NO.05「癒えぬ病」
中盤でようやく敵が出始めました。最終盤は戦闘規模がもっと大きくなるといいなぁ。
―――二日後、アルワクト西ルブラム砦難民窟。
一つの都市の民を移動させる。
その煩雑さはヴァーチェスにしても、三人の乙女にしても、二人の来客達にしても、思っても見なかった程に難事だった。
巨大な幕屋が幾つも砦の周囲には張られ、その下では人々が生活の為に敷かれた互助組織の割り当てに従って共同で幾つかの作業に勤しんでいる。
ある者は兵隊の代わりに見回りと警備を。
ある者は専用の天幕で医療介護に従事し。
ある者は子供達に教育を施す教師役を買って。
ある者は今回の一件で死んだ者の葬儀を行い。
ある者は……変質した化物と化しつつある親族の傍で手を握っていた。
顛末を語るなら簡単だ。
彼らは一夜にして何一つ持たない宿無しとなり、それを神の力で何とか救い出され、生活の為に働いている。
「ふぅ……」
井戸と厠が足りないと再生させた装甲内部で残った機能を総動員して諸々の土木工事を終えたヴァーチェスは未だ応答も無く休止しているクェーサーの状態を覗き見て。
その様々な数値が相変わらず殆ど変動していないのを確認し、機構中枢へのアクセスを閉じた。
機能の大半をクローズドで再建中という以外何一つその状態になった理由が分からないブラックボックスと化した相棒は未だ目覚めない。
彼の生命線である支援機能が失われて二日の間。
かなりの苦労を強いられたのは言うまでも無かった。
簡易のAIでは融通が利かず。
仕事の大半がマニュアルを紐解きながらのプログラミング作業となる。
基本的に細かいところまで全て調整しないと【全能器】は機能が万全に働かないのだ。
それを無理矢理に人の手で動作させようと言うならば、それには怖ろしい程の手間が掛かる。
無限機関を内蔵する万能の器。
しかし、それ故に多機能性を操る総合支援用マン・マシン・インターフェースが無ければ、多くの機能は十全に動かせないというのが実情。
現在は残り粕に近い機能しか有さないとはいえ。
それでも一人での運用は難しい。
その上、前回の戦闘で何処かが不調を起こしたのか。
ユニット機能の一部に応答が無かった。
「……クェーサー」
【全能器】そのものとすら言える自立型制御システム。
彼女がいれば、修理も含めて十秒で片付くだろう処理に二日掛かるのも道理だろう。
「ヴァーチェス神。全ての仕事が終了しました。もしお疲れであれば、しばし休まれた後。こちらの幕屋にお越し下さい。我々の事についてお話します」
相棒が如何にありがたい存在だったのかを再確認している少年が後ろを振り返ればラクリの姿。
涼やかな貌には汗の一つも無く。
その衣裳は少したりとも汚れていない。
中天に掛かる太陽がジリジリと照り付ける城砦周囲は熱気と民の汗と埃の臭いに包まれているが、その少年の傍だけは例外のように冷たいのかもしれず。
「おーい。ラクリ~こっちも終ったぞ~」
「では、次にあのお嬢さん達の手伝いをして来てくれ。炊き出しで使う配給分の薪割りが追いつかないらしい」
「りょーかい」
遠方でヘイズ。
何処か爽やかな汗に人好きのする笑みで快活な少年が答え、相棒らしいラクリの言葉に従って、今現在アザヤ達が行っている炊き出しの簡易施設裏へと歩いていく。
邪魔者はこれで消えたと肩を竦めた少年がヴァーチェスを見つめ、先導するように割り当てられた幕屋の方へと歩き出した。
「(随分と話が分かりそうではある、か)」
これから難しい話をするのだからと。
そういうのに向かなそうな相棒を遠くに送り出したのだ。
この二日でヘイズは力仕事を、ラクリは頭脳労働を担当し、あれやこれやとアルワクトの住人達の世話に奔走していた。
その様子から知能は高そうだと認識していたヴァーチェスからすると。
この原始的な世界でも話せる“同類”がいるというのはかなり心強い。
今のところ。
ベリアステルからの使者と名乗った彼らは敵でないのだから、それは素直に喜んでもいいだろう。
「どうぞ」
ラクリが入った幕屋前で簡易装甲を脱いで光学迷彩を施したまま待機状態でロック。
いつもの椅子で浮遊したまま内部に入り込んだヴァーチェスは自分に向き合う相手の向かい側へと着地した。
テント内は比較的断熱されており、涼しい。
だが、それ以上に音がしない事を感じ取り、ヴァーチェスは相手の魔術の効果かと報告をロクに寄越さないAIの使えなさにげんなりする。
「この二日忙しく。詳しく話す暇もありませんでしたが、ようやくお話出来ます……」
「とりあえず。お前達はこの大陸の北部に存在する国家。ベリアステルからの使者。そして、高位の存在、神から使命を与えられてきた、というところまでは聞いたわけだが……」
「ええ、では、詳しいところをまず」
こほんと咳払いをしたラクリが宙に自分の住まう大陸が浮かぶ惑星の図を浮かび上がらせた。
その時点で惑星が丸い以上の事を知っている事を悟ったヴァーチェスがふむと内心で眼を細める。
「この惑星に存在する唯一の大陸ファルティオーナ。その北部のこの地点が我らベリアステルの領土です」
少年に惑星の表面に浮かぶ大陸が向けられ、その僅かな領域が赤く細い線で囲われた。
「我が国はこの大陸の他の国と違い独自の文化と軍事力の発展で拡大してきた旧い共同体です。領土は小さいですが、北部でも三位以内に入る国力と人口を有する大国と言ってもいいでしょう」
「それで? その国の人間がどうしてこんな場所まで尋ねてきた?」
「最初に言った通り。貴方の仲間になる為です。ヴァーチェス神。我々の国家は通常の国々とは違い。その頂点には十数柱の神々が君臨しており、その方々に多くの決定権があります。その内の一人が占術……未来を予知した結果、貴方がやってくるという事が分かった」
「未来予知? この大陸にそこまでの事が出来る存在がいるのか?」
「精確には神々の力を借りた人が行なっていますが、基本的に神の力で大きく占術の精度は向上する。それは正しく未来を見るに等しい力と言えるでしょう」
ヴァーチェスの前で占術と呼ばれる行為をする人々が映像で映し出された。
ある者は図形が描かれた布の上で石を転がし、ある者は水晶を覗き込み、ある者はただ虚空へと視線を向ける。
「……魔術か」
「我々の国の術は神々の力を借りた技。法術と呼ばれています。魔術の一種なのですが、その力は少なからず貴方の域にまで届くモノも幾つかある。無論、貴方のような存在にしてみれば、児戯にも等しいのでしょうが……」
思っていたよりも魔術という技術体系は彼の文明が築いた叡智と技術に迫っている。
そう理解したヴァーチェスは未来すら予知する魔術の奥深さを垣間見た気がした。
そもそも“C”を封じ込める力があるという時点で原始的という言葉とは掛け離れているのだ。
「とにかく。我々の国家における最高の術師が貴方の出現を予知し、神々が勅令を出した。貴方が失われないよう保護するべきだと。これが事の始まりです」
「保護?」
「ええ、その理由は聞かされていませんが、我が国の上層部と神々は貴方を守れと僕と彼を派遣した」
まったく初めて言われるような言葉。
