マヨイガ
私たちは、周囲に警戒しながら前庭に降り立った。
しっかりと手入れの行き届いた芝生が、かえって薄気味悪く感じる。
「んん-?」
雫ちゃんが、鼻をくんくんさせながら、首を傾げていた。
「雫ちゃん、どうしたの?」
「どうしてこんな山奥の上で、潮の香りがするんだろうねー?」
雫ちゃんが、辺りを見回しながら言った。
言われてみれば、確かに潮の香りがする。
「ほんとだ」
「ねー? おっかしーよねー?」
私の言葉に、雫ちゃんが聞いてくる。
私はこくこくとうなずいた。
それにもうひとつ、おかしなことがあった。
<感気>による感知が館の中に届かないのだ。ふつうは範囲内であれば、大抵の壁などは関係なく感知できるものだ。
私がそれを指摘すると、
「ここは、神域になってる。神社の境内みたいな感じがする」
と、霓ちゃんが言った。
「そうですわね」
リィシィちゃんも、苦い表情を浮かべて言った。
「早くぶち壊してしまいたいものですわ!」
私はリィシィちゃんの物騒な物言いに苦笑いしつつ、
「とにかく、気を引き締めていこう」
と言った。
「そうですね」
沙彩ちゃんがうなずいた。
すると、館を見つめていた絢佳ちゃんが振り返って、
「わたくしに提案があるです」
と言った。
「ここは、謂わばわたくしの庭のようなものです。危機察知などの面で、わたくしが先頭に立つのが適任だと思うです。それでいいです?」
「確かに、そうだね」
私たちは、「星辰神統」についてなにも知らないに等しい。
絢佳ちゃんの言うことは尤もだと思った。
「私はそれでいいと思う」
みんなも、各々にうなずいている。
「そして、わたくしの次には、邪神対応で最も力のあるリィシィちゃんと、強さと信仰の力を併せ持つ沙彩ちゃんがいいと思うです」
ふたりを見ると、それでいいと言うことだった。
「あとはみんなに任せるですけど、わたくしがいいと言うまでは、なにが出ても、なにを見ても、攻撃したり手を出したりしないで欲しいです」
「それは、先制攻撃の機会を失うことになっても、ということだな?」
クレアちゃんが言う。
「そうです。手を出さなければやり過ごせる、そして戦うに厄介な相手もいるです」
クレアちゃんが深くうなずく。
「また、アイテムや書物などの物品についてもおなじです。いたずらに手を出さないようにお願いするです」
「了解した」
「うん、わかったよ」
私も同意見だった。
ここは、専門家に一任すべきところだろう。
「あとの隊列はどうする?」
クレアちゃんが言った。
「残りはみんなが決めていいです」
絢佳ちゃんの言葉に、みんなで話し合った。
そして、次にセラちゃんと霓ちゃん、それから私と雫ちゃん、殿にクレアちゃんということになった。
私たちは隊列を組み直して、扉の前に立った。
躊躇うことなく、絢佳ちゃんが扉を開ける。
と同時に、中からより一層濃厚な潮の香りとともに、圧力を感じるほどの神気が押し寄せてきた。
ぞわっと鳥肌が立ち、背筋を震えが駆け上がった。
「妖書」による抵抗力がなければ、泣いて逃げ出していたかもしれない。
「厭な感じだな」
セラちゃんがぼそっと呟く。
「邪気に満ちてる」
霓ちゃんがそれに続いた。
邪神の館――
そう呼ぶに相応しい幕開けと言える。
福をもたらすマヨイガなんかでは、決してない。
ここに辿り着いたのは、この館に呼ばれたからか。
それとも、絢佳ちゃんが呼び寄せたのか。
否、むしろ絢佳ちゃんがこの<世界>に来たことすら、織り込み済みのことだったのかもしれない。
ニャルラトテップという神が、この館の存在を知っていて、その上で彼女を派遣したと考える方が理に適っているとさえ思えた。
迷いなく館に足を踏み入れていく絢佳ちゃんに、私たちは沈黙のまま続いた。
入ってすぐは広いエントランスになっていた。
全体的に薄暗く、空気は湿っぽい。
それでも飾られている絵画や彫刻などといった調度品の数々は古く、高価そうなものばかりで、一見すれば普通のお屋敷といった感じでしかない。ふかふかの絨毯も、湿り気があるようには感じられなかった。
正面に大きな階段があり、途中で踊り場があって左右に階段がわかれている。
両翼に繋がる階段の先は広間を見下ろす通路となっていた。
一階に見た範囲で扉の類いはなく、二階に上がるしかなさそうだった。
