導都騒乱
家に帰り着いたときには、精根尽き果ててしまっていた。
やはり気を張っていたのだろう。
「私、なんだか疲れちゃったから、寝るね」
「大丈夫です?」
心配そうな絢佳ちゃんに、
「うん。休めば平気」
そう言うと、私は自室に戻って鎧を脱いで、ベッドに倒れ込んだ。
しかし、少し寝たところで私は起こされた。
「祝さん、騎士団の方がいらしてます」
沙彩ちゃんにそう言われて、私はすぐに覚醒した。
厭な予感がする。
まだ、終わってなかったんだ――
自分の見通しの甘さに嫌気がした。
窓の外はまだ暗く、おそらく日付も変わってないだろう。
急いで着替えると、私たちは階下に下りた。
応接室に行くと、「魔導騎士」が3人座っていた。
対面には、他のみんなが揃っている。
セラさんも――立っているが――いた。
すぐに「魔導騎士」のひとりが立ち上がった。
精悍な顔つきの壮年の男だった。装備も立派で、ただの「魔導騎士」ではないことをすぐに悟る。
だが、
「私は、「姫流総長」「究竟」イスマイル・フィッシャー男爵だ」
「姫流総長」――その言葉に、目眩がした。
それは、騎士団を束ねる、共和国の将軍そのひとなのだから。
私は即座に膝をついた。
「お初にお目にかかります。「姫騎士」不解塚祝と申します」
「立ち上がってくれ」
私は言われるがままに立ち上がり、促されて席に着いた。
「この度の件については、まあ、ご苦労であった。事態が収束したことについては、礼を言おう」
とはいえ、彼の顔は全然、感謝に溢れているわけではない。
むしろ険しいと言ってよかった。
「とはいえだ。卿のやり方については、色々と尋ねたいことがある。いいかな?」
「はい」
断れるはずもない。
否、それどころか、ごまかしなども通用しないだろうと察しがつく。
部屋中に満ちる緊迫感が重い。
「この度の事態では、警邏隊を全出動し、平民街には戒厳令を敷いた。そして、特務隊と傭兵隊の協力も受けつつ、捜索がおこなわれた」
それほどの大ごとになっていたと知って、私は血の気が引いた。
「卿の魔術で≪追尾≫はできなくなったが、抜け闘奴を発見し、直接、尾行していた忍びの者が行き先を突き止めてくれたのだ。これについて、気がついていたかな?」
私は首を振った。
そうだったのか。
だから、すぐにも警邏隊がこの家に来たんだ。
「そして、今日の佐々原氏との商談成立で、戒厳令は解かれ、捜索と警備も打ち切られた。こういう経緯だったわけだが」
「総長」は一度、言葉を切って、言った。
「さて、まずはどうして、抜け闘奴を身請けするという考えに至ったのかを話してもらえるかな?」
私は、ちらっと沙彩ちゃんを見たが、彼女は軽く首を振った。
「はい。最初は、知人に頼まれての、安請け合いでした」
私は正直に話すことに決めた。
「大きな事態になるとは思ってもおらず、浅慮だったと言わざるを得ません。ただ、そのときは、人助けというつもりでした」
「人助けか」
「総長」の言葉が、いちいち重い。
「はい」
私は力なくうなずいた。
「共和国法に於ける闘奴のあつかいについては?」
「いいえ。まったく知りませんでした」
「それは、皆もおなじですかな?」
「総長」は他のみんなの顔を見渡す。
「私は、大まかなことについては存じておりました」
クレアちゃんが言う。
沙彩ちゃんは、
「あたしは、共和国法についてはほとんど知りません」
「わたくしも、共和国法には通じておりませんわ」
リィシィさんも知らないと答えた。
「わたくしはなにも知らないです」
最後に、絢佳ちゃんが答える。
「ふむ」
「総長」は軽く腕を組んだ。
「身請けしようという発想はどこから?」
「それは、あたしが提案しました」
「確か、「杜番」の不破卿でしたかな?」
「はい」
「話では、闘奴が卿に保護を求めた、と聞いているが?」
「それも、あたしの提案になります」
「では、卿が自らの庇護下に入るように促したと、そういうことでいいですかな?」
「そのとおりになります」
「その論理は、いささか苦しいのではないかな?」
「総長」が鋭く視線を向けて言った。
「あたしはそうは思っておりません。庇護されるべき対象が、その方法を知らなかったばあい、あたしの方から提案させていただく。
その手法は、「聖騎士」としては一般的なもの。今回も、それに倣っただけです」
「なるほど」
そうは言うが、納得してはいないようだった。
「「聖騎士」のやり方については、こちらも存じ上げなかったようですな」
「そのようで」
「ふむ。では、身請けの算段については誰の発想ですかな?」
「みんなの話し合いです」
私が言った。
「事前に相談しておいて、交渉の場に臨んだというわけか」
「はい」
私の返事に、「総長」はうなずいて、
「まぁ、交渉ごとにかぎらず、可能なら勝負ごとは事前準備をしておくもの。佐々原氏には悪いが、これについても、問題と言えるだけのことではないようですな」
ひとつひとつ、確かめるように、「総長」は話を進めていく。
最後になにを狙っているのか?
