愛
「思えば。絢佳が愛があるからとか言っていたのは、このことだったんだな」
クレアさんが、しみじみと言う。
「そうです」
「どういうことですか?」
「いや、沙彩は愛で集まるって」
「どうしてそう思ったんです? そんなにわかりやすかったですか、あたし?」
「そういうのとはちょっと違うです。
わたくしが、愛の使徒であるがゆえです」
「愛と狂気の信者なんだっけ」
「そうです。だから、目の前に愛するものがいれば、すぐにそれとわかるです」
「誰を愛しているかまでわかるのか?」
「わかるです。それが例え、本人にとってはまだ自覚のない愛であろうとも、です」
「すごい力ね」
「ニャルラトテップさまは偉大なのです」
絢佳ちゃんは大いばりだった。
「黙ってそれを見て、ほくそ笑んでいたのですか?」
沙彩さんが不快げに言う。
「そうじゃないです。見守っていた、と思って欲しいです。
こういうことは、やっぱりご本人の口から言いたいでしょうから」
「それは、そうですけど」
「愛の行方を見守るのも、わたくしの役目です。だから余計な口出しはしないです」
「なんか釈然としないですけど、まぁ、仕方ないですね。実際、なにも言わずにいてくれたわけですし」
沙彩さんはそう言うと、ちらっと私の方を見る。
話が逸れていたが、本題はまだ棚上げされたままである。
どうしよう。
どうしたらいい?
「その、祝は、私の気持ちは迷惑か?」
「えっ、えと。迷惑、じゃ、ない、です。
嬉しい、です。
けど、その、恋とか愛とか、そういうの、私、わからなくて。
どうしたら、どう応えたらいいのか……」
「迷惑じゃないなら、私はそれでいい」
「うーん。あたしは、好きか嫌いか、できればはっきりして欲しいです」
「きっ、嫌いじゃ、ないです」
「じゃあ、好き?」
「好き、とか、そういうのが、私、わからなくて。すみません」
「祝が困ってるじゃないか」
クレアさんが言う。
「でも、」
沙彩さんが口ごもる。
「祝ちゃんは、おふたりの気持ちは迷惑じゃないし、嫌いでもないんです?」
「うん」
「それで、祝ちゃんは自分の気持ちがわからない、そうです?」
「うん」
「だったら、なにも問題はないです。
祝ちゃんも、ちゃんとおふたりのことが好きです。
ただ、それがわかってないだけです」
「そう、なの、かな?」
「いやいや、待てよ、絢佳。それを君が言うのか?」
絢佳ちゃんは、片手を挙げてクレアさんに待てをする。
「祝ちゃんは、おふたりのことが好きだったらいやです?」
「えと、うーん。いやじゃ、ない」
むしろ、暖かい気持ちになる。
ただ、胸がすごいどきどきして、頭がぼーっとしてしまう。
考えがまとまらない。
そして、胸がきゅーっとする。
私が、そのことを言うと、みんなは軽く視線を交わして、笑顔になった。
どういうことだろうか。
まだ私がわからずにいると、絢佳ちゃんが優しく言ってくれた。
「祝ちゃん、その気持ちこそ、恋です」
「これが、恋?」
「はいです。恋で、愛です。恋愛です」
そうなのだろうか。
いや、きっと、そうなのだろう。
絢佳ちゃんの言うことは、信じられる。
私がまだ子どもだから、自分の気持ちを、理解できていないのだろう。
「そう、か。私、好きなんだ」
「そうです。そして、好きな人に好きと言ってもらえて、嬉しくてどきどきして、ぼーっとなっているです」
「そういうものなの?」
「そういうものです」
少し、すっきりとした。
と同時に、なんだかすごく恥ずかしくなってきた。
顔が火照ってくる。
「やだ。なんか、急に恥ずかしくなってきた」
「照れてるんです」
「ううう……」
逃げ出したい。
でも、ふたりの側にいたい。
いや、みんなの側にいたい。
そうか。
これが恋、愛だというのなら。
私は絢佳ちゃんのことも、きっと好きなのだ。
だから、絢佳ちゃんの言葉は無条件に信じられる。
信頼できる。
クレアさんも、そして、沙彩さんのことも。
「あの、絢佳ちゃん」
「はいです」
自分の想いを口にしようと思ったが、その先が続かなかった。
なんだか怖い。
どうしてだろう?