いつから自分はそこまで落ちぶれたものかと思うものの。
今の状態ではそれが適当なのだろうとヴァーチェスが溜息を噛み殺し、渋い顔をする。
「貴方の出現自体は比較的簡単に察知出来た。来ると分かっていた大陸の上空に未知の空間転移の反応が出れば、それは疑うに十分な証拠でしょう。それを追って我々はこちらにやってきたのです」
「空間転移……この大陸の魔術はそれを可能にするようだが、反応すら分かるのか?」
「ええ、世間一般。多くの国家が持っている智識や技術ではありませんが、魔術を開発する国家でも大国と言われる国々や一部の個人はそれが可能です。他にも高位の存在はそういう事象について息をするような気軽さで行ないますし」
「驚いた。とは言えないか。魔術でこのアルワクトの全住民が操られていた事を理解していれば……」
「話は聞きましたが、そこまで大規模な洗脳はこの大陸でも珍しい。ただ、そういう事も可能ではある。それが魔術というものです。本質的に魔術師は階梯を上がり、叡智を深め、万能へと至る事を目標としていますから……」
「万能……確かに“C”を封印した手際は見事なものだが……」
「“C”ですか。それが貴方の文明にとって外なる神々の呼び名なのですね」
「外なる神々。あれが神と呼ぶに相応しいかどうかは議論の余地があるな」
皮肉げなヴァーチェスにラクリもまた肩を竦めて頷いた。
「我々の大陸においても“外なる神々”は特別な存在です。旧くは人類種。我々の種族が生まれる前からこの地に存在していたとか」
「最初からこの地には“C”がいたのか?!」
ヴァーチェスが驚く。
「通常の知的生物が侵蝕や影響を受けずにいられるはずが……」
ラクリが確かにと頷いた。
「神々の智識に拠れば、この星で最初に叡智を得た存在がいた頃から外なる神々は存在していたそうです。ですが、その後に発生した多くの種族と多くの神々はそれに対抗するだけの力があった。この惑星においては貴方が“C”と呼ぶ神々も数多くの高位存在の一つに過ぎません。無論、この世界を滅ぼし得る危険である事は変わらないでしょうが、それを言うなら同じような危機を齎す手合いは幾らもいます」
ヴァーチェスが思わず乾いた笑いを浮かべる。
「……とんでもないところに落ちてきたようだな」
「ご冗談を。貴方の方がとんでもないと僕は思いますが……少なからず、あの神々にすら匹敵すら時間を生き抜いてこられたのでしょう?」
「……こっちの事はお見通しか」
「いえ、神々からの情報です。我々の国は多くの叡智を確かに保有していますが、その大半は神々から与えられたものなので。そう言えば、本国に照会を掛けた結果。幾分外見的特長が違うようですが、あの二柱の事が分かりました。多眼のモノをアブホース、黒く湧き出したモノをニョグタと呼ぶそうです」
「カテゴライズまでしてるとは……」
ヴァーチェスはそんな事をしている時間もなく滅んだ高度文明が無数にあると知る故にまた驚く。
「旧い記録では幾つかの時代に現れ、その度に当時の神々や神々の支援を受けた者達に倒されてきたとか」
「この文明の成熟度でよく滅ばずに……」
「滅ばなかったというよりはその機会が無かったらしいとの話です」
「どういう事だ?」
「この大陸には随分と昔から教会という組織が存在し、彼らが結成された初期に一度大規模な外なる神々の侵攻があり、それを退けたとの記録が存在します。その後、残存する神々の欠片を封印して回った教会のおかげで大陸には殆ど外なる神々は現れなくなったと」
「一時的に駆逐する事まで出来た……となれば、あの二匹を止めたのもそういう類の魔術か?」
「そういうわけではありません。僕は国でもかなり上位に位置する大魔術師と呼ばれる存在。ああいうものにも効きそうな術を知っていただけです。大陸でもあれくらいなら倒せる人材は千人単位でいるでしょう」
「本当に“C”を駆逐するのは骨だ。その倒せるというのが一時的なものなのは分かっているのか?」
「神々の叡智でも確かにそのような事は言われていました。滅ぼす事はほぼ不可能だと。さすがに詳しい源理や内容までは知りませんが……」
「“C”を構成するのは超重元素と呼ばれる怖ろしく大きな質量を持つ物質。それが根本的には宇宙内部のあらゆる法則を捻じ曲げ、如何なる事象をも可能とする。その影響は元素が影響を及ぼす“場”に満ちる様々な媒質が変異、同質化する事で拡大していく。自己再生産性の極めて高い侵蝕能力はやがて全ての知的生物の在り様を捻じ曲げる」
「やはり、そういう事なのですね」
「やはり?」
意味が分からず首を傾げるヴァーチェスにラクリが静かに返す。
「我が国にはその創成期から秘匿される魔術というのがあります。その中でも貴方の言うような超重元素だとか。“場”に干渉するだとか。通常では使い道の無いような叡智を元に作成された術も口伝で伝えられているんです。僕は元々そういう旧い術を集めて研究、保存している類の魔術師で……国の意向で重要任務を任されることになった時には何事かと思いましたよ。実践向きとは言えない机向きの人材を送り出すんですから、裏に何かあると思うのが自然でしょう?」
「……そういうものが使えると?」
「ええ、ですが、たぶん、貴方のようにその叡智によって奇跡のような事象を起こす事は出来ない。現在の魔術は概念論的なものが多く。高度な術程に法則や原理を解明していないものが大半だ。《《そう出来るから、そうしている》》という状態に等しい。世界を形作る諸法則の極一部を魔術を生む法則で歪めているに過ぎない。原理を全て突き詰めたのだろう貴方の持つ叡智や技術にまだまだ追いつかないんです」
ヴァーチェスがその相手の言葉に何となく今まで感じていた違和感の正体を悟る。
「……ラクリ。そう呼ばせて貰うが、君の送られてきた理由が分かった」
「ええ、こちらもです。ヴァーチェス神」
「君は間違いなく。今まで出会ってきたこの星の住人達の中で最も理屈と話が分かる相手だ」
「こちらとしても相棒の他に長話の出来る手合いがいるとは思ってもいませんでした」
「そうか。では、その上で訊ねよう。大きな力、熱量や電力を発生させる魔術。または元素を生成する魔術を持っていないか?」
「元素生成。こちらの技術で言えば、そうですね。原子変換を可能とする錬金術が近いでしょうか」
「それを詳しく聞きたい。そして、出来れば、協力を要請したい」
「分かりました。本国からの命令は貴方を守り、大陸の危機を回避する事です。今現在、貴方自身が我が国とって……いえ、この大陸やこの星に暮す存在にとって有害であるとは認められない。手伝いましょう」
頷いたラクリが手を差し出した。
「こちらでの挨拶に当るものです。挨拶は分かりますか?」
「ああ」
二人がその手を握り合う。
そして、同時に自分達の幕屋の外から内部に映る影を見て、大きな溜息を吐く。
「君が話の分かる相手で良かった……」
「お恥しい限りです……護衛役兼戦力としては優秀な働きをするのですが……」
ギクリと天幕の外の影達が固まる。
それを仕方無さそうに見つめて。
ヴァーチェスは脳裏でAIに作業を告げた。
幕屋の一部を切り取れ、と。
