発端の夜
それから3日、私は御苑の魔導書庫に籠もりきりになった。
しかし、些末な情報が得られるばかりで、収穫があったとは言えなかった。
一方、導都組も「妖術師」および焔蛇の捜索に奔走したが、こちらも収穫はなし。同時に、あの後襲撃もなかった。
その間、毎日エレインさまが声をかけてくれて、私はなんだか嬉しかったのだが、その意味を夜になって知ることになるのだった。
寝床について、眠るでもなくあれこれと益体もないことを考えていると、突然、大きな音がした。
ドアの方を見ると、ひときわ大きな音がして、続いて複数の足音と、鎧を着たもの特有のガチャガチャという金属音がした。
緊張しつつも、ベッドの上で様子を見ていると、寝室のドアが開けられた。
薄暗がりの中、寝室に入ってきたのは、武装した「姫騎士」だった。
その数、10人。
そして、それを率いているのが、エレインさまだった――
「エレインさま? いったい、なんですか?」
私は冷静だった。
そういうことだったんだ、と心中、腑に落ちていたのだ。
エレインさまの優しさの訳がわかり、私は急速に冷めていった。
私の問いかけに、先頭のエレインさまが足を止める。
そして、室内に4人の「姫騎士」が入り、窓際をふたりが固め、ベッドの両脇にひとりずつが立ち、入り口をもうひとりが塞いだ。
エレインさまはそれを待ってから、口を開いた。
「あなたに話があって来たのよ」
「その割りには、ずいぶんと物騒ですね」
「逃げられないようにね、用心のためよ」
その言葉には、親しみなど欠片もなく、冷たく、恫喝的だった。
言葉遣いがそのままなのが、それに拍車をかけている。
「最近、ずいぶんと活躍しているようね。
ここまで噂が飛び込んできているわよ。
それで、聖下になにを吹き込んだのかしら?」
「聖下に?」
意外な言葉に私は首をかしげる。
「そもそも、あなたって「魔王」だっていう話じゃない。
他の「魔王」さまがたが千年以上も前に生み出されたのに、どうして今さらあなたが現われたのかしら?
見た目も子どもだし。
まぁ、そういうわけで、聞きたいことが、いろいろとあるのよ」
「聖下とのお話については、機密事項になりますので、お話しできません」
「では少々、乱暴な手段に訴えざるを得ないわね」
「これ以上の乱暴ですか?」
私は周りを見回す。
「私を殺してしまっては、なにも得られなくなりますよ」
エレインさまは嗤った。
「もちろん、殺しはしないわ。ただ、少し痛い目に遭ってもらうだけよ」
そう言って、エレインさまは剣を抜き放った。
合わせて周りの「姫騎士」たちも剣を抜く。
私はベッドの上で剣もなければ防具もない。
不利なことは否めなかったが、危機感を覚えるほとではない。
むしろ、今回は殺さずに制圧することを考えていた。
理不尽な暴力に晒されたとはいえ、おなじ「姫騎士」同士で殺し合うのはまずい。
まして魔導皇聖下のお膝元である、御苑ではなおさらだ。
私の中に、殺人に対する禁忌感があることも否めない事実だったが。
私は注意深く<感勁>と<感気>で周囲を探った。
部屋の外に、さらに10人の「姫騎士」がいるのがわかる。
これだけの規模だと、エレインさまひとりの独走とは思えなかった。
「どなたの命令ですか?」
私の言葉に、エレインさまはびくっと眉を動かした。
しかし、険しい表情は変わらない。
「質問しているのはこちらの方よ」
返答なしで話題を逸らされた。
よほど上のひとの働きかけ、ということだろうか?
