お風呂
その晩、私たちは宮殿内のクレアさんのお部屋にお邪魔することになった。
無論、はじめは客室を、ということだったのだが、私が不安そうにしていると絢佳ちゃんが言ってくれて、クレアさんが自室に招いてくれたのだ。
ほんとうに、私は役立たずだ。
「さて。ふたりともお疲れさま」
「お疲れさまです」
「はい、お疲れさまでした」
クレアさんのお部屋は、結構な広さがあった。調度品などもきっといいものだろう品々が置かれ、でも華美に感じられない程度に収まっている。宮殿内の武人の自室、それも女性の、という説明にぴったりと当てはまるような部屋だった。
実にクレアさんらしいと、そう感じた。
侍女に鎧を脱ぐのを手伝ってもらった後、クレアさんは、インナーだけの姿になって、
「一緒にお風呂で疲れを流そう」
と言った。
「お風呂です?」
「ああ。大きな浴場があるんだ」
「おお。それはいいです。是非に!」
絢佳ちゃんはノリノリだった。
「祝ちゃんも行くです!」
私は、ちょっと気後れしてしまう。
それでも、絢佳ちゃんに手を引かれて、ふたりについて浴場まで行った。
私は、脱衣所の姿見に映った自分の姿を見て固まっていた。
黒髪のおかっぱに、貧相な子どもの身体。紅の瞳の目許や顔つきは、幼いながらも確かに魔導皇聖下やリルハとおなじ顔だ。
もしこれが、ふつうの家族関係だったら、どう感じるのだろう。
こんなに嫌な気分にはならないのではないだろうか。
わからない。
相変わらず、わからないことだらけの私だ。
「祝ちゃん、大丈夫です? なんだか暗い顔をしてるです」
絢佳ちゃんが、心配そうに鏡の中の私を覗き込んでいる。
「そう、かな」
「はい。なにかあったら言ってくださいです。力になるです。もし力になれなくても、言葉にして吐き出せば、楽になることは多いです」
「そうなの?」
「です」
「そうだ。私もできる限り力になろう。なんでも言ってくれ」
私は、曖昧にうなずいた。
「ただね、私、なんとなくなんだけど、役立たずだなって……。なんにもできないし、なんにもわからない。
ちゃんとした意見も言えない。
それで、迷惑ばかりかけてるなって思って」
私が思っていたことを口にしてみた途端、涙がこぼれ落ちた。
「あ、あれ?」
自分がどうして泣いたのか、私にはわからなかった。
しかし――
絢佳ちゃんが私に抱きついてきた。
「祝ちゃん、つらかったです?」
柔らかな絢佳ちゃんの身体が私を抱きしめる。
そして、クレアさんが私たちを後ろから抱きしめてくれた。
「祝、大丈夫だ。そんなの、私だって同じこと。さっきの話だって、私にはちんぷんかんぷんだった。それに、人は迷惑をかけ合って生きているもの。気にしなくていい」
「そうです。友だちなんです。もっと迷惑かけて欲しいくらいです」
「迷惑、かけて、欲しい……?」
「祝ちゃんが迷惑かけてくれたら、わたくしは祝ちゃんの力になってあげられるです。それは嬉しいことです」
わからない。
わからなかった。
ただ、嬉しかった。
そしてさっきよりもっと涙が溢れてきて、視界が霞んで見えなくなった。
でも、暖かかった。
抱きしめてくれる絢佳ちゃんが。クレアさんが。
そしてなにより、胸の奥が。
私たちは、そろって浴槽に浸かっていた。
暖かいお湯が、私の中のなにかを溶かしてくれているように感じられた。
「ふぅ~」
絢佳ちゃんがご満悦といった風で息を吐いた。
「気持ちいいです~」
「そうだろう。ここのお湯はちゃんとした温泉なんだ。身体にもいいんだぞ」
「そうなんです? それは素晴らしいです!」
浴槽の縁に肩を乗せて私たちを見守っているクレアさんの、無防備な胸につい目がいってしまう。
大人の女性だ。
私たちとは大違い。
それに、筋肉もついて絞られた身体にはたるみもなく、美しい。
そういえば、私の身体は成長するんだろうか?