その途端。
幕屋の壁が四角く内部にハラリと落下し、ビターンと聞き耳を立てていたヘイズが倒れ込む。
その上につんのめった三人の少女達が鎧姿で躓いて地面スレスレで停止した。
「あ、ヴァ、ヴァーチェス様?! こ、これはですね!? アージャが……」
「な?! アザヤが『心配だ。見に行きましょう』って言い出したのに!?」
「わ、わたくしは止めましたわ!? で、でも、この二人がどうしても貴方が何を話しているか聞きたいというものですから、しょうがなく付いてきただけで!?」
「あ、あはは……よ、よぉラクリ」
「ヘイズ……お前は……はぁ、いい。とにかくその無様に倒れてるのをどうにかしてくれ」
アザヤが罪をアージャに被せ、アージャは頬を膨らませ、その二人にアイシャリアが罪を被せ、最後にヘイズが多少引き攣った笑みで笑った。
ラクリに促されて立ち上がった褐色の長髪の少年が悪かったってと誤魔化しつつ後ろに後退し、ササッとその場から退場していく。
それに便乗した三人も同時にごめんなさいと頭を下げてから逃げ出した。
それを見送った二人が再び顔を見合わせて、大きく溜息を吐く。
「大変だな」
「いえ、いつもの事ですから。それよりもアンクト女史達にも聞かれていましたが、良かったのですか?」
「話の内容が分かる程に賢ければ、こちらとしてはとても助かるんだがな……」
サラッとアザヤが涙目になりそうな言葉を返して。
「では、出し合える情報を統合していこうか」
「ええ、こちらとしても勉強させて頂きます」
ヴァーチェスは今後の方針に付いて開きっぱなしの幕屋の中、ラクリとの協議を詰め始めた。
*
「ヴァーチェス様……」
この砦に来て二日。
結局、あまり役立てもせずに言われるがままの仕事を何とかこなしている。
それなのに今日はヴァーチェス様の機嫌を損ねるような行為をしてしまった。
それに酷く気が咎めて。
私は炊き出しが終った後。
近くの川縁の淵で座り込む。
盗み聞きなんていけないとは思っていた。
いや、そう思いつつも我慢出来なかった自分は、アザヤ・ウェルノ・アンクトは、恥知らずだと思う。
でも、気になったのだ。
結局、あの化物達を倒す背中に全てを背負わせてしまったから。
あの姿を、片足を失った鎧を見た時。
後悔した。
血の気が引いた。
どうしようもなく胸が苦しかった。
お体は大丈夫だったかもしれない。
けれど、それが自分達を逃がす為の代償だったと思えば、もし……二人の来訪者が来ていなかったら……更なる傷を負われ、どうなっていたか分からない。
「(私はヴァーチェス様に何をして差し上げられるわけでもない。ただ、与えてもらうばかりで……こんな事ではヴァーチェス様に……)」
嫌われてしまう。
そう思った途端、ドキリとした。
「―――ッ」
嫌われてしまったところで何が変わるわけではない。
ヴァーチェス様はそういう事を表に出す方でもない。
そもそも人間一人嫌われたからと言って、ヴァーチェス様自身には何の不利益も無い。
胸が痛いのは自分の為だと今更に思い知って、唇を噛む。
「私はまた自分の事ばかりだ……」
そろそろ夕暮れ時。
戻らねばと鎧姿のまま立ち上がる。
心配は掛けられないと踵を返そうとした時。
「あ、あのアザヤ様、ですか?」
後ろから声がした。
振り返れば、擦り切れた薄い外套を纏った顔が雀斑だらけの子が一人。
よく見れば、その外套はよくアンクトで使うものに形が似ていた。
「わ、わたし!! アンクトに三年前まで住んでいて!! こ、こんな事になって……その……」
「そうか。生きていてくれるだけで私は嬉しい……だから、そう泣きそうな顔をしないでくれ。此処での生活には苦労や困難が多いかもしれないが、きっと大丈夫だ。ヴァーチェス様が守ってくださる。そして、多くの者が共に立ち上がれば、きっと家に帰れる。だから……」
食べる事も儘成らない小さな邦を棄てる民に文句など在ろうはずも無かった。
いつか、アンクトを多くの者が住みたいと願う邦にする事こそが自分の成すべき事。
だからこそ、私は笑みを浮かべる。
「……あ、ありがとうございました。その、これ……!!」
小さな手がその手に収まりそうな袋を差し出して。
「が、頑張ってるアザヤ様にお母さんが……受け取ってください」
「ああ、ありがとう」
中身を確認する前に恥しさからか。
女の子がそのまま頭を下げて駆け出していく。
「そ、その!! 昔よりもお顔を出している方が素敵です!! アザヤ様!!」
元気一杯の顔で振り返って、手を振ってから背中を向けて走り出す背中はやがて天幕の群れの中に消えていった。
「………」
そう言えば、そうだったと昔の事を思い出す。
高貴な者は顔を見せない。
そういう躾だったのでヴェールは時折被らされていたのだ。
だが、自分の性に合わなかったせいか。
いつも脱いで過ごしていた。
誰かの前に出る時も殆どそのままだったはずなのだが、何分昔の事なので記憶違いというのもあるかもしれない。
「顔を隠す、か……」
高貴な人は本当の顔を見せないもの。
母親がいつも言っていた。
自らの貌を晒すのは大切な人の前でだけなのだと。
「………ッ」
脳裏にチラ付いたヴァーチェス様の顔を一先ず振り払って、今は自分に出来る事をと再び仕事を見つける為、幕屋の方へ歩き出そうとした時。
『アザヤ・ウェルノ・アンクト』
「だ、誰だ!?」
脳裏に声が響いて思わず周囲を見渡した。
しかし、その主は発見出来ない。
もしかして魔術で再び操られる前兆かと思わず背中の【群括】に手を掛ける。
『貴女の敵ではありません。現在、端末を解して話し掛けています。こちらに』
「あ?!」
手を掛けた剣が何故か勝手に浮遊して移動し、20m程先の川原の上で直立した。
『ヴァーチェス・B・ヴァーミリヲンをどうか呼んで来て下さい。本体から分離形成した為、通信からの侵蝕を防ぐ戦闘状態で固定されているあちらへアクセス出来ません。現在、使用している戦闘コードを解除し、躯体を外部から生体認証と新コードで上書きする必要があります』
「い、一体何を言ってるんだ!? お、お前はヴァーチェス様のなんだ!!?」
私が慌てて神剣の前まで走っていくと。
いきなり、その真下の地表から夕暮れ時の空に光が漏れ始める。
『私はアルゴノード・クェイサー……ヴァーチェス・B・ヴァーミリヲンの力にして、彼の最も信頼する愛機です』
「あ、愛機?! アルゴノードって?! ええと、ヴァーチェス様の道具的な?」
『貴女の知的水準では理解不能でしょうから、分かりやすく解説すれば、私は彼に無くてはならない鎧にして剣、盾にして矛、そのようなものです』
「な、何?! 鎧や剣なのに喋るのか?!」
『………要約すると彼の道具の妖精です』
「妖精!? それと今、何かサラッと馬鹿にしてなかったか?」
『気のせいです。とにかく、どうかヴァーチェス・B・ヴァーミリヲンを此処に』
「う、わ、分かった。動くなよ!! すぐに呼んで来る!!」
私は混乱しつつも、これはさすがに報告しなければならないだろうとヴァーチェス様がいる幕屋に向かって走る事とする。
すると、また脳裏に声が響いた。
『それともう一つ』
