「魔導皇」 [改稿]
宮殿は、荘厳の一言に尽きる。煌びやかな装飾に目を引かずにはいられない調度品。それらすべてが、魔導皇聖下だけのためにあるのだ。
その時々に見られるのが、曼荼羅や書といったもので、それらは智門光蓮宗のものだ。しかも、この宮殿にあって違和感なく配置されている絶妙さ。
近衛兵はすべて「姫騎士」で、女性ばかりが歩哨と警邏についていた。
クレアさんは、その人たちとすれ違うたびに目礼し、同時に敬礼を受けていた。クレアさんが名乗っていた「究竟」という地位が、「魔導騎士」および「姫騎士」に於ける実力を示し、相応しいおこないをしてきたものが叙される称号だからだろう。或いは、子爵であるということもあるかもしれない。その両方かもしれなかった。
私たちは回廊を時に折れ、時に階段を上って進んだ。導都の宮殿より大きい感じがした。
やがて、ひときわ立派な造りの門扉の前に来た。両脇には背の高い「姫騎士」が立ち、そこでクレアさんが一礼した。
「魔導皇聖下に、不解塚祝さまをお連れ致しましたと、お伝えください」
ひとりがうなずくと、すっと消える。テレポートだ。
すぐに戻ってきて、「姫騎士」ふたりが扉を開けた。
音もなく開いていく重厚な扉。
その奥に玉座があり、そこに小さな女性の姿があった。
「――!!!」
私は、気がつけば魔導皇聖下の目前にまで来ていた。
目の前でクレアさんが膝を折り、深く礼をしている。
「魔導皇聖下にありましては、ご機嫌麗しゅう。拝命により、不解塚祝さまをお連れ致しました。私の勝手な判断ですが、おなじく外の世界からいらしたというご友人の恋ヶ窪絢佳さまもご一緒です」
「クレア、ご苦労でした。恋ヶ窪さまのこと、よき判断でした」
「はっ。ありがたきお言葉」
「不解塚さま、恋ヶ窪さま、「魔導皇」リアナと申します」
魔導皇聖下、その人は、あの人に――魔女リルハにそっくりだった。
私はその姿に目が釘付けで、礼を取ることすら忘れて、その場に立ち尽くしていた。
彼女は、金糸で縁取りのされた黒いローブを身に纏い、流れるような艶やかな黒髪を長く伸ばしている。ゆったりと玉座に座り、その脇には一振りの剣が立てられていた。そして間に剣を挟むように、ひとりの「姫騎士」が不動の姿勢で立っている。
聖下の顔は、まさしくリルハのそれだったが、柔和な笑みを浮かべている様なリルハとは大違いだった。人柄が出ているのだろうか。
「不解塚さま、わたくしの顔になにか?」
「あっ、いえ、その、……すみません」
「リルハのことを考えてらしたのですね?」
リルハの名前が出て、どきっとする。
「ええっと、はい……」
「似ていますものね。わたくしたちも」
――え?
わたくしたちも?