それが恐ろしく感じられた。
「では、そこの闘奴――セラと言ったか。君に聞きたい」
「はい、閣下」
セラさんは背筋を伸ばして、はっきりと答えた。
「君の話の真偽については、「杜番」の証言がある。そこを疑うものではないが、抜けた先、君はどうするつもりだったのかね?」
「特に考えてはいなかった」
「いざとなれば、なんでもして逃げるつもりだったと?」
「はい」
ひとつうなずくと、「総長」は私の方を見て言った。
「卿がパーティリーダーということで、実質的な主導者の立場にあるということは間違いないな?」
「はい。間違いありません」
「今の話を聞いて、卿はどう感じた?」
「え?」
意外な質問に、間抜けな声を出してしまった。
「なに、率直な感想を聞いているのだよ」
「えと、はい。危険なことだと感じました」
「そう、そのとおりだ。抜け闘奴事件というものは、最後には、そういうことになるものだ。捕縛を試みた官憲は言うに及ばず、一般市民にも、多く、被害が出てきた。
市民の偏見も根強く、一度潜伏に成功しても、正体がバレたところで私刑――闘奴狩りに遭い、闘奴がこれを返り討つ。そして、市民の血が流れる。これもまた、歴史が証明してきたことだ」
「そんな……」
私は、言葉に詰まってしまう。
「さて、一番大事な質問だ。彼女をこれから先、どうするつもりだ? 卿が主人となって、闘技場に戻すかね?」
「それは、考えていません」
「では、どうするのだ?」
「ここで、この家で、一緒に生活できればと……」
「そして、闘奴狩りに襲撃されたらどうするのかね?」
「それは、その……」
私は、答えられなかった。
私は、あまりにも常識に疎い。
闘奴狩りが来たら、撃退せざるを得ないだろう。
そして、市民をこの手に掛ける?
まさか――
まさか、だ。
そんなことはあり得ない。
できるわけがない。
だが、それが起きたらどうする?
仮負傷で撃退する?
襲撃は一度とは限らないのに?
一緒に導都を逃げ出す?
行く先々でも、闘奴狩りはあるかもしれないのに?
そもそも、この私自身が、旅の生活など、できるかどうかもわからないのに?
私は、暗澹たる気持ちでみんなを見た。
だが、みんなの顔も暗い。
セラさんは――しかし、彼女だけは、平然とした顔で立っていた。
「せ、セラさんは、どうしたいですか?」
私は、思わず聞いていた。
「あたしは、新しいご主人たる、あなたに従うだけだ」
新しいご主人――
その言葉に、私は打ちのめされた。
違う、そうじゃない――
そんなつもりで身請けしたのではない――
しかし、その言葉が、口から出てはこなかった。
彼女の中では、話はそういう風に受け止められていたのだ。
私の気持ちは、まったくセラさんに届いてはいなかったのだ。
私は、茫然と、涙を流した。
「卿は闘奴というものを、いいや、奴隷というものをなんだと思っていたのかね?」
「総長」の冷たい言葉に、私は目を向けることさえできなかった。
「卿たちは、金で彼女を買ったのだ。所有権が佐々原氏から卿たちに移った、これはそれだけのことにすぎない。どうやら卿は、そのことすら、認識できていなかったようだな」
私は、うつむくほかなかった。
悔しい。
反論できない自分が情けない。
握りしめた拳の上に、涙がこぼれ落ちていくのを、私は歪んだ視界で、ただ見つめた。
「祝ちゃん、大丈夫です?」
絢佳ちゃんが背中をさすってくれるが、慰みにはならなかった。
「卿は幼い。騎士として理想を以て行動したのかもしれない。しかし、現実とは常に醜く、厳しいものだ。卿には、少し荷が重すぎたのかもしれないな」
「総長」の言葉が、鋭く私の胸をえぐる。
そうだ。
そもそも私は、自ら志願して「姫騎士」になったのですらないのだ。
はじめから、私には分不相応な職務だったのだろう。
涙は嗚咽に変わり、私は、見た目どおりに幼く泣きじゃくることしかできなくなっていた。
「祝さん、泣いているばあいではなくってよ!」
そこへ、凜とした声が響き渡った。
リィシィさんのものだ。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「わたくしは、あなたから話を聞いて、とても感動したのですわ。あなたの理想に共感し、偉大なる計画に自ら馳せ参じようと、そのためにあなたに出会ったのだと、それを運命だとさえ思いましたのに。それがなんですの!?」
リィシィさんは、立ち上がった。
「これくらいのことでめそめそと。あなたの理想を達成するのに、この程度の困難、撥ね付けなくてどうするというのですの? わたくし、見損ないましてよ!