「何だ!?」
『……出来れば、食料を持って来るように伝えて下さい』
「食料? 道具の妖精なのに食べ物を欲するのか?! さ、さすがヴァーチェス様の道具!!」
『お願いします』
「わ、分かった。ヴァーチェス様!! ヴァーチェス様ぁああああ!!!」
私が幕屋の方に向かって叫ぶと何やら脳裏で奇妙な気配。
何処か呆れたような、そんな感触を受けたような気がした。
だが、そんな事には構っていられない。
とにかく、まずはヴァーチェス様に報告するのが先だろう。
今の私にはヴァーチェス様にお仕えする事しか返せるものは何一つ無いのだから……。
*
「……言い訳を聞こうか?」
少年が見えざる装甲を着込んだまま。
川縁に浮かぶ【群括】に話し掛ける。
その後ろには今や三女神と避難民達の間で囁かれるアザヤ達とラクリとヘイズの二人組みが浮遊する剣との対話を珍しそうに見守っていた。
『戦闘中、最悪の事態が起きました。人格を司るシステム・カーネルの最重要部において侵蝕率が急激に上昇。アルゴノード・クェイサーの機能不全だけで済む可能性が非常に低かった為、緊急時のマニュアルに従って侵蝕を受けない端末にデータを退避させました』
「そういう事か……それでその端末が埋めたばかりの躯体だったと」
周囲は既に夜となっている。
本来ならば、川縁には虫が飛んでいそうなものだったが、そんな鳴き声どころか。
羽虫の音色一つ聞こえない。
仄かに光を発する神剣だけがその場では煌々と周囲を照らしていた。
『復帰しようとしましたが、データの退避と同時にリンクが途絶。知っている通り、戦闘中の侵蝕を受け無い為に一度切り離された端末からの再接続は拒絶される仕様であり、復帰する事が出来ませんでした』
「……データは無事なんだな?」
『重要な人格テンプレート用のコミュニケーションログと総合ストレージの基本構成バックアップのみを退避させたので戦闘用の全プログラムが分離されました。退避と同時に侵蝕部を珪素化した為……現在までに生み出した全ての戦術、戦略、補助用の運用データは全損』
「それでユニットの一部の機能に応答が無かったのか……とりあえず、今までの積み重ねは消えた、と考えていいんだな?」
『肯定』
少年が大きな溜息を吐いた。
「……まぁ、いい。それでは再接続してBユニット・ボーンで一部の機能を再構成するぞ。戦闘運用上のノウハウが消えたとしても、それで現状はどうにかなるな?」
『………』
「クェーサー。黙れとは言ってない」
『不可能です。再構成は可能ですが、自己同一性を保つ為……再びアルゴノード・クェーサーの主システムカーネルの中枢を構成する事が出来ません』
「何?」
『躯体を外部から生体認証と新コードで上書きする必要があります……』
「一体、どういう事だ!!」
思わず少年が声を上げた。
『データ退避時。この躯体にも装甲を抜けて侵蝕が一部及んでおり、その為……端末のデータを保全する目的で新規格のストレージをその場で独自構築しました』
「まさか?!」
ヴァーチェスが思わず渋い顔をする。
『はい。接続は可能ですが、データの移動が不可能となりました。新ストレージは完全に共同体のものとは違う規格である為、接続し続ける事でしかユニットの操作を行なえません』
大きな沈黙の後。
少年が頷いた。
「………分かった。あの状況でロクなストレージが造れたわけではないんだろう? 馬鹿デカイ荷物を付けて、これからずっとユニットを運用すればいいわけだな?」
『いえ、その心配はありません』
「何?」
『これより躯体を浮上させます。修復後に二日を掛けて再構成、装甲や全武装を見直しました。対“C”特化の局地戦仕様です。この惑星を破壊し過ぎないよう配慮を加えた為、威力は恒星級を撃滅する程ではありませんが、交戦中の敵情報を元に組んだので現在の簡易装甲よりはマシなはずです。此処から20m下がって下さい』
少年が背後を振り返り、言われた通り、全員を連れて後ろへと下がる。
すると、今まで浮遊していた神剣が急激に上昇して―――。
グラリと川縁の地面が揺れた。
今まで蚊帳の外だった誰もが思わず地震かと思ったのも束の間。
地表からゆっくりと砂礫が溢れ出し、地中から蒼い角のようなものが露出した。
それを機にその下の躯体が土砂を押し退けながら現れる。
まるで三角錐の如き胸部を持った前回とは違う。
大きく人型としての形がハッキリと輪郭を現し、その表層は角と同じ蒼と縁取りする星を鏤めたような銀色に輝いている。
全体的に装甲が増し、重厚となった胸部は丸みを帯びており、見る影も無い。
その武装もまた大きく変貌している。
三本の槍は二本となり、白銀色の両腕に据え付けられた巨大な篭手に一本ずつ。
四肢の膝と肘には円錐状の衝角が据え付けられていた。
背後にあった円筒形の針山。
ブースターの類は既に無く。
分厚い一帯となった外套のようなパーツが両肩と背中を覆っている。
腰部には動けても敏捷性があるのかどうかも怪しい。
そんな、脚部の大半を隠す巨大なスカート状の分厚い装甲が数枚張り巡らされていた。
表層には幾つも継ぎ目が在り、複雑な模様を形成している。
全体的には鈍重となった印象が強いだろうか。
しかし、それを見て少年は納得する。
戦った二匹の大物。
その侵蝕能力に対してであれば、装甲はこんなものだろうな、と。
すぐ簡易装甲を崩落させ、身軽になった少年が椅子を何処かから呼び出して座ると、コックピットのある胸元近くまで浮遊していく。
「さっさと回収するぞ。ユニットに直接接続出来る大きさではないなら、逆にこちらをそっちに接続する事になるだろうがな」
『その心配には及びません』
「……さっきから気になってたんだが、一体何が言いたい?」
『今、ストレージを開放します。受け止めて頂ければ幸いです』
「は?」
分厚い鋼が分離するような音と共に新たな蒼き巨人の胸部から全身に大きな亀裂が奔った。
しかし、それは壊れたわけではない。
胸を中心として放射状に奔る亀裂は明らかにそういう仕様だからなのだろうと分かる。
ゆっくりと胸部の中心から全方位へ大きく装甲が開いていく。
その開き方はまるで胴体の全てを内部から抉じ開けるような、華が咲くような、そんな様子にも見えた。
機体の上半身下半身の全てが硬質で荘厳な星々を鏤めたような色合いの内部を晒し、その中心部分にあるコックピット、座席と言うよりは軽く腰掛けて立つような姿勢となるだろう中枢接続部からシャラリと白銀の糸が音を立てて零れる。
トッ。
軽い音と共に少年はコックピットに入っていた者に抱き付かれ、再び閉まっていく機体の重苦しい装甲の連結音を聞きながら訊ねた。
「……どうやったら、あの状況下でそんなストレージが造れるんだ?」
「侵蝕に対して有効なストレージを造るには材料も時間も足りませんでした。ですが、直前に観測していた現地住民の状況から推測して、そのコードを用いた生体ストレージならば対抗出来る可能性は高かった為、個体名アザヤ、アージャ、アイシャリアの基礎コード及び解析していた元素生成の情報を元にゲノム・クリエイターを起動。事前採取していた彼女達と搭乗者の染色体情報で受精卵を作成。成長中に脳機能の拡張を行い全データを移植しました」
