国境門
翌日、私たちはまたのんびりと街道を西へと進んでいた。
あと5日もしないうちに、国境門が見えてくるはずだった。
魔導共和国とケペク大公領の国境だ。
国境とはいえ、ケペク大公領は魔導共和国の属領地。
領地の境を越えるようなものである。
警備は厳重だが、「姫騎士」ふたりがいて問題が生じることはない。
ないはずだ。
そうしててくてくと歩いてそろそろ中天に陽が差し掛かろうか、という頃のことだった。
雫ちゃんが警告を発した。
「後ろから複数の人馬が来るよー。この規模はキャラバンかなー」
「聖処女」である雫ちゃんは、野外、とりわけ森の中に於いては抜群の知覚力を発揮する。
距離、精度ともにパーティ随一である。
相変わらず<武術>について考えていた私は、雫ちゃんの声に立ち止まった。
「どうしようか?」
みんなも立ち止まり、顔を見合わせる。
「ひとまず道を空けてやり過ごそう」
「それでいいと思います」
「ですわね」
みんなで街道の左側に寄って後ろを振り返っていると、
「一騎、早駆けで来るよー」
雫ちゃんののんびりとした声が告げた。
「様子見しよう」
クレアちゃんの言葉にみんなでうなずいた。
間もなく、一騎の影が見えてきた。
中装ほどの革鎧を着て、背中に弓を背負い、腰に剣を佩いた精悍な男だ。
数メートルの距離にまで近づいたところで、男は馬を止めた。
「俺はキャラバンの護衛任務についている者だが。そちらは?」
「ただの旅の途上だ」
クレアちゃんが堂々とした応答をする。
「ただの旅というには、少々目立つメンバーのようだが?」
警戒心も露わに、彼は私たちをじろじろと見た。
クレアちゃんと沙彩ちゃんが、ちらりと視線を交わらせて、沙彩ちゃんが口を開いた。
「隠すことでもありませんから、こちらから名乗らせてもらいます。
あたしは「祐杜衆」「杜番」不破沙彩といいます。
みんなの身分はあたしが保証します。
それで、あなた方は?」
「杜番」という言葉に男の表情が変わる。
「これは失礼した。俺はローガンという傭兵だ」
言いながら、ローガンは馬を下りてこちらへと歩いてきた。
「俺はロナウド氏のキャラバンの護衛任務に就いている傭兵隊「赤の剣」の斥候として来た。他意はない」
「わかりました」
「質問をひとつだけ、いいだろうか?」
「内容次第ですが」
「無論だ。見たところ徒歩での旅のようだが、なにか事情でも?」
「怪魔に襲われて、馬と馬車を失ったのです」
「それは不運だったな」
沙彩ちゃんはうなずいて言った
「馬にはかわいそうなことをしました」
ローガンは苦笑して、
「そうだな。確かに。ちなみにその怪魔は?」
「陸飛び魚の群れでした。そちらは殲滅してあります。以後は特に遭遇していません」
「陸飛び魚か、なるほど。あれは厄介だな」
うんざりした顔でローガンが言った。
「キャラバンが見えてきたよー」
雫ちゃんが言う。
ローガンも振り向いて確認した。
「紹介したい。待っててくれるだろうか?」
沙彩ちゃんはうなずいて返した。
私たちはロナウド氏に同行を勧められたが断って、彼のキャラバンを見送った。
そして、また歩き始めた。
「クレアちゃん、一緒に行ってもよかったんじゃないの?」
「まあ、そうなんだが。まだ私の件が決着ついてないから、あまり名乗ったりしたくなかったんだ」
「そっか。だから、沙彩ちゃんが」
「そうだ。それに、<妖詩勁>のこともあるしな。他人がいるとあまり口にできないし、≪通信≫でばかり話してたら怪しまれるだろう?」
「<妖詩勁>のこと?」
「ああ。まだ私たちは整理しきれていないというか、能力が大きすぎてな。祝に相談したいことも多い」
「なるほど。わかった」
私はうなずいて、
「みんなも、「妖書」のことで聞きたいことがあったら言ってね?」
みんなにも声をかけた。
「それなら、聞きたいこといっぱいあるんだけど」
セラちゃんが、少し必死な感じで口を開いた。
「うん。いいよ。なんでも聞いて」
それから、セラちゃんに能力の説明をしながら歩き、昼食を摂った。
午後にはスケルトン数体の襲撃があったが、瞬殺してまた旅を再開する。
