碧河の奇跡
毎度お待たせして申し訳ありません…
なんとか更新できました
その晩は、みんなではしゃぎすぎて、私も気がつけば結構な量のお酒を呑んでしまっていた。
寝る前に解毒して、それから私たちはたっぷりと寝た。
翌朝、お湯を使って身体を拭いているときの、みんなからの視線がちょっと怖かった。
ガン見されるのはさすがに恥ずかしいのでやめて欲しい。
その日は、船に持ち込む荷物を買ったり積み込んだりした。
そして、午後からはゆったりとお茶をして過ごした。
その翌日、私たちは船上の人となっていた。
これから一週間かけて1000kmの川下りである。
私たちの乗る高速船は、帆と魔導エンジンによる補助動力のハイブリッド船で、専属の在野魔導師が乗り組んでいる。
夜も港には停泊せずにゆっくりと進み、一路ケペク市を目指すのだ。
ケペク市は碧河がケペク河にぶつかる逆T字の両岸に広がる大都市、ケペク大公領の首都である。
ケペク河の対岸はハウエン大公領になる。
ケペク市の南西方向に、目指す鬼霪砦がある。
鬼霪砦までは、ケペク河を遡上して途中から陸路を南下するルートと、ケペク河を下って河口にある龍の都から街道を西に進むルートがある。
どちらにするかはまだ決まっておらず、ケペク市で情報収集して死禍の酷い方を選ぶ予定である。
他の乗客も私たちと同じく冒険者ギルドに招聘された腕利きの冒険者パーティだ。
紅蜂と豪璃という2パーティが同乗していた。
私はパーティ黒百合のリーダーとして挨拶を交わしたが、反応はあまりいいものではなかった。
見下されているというか、侮られているというか、そんな感じだ。
私たちは彼らとは距離を置いて、あまり関わらないようにすることにした。彼らも今回の作戦に参加する以上、不用意に刺激しないようにすることにしたのだ。
大人の対応というやつである。
そして航河は順調に進んで、二日が過ぎたとき、それは不意に現れた。
急に死気が強まったと思った途端に、船はそれらに囲まれていた。
仰向けに浮かぶ無数の死体に。
たまたまデッキに出ていた私は、そのあり得ざる光景に目を奪われていた。
それは、青白い肌に白濁した瞳を見開き、口をだらしなく開いた死体だった。
だがそれは、普通の水死体ではない。
なにより、河岸までを覆い尽くすほどの数なのだ。
そして、船を取り囲んで、船とおなじ速度でついてきているのである。
これ自体がひとつの怪異だと判ずるほかないだろう。
「これはいったいなんだ!?」
誰かの叫び声に、私は我に帰った。
慌てて見回すと、デッキにいたみんなは私の側に来ており、船室にいたみんなも、デッキに上がってきたところだった。
私は<感気>と≪索敵≫で調べてみた。
しかし、それらは怪魔ではなかった。
ただの強い死気の塊なのだ。
「これは、なんなの?」
私の呟きに、
「死人ですね」
と紗彩ちゃんが答えてくれた。
「死人って?」
「亡霊と言ってもいいです。そのようなものです」
「亡霊は怪魔じゃないの?」
「違います。ただの迷える霊です」
そういう紗彩ちゃんは、苦々しい顔をしている。
「どうしたらいいの?」
「わかりません」
紗彩ちゃんは、まぶたを閉じて首を振った。
私は他のみんなを見た。
しかし、みんなも沈痛な表情をしている。
「どうしようもないの?」
「徳の高い僧侶でもいればな」
クレアちゃんが言った。
「そっか……」
私が肩を落としていると、
「害はないんです?」
と絢佳ちゃんが聞いた。
「このまま放置すれば、精気を吸われて死人の列に加わることになります」
低いトーンで紗彩ちゃんが言った。
「そ、それじゃあ、なんとかしないとだね」
と言ってみたものの、どうすればいいのかはわからない。
「でもどうするのー?」
雫ちゃんが言う。
「それは、わかんないんだけど」
「いつもどおりに魂力を直接攻撃すれば倒せるんじゃないです?」
と、絢佳ちゃんが言った。
「でも、すごいたくさんいるよ?」
「そこは地道にやるしかないです」
「うーん」
その、暴力的な解決手段に、私は納得しかねていた。
「それでいいのかな……」
「あたしもできればそういう手段に頼りたくないですね」
紗彩ちゃんが言う。
「理想論だとは思うんですが」