「………」
今度は少年が黙る番だった。
虚空で浮遊しながら絡み合う男女。
その様子に口をパクパクさせながら、頬を染めて、ガッとアザヤが唖然とする全員の中から叫びを上げる。
「お、お、お前は誰だ!? ヴァーチェス様から離れろ!! は、は、破廉恥な!!」
チラリと睫の長い二重の瞳を細めてアザヤを一瞥し。
その整い過ぎた鼻梁と人形のような貌に薄らと笑みを貼り付けて。
自らの身長よりも長い髪を靡かせ。
その薄く透き通るような姿態を隠しながら。
アージャより少し年上くらい程だろう生体ストレージ。
いや、遺伝的には“彼女達と少年の娘”に当るだろう少女は……頭を下げた。
「初めまして。《《お母様》》」
ビキリッッと少女達の顔が固まり。
ラクリはなるほど……と、何かを理解したように顎へ手を当て。
ヘイズはそう言われれば……と、手を打って理解した。
「ああ、確かに似てるな。部分部分そっくりじゃないか?」
「「「―――?!!?」」」
ヘイズの言葉で直感的な確信が三人の少女達の脳裏を掛け抜け。
泡を食って何事かを否定しようとしたアザヤだったが。
軽く啄ばむ音がして。
「?!!?!?!」
少年の胸元に身を寄せた少女が下から唇を奪った瞬間。
閾値を越えた感情に涙目のままフッと意識を失った。
「ア、ア、ア、アザヤさん!? しっかりしてくださいませ?!!」
「ね、眠そうなのにちゅ、ちゅーしてる?! 何で!? どうして?! それといつの間に眠そうなのは私達との赤ちゃんを?!! はっ?! まさか、あの時?!」
三人の少女達の驚く後ろで男二人が彼らの修羅場?を前にして互いに意見を交し合う。
「むぅ……初めて国を出たが、世の中って不思議な事で一杯なんだな。ラクリ」
「お前が言うと夕飯の献立みたいだな」
「ん? 今、褒めたか?」
「ああ、褒めたぞ。普通の女はこういう時、アンクト女史みたいになるのが正しい。少しはそういう繊細さを見習え」
「お、おう!!」
ヘイズが何やら嬉しそうに頷き、ラクリが暗澹たる様子で相棒の空気の読めなさに溜息を吐いた。
外野がガヤガヤと騒がしい中。
少年は唇を離した愛機。
否、現在の状況で表すならば、相棒に疑問を一つ。
「生体認証を物理接触で行う必要があるのか?」
幼き女神。
きっと、誰が見てもそう形容するだろう整い過ぎた全裸の少女アルゴノード・クェイサーは搭乗者に薄らと笑みながら答えた。
「新コードの名称を入力して下さい」
「……もう勝手にしろ」
呆れた少年に言われるがまま。
彼女は自らの躯体接続用有機蛋白ストレージ兼身体を名付ける。
「分かりました。では、コード名【暁之娘】を発行します。躯体搭乗時は共に乗り込んで接続する事になります。悪しからず」
「無駄に人間らしい言い回しだな……」
「現在、共同体水準において言い表した場合、アルゴノード・クェイサーは人的資源に数えられる“個人”です。無論、搭乗者に対するバックアップ及びユニット行使補助の上では【全能器】のマン・マシン・インターフェースである事に変わりはありません」
「諸々、聞きたい事が山済みだ。幕屋へ行くぞ」
「了解しました。これより本機アルゴノード・クェイサーは職務に復帰します」
「―――道具は職務に復帰したりしない。専門用途で“運用”されるものなんだがな……」
クェイサーは自分の搭乗者。
いや、今は“主”となるのだろう少年に告げる。
「今はお腹が空く総合支援人格です。ご理解の程を」
その薄い奇麗過ぎる笑みは正にアザヤ・ウェルノ・アンクトにとっての天敵か。
「ぅぅう~~~娘なんて、む、すめ……なん、て………」
年頃の気を失った少女は一人。
自分の娘から仕えるべき神との間に割って入られる、という何とも評価に困る悪夢を見続ける運命にあるらしかった。
*
角灯に獣油が燃えている。
その何とも獣臭い幕屋の中。
ヴァーチェスを中心として少女達と二人の少年は装備を脱いで思い思いに自分の寝床に寝そべっている。
そろそろ就寝の時間帯。
王家の娘でわるアイシャリアや少年を助けたという事で株を上げたベリアステルの二人組みは別の幕屋が用意されていたが、現在その幕屋は難民達に開放されており、彼等は一つの寝床を共にしている。
アージャは既に難しげな話に寝入り。
アイシャリアも自分が聞いて分かる話ではないだろうと瞳を閉じた。
ヘイズは途中まで聞いていたものの、すぐに飽きて熟睡。
残るのは少年の言葉ならば、何でも耳に遺しておこうという熱心な信者ぶりであるアザヤとラクリのみ。
少年は眠る必要も無いはずだった相棒。
クェーサーを前にして受け答えし、この地に住まう人々の秘密。
いや、彼等自身すら知らないであろう真実を理解するに至っていた。
椅子に座ったまま。
寝台の上に一応の貫頭衣を身に付けた少女は話す前にアザヤが用意した硬い木の実を平らげて今はチョコンと足を崩してヴァーチェスを見上げている。
「……随分と特異なイレギュラーだな」
その主の声にクェーサーが頷く。
「はい……これも“C”との共存。あるいは適応の一形態と言えるでしょう」
二人が頷き合っている間にもなる程とラクリは理解した様子で頷いたが、ただ一人何を話し合っているのか。
殆ど理解していなかったアザヤが困った顔で必死に内容を内心噛み砕く。
その様子に分からないなら、眠っていればいいだろうにと呆れたものの。
少年は優しく言葉を並べる事とした。
「つまり、この地の人間はあの化物と大昔から付き合いがあった。少なからず互いに生きる場所が近かった為、それに適した特別な能力を持っているという事だ」
「特別、ですか? ヴァーチェス様」
「そうだ。噛み砕けばそうなる。この二日あのバラフスカ王に聞く暇は無かったが、明日には裏付けが取れるだろう。地域に化物と化した住民の話が残っているとすれば、随分とその能力を得て年代が立っていると考えるべきだ。この地の住人は化物が傍にいても、化物にならない力を大昔に手に入れたんだろう」
「褒めて頂いているのは分かりました」
「ああ、そろそろ寝ろ。明日も早い」
「は、はい。では、失礼してお先に……」
少年に褒められて心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた後。
クェーサー。
自分より明らかに小さくて可愛くて少年と親しそうな少女を見ないふり、というよりは無視して。
アザヤがそっと薄い羊毛の敷かれた地面に横たわり、木製の枕に頭を預け。
「お休みなさいませ。ヴァーチェス様」
そう言って、そっと瞳を閉じた。
「ゆっくりと眠れ」
少年の瞳がチラリとクェーサーに向くと彼女が頷き。
スッとアザヤの寝顔が安らかなものとなる。
「それで? 元素変換能力を得る程に“C”へ適応した人型の炭素系生命なんてものがあるとして、その能力が今まで発現していなかった理由は?」
少年が安らかに強制的な眠りへと落ちた少女をチラリと見てからクェーサーへ訊ねる。
「それは僕も気になっていました。彼方達の話を聞く限り、そんな耐性が出来るより早く侵蝕され尽してしまうように思ったもので」