政治などには詳しくないので、どの辺りがあやしいのかもわからない。
私がちょっとの間考え込んでいたのをどう見たのか、エレインさまが言った。
「やれ!」
左右から剣が振り下ろされる。
さすがに座ったままで剣を身体に受けては、痛いでは済まされないだろう。
殺気は感じられなかったが、重傷を負わせて≪治癒≫でもかけるつもりのようだった。
「≪空蝉≫」
私は久しぶりに忍法を使って脱出した。
剣はネグリジェを空しく切り裂く。
その間に私は寝室の天井角に跳躍し、そこに張り付いた。
「どこへ消えた!?」
エレインさまの怒号を耳にしつつ、<隠勁>と≪影身≫を使い、部屋の暗がりの中に完全に溶け込んだ。
この状態の私を看破することは、容易ではない。
すかさず私は、≪通信≫を使って「魔王」チャンネルに呼びかけた。
「「魔王」さま! 緊急! 祝です。
今、エレイン・ホワイト卿一派に襲われています。場所は騎士団舎の私の部屋です。どう対応したらいいでしょうか?」
もちろん、声に出してはいない。
即座に反応があった。
「ラトエンだ。無事か?」
「無事です」
「今すぐ行く」
「お待ちしています」
その間にも、みんなは私を探して右往左往していた。
私は息を潜めてじっとする。
そこへ、軽い悲鳴が聞こえた。
同時にラトエンさまの存在を<感知>で捉える。
「お前たち、ここでいったい、なにをしている?」
エレインさまが、はっとして後ろを振り返った。
「ホワイト卿、お前が首謀者か?」
ラトエンさまの言葉が響き渡る。
「ラトエン、さま?」
エレインさまの動揺して震えた声が力なく漏れた。
「どうして、ここに……?」
「不解塚卿から通報を受けた。不解塚卿はどこだ?」
私は≪影身≫を解除しながら、床に降り立った。
「ここにいます」
目の前に突然現われた私に、「姫騎士」が驚いていた。
私はそれを無視して、エレインさまの隣に立つ。
エレインさまも目を見開いて私を茫然と見つめている。
「無事、のようだな」
部屋に入ってきながら、ラトエンさまが怪訝な顔をして言う。
「服を着たまえ」
ラトエンさまの言葉に、私は自分がドロワーズしか身につけていないことに気がついた。
≪空蝉≫を使ったせいだ。
私は慌てて胸を隠す。
「は、はひっ」
変な声が出てしまった。
即座に、身動きできずにいる「姫騎士」たちの間を縫って、ベッド脇にかけてあったバスローブを羽織る。
ラトエンさまは、その場にいる「姫騎士」を見回して言った。
「お前たち全員を拘束する。武器を捨てろ」
言われるがまま、「姫騎士」たちは剣を捨てた。
エレインさまも剣を捨てるが、にやりと笑うと言った。
「あなたのお友だち、無事でいるかしらね?」
「――!!!」
私は、次の瞬間にはテレポートしていた。
導都の自室だ。
外からの物音は聞こえない。
私はドアを開けるのももどかしく、一階ホールにテレポートした。
「!?」
そこは、血の海だった。
その中にひとり、絢佳ちゃんが立っている。
絢佳ちゃんは振り返ると、私に飛びついてきた。
「祝ちゃん!」
「絢佳ちゃん、無事だった!?」
「無事です」
「みんなは!?」
「食堂にいるです」
私は死体を避けながら食堂に走った。
ドアは開け放たれており、すぐに中に飛び込む。
「みんな!」
「祝!」
「祝さん!」
「祝ちゃん!」
みんなは一様に疲れたような顔をしていたが、見た感じ怪我はないようだった。
「無事、なんだね?」
「あ、ああ」
「祝さんも、無事みたいですね?」
「私は、大丈夫だよ」
私はほっとした瞬間、力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫ですの?」
リィシィちゃんが私に抱きついてくる。
「う、うん。ほっとしたら、力抜けちゃって」
頬ずりしてくるリィシィちゃんや、みんなの顔を見ていると、涙がじわっと溢れてきた。
「大丈夫ですわよ。みんな無事ですもの」
「そうですよ」
反対側から、沙彩ちゃんが抱きつき、後ろから三人を包むようにクレアちゃんが抱きしめてくれた。
セラちゃんは心配そうな顔をしつつも、抱きついてきたりはしなかった。
追ってきた絢佳ちゃんも、にこにこしながら、セラちゃんと並んで私を見ている。
「よかった……よかったよぅ」
私はそのままリィシィちゃんにもたれかかって、泣き崩れた。
しばらくの後、私が落ち着いてから、みんなで食堂の席に着いた。
コーヒーを飲みながら、私は話をした。
エレインさまに襲撃を受けたこと、ラトエンさまによって鎮圧されたことを告げると、みんなは一様に驚いていた。
とりわけ、同じ「姫騎士」のクレアちゃんは酷く驚いていた。
「まさかホワイト卿がな。なにがあったと言うんだ?」
私はぐちゃぐちゃになった死体を思い起こしながら聞いた。
「こっちは、誰が襲ってきたの?」
「魔導騎士だ」
「それじゃあ、首謀者は?」
「多分、相当上だろうな」
「心当たりは?」
「ないな」
クレアちゃんがわからないと言うなら、かなり難しいことだと思った。
「今後、また襲撃されるようなことはあるのかしら?」
リィシィちゃんがクレアちゃんに聞く。
「一応、騎士団に連絡はしたから、対応はしてくれると思いたいが。
もし上からの圧力でもあれば、難しいかもしれない」
「あ、じゃあ、私、ラトエンさまに連絡してみる」
私がそう言うと、
「そうしてくれ」
と、クレアちゃんがうなずいた。
「祝です。ラトエンさま、いらっしゃいますか?」
「魔王」チャンネルで呼びかけてみると、すぐに応答があった。
「私だ。そちらは無事だったか?」
「はい。ですが、こちらも魔導騎士による襲撃を受けていました」
「そうか。こちらは、ホワイト卿への尋問中だ。
どうやら、首謀者は執政官らしい。
しばらくは身の危険が続くかもしれない。
注意してくれ」
執政官は共和国のトップだ。
ふたりいるうちのどちらなのか、あるいは両方なのかはわからないが、事態は深刻だ。
「執政官が首謀者だって、ラトエンさまが」
私が言うと、クレアちゃんは目を見開いて固まった。
紗彩ちゃんも、リィシィちゃんも、驚いている。
「あと、まだ襲撃とかあるかもしれないから、注意するようにって」
「確かにな。相手が執政官ともなれば、なにが起きても不思議ではない」
「でも、どうして執政官があたしたちを襲うんですか?」
紗彩ちゃんが首を傾げながら言う。
私も知りたいところだ。
「祝はなにか心当たりはないか?
