陰謀の発露 後篇
「……「第五、写本」……」
私が息も絶え絶えに言うと、周りのみんなが硬直したのがわかった。
卜部も、絢佳ちゃんもだ。
唯一、この場で無関心なのは、絢佳ちゃんに首を絞められて痙攣しているクティーラだけだろう。
「「第五写本」? どういうことです?」
卜部がぼそりと言った。
彼女は卜部の方を向くと、
「まあ、ぶっちゃけるとそういう仕掛けだったってこと。リルハのね」
そう言って肩をすくめてみせた。わざとらしく。
そういうところはリルハに似ているように見えた。
次第に視界も晴れてきていた。「妖書」――<妖詩勁>の力と、<癒勁>とが、全力で私を回復させているからだ。身体の痛みも薄まり、少しは動けるようになったかもしれないが、もうしばらくこのままで回復に専念することにした。
どうあれ、現状では戦えない身体だからだ。
傷は魂を無理矢理引き剥がして分離させたことによるもの。生命にとって根源的な負傷だ。それに呼応して身体も怪我を負い、出血しているのだ。
本来なら致命傷。それは「第五写本」も変わらないと思うのだが、彼女が平然としているのは「第五写本」の力によるものなのか、それとも分離していった方は傷が大したことがないのか。今の私にそれはわからなかった。
「じゃあお前は、ずっとこの機会を窺っていたっていうのか!?」
クレアちゃんが大きな声を出して言った。
「いや、ずっとってわけじゃないよ。あたしも最初から祝と分かれて存在していたわけじゃないからね」
「どういう、こと?」
私が尋ねると、
「そもそもあたしと祝とは同一の魂だったの。そこに、あたしという萌芽が芽生えた。それが始まりであり、リルハの仕掛けだったってわけ」
「でも、私はあなたなんて知らない」
私の抗議にも彼女はどこ吹く風とばかりに飄々と言った。
「それは、あたしがうまく隠れていた、そういう風に仕組まれていたっていうことよ」
「つまり、「第五写本」を私が使おうと使うまいと、あなたは生まれてたってこと?」
「より正確を期すなら、「第五写本」を使っていれば祝があたしになってたってこと。
要は、悪意とか負の感情、マイナス思考とか、そういうものを「第五写本」が取り込んで、総量が閾値を超えたらあたしが発生するようになってたのね」
「お待ちなさい! 祝さんに限って邪心など……」
沙彩ちゃんが言いかけるが、
「――ないとでも?」
その言葉にぞくり、と背筋を冷たいものが駆け上がった。
そうだ。私は聖人君子なんかじゃない。いろんなことを考えているし、抱えている。
「ないわけないでしょ、頭の中大丈夫? お花畑なの?」
冷たく言い放つ「第五写本」の言葉は、しかし、真実だ。
私の中に、闇はある。あるのだ。
「最初の萌芽のきっかけとなったのは、」
そう言って、「第五写本」は絢佳ちゃんを見た。
「祝が絢佳に振られたとき、そのショックね」
――そんな頃から!?
視界が揺れる。動揺に揺れる。
「そして、あたしの魂を根付かせたのは、最初の殺人」
言って、「第五写本」は私を見た。私の心を見透かして、射貫いた。
「次は、わかるでしょ?」
わかる。
わかるから、言わないで。
それだけは。
それだけはこの場では。
「クレアの死――その絶望と怨嗟」
クレアちゃんが、その美しいかんばせを強ばらせる。
「あれであたしは覚醒した。あれ以来、あたしは祝の中でずっと見ていた。ずっとよ」
「くそっ!」
クレアちゃんが毒づいて足許を斬りつけた。
それは、私の心にも斬りつけられる。
痛い。
胸が痛い。
「そうして、祝が抱いた憎しみ、痛み、恐怖、そういったもののすべてがあたしの揺籃となって、ここに至った」
「第五写本」は、卜部の方を見る。
「わかった? そういうことよ。帰ったらお仲間にも説明してあげることね」
「言われなくても、そうさせてもらう、つもりです」
その言葉は、消え入りそうに静かだった。
この事態は「監視者」たちとて想定していなかったのだろう。
否、彼らはそもそも「黒書」の強さも侵入も想定していなかったのかもしれないが。
「そうそう。「死鬼王」の「死」、あれも強烈だったわね。それにここの狂気も」
そう言って見やった先は、絢佳ちゃんだった。
クティーラを片手でぶら下げながらも、絢佳ちゃんはその場に立ち尽くしていた。
お人形のような顔が、涙に濡れていた。
「絢佳ちゃん」
私の呟きに、絢佳ちゃんは滂沱を止めることもなく、私に黙って頭を下げた。
やめて。
謝らないで。
絢佳ちゃんはなにも悪くないのだから。
「戦闘の経験、殺人への禁忌の低下、敵を屠り、打ち勝つことへの悦び、仲間への劣情、忌まわしい行為への恐怖、邪神の狂気」
私の心をわかっているからだろう、彼女はさらに言葉を紡ぎ続ける。
「みーんな、あたしを育ててくれた。祝の心が、あたしを」
そうだ。
あれは、私なんだ。他ならない私自身なんだ。
私が、あれをどうにかしなくては、ならないんだ。
私は立ち上がろうともがいたが、まだうまく身体が動かなかった。
無様に転がって終わってしまう。
「第五写本」は、そんな私を冷ややかに見下ろしていた。
「でもね、祝」
彼女が言う。
「さっきも言ったけど、あたしはあなただったかもしれないし、あなたがあたしだったかもしれないのよ」
そう、きっとそういうことなんだ……。
「魂のどこが「第五写本」となるかなんてわからないんだから。あくまでも、あたしとあなたは一心同体だった。それも忘れないで欲しいの」
「第五写本」はそう言うと、左手に深紅の「魔導書」を出現させた――「妖書」だ。
「「第五写本」を除いて、分離した今しがたまでの全部を、あたしたちは共有している。つまり、祝の力のすべてはあたしにもある。
ただ、祝が「第五写本」を使わなかった。分嶺点はそこにあった」
リルハ、あなたはどこまで卑劣なの!?
