめた越後随一の智者。

 その定満は、加倉が晴景に登用される以前から揚北衆に繰り返し使者を出し、彼らの心をしっかりとつかまえていた。



 かくて、北方から大挙して現れた揚北衆によって、戦局は一変させられるのである。




◆◆◆




 越後北部の国人衆が栃尾勢に加わることを表明し、一斉に動き出したことを知った俺は深くため息を吐いた。

 俺がどれだけ策を講じようと、すでに最後の切り札は景虎様の手元にあったことを悟ったのだ。



「予想してなかったわけじゃないが、やっぱり先を越されてたか」



 おそらくは宇佐美定満の仕業であろう。あるいは景虎様みずから説いたのかもしれないが、いずれにせよ、五千に達しようかという揚北衆の大軍は刻一刻と戦場に近づいている。

 これで栃尾勢の兵力はこちらを上回った。これまでのように兵力差を利した戦い方は不可能となる。くわえて、揚北衆の動向を知った国人衆の中には春日山から離脱する者も出てくるだろう。



「まあ、仮に揚北衆が動かなかったとしても、行き詰っていたかもしれないがな」



 俺は苦笑した。

 弥太郎によれば、軍中からは俺のことを指して「敵から逃げ回る臆病者」とそしる声があがっていると聞く。

 実に的確な評価で異議を唱えようもない。そして、俺はそれを恥とは思わなかった。



 やはり野戦において景虎様は比類なき強さを誇る。一度、遠目にその姿を見たが、恐れる色もなく部隊の先頭を駆け、鮮やかに敵陣を切り崩していく様は、なるほど、毘沙門天の化身という評判も頷けるものであった。

 噂に違わぬ強さというより、あの景虎様を見れば噂の方がまだ控えめだったのだとわかる。

 さすがは越後の竜、上杉謙信。

 俺なんぞがそうそう止められる相手ではない。

 だが――



「だからといって、逃げ出すわけにはいかないからなあ」



 俺はため息を吐きつつ髪の毛をかき回す。

 越後を二分した今回の戦いで敗北すれば、晴景様は死罪に処されるだろう。たとえ景虎様がためらったところで配下の将兵が許すまい。

 晴景様を助けるには勝つしかないのである。

 あの長尾景虎に勝つしか。文字通りの意味で、命を懸けて。



 そのための策はすでに考えてある。そしてそれは大軍を必要とするものではない。

 いちおう、全戦力を糾合きゅうごうして一か八か景虎様に決戦を挑む、という手もないことはない。斎藤殿(朝信)に指揮を任せれば、俺が戦うよりも勝ち目は増すだろう。

 だが、それをすれば被害が大きくなりすぎる。この戦いで越後各地を荒らしまわった俺が言えたことではないが、ここで決戦を行って何千もの死者を出せば、それは敗者のみならず勝者にとっても致命傷になりかねない。



 なにせ越後の南には甲信(甲斐、信濃)の地がある。上杉謙信がいるのなら武田信玄もいるだろう。

 今後のそちらの手当てを考えると、決戦案はボツにせざるを得なかった。



 考えを定めた俺は諸将を集めるように命じた。

 揚北衆が栃尾勢と合流するまえに素早く退却しなければならない。

 目指すは琵琶島城の西に位置する米山よねやまである。この山麓に春日山勢の全兵力を集結させ、栃尾勢を足止めするのだ。



 いかに景虎様でも山に立て篭もった数千の軍勢をそう簡単に撃滅することはできまい。

 戦は持久戦にならざるを得なくなる。

 持久戦――およそ軍を率いる者にとってこれほど厄介なものはない。軍費はかさみ、兵糧は減り、将兵の不満は溜まる一方。

 これはどんな戦の天才であっても変わらない真理のはずだ。長期戦を嫌った景虎様は、早期決着をはかって行動に移る。

 その行動とは何か?