今まで黙っていたラクリが口を挟むとクェーサーが虚空へ幾つかの物質で構成された塩基モデル。
螺旋《DNA》を浮かべる。
「これが現地住民の基礎コードのモデルか?」
「はい。ようやく二次解析が終わりました。侵蝕状況下において特定の遺伝子が活性化。それが周囲の繋がりを組み替えて元素生成事象を発生させる回路が組み込まれた細胞を形成。原子内の記述は量子テレポーテーションで肉体の細胞に自己を複写し、固定化。飛躍的に能力を増大させていると思われます。その遺伝子と原子内の記述は一種の改造ツールに近い働きをすると確認。これ程の精度で塩基を改変し、原子レベルでの情報を複製する以上、人為的な操作が加わっていると見るべきです」
「……まぁ、普通に考えれば、誰かがやったと思うのが妥当だな」
「はい」
「少なくとも“C”を退ける程の特異な技術、魔術がある以上は可能と見るべきだろう。それが神とやらか、この周囲を影響下に置く教会の仕業かは分からないが」
それに同意してラクリが頷く。
「そういった術で血統にそのような仕掛けを誰かが施したとしても驚くには値しません。少なからず、僕の智識には血筋、彼方達の言葉で言うところの塩基?でしたか。その血脈に受け継がれる能力を操作する魔術は存在しますから」
その言葉にヴァーチェスとクェーサーが自分達の調べた情報が補強された事を確認する。
「分かった。これ以上は明日にしよう。朝食を取った後、アルワクト王から聴取し、その後に今回の“C”の襲撃に付いて調べる」
「分かりました。それなのですが……一つよろしいですか?」
ラクリが少年に対し、少し申し訳なさそうな顔をする。
「何だ?」
「実は術の効果が明日の夜までに解けそうで」
「術……“C”を停止させているものか?」
「はい。後四日は持つと試算していましたが、どうやら見積もりが甘かったようで、たぶん明日の夕方には侵食が再開されます」
「そうか。こちらで何とかする。時間は稼いだからな。出来るな? クェーサー」
「可能です。また、明日には幾つかの対応策を提示出来るはずです」
「そちらは任せた」
「はい」
ラクリがありがとうございますと頭を下げ、そろそろ寝ようとする。
しかし、会話を打ち切ろうとしたヴァーチェスにクェーサーが待ったを掛けた。
「どうした?」
「先程、群括とリンクした際に魔術による洗脳者とアザヤ、アイシャリア両者の会話ログが確認されました。その中で洗脳者が気になる事を言っています。再生してよろしいですか?」
「構わない」
ラクリに伝えるべきかと訊ねられたヴァーチェスが頷いた。
すると、虚空に二人とアルワクト王、兵達が映し出される。
洗脳者とアイシャリアの会話の途中。
少年が顔を険しくした。
その理由は明確に洗脳者の放った言葉の一節のせいだ。
『教える必要など無い。小娘は小娘らしく従っていれば良かったものを……父の手に掛かって果てるがいい!! 始原たる名。Cの継承者たる私がエイゼルを必ず大国にしてやろう!!』
「継承者……名前の下りはこの地方の習慣か。その上で名乗ったとしても、これは……」
クェーサーが頷く。
「今回の襲撃事件は自然発生的なものかと思っていましたが、大昔からこの惑星に“C”がいたとすれば、この発言は……“C”の継承者という言葉を偶然の一致で片付けるべきではないと判断します」
「翻訳自体が間違っているという事は?」
「この地域の基礎的な言語体系は完全に解析、網羅しています。その上での翻訳に間違いがあるとは思えません」
「……あの化物に適応した。いや、適応させられた人間がいるとすれば、逆にそれを取り込んだ存在。あの蟲共みたいなのがいる可能性もあるわけか」
「はい」
クェーサーが首肯する。
「蟲?」
ラクリに少年は溜息がちに話した。
「昔、“C”を崇め、その力を手に入れた種族がいた。それなりの回数戦ったが、明らかに今まで接触してきた文明よりも高度な力を得ていた。それこそ、まったく違う種族、まったく違う生物に取り付いて操れる程のも―――」
自分で言ってヴァーチェスが沈黙する。
その理由を悟って、ラクリがクェーサーに視線を向けた。
「現在、その可能性に付いて検証していますが、技術的には魔術である事に間違いはなく。能力である事は確認出来ていません。ですが、因果関係を決定的に否定するだけの証左もまたありません」
「何とも言えないが、その線も洗え」
「了解。引き続き解析を続行します」
ようやく終りだと少年がラクリに一言お休みと告げて幕屋の外に出て行く。
「どちらに?」
「少し星を見に……」
クェーサーがその後ろを付いていき。
残された彼はしばらくそちらの方向を見ていたが、すぐにパチンと指を弾いて角灯の灯りを消し、床に付いた。
『………こちら【使徒】………我々用の神兵装備を至急送られたし。また、周辺地域の詳細な歴史、地政学的動静及び教会との関連に付いて3000年分の資料調査を求める。絶末の双子の認証を持って此処に定時連絡を終了する』
その声は誰にも聞こえず。
そうして、彼等の夜は更けていく。
*
夜半過ぎ。
少年はクェーサーと共に今もケガ人が収容されている大きな医療用の幕屋へと向かった。
外の警備している兵士達の数は数人。
その周辺には難民達の幕屋も無く。
辺りは焚き火の火で照らされ、ぽっかりと円状の空白地帯を形成している。
ヴァーチェスの顔を見た兵達は疲労の色が濃いものの。
しっかりとした様子で幕屋内部へ無言で通した。
アルワクト王からの伝達が行き届いている事。
そして、統制が行き届いているというのが大きいだろう。
「………さて、本題はこっちで聞こうか」
「はい」
幕屋を支える柱がある中心部には複数の蝋燭が立て掛けられていた。
本来は王族や富裕層が使う前提のものらしかったが、今はとにかく此処を明るく保っておくようにと事前に少年が進言していた通り、誰もがその明かりに照らされている。
“C”の影響下で化物と化した人間。
そして、それを見守って看護する親族や友人恋人と彼等を守るよう一定間隔で配置された兵が三十人ばかり。
今のところ変貌を遂げた者。
あるいは遂げつつある者に決定的な変調は起こっている様子は無かった。
天幕のまだ空いている部分へと向かい。
その何も敷いていない剥き出しの地面に音も無く少年は椅子を下した。
向かいにクェーサーが立つ。
「『先に結論だけ聞かせろ』」
脳裏での会話。
椅子だった頃のクェーサーと何京回繰り返したかも分からぬ遣り取り。
それにクェーサーがそっと返す。
「『眷属または落とし子との混血が見られます』」
「『………それが適応した人間と混じったわけか?』」
「『予想されていたのですか?』」
「『当たり前だ。大物が出てきた瞬間にいきなり侵蝕率が跳ね上がった理由を考えたが、あの状況だとそれくらいしか思いつかなかった……“紐”の侵蝕で元々の因子が増幅された結果なんだろう?』」
「『その通りです。此処にいる全ての患者のコードを解析した結果。今までに出会ってきた侵蝕下の生物と同様の因子が遺伝物質を構成する分子、それを形作る原子自体にも確認されました』」