途上で導都方面へ向かう馬車と何度かすれ違ったが、特に問題は起こらなかった。
そして夕方に杜の中に入ってキャンプ地を見つけて夕食にした。
たき火を囲みながら、食後のコーヒーをすすっていると、たき火の向こう側で話す声が聞こえてきた。
セラちゃんに雫ちゃん、そしてリィシィちゃんだ。
「なあ、あたしはもう人間やめちゃったのかな?」
「うーん。気持ちは分かるけどー、自分を人間だと思っていれば、人間なんじゃないかなー?」
「あたしは雫のように、気楽には考えられないな」
「むー、それはどういう意味かなー? ボクをなんだと思っているのかなー?」
雫ちゃんが口をとがらせて、セラちゃんをにらみつけていた。
「まあまあ、おふたりとも落ち着きなさって」
そこへ、リィシィちゃんが割って入る。
「わたくしの開祖も「虚無」を魂に結びつけ、人間をやめましたわ。
そうしてまでも、成さねばならないことがあったから、ですわね。
誇りを持って、自ら人間であることを捨てたんですの。
そしてその尊い意志は、わたくしたちの代まで受け継がれてますわ」
「つまり、どういうことだ?」
「わたくしたち「魔勁皇流」のものは、死後、「奈辺の眷属」へと転生し、虚無の中で開祖にお仕えするのですわ。
それはすなわち、死後の魂を永遠に捧げるということになりますわね。
その覚悟のないものは、入門すら許されないんですの」
「そ、壮絶だねー」
若干、引き気味に雫ちゃんが言った。
「そうですわね。問題は、覚悟のありかだと思うんですのよ」
「覚悟のありか、か」
「ええ。セラちゃんが、祝ちゃんのために喜んで人間をやめられるかどうか、そのことに不満も後悔も抱かずにいられるか、ですわ」
「その覚悟が、リィシィにはできているっていうことか」
「ええ、そうですわ。今さらですわね。
ひとつ問題があるとすれば、死後、「奈辺の眷属」として開祖にお仕えすることができなくなりそうなこと、ですかしら?」
「それは大丈夫なの?」
雫ちゃんが、真面目な顔になって聞いた。
「大丈夫ですわ。開祖の宿敵のひとつは、「黒書」ですもの。
おなじ「黒書」と戦うものとして、お許しくださいますわ」
「そうか。まあ、こうやってみんなでこれからも生きていくんだったら、その程度のことはどうでもいいのか」
セラちゃんが、小首を傾げながら言った。
「セラちゃん、悟っちゃった?」
「悟るっていうか、得心がいったっていうのかな。
もとより、まっとうな人間として生を承けてもいないし、生きてきてもいないんだから、気にするところが間違っていたのかなって思ったんだよ」
「そうだねー。まあ、ボクも真面目な「聖処女」とは言えないし、ダラフォさまの道として、「妖書」の力が認められるのかって考えなくもないけど。でもまあ、なにもないから大丈夫なんだと思うよー」
「なにもないってなんのことだ?」
「もし、ダラフォさまがお認めくださらなかったら、きっとボクはもうすでに、「聖処女」じゃなくなってるってことー」
「そうなのか?」
「そうだねー。リィシィちゃんもそういう感じだよねー?」
「そうですわね」
リィシィちゃんが、得たり、といった顔でうなずいた。
そうか――
私はもともと人間ではなかったから、人間離れした能力があるという程度の認識だったけど。
みんなからすれば、人間をやめたっていう認識になるのか。
私は悪いことをしてしまったかも、と思ったが、
「祝、私たちはどうなっても、祝について行く。だから、あまり気にするな」
クレアちゃんが私の心を読んでいたように、言ってくれた。
「うん。ありがと」
私はクレアちゃんにうなずいて返す。
そして、変に思い悩むことはやめることにして、カップのコーヒーを飲み干した。
見上げれば、樹々の間から星の煌めきが見えた。
私はただ、この世界ですべきことをして、その間もその後も、みんなとこうやって生きていくんだと、そう星々に密かに誓った。
<妖詩勁>の力で食事も睡眠も必要なくなった私たちだが、敢えて睡眠を取ることはリフレッシュにはなるので、今までどおり交代で見張りを立てて、残りは眠りについた。