私は歯がみして呻いた。
「だからねぇ、祝。悪いのはぜんぶリルハのやつなのよ。わかるでしょ?」
私はうなずいて返す。
「でも、それじゃああんまり悔しいから、今からあたしは自由にやらせてもらう。そのためにこうして出てきたのよ」
「じ、ゆう?」
「そう。あいつの想像もできないようなことをしてやるわ」
そう言って、彼女は2冊の「魔導書」を消すと、ばっと右手を振った。
そうして全身の血を振り払うと、黒いワンピースを身に纏った。
「そして、あたしはこれから呪――いいえ、ノロイとでも名乗らせてもらうわ。
あなたが祝であたしが呪。ちょうどいいでしょ?」
悪戯っぽく笑うと、彼女は私に歩み寄ると、膝をついた。
「まずは、ここから始める」
そう言うとノロイは私の胸に手を当てた。
「――!」
強力な≪呪詛≫が私を縛った。
耳許でノロイが囁く。
「この≪呪詛≫の効果は、あらゆる転移・テレポート・転送の禁止。違反は死。
これを解く「鍵」は、天剣市であたしを見つけること。
わかった?」
私がなにか言う前に、ノロイは立ち上がった。
そして一同を軽く見回すと、そのまま床に沈んで消えた。
「祝ちゃん! 大丈夫です!?」
絢佳ちゃんがクティーラを引きずりながら駆け寄ってきた。
「あいつになにされたです?」
「≪呪詛≫を、かけられた」
絢佳ちゃんが目を瞠る。
私は手を挙げて彼女を制し、ノロイに告げられたことを話した。
「その天剣市ってのはどこにあるんです?」
「北西の方、かな? 聖大陸の西の端っこにある街だ」
クレアちゃんが答えてくれた。
「まずは落ち着きましょう」
沙彩ちゃんの声が響き渡る。
「――あっ! あいつがいねぇ!」
セラちゃんが大きな声を上げた。
卜部が、いつの間にか姿を消していた。
「仕方がありませんわ。あの男は次の機会にしましょう」
リィシィちゃんが悔しそうな表情をしつつも、冷静に言った。
「そだねー。まずは祝ちゃんだよねー」
「「鍵」付きの≪呪詛≫は、その「鍵」を解除しなければ≪解呪詛≫できない。
だから、天剣市に行くしかない」
「陰陽師」である、つまり≪呪詛≫の専門家として霓ちゃんが言った。
「しかもこれは、「黒書」の≪呪詛≫で、祝ちゃんとおなじ魔力強度がある。厄介」
「「妖書」で≪呪詛潜伏≫すればひとまずは……」
そう言いかけた私の言葉に、霓ちゃんが首を振った。
「それもできない。恐らく、「黒書の欠片」を使ったんだと思う」
「鍵」とは文字どおり≪解呪詛≫するために必要な要素のことで、なんらかの行動だったりアイテムだったりする。達成困難なことを「鍵」に設定することはできず、「鍵」を得た後でまた通常の手順による≪解呪詛≫も必要となる。
≪呪詛潜伏≫とは、「鍵」付きで≪解呪詛≫できない≪呪詛≫を仮に解除して、その効果を潜伏させるものだ。
いずれも≪呪詛≫の厭らしい側面を表していると言える。
他方、「黒書の欠片」を使った≪呪詛潜伏≫の阻止というのはかなり贅沢な使い方だが、アーティファクト級かそれ以上の力を持つ「欠片」ならではだろう。
ノロイはどうしても私をテレポートさせたくないみたいだ。それが何故なのかまでは、わからないが。
「……とにかく、一度落ち着いて、これからどうするか話し合おう。
でもその前に、絢佳ちゃん、それはまだ死んでないの?」
私の言葉に、絢佳ちゃんはずたぼろになったクティーラを見た。
「はいです。というか「星辰神統」の神々を真の意味で殺すことはできないです。少なくとも、この宇宙にあっては。外なる世界でなら可能かもしれませんが、わたくしは外への行き方を知らないです」
「じゃあどうするんだ?」
「肉体的に死亡すれば、魂は外に退去するです」
クレアちゃんの疑問に、絢佳ちゃんはなんでもないように答えた。
「とりあえずぶっ飛ばすです。ここまで体力を削ればもう、肉体を滅ぼすことは簡単です」
そう言うや否や、絢佳ちゃんは手のひらにいつものピンク色の光を集めると、クティーラの身体を包み込んだ。
その後には、もうなにも残されていなかった。
あまりにも呆気ない。しかしそれも、戦ったのが絢佳ちゃんだったからだろう。
「ひと心地つきましたわね」
邪神が去り、リィシィちゃんは少し嬉しそうだった。
「そうだね」
私の言葉に、しかし、リィシィちゃんは悲痛な表情で作り笑いを浮かべるだけだった。
みんなの表情も一様に暗い。
それは、そうだろうと思う。
私の責任もあるが、リルハの悪意もあるし、卜部との遭遇もそうだ。
でもとにかく、しっかり前を見据えていかなければ。
私は、負けるわけにはいかないのだ。
負けるつもりはないのだ。
私、いいえ、私たちみんなで、乗り越えて行こう。
私は胸の奥で、そう固く誓った。