私は顔に手をやり、絢佳ちゃんの方を向いた。
「似てるです。祝ちゃんは子どもですけど、姉妹みたいです」
そういえば。
私は生まれてこの方、自分の顔をちゃんと見たことがない。鏡を見るという機会がなかったからだが。
しかし、そうなのだろう。
すとん、と胸に落ちる。納得がいく。
そういうことなのだろう。
「ま、魔導皇聖下も、リルハに造られたんですか?」
「……ええ、そうです」
一拍の間を置いて、聖下が言う。
「わたくしは、<龍姫理法>と<情報理法>、そして「情報社会魔力」を支える「柱」として、彼女に造られました。
そのさい、リルハの力をコピーして与えられています。それ故の、龍姫理法修得者ID:0なのです」
「だから……おなじくあのひとに造られた私も、ID:0ってこと、ですか……?」
「そうですね。そのとおりだと思います。そしてこれは、あまり一般には広めない方がいい情報です。特にこの国に於いては。そのために、わたくしはあなたをお呼びしたというわけです」
「あ、ありがとうございました。おかげで助かりました。……でも私、あの法廷で、造られたって言ってしまいました」
「そうでしたか。では、そのことについては、わたくしの方であとで政務官と元老院に書状を送っておきましょう」
「すみません……」
「いいえ。いいのですよ。お気になさらず」
「はい。ありがとうございます。お世話になります」
「はい」
慈愛すら感じさせる笑みを、聖下は浮かべた。
聖下は、先ほどの話の続きをはじめた。
「その後、わたくしは<姫流剣術>の「柱」となり、皇帝として魔導帝国の長ともなりました。
それらすべて、リルハの意志によるものです。彼女はわたくしのことなど、まったく意に介さず、ただ自身の目的のためにわたくしを利用したのです。そしておそらく、あなたもまた……」
その言葉に、悲哀はなかった。そして、嘘もないだろう。
私だって、似たようなものなのだから。
「彼女は目的を果たすと、さっさと何処かへと去ってしまいました。以後、わたくしは彼女の消息を知りません。死んだりするとは思っていませんでしたが、今さらまた関与してこようとも思ってもいませんでした」
私は、黙ってうなずく。
「なにが起きているのか、わたくしに話していただけますか?」
「はい。私の知っていることは少ないですが、全部、お話しします」
私は、目が覚めてからのことを残らず聖下にお話しした。
絢佳ちゃんも、クレアさんも黙って聞いていた。
すべて話し終えた後、
「……そうでしたか。大変でしたね」
聖下はそう言って、私を労ってくれた。心根の優しい方なのだと感じた。
「しかし、「変世の大禍」のときにはなにもせず、今になって介入してきたのは、何故なのでしょうね」
「変世の大禍」とは、リルハが問題視した「世界法則」が世界に適用され、それで生じた混乱の時代のことだ。数百年の長きに亘って続いたという。
「すみません、私には、わからないです」
「いえ、あなたを詰問しているのではありません。謝ることはありませんよ」
「聖下、ひとつよろしいです?」
絢佳ちゃんが口を開いた。
「はい。なにか?」
「わたくし、ひとつ思ったです。リルハはいつから「第十二写本」だったのです? 聖下の造られた、魔導帝国建国のときにはすでに「第十二写本」だったです?」
「いいえ。当時は「写本の欠片」だと言っていました。「第十二写本の欠片」ということだったのでしょうね。そこまで細かくは知りませんでしたが」
「そうですか」
「それがなにか?」
「はいです。わたくしがリルハの存在を知ったときは、すでに「第十二写本」だったです。ですので、「第十二写本」になるために忙しかった、この世界に気を回す余裕がなかったのではないかと思ったです」
「なるほど、ありそうな話ですね」
「「写本」を手にするのって、そんなに大変なことなの?」
「です。わたくしが聞いた話では、「黒書教団」に於いて下剋上は何度かあったらしいですが、逆に言えば何度かしかないです」
「そうなんだ」
「そもそも「写本」を斃すということ自体、数例しか報告がないです。わたくしのときが、史上、最も完全に「写本」を滅したというくらいです」
「黒書」の力は、その根源である「黒書原本」にある。
その写したる存在が「写本」で、十二冊あり、その所有者が十二人いるとされている。
その「写本」の配下が「欠片」、すなわち「写本の欠片」である。
