狂気の愛
「最後に確認だ。いいか、絢佳?」
クレアちゃんが、いつになく真剣な眼差しで絢佳ちゃんを見据えて聞いた。
「どうぞです」
「絢佳が悪人じゃないのはわかってる。しかし、つまるところ「星辰神統」というのは邪神信仰なんだろう? そのふたつを両立させていられるってことが、私にはわからないんだ」
「なるほどです。確かにそうですけど、わたくしは「紅蓮の智慧派」です。積極的な邪悪を為すセクトではないです」
「愛という狂気、だったか?」
「そうです」
「しかし、それは邪神を崇めるということなのか? 愛は、愛だろう?」
困惑げにクレアちゃんが言う。
「クレアちゃんは「智門」の門徒ですね? 「智門」では、愛は何と定義されているか覚えているです?」
「えっ? 愛?」
クレアちゃんが一瞬、首をひねる。
私は心当たりがあったので言った。
「確か煩悩のひとつだよね?」
びしっと私を指差して、
「それです」
「ああ、そういえばそうだったような?」
クレアちゃんが首を傾げる。
「愛とは、ものを貪り執着するこころです。
渇きに苦しむように欲求の満足を強いることから、渇愛とも言われるです。
これが苦悩の発生と解決を説く「十二縁起」の第八支に当たる愛、苦悩の原因である煩悩のひとつであるところの愛なのです」
絢佳ちゃんはみんなを見回してから、続けた。
「また、愛は「貪」に通じ、衆生を害し、解脱を妨げる根本煩悩である「三毒」のひとつでもあるです。即ち、愛とは悪の根源とすら言えるこころの働きなのです」
「ずいぶんと詳しいな。だが、それがどう繋がるんだ?」
「つまりです。愛が悪であること、克服すべきこころであることを理解した上でなお、否、解脱を否定して愛を認め、愛を求め、愛を与える、愛でさえあればそれを許容しすべてを愛する、それが「紅蓮の智慧派」なのです!」
言い切った、とばかりにドヤ顔の絢佳ちゃんに対して、クレアちゃんは胡乱な目をして見据えていた。
「いや、意味がわからない」
「えー、わからなかったです?」
絢佳ちゃんはがっかりとした風で聞き返した。
「ああ、わからんな」
そう言ってクレアちゃんは、両手を挙げてみせる。
「まず第一にだ、どうして「智門」の教義が絢佳の「紅蓮の智慧派」で語られるのかがわからない」
「それはですね、「智門」というのは<大千世界>全体で古くから信仰されているものだからです。つまり、<大千世界>に於いてひとつの真理である、とされているのです。その真理に抗うということです」
予想外の答えだったのだろう、クレアちゃんは目をぱちくりさせていた。
これには私も驚いた。
「智門」が<大千世界>でも広く信仰されているとは、思いもしなかったからだ。
「たとえ苦しみから脱する唯一の方法が解脱であり成仏であったとしても、わたくしたちは敢えて愛を崇め、愛に苦しむ道を選んでいるです」
「なるほ、ど?」
半分疑問系でクレアちゃんが言う。
私もそんな気持ちだった。
言っていることはわかったが、どうしてそうなるのかがわからないとでも言おうか。
「即ちこれこそが、狂気の愛ということなのです! わかっていただけたです?」
こてん、と首を傾げて絢佳ちゃんが聞いた。
「そうか。つまり、大事なのは愛に苦しむことを求めるような狂気の愛ということで、別段邪悪なおこないを奉じているわけじゃないんだね?」
私が言うと、絢佳ちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「そうです。そういうことです!」
「でも、愛とは本当に悪のこころなんですか?」
沙彩ちゃんが言った。
言葉は柔和であったが、その目は真剣そのものだ。
「愛には、二種類あるとされているです。即ち、貪と信。或いは、欲愛と法愛です。前者は汚れた愛、貪欲の愛で、わたくしたちの奉じる愛はこちらです。一方、後者は汚れなき愛、一切衆生を慈愛する、慈悲の愛です。沙彩ちゃんが言っているのは、その慈悲のこころのことではないです?」
「そうですね」
沙彩ちゃんが強くうなずいた。
「慈悲心は、「智門」に於いても重要な概念です。ですが、「智門門徒」ではないわたくしたちは、慈悲に対しては中立の立場にあるです。するもよし、しなくともよし、です。肯定も否定もしないです」
「そこはドライなんだな」
「わたくしたち「紅蓮の智慧派」は、慈悲心によって動くのではなく、欲愛、貪愛によって動くです。そしてそれを至上のものとしているです。解脱にも関心はないですから」
「難しいね」
私が呟くと、
「ああ、さっきから絢佳たちがなにを言ってるのかさっぱりだ」
ため息とともにセラちゃんが言う。
なんとなく哀愁が漂っている気がするのは、ほんとうに気のせいだろうか?