<感気>はここでも、広間の空間内にしか届かず、二階に見える扉の先や一階の壁の向こう側などはまったく察知できなくなっている。
もうすでにここの主たる邪神に見張られているような気がして、私はそわそわしていた。
ちょっとした死角や暗がりにちらちらと視線を投げかけてしまう。
「なあ、沙彩。どう思う?」
クレアちゃんが周りを見回しながら聞いた。
「そうですね。このお屋敷の持ち主というものが本当にいたとして、その人が見えてこないですね」
「だよなぁ」
「そうですわね。どこにでもある風でいて、どこにもないまがい物、といった感じですわ」
「そうなの?」
私は三人の会話に思わず聞き返していた。
「そうだな。こういうところに何度も出入りしていると、なんとなくわかるものなんだ。持ち主の個性っていうのが、どうしたって出てくる。ここにはそれがない」
「ありませんわね。灰色ですわ」
「例えば祝の家なら、かわいらしいもの、それでいて華美過ぎない清楚な感じ、という感じだ」
「えっ、私の家ってそういう風に見えるものなの?」
「見えるな」
「見えますわね」
うむむ……、これはなかなか恥ずかしい。
私は話題を変えて聞いた。
「そういうのがわかるのは、経験っていうこと?」
「経験っちゃ、経験かな?」
それならば仕方がない。私に一番欠けているのは経験なのだから。
「ほえー。上流階級に詳しいひとがいてよかったねー」
雫ちゃんが感心しきり、といった感じで言う。
私も、名目上はその上流階級に属しているのだが。まぁ、詳しくはないからいいのか。
「そうだね……」
私は苦笑しながら、そう答えておいた。
「さて、お喋りはこのくらいにして行くです」
「あ、うん」
絢佳ちゃんは、すたすたと階段を上っていく。
そして、踊り場から右手の階段に向かった。
「絢佳ちゃん、なにか当てはあるの?」
「特にないです」
絢佳ちゃんは振り返らずにそう言って、階段を上る。
「まあ、いいけどさ」
クレアちゃんが頭の後ろをかきながら言った。
どのみちどちらかを選ばなくてはならないのだし、先頭に立つものがそちらに行くというのならそれでもいいのかもしれない。
絢佳ちゃんは強いんだし、ね。
それでも、絢佳ちゃんは最初の扉の前に立つと、みんなを振り返った。
「開けるですよ。準備はいいです?」
絢佳ちゃんの視線に、みんなが肯んずる。
思わず緊張して、私は唾をひと飲みした。
ガチャという音とともに扉が開かれる。
同時に、むっとした潮気が肌に吹きつけてきた。
しかもなにか腐ったような臭いまでして、不快感が一気に増した。
正面の窓には青い藻のようなものがこびりついており、部屋の中は相変わらず薄暗い。
ベッドとクローゼットがあるきりで、他にはなにも見当たらなかった。
「ここは外れみたいです」
絢佳ちゃんがそう言って振り向いた。
「さあ、ちゃっちゃと次に行くです」
絢佳ちゃんは、生き生きとして輝いて見えた。
私たちは次の扉を目指す。片翼には、三つずつの扉がある。ちょうど真ん中の扉だ。
絢佳ちゃんは、一度みんなを振り向いてから扉を開けた。
最初の扉とおなじように、厭な臭いが漂ってくる。
ここも、中はテーブルと椅子、そしてベッドがあるきりで、空っぽと言えた。
<感気>に引っかかるようなものも特にないようだ。
「ここも外れでしたです」
部屋の中を見回しながら、絢佳ちゃんが残念そうに言った。
「じゃあ、次に行こう」
私が言うと、絢佳ちゃんはにっこりとうなずいた。
そして、一番奥の扉に向かっているときだった。
「――危ない!」
私は<忍術>の<罠>スキルで、通路に罠が設置されているのを察知して、叫んだ。
しかし、絢佳ちゃんは一歩を進んでしまう。
ひゅん、と音がして壁から飛び出してきたなにか――
それを絢佳ちゃんは事もなげに手で摘まんでいた。
矢だった。
「先端に毒が塗ってあるです。これからは気をつけるです」
誰にともなくそう言うと、絢佳ちゃんは毒矢を罠のトリガーである床板に突き立てた。
「これでもう安心です」
絢佳ちゃんは満足げにうんうんとうなずいた。
私たちも互いの顔を見合わせながら、なんとなくうなずいた。
「さて、次でこちら側は終わりです」
そう言って、絢佳ちゃんは次の扉の前に立つ。
そして、扉を開けたとたん、絢佳ちゃんは部屋の中に飛び込んでいった――