 繰り返すが、米山には春日山勢の全兵力を集結させる。

 容易に突破できない堅牢な陣を築き上げる。

 逆にいえば。

 もし米山の守りを破られれば――あるいは少数の精鋭部隊によって峻険な山中を迂回されてしまえば――空同然の春日山城を直撃されてしまう、ということだ。



 この事実を前にして景虎様がどう動くか。

 あの方はこの戦いでも少数部隊を率いて戦場を駆け回っていた。であれば、今度も同じ行動をとると予測できる。

 そうして春日山城に景虎様をおびき出した上で罠に落とす。

 生半可な罠では見抜かれる。伏兵を使っても蹴散らされる。

 であれば、用いるべきは――



「……軍神の命を奪おうというんだ。自分の命くらい捧げないと釣り合わないな」



 ため息を吐きつつ、天を仰ぐ。

 一体、どうしてこんなことになったのか。

 ただの大学生であったほんの数月前のことを思い出しながら、俺は両の頬を思いきり叩く。

 それは、ともすれば怯みそうになる自分の心に活を入れるためだった。




◆◆




「叔父上が、兵を退いた?」



 配下の報告を聞いた景虎はわずかに眉を動かした。

 その兵の報告によれば、栃尾城に執拗に張り付いていた長尾房長率いる坂戸勢が、一斉に坂戸城へ向けて退却を始めたという。

 さらに時を同じくして、琵琶島城の宇佐美定勝からも春日山勢が退却を始めたことを知らせてきた。

 いなごのように各地に散った春日山の小部隊も同様であるという。



 彼らは米山へ集結して陣を構えたらしい。明らかにこれまでとは異なる動き。

 揚北衆の参戦がその引き金になったことは明らかであった。



「……持久戦、でしょうかな」



 その場にいた定満がわずかに首をかしげる。

 今回の戦において最大の勲功をたてた定満だが、鶴を思わせる清雅な風貌はいつもとまったく変わらない。春日山勢の動きを聞いて思うところを述べた。

 その定満の意見は景虎にも頷けるものだった。



 山中に陣を張った大軍を打ち破るのは困難を極める。かといって、米山を無視して春日山城へ進軍すれば後背を突かれてしまう。

 そういう意味では持久戦をはかる春日山勢の狙いはわかる。わかるのだが。



 定満同様、景虎もかすかに首をかしげ、おとがいに指をあてた。

 山中にこもった敵を討つのは確かに難しい。だが、山中にこもる側にも困難はあるのだ。

 はじめから山城なり砦なりを築いていればともかく、出来合いの陣屋では雨露をしのぐのも容易ではあるまい。

 まして数千の大軍だ。兵糧も限られていようし、糞尿による疫病の発生も考えられる。栃尾勢が遠巻きに包囲しているだけで、米山の春日山勢は勝手に衰弱していくだろう。



 その程度のことがわからぬ敵将ではあるまい、と二人は思う。

 だからこそ敵の思惑をはかりかねていた。

 とはいえ、いつまでも迷ってはいられない。



「これ以上の滞陣は望ましくない。それに、仮に米山の守りを崩したとしても、姉上が諦めてくださるかは分からぬ。姉上が春日山城に篭城すれば、なお二月ふたつき三月みつきと戦が続く」

「それは得策ではござらぬな。南の信濃の戦況もいよいよきなくそくなってござる。越後も急ぎ国内を固めねば、信濃と同じてつを踏むことになりもうそう」



 隣国信濃は甲斐武田家の侵略を受け、すでに国土の大半を奪われたという。

 信濃の二の舞を演じないためにも、今回の戦は一刻も早く終わらせなければならない。

 そのために肝心なのは、米山の敵軍を撃滅することではなく、春日山城の晴景を説得することだ。

 とはいえ、景虎が降伏を促しても晴景は聞く耳をもたないだろう。

 武田の脅威を訴えるという手もあるが――最悪の場合、景虎憎しの一念で晴景が武田と手を結ぶ。それだけは何としても避けなければならなかった。



 とつおいつ考えながら、景虎は部隊を率いて米山の地に馳せ向かう。

 そして、春日山勢がほぼすべての戦力をこの地に集結させていることを知る。



 その瞬間、景虎の目に名刀が陽光を反射するにも似た鋭利な光がはしった。

 その視線が向いたのは米山の南、黒姫山。

 道らしい道がなく、熟練した猟師でもなければ足を踏み入れない峻険な山地。ここを越えて西の頚城くびき平野に出るのは至難といってよい。



 それを承知してなお景虎の視線は黒姫山から離れない――否。景虎はすでに山を見ていない。

 その視線は眼前の山嶺を抜け、そのはるか先、頚城平野にその偉容を示す越後守護代の居城、春日山城に据えられていた。



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