邪神の館
私たちが部屋に飛び込んだときには、すべてが済んだ後だった。
人型の怪魔の死体が三つ転がっており、すでに息絶えていた。
頭と胸が潰されて、ひどい臭いがあふれ出ている。
それは、青緑色の人間の体に魚の頭を載せたような姿をしていた。
目は飛び出し、背中には鱗や鰭があって、言ってみれば半魚人のようなものだろうか。
ただし、≪索敵≫で調べてみても「魔性」という結果がわかるだけだった。
それはつまり、怪魔としての度合いが薄いということだ。
ただし、邪神信徒という判定は出ている。
「気持ち悪いねー、なにこれー?」
雫ちゃんがそう言うと、テーブルの上を調べていた絢佳ちゃんが答えた。
「深きものです。クトゥルフという「星辰神統」の神の眷属です」
「クトゥルフ?」
発音のしづらい、聞いたこともない名前だった。
「そうです。ざっくり言えば、海の神です」
「山奥なのに?」
雫ちゃんが不思議そうに首を傾げた。
だが絢佳ちゃんは、それにうなずくのみだった。
「ここに、日記っぽいのがあるです」
絢佳ちゃんは、手にしていた書物を掲げて見せた。
「これになにか書いてあると思うですけど、わたくしは読めないです」
そう言えば、絢佳ちゃんはこの<ホーム>の言語はまだ読めないのだった。
「そしてもう一冊、「魔導書」らしきものもあるです!」
と言って、絢佳ちゃんはテーブルの上を指さした。
なるほどそこには、もう一冊書物らしきものが見える。
「これは「星辰神統」の「魔導書」なのでわたくしも読めるです。タイトルは、『ネクロノミコンにおけるクトゥルフ』です」
「そうなんだ」
逆に私には、なんて書いてあるのかまったくわからない。
「ただ、「ネクロノミコン」というのがなんなのか、わたくしにはよくわからないです。「星辰神統」にとって大事な「魔導書」だという確信はあるですけど」
「その、日記の方見てもいい?」
私が聞くと、絢佳ちゃんはうなずいた。
それは、革表紙の厚めの書物で、ぱらぱらっと見てみたところ、確かに日記だった。
魔帝国語で書かれており、日付も魔帝国時代のもののようだ。
私は<龍姫理法>の≪記録≫を発動して、最初からひたすらページをめくっていった。私の目に映った文字を「記録」して「情報化」しておくのだ。
そうすれば、この日記自体が失われても、中身はいつでも参照できる。
しばらくの後、やっと最後まで見終えることができて、私は≪記録≫を終了させた。
「≪記録≫し終わったから、これからちょっと読んでみるね」
私はそうみんなに断ってから、情報化された日記にざっと目を通した。
簡潔に記せば、魔帝国時代にこの館の基礎となる部分の洞窟が仙境に現れ、そこを調査した人物の記録である。
尤も、その人物はやがて「星辰神統」に傾倒し、入信してしまったのだが。
そうして建てられたのがこの館らしい。
基礎の洞窟、という部分は言ってみれば神境に通じるトンネルであり、その先にクトゥルフという神性が眠っているのだという。
やがて星辰が正しい配置になったとき、クトゥルフはこの仙境に降臨し、支配するだろうと記されていた。
「――という感じみたい」
私の説明に、一番驚いていたのは絢佳ちゃんだった。
「マジです!?」
食いつき気味に絢佳ちゃんがそう言う。
「う、うん。マジ、だよ?」
「この<ホーム>にも「星辰教団」があったとは! なんとすばらしいです!?」
「いやでもおまえ、こいつら問答無用で殺してたよな?」
クレアちゃんが冷静な突っ込みを入れた。
「はいです。こいつらはなんの価値もない雑魚です」
そう真顔で断言する絢佳ちゃんに、クレアちゃんは困惑気味だ。
「いや、そう言われてもよくわからないんだが」
私にもわからない。
絢佳ちゃんは続けて言った。
「ざっくり言うと、わたくしは「星辰教団」でもニャルラトテップさまのセクトにいるです。クトゥルフとは別セクトなのです」
「セクトが別なら殺しても構わないけど、「星辰教団」そのものがあったことは喜ばしい、ということか?」
「ですです」
絢佳ちゃんが嬉しそうにうなずく。