「『落とし子や侵蝕された個体などが同種族間や異種族間で人型の知的生物と混血する例は稀だが、この地域を見るに下手に適応してしまったからこそ、その度合いは大きかったわけだ。外見上の侵蝕を押さえ込む様子から考えれば、過去にもそういった例があり、それが配偶者だった場合……自分達が侵蝕を直せると。そう考えても不思議じゃない。実際には侵蝕された影響自体を消せないと知らなかった。あるいは《《意図的に知らされなかった》》可能性もあるな』」
「『確かにこの一帯の人々は侵蝕後の生物が何世代にも渡って混血を繰り返す事で“C”の影響とそれに対抗する能力を同時に併せ持つ遺伝的均衡を得ているようです。一次解析では“C”からの侵蝕痕などはまるで考慮されていなかった為、見落としていました。また、元素生成能力を司る遺伝子が母親の胎内で活動し、胎児の侵蝕痕を修復している事も判明しました。最初期の遺伝子活動は生まれた後に静まる為、尚更に見付け難かったと思われます』」
クェーサーの回答が少年の胸に僅かな漣を立てる。
「『………アザヤ達は?』」
「『彼女達は例外的な個体と考えられます』」
「『例外?』」
「『彼女達の家柄が其々の共同体内の最高位であった理由。それはたぶん今述べた血統の混血度合いに関係するものです』」
「『どういう事だ?』」
「『彼女達の血液にのみ世代を超えて受け継がれる一切の侵蝕が見られませんでした』」
「『まさか……純粋な元素変換能力だけを持つ個体……そういう事か?』」
何を言いたいのかなんて数十億年以上を共に戦ってきたクェーサーには訊くまでも無く理解出来た。
「『はい』」
「『それはつまり……』」
「『保険だったのでしょう。彼等に元素変換能力を与えた者がいたとすれば、ですが」
「『……意図しないわけがない、か』」
「『ええ、少なからず遺伝子的な操作と遺伝の法則に付いて知っていたなら、最適解の一つではあります。“C”に侵蝕された生物の共同体に的確な対処を施して健全性を保つ。これは今まで出会ってきた如何なる共同体にも無かった先進的試みです』」
「『その手法が原始的であるとしてもか?』」
「『……共同体の侵蝕度合いを薄める純粋な抵抗性を持つ血筋による種族統治。答えとしては最適解に近いものではないでしょうか』」
クェーサーがそう続ける。
アザヤ、アージャ、アイシャリアの三人が揃って同じ能力を持っていた理由。
それは結局のところ彼女達の血筋が特別だったから。
混血が進むに連れて拡散する“C”の因子。
それを遺伝子に刻まれた共同体が、一時的に因子の抵抗性を持つ血統と交わり、今まで普通の人間として生きてきたわけだが、それは同時に更なる混血で侵蝕を受け易い個体や先祖帰りのような個体を孕む可能性もあるという事に他ならない。
共同体の構成員全体が侵蝕され易い体質になるのを防ごうと因子に抵抗性を示す純粋な血筋が残された。
必要な時期に共同体内で血筋を分け、Cへの抵抗性を強める為に。
そう推測すれば、三人が同じ能力を持ち、同じように高位の家柄だった事の説明は付いた。
「『どうしますか?』」
クェーサーがあくまで静かに訊ねる。
「『それをお前が尋ねる事になるとはな』」
少年が皮肉げに拳を握る。
「『現在所属する共同体の全法令に基いて調べても“C”に侵蝕された知的生物は殲滅するという事で結論が出ています。また、簡易装甲から回収した戦術核が数発。躯体の方には地表の汚染を焼き払って珪素化する消却装備もあります』」
「『………』」
「『今まで我々が殲滅してきた者の中にもこのレベルの知的水準を保つ種族はいました』」
「『ああ、そうだな』」
「『現在の状況から言って、あの三人とその親族以外の共同体構成員を全て殲滅する事でこの惑星における“C”からの侵蝕は大幅に軽減されるでしょう』」
「『そういう問題じゃない』」
「『?』」
「『それじゃ、何も解決しない』」
「『搭乗者の発言の意図が分かりません』」
「『今、あの都市の中で止まってる大物を叩いても、根本的な問題は解決しないだろう。それと同じだ』」
「『搭乗者の発言に対して説明を要求します』」
「『少なくとも、まだこの癒えぬ病に誰もが抗っている』」
少年の視線の先で未だ呻きながら、汗を滲ませながら、膿に塗れながら、異臭を放ちながら、爪を地面に立てながら、それでも変貌しつつある者達が歯を食い縛って精神の変容に抗っていた。
それをジッと見つめる者。
手を握ってずっと祈り続ける者。
看病をしながら疲れているだろうに笑い掛ける者。
涙を堪えてジッと凝視し続ける者。
多くの親族が友人が恋人がその誰かを諦めてはいなかった。
アルワクト王からは既に誰かが傍にいれば、それだけで化物になる速度が遅くなり、状態が悪化していても正気を失わずに済むという事実が説明されている。
まだ、化物になるような影響を受けていない民は気味悪がっていたが、そうなってしまった者達の周囲の人間は未だ入れ替わり立ち代り見舞いに来たり、看病をして過ごしている。
誰の瞳にも諦めというには強い光が宿っている事が分かるだろう。
中には手を握ったまま眠りに付く者や縋り付いて床を共にする者の姿さえあった。
「『コミュニケーションが取れる事。会話出来る事。それと《《人間であるかどうか》》は別の話だ』」
「『………』」
「『この惑星の住人は少なからず。まだ、あの絶望に抗い続けている。飲み込まれた者もあるだろう。狂気に触れた末路が積み上がっているのかもしれない。だが、諦めていない。諦め切れていない。それは人間である為に必要な最低限の要件だ……違うか? クェーサー』」
「『搭乗者の主観の問題に対してアルゴノード・クェーサーは戦術的、戦略的、生存上不可欠な諸事情を補完出来ない場合以外の状況下では観測者としての意見を主張する立場にありません』」
「『随分と口が回るようになったな……』」
「『貴方が初めて侵蝕された同型機を撃墜した日も同じような会話をした覚えがあります』」
「『覚えてない』」
クェーサーは自分を見上げる瞳を見返し、そっと訊ねる。
「『………では、どうしますか?』」
「『戦うだけだ。それ以外に何かあるか?』」
「『ならば、これより本機はアルワクトにおいて静止している個体への有効な戦術プランを模索します』」
「『分かった。好きにしろ』」
「『了解。では、指定された待機場所へ戻りましょう』」
「『ああ……その前に言っておく事がある?』」
「『何でしょうか?』」
怪訝そうなクェーサーに少年は僅か笑む。
「『人的資源はそういう時、《《待機場所》》じゃなく、《《寝床》》へ帰るんだ』」
「『……学習完了』」
彼等が幕屋に戻り、人間らしい睡眠を取れたのはそれからの数時間のみ。
ムニャムニャしていたアザヤが紫色の焼けた旭に目覚め。
朝一番に起き出し、ムックリ傍で毛布に包まれた塊。
少年とクェーサーが互いに背中を合せて眠る姿を見るまでだった。
「は、は、は、はれ、破廉恥な!? ヴぁ、ヴァーチェス様に何をしているぅううううううううう!!!?」
そうして、幕屋内部の少年少女は何処からか聞こえる野鳥の声と共に酷い目覚ましに起こされる事となったのである。
*
―――???