「あのね、えと」
絢佳ちゃんは、素敵な笑顔で、言葉の続きを待ってくれている。
そうだ。
さっき絢佳ちゃんは、愛がわかると言っていた。
ということは、私のこの想いも、わかっているということだ。
だったら、口ごもっていても仕方がない。
「私、絢佳ちゃんが好き」
言ってみると、すんなりと言葉が出てきた。
言えた、ということが、なんだか嬉しい。
しかし、
「ごめんなさい、祝ちゃん」
と、絢佳ちゃんが言う。
「――えっ?」
「わたくし、祝ちゃんの想いには、応えられないです。わたくしには、既に愛する人がいるです」
どういう意味なのか、一瞬、把握できなかった。
応えられない。
愛する人がいる。
それは、つまり、
つまり――
「祝ちゃんとは、恋人同士にはなれないです。ずっといい友だちでいたいです」
私の目が、涙を溢れさせるのを、どこか他人事のように感じていた。
胸が詰まる。
先ほどとは違う痛みが、きゅーっと、きりきりと胸の奥に突き刺さる。
胸の奥に、穴が空く。
絢佳ちゃんは、私から視線を外して、
「後のことは、おふたりにお任せするです」
そう言って、部屋から出て行ってしまった。
目の前が真っ暗になった。
嗚咽が漏れ、涙が滝のように流れ出した。
クレアさんと沙彩さんが、私をそっと抱きしめてくれた。
ふたりのことが、暖かい。
でも、私は、ぽっかりと穴が空いた心を、持て余していた。
少しして、これが失恋なのだということに気がついた。
私は、絢佳ちゃんに振られてしまったのだ。
生まれてはじめての失恋。
とても痛くて苦しい失恋。
私はふたりに抱きついて、泣いた。
「うわぁぁぁぁっ!!!」
ただただ、泣いた。
ひたすらに泣いた。
ふたりは黙って、抱きしめていてくれた。
私は、泣き疲れて眠ってしまっていた。
気がついたときも、ふたりはまだ、私を抱いてくれていた。
「あ」
私がふたりを交互に見ると、ふたりとも優しく微笑んでくれた。
「あの、ありがとう」
「ううん」
「これくらい」
「えと、絢佳ちゃんは?」
ふたりは黙って首を振る。
「私、振られちゃったんだね」
「そうですね」
「そうだな」
「哀しいです。
とても哀しくて、胸がいたいです。
でも、暖かい」
そう言って、私はふたりを見た。
「私は、絢佳ちゃんのことも、クレアさんのことも、沙彩さんのことも、みんな好き」
「あたしも好きです」
「私もだ、祝」
「うん。だから、きっと大丈夫です」
力なく笑うと、クレアさんが頭を撫でてくれた。
「まだ無理しなくていいんだぞ」
「うん。無理、じゃない。大丈夫」
大丈夫、と繰り返した瞬間、涙が溢れそうになる。
私は袖口で、がしがしと目をこすった。
「失恋しちゃった」
そして、ふたりを見る。
「でも、ふたりも恋人ができちゃった。どうしよう」
「どうしようって?」
「私、どっちかだけなんて選べないよ」
「選ばなくていい」
「そうです。ふたりともを選んでください」
「いいの? ふたりはそれで、ほんとにいいの?」
「祝は、誰かひとりが本命なのか?」
私は首を振る。
「なら、問題ない」
「あたしもです」
私は、ふたりの間に首を埋めてうなずいた。
「よかった」
私が顔を上げてドアを見ていると、
「絢佳なら、明日の朝にでも戻ってくるさ」
「そうかな。うん、そうだね」
「心配のいる相手でもないだろ?」
「うん」
「祝、寝ようか」
「うん」
私はふたりに両側から抱かれて、眠った。
幸せに眠った。
翌朝。
階下に下りると、絢佳ちゃんがテーブルに着いて待っていた。
いつもどおりの笑顔だ。
私も、笑顔で返す。
うん、よし。
ちゃんと笑えてる。
「おはよう、絢佳ちゃん」
「祝ちゃん、みなさん、おはようです」
「おはよう」
「おはようございます」
みんなで朝食を食べる。
特に話題はない。
今日は昨日とおなじく、絢佳ちゃんはクレイグさんのところへ、私とクレアさんは魔導書庫へ、沙彩さんはまた大使館と教会へ。
そういうことを確認し合ったのみ。
「じゃああとでね、絢佳ちゃん、沙彩さん」
「はいです」
「はい」
ふたりと別れて、私たちは書庫に向かう。
そこでの作業も昨日と変わらず。
クレアさんが疲れたところで小休止をはさみつつ、ひたすら書物を消化していく。
お昼を食べ、午後からもおなじ。
成果が得られないことまでおなじじゃなくてもいいのに、と思いつつ夕方になる。
カフェで合流。
成果もなし。
宿に戻って夕食。
そして、部屋に戻る。
ちょっと胸がちくっとしたけど、私は、大丈夫。
もう、大丈夫。
話し合いも、特に進展はない。
「あのね、提案があるんだけど」
私はみんなに呼びかけてみた。
「なんです?」
「明日のことなんだけど。一日、お休みにしない?」
「休みか。いいな、それ」
クレアさんがしみじみと言い、みんなが笑う。
「お休みにして、ショッピングとか、お食事とかするの。どうかな?」
「賛成です」
「私も」
「あたしもです」
みんなで笑顔を交わす。
そういう日があってもいい。
あまり根を詰めても、長続きしないだろう。
そうして、次の日は、お休みとなった。