「それに補足すれば、クトゥルフが如き神はこの手で放逐してやるです」
ファイティングポーズを決めながら、絢佳ちゃんが言った。
「そんなことをしたら、この<ホーム>から「星辰教団」はなくなってしまうんじゃないか?」
クレアちゃんが重ねて尋ねるが、
「ニャルラトテップさまが信仰されていないのに、クトゥルフ如き神だけが信仰されているなんて許されないことなのです!」
と、逆に力説されてしまった。
クレアちゃんは肩をすくめてみせてから、うなずいた。
「絢佳がそれでいいっていうんなら、それでいいんだ」
そうなのだ。
「星辰教団」とは邪教徒であり、クトゥルフは邪神、つまり滅ぼすべき対象なのだ。
とりわけ、リィシィちゃんと沙彩ちゃんにとっては不倶戴天の敵である。
見逃すわけにはいかないだろう。
だから絢佳ちゃんが戦うと言っているのであれば、私たちも一緒に戦えばいいのだ。
ただ、戦える相手なのかどうかはまだわからない。
絢佳ちゃんは強いから問題ないと思うけど。
「この部屋はほかには特になにもないようです」
絢佳ちゃんはそう言って、みんなを促した。
ぞろぞろと廊下に出て、左翼側の方を見た。
「――!?」
私は、我が目を疑った。
そこにいたのは、こちらにゆっくりと歩いてくるのは、間違いなく、あの人だった。
私たちがかつて手合わせした剣客、不知火怜刃斎さん。
彼は剣呑な目つきでこちらを見やりながら、ふらふらとする感じで歩いてくる。
どうしてこんなところに彼が?
いや、そんなことよりも彼は――彼の持つ勁は、なんということだろう、<黒勁>だった。
それと併せて、<武勁>も会得していた。
「どうして」
私は知らず、呟いていた。
「貴方に<武勁>の話をしたのはどうやら失敗だったようです」
絢佳ちゃんが静かな怒りを込めて言った。
そういうことか。
彼は、<武勁>を目の当たりにしてそれで――
じゃあ、彼が「黒書」に転んだのは、私たちが原因ってこと?
私は目の前が真っ暗になるのを感じた。
なんてこと。
あり得ないミスを犯してしまった。
彼の人生を、魂を堕落させてしまった。
この、私たち、否、私が。
力が抜け、思わずふらついた。
それを、優しい手が支えてくれた。
沙彩ちゃんだ。
沙彩ちゃんは、哀しい目をして私を見ていた。
彼女も責任を感じているのだろう。
私は溢れそうになる涙を袖で拭うと、自分の足で立った。
責任を取らなくては。
なんとしてでも。
これは私がしなければならないことだ。
私は、不知火さんを見据えて、
「どうして「黒書」なんかに手を出したんですか」
と言った。
無論、その答えは知っていた。
「お嬢ちゃんたちが教えてくれた<武勁>のためだ。分かってるだろう?」
不知火さんが言う。
「やっぱり、そうなんですね。それで、不知火さんはどこでその勁を手にしたんですか?」
「「第十二写本」です?」
私の言葉に重ねて、絢佳ちゃんが問う。
「そう言っておったな。尤も、そんなことは儂にはどうでもいいことだが」
「私たちが、<勁力>を解放するまで待てなかったんですか?」
「それまでにいったい、何年かかる? 儂は見ての通りの老体。いつまで現役でいられるかもわからん。そこへ悪魔が現れて言ってくれたんだ、<武勁>を会得したくはないか? とな」
「悪魔と分かってて魂を売り飛ばしたのか!?」
クレアちゃんが叫ぶ。
「その通り。魂なぞなんの価値もない。今生で力を得ずになんの人生か」
「くそっ」
クレアちゃんは歯がみして下を向いた。
「戯れ言はもういい。勝負しようではないか。死合だ。死合をしようぞ」
そう言って不知火さんは、嬉しそうに笑った。
そして、腰に差した刀の柄に手をやりながら、ゆっくりと近づいてきた。
私は、一歩前へ出る。
「私がやる」
そう言うと、絢佳ちゃんはうなずいて、先を譲ってくれた。
<武勁>に覚醒し、<黒勁>も持つ不知火さんに私がどこまで戦えるかはわからない。
だが、やるしかないのだ。
私は、逃げない。
私はひとつ息を吐くと、ゆっくりと間合いを詰めていった。