「まあでも、「智門」に於ける愛のことまでわたくしが知っているのは、「執行人」にして「祭主」でもある立場から詳しく勉強したからです。一般信徒はここまで細かく考えているわけではないです」
「では、<大千世界>では「智門」こそが真理であって、一番信奉されているということですか?」
まだ納得しきれていない様子で、沙彩ちゃんが重ねて尋ねた。
「そんなことはないです。「智門」の教えは正しかったとしても、その道は厳しすぎるです。解脱し得たとされる人物もいるにはいますが、本当かどうかは確かめようがないですし」
そう言って絢佳ちゃんは肩をすくめてみせた。
「だから、多くの人はふつうに神を信仰してるです。それぞれの<世界>に根ざした神や、「星辰神統」のように複数の<世界>にまたがって広く信仰されている神などをです。だから沙彩ちゃんがご自身の信仰に迷う必要はどこにもないです」
そう言った絢佳ちゃんは、沙彩ちゃんに笑いかけていた。
「沙彩ちゃんは今まで通り、慈悲のこころを以て戦えばいいです。わたくしはわたくしの愛を貫くです」
「――絢佳ちゃんの愛ってなに?」
私は思わず聞いていた。
「あらゆる愛を愛すること、そして愛をもつ人々を愛することです。もちろん、パーティのみんなのことも愛してるです」
その言葉に、心臓が大きく波打った。
「私のことも?」
「もちろんです」
その笑顔がまぶしい。
それなのに私は――
「私もそう。今でもずっと、絢佳ちゃんのこと愛してるよ。相思相愛だね」
なんて言ってしまっていた。
絢佳ちゃんは私の言葉の意図に気づき、なんとも言えない微妙な表情を浮かべた。
それが痛くて辛くて、そして悔しくて、
「絢佳ちゃんは、愛ならどんな愛だって認めるんだよね?」
「はいです」
「絢佳ちゃんは旦那さまのことも愛してるよね?」
「もちろんです」
「そこに、私の入る余地はないのかな?」
みんなの間に漂う空気が変わる。
でも私はやめられない。
言葉を紡ぐ。
「ねぇ、絢佳ちゃん。私と不倫しようよ。禁断の愛を結ぼうよ。それもまた、愛だよね?」
「祝ちゃん……」
絢佳ちゃんは、びっくりしていた。
それはそうだろうと思う。
私だって驚いているんだから。
「私たちで愛という狂気を紡ごう」
クレアちゃんたちがなにか言っているが、頭には入ってこなかった。
今ここで、私は絢佳ちゃんだけと向き合っていた。
「どう? そういうのは厭?」
絢佳ちゃんは一度視線を落とし、そして天使のような愛らしい笑顔で言った。
「わかったです。わたくしも不倫の愛で、祝ちゃんのハーレムに入るです」
胸が高鳴り、耳鳴りがした。
「ほんと? ほんとにほんと?」
「はいです。ニャルラトテップさまの名にかけて本当です」
私は溢れる涙を拭いもせずに、絢佳ちゃんに駆け寄って、強く抱きしめた。
「大好き。愛してる。ずっとずっと好きだったの」
「はいです」
絢佳ちゃんは私を抱きとめ、そして優しく抱きしめてくれる。
「絶対離さないんだから」
「わかってるです」
「みんなと、絢佳ちゃんも、ずっとずっと一緒にいるんだから。これからもずっと。なにがあってもずっと」
「はいです」
私は絢佳ちゃんの柔らかな頬に軽く口づけ、そして絢佳ちゃんの唇を奪った。
この愛が狂気だというのなら、私は喜んでその狂気の愛を紡ごう。
――それが、この私の愛だ。
参考文献:『佛教学辞典』法藏舘
註記:
仏教(「智門」)に関する言説はあくまでもフィクション上のものであり、現実の仏教を標榜したり、或いはまた他の宗教を中傷する意図等は一切ございません。
また解釈の誤謬などがある場合は、すべて作者の責にあります。
各位ご了解の程、お願い申し上げます。