「そうだな。でも可能なら、その理想を叶えたいだろ?」
クレアちゃんが尋ねるということもなく言った。
それは紗彩ちゃんの想いを代弁した言葉だった。
「とりあえずさー、祈ってみようよー」
何気ない感じでそう言ったのは、雫ちゃんだ。
雫ちゃんは船縁で跪くと、目を閉じて両手を握り締めた。
すぐに、紗彩ちゃんも続いた。
私はふたりの祈りを美しいと感じ、見惚れてしまった。
ふたりの姿は、神々しくすらあった。
「このあたりで見たのは初めてだな」
その声に振り返ると、勝アントニーノ船長だった。
「船長さん」
勝船長は、私の呟きに目を合わせてきた。
「どうしたらいいでしょうか?」
私は、思わず尋ねていた。
「そうだなぁ。ひとまず「杜番」と「聖処女」の祈りってやつに期待してみようじゃないか」
勝船長はそう言って笑った。
笑ってる場合だろうか、とは思わなかった。
むしろ勝船長の言うとおりだと思った。
「祝ちゃんも一緒に祈るです」
絢佳ちゃんが言う。
見れば、セラちゃんとリィシィちゃんは静観の構えだ。
祈りとは距離のあるふたりだからだろう。
クレアちゃんは、なんとも言い難い感じという表情をしていた。
あまり信じられないのかもしれない。
ともかく私は絢佳ちゃんに頷くと、その場に跪いた。
そして両手を合わせ、目を閉じた。
祈りと言っても、私にはどうすれば祈り足り得るのかも、よくわからなかった。
しかし、自然と心の裡から祈りの言葉が浮かんできた。
死人たちの苦しみを取り除き、この世に結びつけているものから解放されるように――
死人たちが安らかに眠れるように――
私は、本尊である光蓮如来さまに祈りを捧げた。
どれぐらいそうしていたのか。
リィシィちゃんの声が不意に耳に入ってきた。
「晴れてきましたわ」
私は慌てて目を開けた。
すると、船を取り囲んでいた死人の姿がうっすらと透き通ってきていた。
「ほんとだ」
そうして見ている間にも、死人の姿はどんどんと消えていっている。
「助かったな」
勝船長が、ほっとした風に言った。
「まさかほんとうに祈りだけで、犠牲を出さずに済むとはな」
その言葉に、私ははっとした。
犠牲――
「船長、その、犠牲って」
「ああ、いつもならな。あの規模に囲まれたら、ひとりやふたりは連れてかれちまうもんなんだ」
私は言葉を失った。
それほどのことだったのか、と。
「そんな顔するな、今回は誰も犠牲にならずに済んだんだから」
にかっと人好きのする笑みを浮かべて、勝船長が言った。
「は、はい。そうですね」
勝船長は、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「嬢ちゃんたちは、奇跡を起こしたんだ。胸張んな」
「奇跡、ですか?」
私はぱちくりと瞬いた。
しかし、言われてみれば、あれは奇跡だったのかもしれない。
「ああ、そうかもしれませんね」
だとしても、だ。
それは雫ちゃんや沙彩ちゃんであって、私ではないとも思った。
「でも、それはきっと、私じゃなくて、雫ちゃんや沙彩ちゃんだと思います。それか、絢佳ちゃんか」
なので、私は思ったままを口にした。
だが勝船長はそう思わなかったのか、
「いや、一番は嬢ちゃんだろう」
と言った。
私が首を傾げていると、
「ボクもそう思うよー」
と、雫ちゃんの声がした。
「あたしもそう思います」
「わたくしもです」
さらに、沙彩ちゃんと絢佳ちゃんもおなじ意見のようだった。
「え、でも、なんで?」
「なんか、祝が輝いて見えたぞ」
クレアちゃんが言った。
「え、輝いてって、え? 私?」
「ああ」
クレアちゃんだけでなく、勝船長もうなずいた。
「あたしも、祈りながら祝さんの気がぶわっと広がって、金色に輝くのを感じました」
「ボクもー」
絢佳ちゃんも、うんうんとうなずいている。
まさか私にそんな現象が起きていたとはつゆ知らず、驚くばかりである。
「これは間違いなく奇跡だな」
クレアちゃんが嬉しそうに言った。
「さすが祝ちゃんです!」
絢佳ちゃんもノリノリで言った。
「で、でもでも、雫ちゃんと紗彩ちゃんも、すっごい綺麗だったんだよ」
私がそう言うと、絢佳ちゃんはにっこりしたまま首を振った。
「奇跡の主体は、確かに祝ちゃんだったです」