いずれもが<黒勁>を持つが、<黒勁>をまったく持たないさらに下の構成員もいる。「黒書教団」の一般信徒である。
「妖書」も同様の構成を持ち、それぞれ「妖書」、「枢妖」、「妖詩」、「断章」という名前になっている。
そのうちで私は、「枢妖」である。
リルハ以外で「枢妖」や「妖詩」、「断章」などがいるのかどうかは、わからない。
「じゃあ、私に外付けされた「第五写本」も、やっぱりそう簡単には外せないってことだよね?」
「そうなるです」
「あなたが先ほど仰っていた、「妖書」というものの力でも難しそうですか?」
聖下が尋ねてくる。
「私も、「妖書」の力についてそんなによくわかっているわけではないんです。可能かもしれませんけど、あのひとがそう簡単な手段を私に持たせるかっていうのが気になります」
「そうかもしれませんね」
「祝ちゃんの言うこと、わかるです。力そのものは十分だとしても、なにかの「鍵」のようなもので縛られていると思うです」
「思い当たるものはなにかありませんか?」
「うーん。……思い当たるというか、リルハにかけられた≪呪詛≫と、きっとおなじことなんだろうなって気がします。目的を果たすまでは、外すことはできないんじゃないかって」
「そうですね。そうかもしれません」
聖下が難しい顔をした。
「それが、どうかしましたです?」
「「変世」を為したものたちは、自らを「監視者」と名乗り、神境にて世界を監視し、法を犯す者が出ないようにする、と言っていたのです。きっと「監視者」は、あなたたちのことに気づいているでしょう。わたくしは、それが心配なのです」
「「監視者」ですか……?」
それは、ほとんど情報のないものだった。
得体の知れない怖さがある。
「その者たちは、<勁力>なんかを持ったまま介入する権限とかあるんです?」
「いいえ。彼らの言うことが嘘でなければ、それはできない、ということです。そもそもあなたたちの存在が、イレギュラーなはずです。彼らの守り――≪結界≫を越えてくることが、本来ならばできないはずだからです」
「なるほどです。でもならば、特に心配はないのではないです?」
「そうとも言い切れません。彼らには配下となるものたちがいます。それを通じて、あなたたちを害そうとしてくるかもしれません」
「でも、配下は<武勁>とかないんです?」
「そうなりますね」
「だったら、わたくしの敵ではないです!」
「ええ。ならよいのですが。
でも、個人としての戦闘力では勝てなくても、社会的圧力などの手段を講じてくることも考えられます。国家や体制に追われる状況になって、目的を果たすことが困難となる恐れはありませんか?」
「ああ、それはあるかもです」
「わたくしも、本来の力と姿は神境にあって、この身は化身のようなものです。そのように意志を持ち越し、また地上にあって権力を行使できるようにすることは難しくありません。
「監視者」たちがどういった者たちで、配下が何者なのかも分らない状況では、警戒するに越したことはないと思います」
「ですね」
聖下と絢佳ちゃんが身のある話をしている間、私はそれを聞いて、なるほどそういうこともあるのか、と思うばかりであった。建設的な意見など、まったく出てこない。
不甲斐ないものの、それが私の限界なんだろう、とも思った。
「聖下、もうひとついいです?」
「はい。なんでしょう?」
「リルハは聖下をお造りになったときには、すでに「欠片」だったんです? 彼女がいつ、どこで「黒書」と接触を持ったのかご存じです?」
「ああ、それはリルハから聞いたことがあります。彼女が<龍姫理法>を創るはるか前のことだと。
彼女は秀でた魔術師であり、元々この世界で主流となっていた<魔道術>に不満を持っていたのです。
そしてその探求の果てに、外の世界を知り、そこに赴いたと。
そのときに、「黒書」と出会ったらしいです。そしてその力を手にして帰還し、まず<瑤玄法>の抜本的な改変を成しました。それが今に伝わる、「瑰極学院」の<魔女術>なのです。
しかし、それで満足できなかった彼女は、<機械理法>と<情報理法>を参考に、<魔道理法>というまったく新しい<魔道術>を創り、その実験のために多くの命を犠牲にしました。
そして、<魔道理法>を基に<龍姫理法>を創るべく、当時「魔界」に封じられていた「天魔」という魔族の長たる種族と接触、その協力を得て成し遂げました。