わたくしに見限られたくなかったら、今すぐ泣くのをやめて、立ち上がってください!」
「リィシィ、さん?」
「祝さんの立場、権力、財力、すべてを動員して、闘奴のひとりくらい、笑いながら救ってあげられなくて、世界など救えるはずもありませんわ! そのことを理解したなら、さあ、すぐに行動なさいな!」
「リィシィさん……」
私は、鼻をすすって、手の甲や手首で涙をぬぐい、立ち上がった。
リィシィさんの言葉は、確かに私の心に届いた。
なにができるのか、まだわからないけど、ここで躓いたら、もうそれまでだということだけは理解できた。
リィシィさんに失望されたままはいやだ。
セラさんに、奴隷の主人と思われたままはいやだ。
彼女を救えないのは、もっといやだ。
「リィシィさん、私がどうしたらいいのか、教えてください」
涙声で、私は言った。
すると、リィシィさんは、得たり、とばかりに笑顔になると、
「もちろんですわ」
そう言って、私をそっと抱きしめてくれた。
「人に上に立ち、人を守り導く、その立ち場にあることは、わたくしも祝さんも一緒ですもの。ともに手を取り合って、解決の糸口を捜しましょう?」
「うん」
私はうなずいた。
また涙がこぼれてくるが、これは、うれし涙だ。
私は顔を上げて、もう一度、うなずいた。
「さすがはケディ公と言ったところですかな」
「総長」の言葉に、
「いやですわ。わたくしは確かにケディ公爵家のものですけれども、爵位など戴いておりませんのよ」
リィシィさんは、いっそ場違いとも思える指摘をして返した。
「これは一本取られましたな」
「総長」が、快活に笑った。
「祝、私に案がある」
クレアちゃんが言った。
私はうなずいて、先を促した。
「聖下に頼んでみてはどうだろう? 祝を「姫騎士」に叙階してくださったように、セラを出家させていただくとか、なにかあるはずだ」
「聖下に?」
なるほど、魔導皇聖下のお言葉ならば、共和国臣民は無碍にできまい。
「姫騎士」として、あるいは、共にリルハに造られた人造生命体として、聖下に助けを求める、そういう力の使い方もある。
自分だけで解決しようなどと、そもそもそこから間違っていたのだ。
おこがましいにも程がある。
私程度になにができるというのか。
「うん。聞いてみるだけ、聞いてみよう」
「では、卿はあくまでも身請けして平民としたいのだな?」
「総長」が言う。
「はい。そのつもりです」
私の答えに、「総長」はうなずく。
「わかった。それでは、一端、お暇しよう。邪魔をしたな」
そう言って、「総長」は立ち上がった。
私たちは玄関まで「総長」たちを見送った。
部屋に戻ると、
「どうしてそこまでするんだ?」
セラさんが聞いてきた。
「うーん。私がそうしたいから」
私は、率直に答えた。
セラさんは、納得したのか、うなずくと、また壁際に立った。
「私、追跡されてることも、ここが見張られてたことも、気づかなかった」
「あたしもです」
沙彩ちゃんが同意する。
「わたくしは、何者かが周囲にいることは気づいていたです」
絢佳ちゃんが言う。
「でも、殺気も感じられないし、まったく行動に移る気配がないので、無害と判定して黙っていたです」
「絢佳、それは気づいたら言って欲しかったな」
クレアちゃんが言った。
「わかったです。これからはそうするです」
「でも、戒厳令まで敷かれていたとはな」
クレアちゃんが呟く。
「うん。そこまでだなんて、想像できなかったよ」
「抜け闘奴事件が、多くの血を見ることになるのは、事実です」
沙彩ちゃんが言った。
「だからこそ、今回はそうならないようにしたかったのです」
「うん。そうだね」
ちら、とセラさんの方を見るが、彼女は相変わらずなにを考えているのか、わからなかった。
「そうだ。リィシィさん、さっきはありがとうございました。おかげで、目が覚めました」
「いいえ。どういたしまして」
にこやかに笑うリィシィさんは、ほんとうに美しかった。
他のみんなとはまた違う、強い女性としての美しさが彼女にはあった。
それは、眩しいほどに。
そして、遅い夕食を囲んでいたそのとき――
窓ガラスが割られ、門扉が叩き壊されて、幾人もの男たちが乱入してきた。
襲撃。
あまりにも早いそれに気を取られそうになるが、迷っているばあいではない。
私たちは席を立つと、各々剣を抜いた。
武装は完璧とは言い難かったが、致し方ない。
死力を尽くして、撃退するまでのことだ。
私は決意を剣に込めて、強く柄を握りしめた。