一生、このままっていう気もしなくもない。
それはなんだか寂しいと思った。
「なにを見とれてるです?」
「えっ!? いや、私、なにも、見とれてなんか!」
「んふふぅ、その慌てっぷりがあやしいです」
「あやしくないよ!?」
「クレアさんのおっぱいが気になるです?」
「き、気になるっていうか、大人だなぁって思って」
「大人か。私は騎士団では子ども扱いなんだけどなぁ……まだ18才だし。でも、まぁ、仕方ないか。ふたりからみればそう見えるかもしれないな」
「わたくしは、クレアさんはまだまだお若いと思うですよ」
絢佳ちゃんからすれば、クレアさんも子どもなのかもしれない。
ほんとうに1億年生きているかはともかく、絢佳ちゃんはあまり子どもっぽくないところがある。
「でも、祝ちゃんが悲観することはないです!」
そう言って、絢佳ちゃんは私の胸を背後から触った。
「ひゃっ!?」
「この微かな膨らみかけのおっぱいは、希少価値があるです」
「い、意味がわからないよ!?」
「わたくしのつるんぺたんも需要はあるですけど、祝ちゃんの微妙で絶妙な奇蹟の微乳の方が需要は強いです。だから祝ちゃんは、もっと自分の身体に自信を持っていいです」
「ますますわからないよ!」
「あはは。絢佳には敵わないな」
なにか思うところがあるのか、クレアさんが豪快に笑った。
「それにです。先ほどから、クレアさんもちらちらと祝ちゃんを見てるです。需要は身近にもあるです」
「ちょっ!?」
今度は、クレアさんが慌てる番だった。
「私はそんな、不純な動機で見てたわけじゃないぞ!」
「んふふ。言い訳はいらないです。祝ちゃんは超絶美少女ですから、気になるのはむしろ当然なのです」
「絢佳ちゃん、わかった、わかったから、おっぱいから手を離して!」
「おお、さわり心地がよくて、つい」
私は両腕で胸を覆いながら、
「つい、じゃないよー」
「わたくしのは真っ平らな大平原ですので、つい」
「もう……。それはわかったから!」
「あはははは」
クレアさんが、快活に笑う。
私は絢佳ちゃんと顔を見合わせて、笑った。
気がつけば、私はまた笑えるようになっていた。
重苦しかった胸の奥も、笑い声に満たされている。
これもふたりのおかげだ。
なにかお礼をできたらいいんだけど。
お風呂からあがると、着替えが用意されていた。
白いドロワーズにキャミソール、そして薄桃色のワンピースの寝間着だ。絢佳ちゃんとお揃いだった。
「服は洗濯してくれている。明日の朝には乾くだろう」
「はいです」
「あの、なんか、なにからなにまで、すみません」
「なに、いいさ。君たちは聖下のお客人だ。もっと歓待されて然るべきくらいだからね」
そう言いながら、クレアさんは自分の下着を身につけていった。
サイズこそ違えど、私たちのとおなじ意匠のものだった。騎士団用の服なのかもしれない。
着替え終わった私たちは、クレアさんのお部屋に戻った。
入ってすぐの部屋の両隣にドアがあり、その左側の部屋に通される。
そこが寝室だった。
大きなベッドがひとつあり、ソファやクローゼットなどがある。
「私はソファで寝るから、ふたりはベッドで寝るといい」
「いいんです?」
「もちろんだ。お客人に失礼な真似はできないし、訓練をしている身だからな。ソファならむしろ快適なくらいだよ」
私と絢佳ちゃんは、一緒にベッドに横になった。
すでにクレアさんの静かな寝息が聞こえてくる。
でも、私は眠れなかった。
「眠れないです?」
絢佳ちゃんも眠れないのか、小声で聞いてきた。
「うん。なんか、今日はいろいろありすぎて、頭の中がぐるぐるしてるの」
「なるほどです」
今日は、私があの部屋で目を覚ましてから三日目――生後三日といったところだろうか。
精神的に刺激が強すぎたのかもしれない。
「心配ごとです?」
「うーん。心配ごとっていうか、整理がつかない感じ。それになんだか眠くないの」
「鉄道の中で寝てたですから」
「そうだね。絢佳ちゃんは起きてた?」
「はいです。クレアさんとお話してたです」
「どんなこと話してたの?」
「この国のこととか聞いてましたです」
「そうなんだ」
「それから、祝ちゃんと会ってからどうしてたとか、そういうことですね」
「まだ会ってから二日なんだよね。あっという間だったなぁ」
「わたくしもです」
私たちは、顔を見合わせてくすくすと笑った。
「私、これからどうなるのかなぁ?」
「「姫騎士」になるんじゃないです?」
「うん。そうだね。それから、どうなっていくのかな? うまく任務を果たして、自由になれるのかな?」
「自由になりたいです?」
「うーん。どうなんだろう? なりたいのはなりたいけど、むしろ束縛されている状態がいや、というかなんか気持ち悪いかな?」
「わかるです」
絢佳ちゃんとお喋りしながら、私は幸せを感じていた。
私の生まれがどうであれ、これからの未来がどうなっていくのであれ、今、私は、確かに幸せだ。
それはきっと、とても大事なことで、意味のあることなのだろう。
私は絢佳ちゃんと、そっと手を繋いだ。
絢佳ちゃんはなにも言わずに握り返してくれる。
小さな手を握りしめながら、私はまぶたを下ろし、静かに眠りについた。