「そ、そんなこと、わかるの?」
「わかるです」
絢佳ちゃんがない胸を張って言った。
「奇跡の認知能力です」
確かそれなら、<妖詩勁>にもあったはずだ。
そういうことなら理解できる。
「なるほど」
ただ、実感が湧いてこないのは変わらない。
「うーん、でもなんで、私だったんだろう?」
私がそう言うと、みんなが顔を合わせた。
どうもそこはわからないらしい。
「まあ、いいじゃありませんこと」
リィシィちゃんがそう言って笑った。
「そうかな。うん、そうかも」
私もつられて笑う。
「そういうこった。今日は俺の奢りだ。ぱーっとやろうぜ!」
勝船長がそう言うと、船員達がわぁっと歓声をあげた。
そうして、それから船上での宴となった。
もちろん、主役は私だ。
最初は緊張してガチガチだったが、そのうちお酒の力もあってか緊張もほぐれてきて、気がつけばみんなと笑い合っていた。
紅蜂と豪璃のパーティとも打ち解けて、みんなで仲良くお酒を注ぎ合った。
そして、この辺りでの死禍の情報などもちゃっかりと仕入れることができた。
なお、この話は「碧河の奇跡」として広く伝えられることになり、私は大いに困惑したのだが、それは後々の話だ。
その後の日々は、訓練と新たな≪奥義≫の開発に充てた。
いきなり空中戦をはじめた私たちに船上のみんなは驚いていたが、私たちは気にせず戦闘訓練をした。
そして、私の新武術<光輪拳>の≪奥義≫開発だ。
いくつかのアイディアをみんなに聞いてもらい、それを整理し直して、順番に形にしていった。
一日一個のハイペースである。
もちろん、チート能力を全力でもちいた結果だ。
本来なら≪奥義≫ひとつの完成を見るには最低でも1週間はかかる。
それを<智勁>の専門分野を<妖詩勁>で増やして「武術」を追加することで1日に短縮したのだ。
それでも、実際に形にできたのはアイディアのうちの半分ほどだった。
順調に航河が進んで、ケペク市に到着したからである。
みんなはみんなで、<妖詩勁>の整理とそれによる自身の力の強化をしていた。
ケペク市は、壮麗な都だった。
私が今まで見てきた中では最も歴史が古く、ゆえに伝統の趣溢れる都市である。
河川の合流地点の両岸から、河川自体の上にも街が広がる、半水上都市だ。
勝船長のごつい手にわしわしと頭を撫でられて別れを済ませると、私たちはひとまず宿を探すことにした。
石畳の上を歩きながら、石や煉瓦を積み上げて造られた街並みを、私はきょろきょろと見回していた。
建築物は一様に歴史を感じさせる偉容を誇っており、ケペクの名がついているだけのことはあるのだと感じられた。
人口や規模で導都に劣るとも、都市そのものとしては、決して劣らない、そんな雰囲気がここにはあった。
実際、第一紀に世界を制覇した古明帝国の時代から、ケペク市の名は史書に見られるという。
それ以前から人は住んでいただろうから、一万年近い歴史が、この街にはあることになる。
気の遠くなるような時間の重みを感じる。
みんなでわいわい言いながら宿を見て歩き、適度なところを見つけるとそこで部屋を借りて、荷物を置いた。
そして、冒険者ギルドへと向かった。
ケペク市の冒険者ギルドも大きな建物だった。
3階建てで、敷地面積も広い。
中は冒険者でひしめき合っており、私たちは人を避けながら窓口に向かう。
窓口の職員に紹介状を渡すと、彼の顔色が変わった。
そして、私たちを見回してから、少々お待ちくださいと残して、奥に引っ込んでいった。
納得してもらえたのかどうかわからなかったが、私はあまり気にしないで待つことにした。
ほどなく彼が戻ってきて、2階の部屋へと案内された。
応接室らしき部屋で革張りのソファに腰掛けて待っていると、壮年の男性が現われた。
「待たせたな。私は、ニーロ・ヤコイラというものだ。ここの冒険者ギルド長をやっている」
私は立ち上がると、礼をして言った。
「は、はじめまして。私は不解塚祝です。パーティ黒百合のリーダーをやってます」
それから、みんなが簡単に自己紹介をしていく。
ニーロさんは、見た感じ混血の戦士といった風体で、威厳のある雰囲気を身に纏っていた。
彼は私と、それからみんなを一通り見回すと、