その最大の功労者が、「魔導師」榊という天魔でした。榊の「魔導師」という称号は本来彼個人が持つもので、<龍姫理法>の「魔導師」称号はこれを元にしていると聞きました。
また、そのいずれの間でも、ごく一部の腹心を除いて、「黒書」のことは伏せていたそうです。
それから、上司に当たる「写本」と接触は持たなかったとのこと。「黒書教団」としての活動には興味がなかったのでしょうね」
「なるほどです」
「わたくしとて「黒書」については、彼女から、その力を使って新たな魔術、そして剣術を創った、ということを聞かされたのみでした。「黒書」のなんたるかを知ったのは、「魔帝」陛下一党が戦ったあとの話です。
そして、その対策として、「監視者」たちが「世界法則」を改変したのだということでした」
「それなのに、易々と「第五写本」として祝ちゃんが来てしまった、ということです?」
「そうなりますね。そして、恋ヶ窪さまも」
「はいです」
「ところで、あなたは何の目的があってこの世界に?」
「ああ、それは、」
絢佳ちゃんは、私にしたのとおなじ説明をした。出逢うという目的のこと、私に協力してくれるということを。
「そうですか。ニャルラトテップという名の神性に心当たりはないのですが、どういった属性の神性なのでしょう?」
「うう。聖下もご存じないです? この世界に「星辰教団」はないみたいです」
「「星辰教団」というのも聞いた覚えがありませんね」
「……ニャルラトテップさまは、千の相を持つ英雄神です。主に狂気と破滅をもたらします。ですが、わたくしの宗派――すなわち、「紅蓮の知恵派」では、愛を司っています。「愛という名の狂気」です」
「愛、ですか」
「愛です」
胸を張る絢佳ちゃん。
愛――私にはわからない概念だ。
愛とはなんだろう。
恋愛。情愛。性愛。博愛。親愛。
愛着なんてものも愛なのだろうか。
わからない。
私には、わからないものだらけだ。
私は、今、ここでなにをしたらいいのか、否、なにをしているのかすら、よくわかっていないに違いない。
リルハは天才的な魔術師で、魔導皇聖下はきっと素晴らしいお方だ。
なのに私はどうだ。
リルハの意向に応えたいと思うわけではないが、そもそもそれだけの力が私にあるのだろうか。
こんな世界にぽんと放り出されて、それでも絢佳ちゃんは自信を持って活動している。きっと彼女には、それだけの素地があるのだろう。自分を信頼できるに足るなにかが。
でも、私にはなにもない。
よくわからない、私には大きすぎる力があるだけで、それをどう使えばいいのかすらわからないのだ。
それ以前に、こういうとき、この場でなにを話したらいいのか、そういうことすらわかっていない。
きっと私は、欠陥品だったのだ。
リルハも、筆を過ったのだろう。
そんな気がしてならなかった。
「聖下、ひとつお尋ねしたきことがございます。よろしいでしょうか?」
今まで沈黙を守っていたクレアさんが言った。
「なんでしょうか?」
「先ほどのお話では、不解塚さまは、<姫流剣術>も会得しているとのこと。それは、<龍姫理法>以上に――元老院や騎士団に問題視される恐れがあるかと愚考いたします」
「それで?」
聖下が先を促す。
「はい。もし、聖下のお許しがいただけますならば、不解塚さまを「姫騎士」に叙任し、以て聖下の、ひいては共和国の後ろ盾を与えてはいかがかと」
「いい考えですね。そういたしましょう。不解塚さまは、それでよろしいでしょうか?」
「えと、あの、……その前に、いいですか。あの、私のことは、ほ、祝でいいです」
私は見当違いなことを言ってしまった。しかし、むずがゆくて仕方がなかったのだ。
みんなの間に、軽い笑いが起きる。
「はい。ではそのように。祝さまは「姫騎士」となって、わたくしに仕えてくださりますか?」
私は、クレアさんの方を見た。
「魔導皇聖下をお守りする、近衛隊を務める女性の「魔導騎士」のことを「姫騎士」というんだ。もちろん、私もそうだ。悪い話じゃないと思うんだけどどうかな?」
次いで、私は絢佳ちゃんを見た。
「いいと思うです」
我ながら、主体性がないと思いつつも、
「はい、じゃあ、お願いします」
そうして、私は「姫騎士」となることになった。
後先のことなどなにも考えず、ただ、流されるままに。
「妖書」に関する設定変更しました