『何もかも孵れ』
『我が手に全てを押し付けて』
『彩る進化を重ね掛け』
『遥かな果てに道を敷く』
『凍える炎に持ち上がらぬ岩』
『深きに沈む太陽』
『无貌よりも高けき者』
『収穫されし死に正しき夢を喰わせ』
『裂け続ける宙を終わり亡く冒し』
『太虚より壷卵を得る』
『さぁ、掲げよ。捧げよ。星より冷たき空に咲き』
『蒼より強き淦を塗り』
『小高き丘の麓より』
『津波の先へ仰ぎ見て』
『都の底より還り来い』
―――燃え尽くした灰の中より我は呼び訴えたり。
言葉を紡ぐ舌があった。
仄温かい岩穴の中。
白く焼け崩れ、煌々と輝きながら、本の前でソレは謳う。
そう、舌のみが謳う。
逆巻き巻き戻る時間の中。
根源に至る果てより引き入れ。
腐り切った水を滴らせながら、それは意味のあるようで意味の無い。
意味の無いようで忌みすら無い声で届ける。
それは一体、何か。
その本の中に答えを見出せば、誰もがただ正気を失うだろう。
舌が謳っているのではない。
謳わせられているのだ。
死すら許されず。
砕け散った肉体すら再生させられ。
あらゆる刻の頚城より放たれて。
―――ヲお、クルウルウ。
舌は紡ぐ。
紡がされ続ける。
絶頂する男の如く。
絶頂する女の如く。
全てを圧する獣の如く。
全能を欲する人の如く。
終りを睥睨する神の如く。
だが、その全てが正しく。
その全てが誤謬となる。
それは圧倒的弱さ。
何もかもに縋り付く弱さ。
頼り、倦み、醜くもしぶとくも哄笑する嘲りの本流。
―――いあ、イア、イあ、いア。
僻みに暮れ、妬みに明るく、呪いへばり付く汚泥の如き意思の力。
岩肌が崩れる。
いや、捻じ曲がる。
現実が歪めば、岩は螺旋を描いて肉に、水は酸に、道は黄金の食道に、意味無き罅割れは悍しき意匠に成り果てる。
出来上がるのは金色の螺旋階段。
はたまた輝ける塩基配列。
ボチャリボチャリ。
その最中に落ちたのは同胞か。
肉塊か。
蕩けながら融けながら、永劫の幸せに到った幸福なる者達の声。
抗い難き底知れぬ闇の抱擁。
無限の暗黒、光の墓場で終る事すら許されぬ歓喜の唱が響く。
天上に堕ちた羨ましきソレ等を心底に嗤って。
舌は取り戻した肉体によって、両手を掲げた。
腐り墜ちた肌。
滑るリンパ液。
瞼無き眼球が内部から罅割れてダラリと虹彩から舌が露出する。
その奥には咽喉が有り、その下には肺がある。
グチャグチャに混ぜられ、適切な肉体の連続性を喪失してしまったソレは紡ぐ。
―――ァゥのよりドォ舞い死ヴス上ルヴがれ。
―――え者ゆる燃たは消。
―――さに来身がぁ、れ我た。
もはや正常な繋がりすら無き音の連なりで最後の名だけが世界に刻まれた。
【ジュブ=ニグラス】
恭しく掲げられた全てを記し本が燃え。
山羊の鳴き声が響き上がり、黒く黒く湿った布が呼びしモノの肉体を絡め取る。
そうして、締め上げ、締め上げ、肉体がただ流動する肉の液体となるまで締め上げ、弾け散った。
それは黒く黒く黒く黒く。
全てを染め上げて。
ペキリと。
彼の存在する世界が、岩穴の置かれた山脈が、その大地たる地殻が、立ち上がる何かによって割れた。
“母”が立ち上がる。
山は崩れ。
土地は潰れ。
水は粘着いた音を立てて。
それは世界の全てを祝福した。
――――――ォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――。
全てを産み出す者。
女。
全てを呪う者。
黒き山羊。
全てを包む者。
大樹。
全てを動かす者。
それは箱。
何もかもを封じ込めた箱。
輝きし何か。
全ての中心で本の底より浮上したソレ。
輝きを漏らし、決して触れてはならぬモノ。
それが女であり、黒き山羊であり、大樹である物の中心で酷く脈動する。
それに連動した叫びは大地を巻き上げる程の圧力で。
産声は大気を撓ませ、割れ爆ぜさせる。
そうして、彼女は歩き出した。
女にも樹にも黒山羊にも見える何かが。
カチリカチリと何処からか聞こえる音と共に。
刻を越える程の足の速さで。
全てを恙なく終えた本の持ち主へ報いるように。
大地を歩き砕き、大海を跳ね飛ばしては真空に混ぜ、星を潰し終わらせながら、そのただただ大きな図体で過去へと舞い戻る。
逆転する星々の大河を追い掛けて。
《《彼女》》の名はジュブ=ニグラス。
全ての母にして、狂気の孕み手。
そして、今は无貌より這い出せし一柱。
“bmepios5b:ps5hnw:4ph3q:-phg:q94tgjaep49gjhnwl54hnjw;\aet5hjnsaeip54hg”
まるで意味なき狂気と毒気に満ちた声を上げながら、彼女は進む。
世界を超越する者にとって、それは単なる散歩だろう。
山脈よりも尚高けき、成層圏に頭の届く、宙の恐怖そのものは誰かの望んだ通り。
仕組み、仕組まれた、その世界へと到来しつつあった。