「書面にあった通りのようだな。正直、君のような幼子がリーダーをやっているというのは信じがたいものがあるが」
幼子は言い過ぎではないだろうか、と思いつつ、
「はい。まだまだ若輩者であることは承知しています」
と答えておいた。
「若輩者ねぇ」
ニーロさんは、片眉を上げながらぼやくように言った。
どうにも納得できない、といった感じだろうか。
「まぁ、実力さえあるんなら、こちらにも文句はない。よろしく頼むぜ」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そして、私たちは握手を交わした。
「まずは、事務的な話からだ。セラってのはあんただったな?」
「そうだけど?」
名指しされたセラちゃんが、不審げに目を細めながら答えた。
「この間の死鬼討伐で、あんたの冒険者ランクがEに上がった。あとで更新しておいてくれ」
セラちゃんは、目をぱちくりさせてうなずいた。
そういえば、冒険者ランクとかあったなぁ、と私は他人事のようにその話を聞いていた。
「セラちゃん、おめでとうです」
その横で、絢佳ちゃんがしっかりとフォローを入れていた。
「おめでとう」
私も慌てて言った。
セラちゃんは、心なしか頰を染めつつ、うなずいていた。
「さて、お嬢ちゃんたちにはこれから「妖術師」討伐に参加してもらうわけだが、鬼霪砦までの道程について、本部から指示が来ている。ここまではいいか?」
「はい」
「ここからケペク河を遡って、途中のケリュップという街で船を下りてもらい、そこから街道沿いに鬼霪砦に向かって欲しい、とのことだ」
「理由は?」
クレアちゃんが問うた。
「途上の死鬼討伐任務だな。ケリュップ市から鬼霪砦までの間には、ひとつ大きな墳墓がある。そこを攻略しろってことだ」
「私たちだけでか?」
「そういうことだな」
クレアちゃんが眉をひそめるが、沙彩ちゃんが言葉を発した。
「そこならたぶん、あたしの知っているところです」
「どんなところなんだ?」
クレアちゃんの問いに、
「第二紀末の「英雄」不知火神如の戦いのひとつに、大きな会戦がありました。そのときに出た犠牲者を弔ったものです」
「そのとおりだ」
ニーロさんが言う。
「そこで、強力なアンデッドでも確認されておりますの?」
リィシィちゃんが言った。
「ああ。正解だ。幽鬼の軍勢だ」
「軍勢? 数は?」
クレアちゃんが怒気をはらませて聞き返した。
「最低でも10以上、おそらく20は越えてるって話らしい」
幽鬼は生命力を喪失させる能力を持ち、また単純な戦闘能力も高い、かなり強いアンデッドだ。
それが20以上いるともなれば、並の冒険者では敵うまい。
「指揮官がおりますのね?」
「ああ。間違いない」
つまり、統制の取れた攻撃を仕掛けてくるということだ。
「やれるか?」
ニーロさんは、みんなの顔を見回してきた。
「はい。問題なく」
即答したのは、沙彩ちゃんだった。
「ほう。自信たっぷりだな?」
「あたしたちの実力を鑑みてのことです」
沙彩ちゃんは冷静に答える。
「いいだろう。他ならぬ「杜番」の言葉だ。信用しよう」
ニーロさんはそう言って、
「必要な物資があれば言ってくれ。たいていのものは用意できる」
「移動手段は?」
クレアちゃんがすかさず言った。
「それは、特別なヤツを提供するように言われている」
「特別なヤツ?」
「魔導船に、魔導車両を積み込んである」
「!?」
クレアちゃんが目を瞠る。
私も同じだった。
魔導船や魔導車両は、すべて軍が管理・運用しているはずだ。
「鬼霪砦特務隊長の埜木慶紀閣下からの提供だ。そいつに乗ってとっとと来いってな」
私とクレアちゃんは顔を見合わせた。
そういうことなら、わからなくもない。
ないが、かなりの特例なのも間違いのないことだ。
「了解」
クレアちゃんは、降参したように両手を挙げた。
「わかりました」
私は、若干うわずった声でそう答えた。
「詳しいことはこれに書いてある」
ニーロさんは、書類を私に手渡してきた。
「だが、質問があれば、遠慮なく聞いてくれ。要望もな」
「出発については?」
私の問いに、
「可及的速やかに、だそうだ」
ニーロさんはそう言って、部屋を出て行った。
私たちも立ち上がると、出発に向けての準備に取りかかった。