エレインさまがなにか言っていたとか」
「そういえば、言ってた」
私はエレインさまの言葉を伝えた。
「これは、権力闘争に巻き込まれた感じかな?」
「どうして?」
私の疑問に、
「聖下は政治的に中立の立場だが、無論、影響力は大きい。
それを快く思わない勢力がいるのさ」
「つまり、私が聖下に近しいからってこと?」
「そうなるな。それに、祝が「魔王」だというのもあるだろう」
「それはどうして?」
「こっちは、純粋な力の大きさ、強さが原因だろうな」
「パワーバランスということです?」
絢佳ちゃんが言う。
「そういうこと」
「じゃあ、私はどうしたらいいの?」
私の問いかけに、しかし、クレアちゃんも首を振るだけだった。
「とりあえず、警戒は緩めずに、固まって行動した方がよさそうですわね」
リィシィちゃんが言うと、みなが一様にうなずいた。
それからしばしの後――
警邏隊の魔導騎士が十数人、到着した。
そして、死体の検分と事情聴取をすると、死体を片付け、ほとんどは警護に残ってくれた。
私たちがホールの床を綺麗にしていると、護衛の騎士を連れた「姫流総長」イスマイルさまが来た。
応接室に移動して、話を聞くことになった。
「忙しいところ済まんな。こちらも取り急ぎ話をしておこうと思ってな」
「いいえ、お心遣い、感謝いたします」
クレアちゃんが答える。
「早速だが、執政官のグレン・ウェイド侯爵が首謀者と判明した」
「ウェイド侯爵……」
私の呟きに、イスマイルさまがうなずく。
「元老院の秦啓一侯爵も首謀者のひとりだ」
ふたりの身分、そして爵位に場が静まりかえる。
「私が、原因、なんですよね?」
が、私の言葉にイスマイルさまは首を振った。
「きっかけではあったのだろうが、卿のせいではない」
「それで、逮捕なさったのですか?」
クレアちゃんが聞くと、
「ああ。現在、派閥のものを含めて取り調べを始めているところだ。
近年稀に見る、大がかりな捕り物になったよ」
イスマイルさまは肩を竦めて見せた。
「あの、エレインさま、ホワイト卿は?」
「無論、捕縛されてラトエン閣下が取り調べされておる。
御苑でも大騒ぎだ」
「そう、ですよね」
おなじ「姫騎士」という立ち場にありながら、どうしてこういうことになってしまったのか、それを思うともやもやした。
「不解塚卿、思い詰めるな」
イスマイルさまが言った。
「これはいずれ起きていたかもしれない内争――政争の類の話だ。
我々軍属にできることは限られている。
無論、政争に自ら好んで首を突っ込むものもいないではないが」
「閣下、処分の方はどうなる見通しでしょうか?」
クレアちゃんが硬い表情で聞いた。
「わからんな。更迭は間違いないが、それ以上のことは……。
ただ、実行犯のホワイト卿は極刑もあり得るだろう」
「そんな……」
「意外か?」
意外かと言われれば、あり得ると思った。
しかし、心情としては、その残酷な結末は受け入れがたかった。
「あの、私は実質、無傷でしたし、そこまで重い罪なのかって……」
「重いとも」
私の言葉を、イスマイルさまは端的に断ち切った。
「騎士の内乱だ。
騎士団として、それは断固たる処置をせねばならん。
どうしてかわかるかね?」
「実力を、武力を持っているからですか?」
「そうだ。クーデターなど冗談ではない」
「祝、これは仕方のないことなんだ」
クレアちゃんが私に向かって言った。
「ホワイト卿は賭に負けた。その賭は命を懸けるものだった、これはそういうことなんだ」
「いずれ、卿たちには改めて謝罪に来よう。
警備は厳にしておく。
今日のところはこれにて失礼」
イスマイルさまはそう言うと、部下を連れて立ち去っていった。
私はそれを見送りながら、心の中で整理をつけようとしていた。
しかし、そう簡単に切り替えられるものでもない。
襲われたときはそんなものか、と思っていたが、いざ落ち着いてみると、それでいいのか、と思ってしまう。
これを優柔不断というのだろうか。
そんな私を気遣ってか、みんながホールの片付けをしてくれ、私はその間に汗を流してきた。
そして、徹夜明けの朝食を摂って、食後のお茶を飲んだ。
私たちも、この国も、先行きが不透明な気がして、あまり美味しくいただけなかった。
事実、魔導共和国は、後に「姫騎士擾乱」と呼ばれる事件のただなかに放り込まれたのだった。