それから3日。
私たちの往く先、街道の彼方に石造りの門と城壁が見えてきた。
国境門だ。
ここに辿り着くまでに、アンデッドとの遭遇は5回を数えた。
敵と言えるほどの存在はいなかったが、ふつうのパーティやキャラバンは、さぞ苦労することだと思う。
これが、魔禍の温床とまで言われるケペク平原の日常なのか、と私は漠然と思っていたのだが、どうやら違うらしい。
クレアちゃんや沙彩ちゃんが言うには、あまりにも遭遇頻度が高いという。
アンデッドが活発化している――すなわち、「死禍」が起きていると言い得るほどだというのだ。
導都での件、先日の件と、どうも昨今の導都近辺は「妖術師」が多い気がする。
それは私だけの見解ではなく、みんなも同様に考えていた。
国境門は小さな街にもなっている。
そこで情報収集ができる、と沙彩ちゃんは言った。
同時に、「死禍」が認定されていれば、アンデッドの討伐依頼も常設されているだろうとも。
それはすなわち、貴重な収入源になるということだ。
あまりおおっぴらには喜べないが、私たちはやる気をみなぎらせて、国境を目指した。
その日の夕方には、私たちは国境門に着いた。
検問も問題なく通れた。
「姫騎士」ふたりに「杜番」がいるパーティに文句をつける共和国軍人などいはしないのだ。
ただ、いつもと違うのは、門衛に魔導騎士がいたことだろう。
そして、沙彩ちゃんの予想どおり、「死禍」の発生が告知されていた。
ケペク大公領とハウエン大公領、そして海王領の三国で、「死禍」が認められているということだった。
それは、近年囁かれつつあった「死禍」の到来の現実化であり、死鬼の氾濫を意味していた。
思っていた以上に大きな事態になっていたらしい。
正式な告知は1週間前とのこと。
三国のあちこちで同時多発的に「死禍」が生じ、死人返りやアンデッドの発生が認められたのだ。
「お金稼ぎとか言ってるばあいじゃなくなっちゃったね」
私の呟きに、クレアちゃんが苦笑し、沙彩ちゃんが眉根を寄せた。
「そうですね。一刻も早く鎮圧しなくてはなりません」
「そこまでしなくちゃいけないかな?」
私が問うと、
「あたしは、「杜番」です。魔禍を知ってこれに対処せずにいては、誓命に反したことになります。
ですから、鎮圧まであたしはこの地で活動しなければならなくなりました」
申し訳なさそうに沙彩ちゃんが言う。
「なんだ。そういうことなら、みんなでがんばろうよ」
私は務めて明るく言った。
「ね、みんな?」
みんなも当然のことといった顔でうなずく。
「みなさん。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる沙彩ちゃんは、私の大好きな、立派な「杜番」の沙彩ちゃんだった。
「じゃあ早速、冒険者ギルド行こうよ」
私の声に、クレアちゃんが待ったをかける。
「その前に、宿を取らないと。もう陽も暮れてきてる」
「そっか。じゃあ、冒険者ギルドは明日だね」
私たちは中程度の宿を探して、大部屋をひとつ借りた。
宿での久しぶりの暖かい食事はとても美味しかった。
そして、安心安全な宿での夜は、ぐっすりと眠ってしまった。
翌朝早く、私たちは宿に荷物を残し、<龍姫理法>で≪結界≫を張って荷物を守り、冒険者ギルドに向かった。
この街は、さすがに導都とは較べられないものの、道中のどの街よりも大きかった。
人口2万ちょっとといった規模だろうか。
そのため、また、「死禍」のさなかであることもあってか、街中は多くの人で賑わっていた。
街についてから「死禍」を知り、街に残らざるを得なくなったものも多くいるのだ。
そして、魔導共和国の軍属も周辺地から集結しているらしい。
クレアちゃんが魔導騎士チャンネルで調べてみたところ、やはりと言うべきか、「妖術師」の影が背後に見られるとのことだった。
≪死霊術≫を操る、「死鬼門」の「妖術師」だ。
彼らのうち、「死鬼王」の位階に至ったものは、自らを「吸血鬼」もしくは「幽王」に変じていると伝えられる。
武力に秀でた「魔妖剣」とは別ベクトルで強敵だと言えるだろう。
もちろん、かつて倒した「魔霊王」が弱いということでは決してないのだが。
私たちは、掲示板に貼り出された「死禍」鎮圧についての告知を見た。
そこには、「妖術師」については明確に書かれてはいなかったが、その可能性についての注意書きはされていた。
発見次第、無理せず生還して報告せよ、とのことだった。
「死禍」鎮圧については、ケペク大公領とハウエン大公領の全域に加え、海王領南部と記されていた。
その中心地が、古よりの「死禍」の地である、鬼霪だ。
鬼霪は死気の溢れ出す死地で、アンデッドが自然発生する聖大陸最大の忌み地である。
有史以来、それは続いており、かつては英雄不知火神如も戦った土地だ。
その頃、鬼霪はまだ大地があったのだが、第二紀末の魔禍で土地が沈み、それ以来、死気を含んだ霪の降る内湾になったのである。
鬼霪の北東部には、鬼霪砦と呼ばれる街があり、周辺地域の「死禍」を日常的に鎮圧するための軍や聖職者、冒険者などが寝泊まりしている。
今回の鎮圧作戦の司令部も、鬼霪砦に置かれているという。
全体の趣旨としては、無理せず、でもできるかぎり見かけたら殲滅せよ、というものだ。
無理せず、が敢えて書かれてあるのは、取り込まれて死鬼になってしまう危険性が高いからだ。
報酬は、活動期間による定額金と強力なアンデッド討伐による報奨金というシステムだ。
もちろん、討伐は証明が必要なのだが、私たちには「杜番」がいるので沙彩ちゃんがいることそのものが証明になる。
私は、窓口で鎮圧作戦参加を申し込んだ。
窓口の役人ははじめ、胡散臭そうに私を見たが、差し出した全員分の冒険者カードと申込書を見るなり、態度を豹変させた。
「あっ、す、すみません。すぐ手続きしますっ!」
彼は慌てて書類を手に奥へと引っ込んでいった。
私は肩をすくめてみんなを振り返る。
クレアちゃんは苦笑いを浮かべ、雫ちゃんなんかは声を上げて笑っていた。
すぐに役人は戻ってきて、冒険者カードを返却してきた。
「どうぞ、お気をつけて」
彼にうなずくと、私は窓口を離れてみんなにカードを渡した。
「これで、少しは収入になるかな?」
「だといいがな」
「がんばりましょう。人助けと収入の一石二鳥になりますから」
沙彩ちゃんが、爽やかな笑顔で言った。
「そうだね。がんばろうね」
私たちは、冒険者ギルドの建物を後にして、街中に出た。
私が装備を新しくしたいと言ったからだ。
ところが、途端に張り切り始めたみんなによって、私の着せ替えショーが始まってしまった。
ああでもない、こうでもないと言うみんながいろんな服を持ってきては私に着せて、また話し合う。
私は言われるがままに着替えて立っているだけだった。
楽しかったよ?
楽しかったけど、疲れたよう……。
とりあえず、めっちゃそそるとかいう理由でビキニアーマーになりそうなのだけは全力で回避できてよかった。
恥ずかしすぎて外歩けない、あんなの。
それで結局、どうなったかと言えば、ミニ着物にマントとブーツというスタイルだ。
これは私もかわいいと思ったので満足した。
ちゃんとチェインシャツと短めの刀二振り、小柄、苦無はなかったので投げナイフも大量に購入できた。
その後、絢佳ちゃん以外のみんなも自分たちの服を選び出して、私もそれに参加したりした。
セラちゃんも自分はいらないと言っていたのだが、私のようにみんなに着せ替えされて結局は購入していた。
絢佳ちゃんだけは、どうしても着替えないと頑なに拒んで試着すらしなかったけど。
曰く、「旧型白スク水」という恰好にプライドを持っている、らしい。
私はいい加減見慣れてしまったが、未だに街中を歩いていたりすると、絢佳ちゃんは注目を集めている。
髪の毛もピンク色だし、絢佳ちゃんは目立つことこの上ない存在なのだ。
おそらく当人が一番、気にしていないのだと思う。
あと、裸足で痛くないのかな、と思ったりもするが、言わぬが花だろうか。
ともあれこうして、私の<新武術>での装備は整ったのだった。





