無双、またの名を蹂躙
「制圧」の書き直し。
冷気の霧が漂う中から、その男は現れた。
黒いコートに身を包み、白銀の氷礫舞う中でさえ尚輝く銀の髪を靡かせ、腰に二降りの長剣を差す、灼眼の男が。
「誰だてめぇ!何処から出てきやがった!」
男に対し、ハルトが咆える。それに対し、男はその燃ゆるような眼を細め、底冷えするような眼差しでもって返した。
「俺からすれば、こっちこそお前達は誰だと問いたいんだがな。人が就寝中の寝床で婦女暴行か?随分とご立派な身分なことだ。」
「ッわけのわからない事を言ってるんじゃねえ!やれ!カイト!」
男の言葉が気に食わなかったのか、ハルトはカイトに射撃の合図を出す。やや一拍遅れて放たれた矢は男へと向かって真っすぐと飛ぶが、男が腰の長剣の柄に置いた手が瞬くと、その鏃が男の身に刃を届かせる前に神速の抜刀術を持って切断される。
「なっ……!?」
「やれやれ、会話の最中に攻撃を仕掛けてくるとは、余程躾の行き届いていないと見た。」
ハルト達の間に動揺が走る。矢を切られた事に対してではない、矢を切った剣筋が全く見えなかった事に対してだ。だが、そんな彼らの動揺ももどこ吹く風。男はエミリーの傍まで寄り、膝立ちになるとすぐ傍に落ちているとんがり帽を手に取るとそのままエミリーの頭に被せる。
「大丈夫か?」
「ひゃ、ひゃい!大丈夫じゃないです!」
ぶんぶんと頭を振り、大丈夫じゃないと答えるエミリーに男は苦笑する。
「大丈夫じゃないのか。色々と今の状況を説明して貰いたいところだが……大丈夫じゃないなら、とりあえずあいつらを片付けるとするか。」
いい加減、睨みつけられるのにも飽きたしな。とお道化たように言葉を零すと立ち上がりハルト達に向き直る。
「あ、あの!」
「ん、なんだ?」
「その、お名前は……?」
こんな状況でまず名前を聞くのかと男は再び苦笑するが、ふむ、確かに急に訳のわからない状況で見知らぬ奴が出てきたら素性を確かめようとするのは理に適ってるなと思い直すと、男は視線だけをエミリーへと向ける。
「アルバート、アルバート=ヴァンピール。ただのしがない、吸血鬼だ」
「きゅう、けつ、き?」
エミリーの目が丸くなる。まるで、ありえないモノを見て驚いているような目だ。なんだ、何か可笑しな事を言っただろうか。はっ!さてはウィルヘルムの奴、和解に失敗して未だに人間にとって吸血鬼は不倶戴天の敵だとでも言うのか。あの野郎過去に戻ってぶん殴ってやる。と、アルバートがいらぬ思考を巡らせていると、驚愕の理由の答え合わせはハルト達の反応によって為された。
「吸血鬼だと……?ハッ!ハッタリに決まってる!」
「そうだ!現存する吸血鬼は4体、何れも5大迷宮の深淵に封印されている!。こんな所に居るはずがない!そんな事も知らないのか!」
「どうやって此処に現れたのかは知らないが、そんなハッタリで俺たちがびびると思うなよ!」
騒ぎ立てるハルト達の言葉に、アルバートは目を細める。
「……どうやらもう一つ、聞かなければならないことがあるようだな。それはそうとして、勝手に人の寝室に転がりこんで、挙句の果てに人様に矢まで打ち込んでくれたんだ。殺しはしないが、痛い目を見る覚悟はできてるんだろうな?……泣いて謝るなら、今なら拳骨一発で勘弁してやらんでもないぞ?」
「嘗めやがって……おい、お前らわかってるだろうな!あの女にギルドにチクられたら俺たちは終わりだ、こいつらを生かして帰すなよ!」
「ふむ。武器を下すつもりは無い、と。なら、こちらも実力行使を取らせてもらおう」
ハルト達が武器を構えると同時に、アルバートも剣の柄に手を置き戦闘態勢を整える。
「いくぞ、クレス、カイト!」
ハルトの掛け声と共にカイトが矢を放ちクレスが駆け足で距離を詰める。が……
「見えている位置からの単発の狙撃は意味がないぞ。それと、剣速も、踏み込みも甘い。」
放たれた矢は再び、アルバートの左手によって抜かれた長剣に切り落とされる。抜剣の間を狙うようにクレスがアルバートに切りかかるが、剣が振りぬかれる前にアルバートの右手で抜かれた長剣に切断され、逆に踏み込んだ足を払われて無様に地面に転がる。慌てて起き上がろうとしたクレスだが、足の甲をアルバートに踏み抜かれ、苦悶の声と共に再び地面に伏す事となった。
慌てて次の矢をつがえようとしたカイト目がけて長剣を投擲すると、寸分違わず弓に突き刺さり、破壊する。
「なにッ!?」
「戦闘中に動揺するのも減点だ」
クレスとカイトが一瞬で無力化された事に動揺したハルトに、アルバートは一瞬で肉薄するとその胸倉を掴み、背負い投げの要領で地面に叩きつける。その一撃で意識を刈り取られたのか、白目をむくとそのまま動かなくなった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」
数秒もしないうちに仲間たちが地に伏した事に、逃走した後の現実の恐怖よりその場の恐怖が勝ったのか、カイトは使えなくなった弓を投げ捨てて、アルバートに背を向け広間の出口へと駆けてゆく。
「逃走するのが悪い手とは言わんが、背中を見せるのは頂けないな。」
這う這うの体で逃げ出していくカイトに、アルバートが手の平を向ける。
「『闇よ、彼の身を縛り影へと落とせ』 シャドウラビリンス。」
詠唱の完了と共に、アルバートの右手に黒い魔力が現出する。それはアルバートの手から離れると、カイトの周りを囲むように漂い黒い球体を形作る。
「ひっ、ぎゃぁぁぁぁぁぁ」
数舜後、球体の内からカイトの悲鳴が木霊する。やがて球体は霧散すると、崩れ落ちるかのようにして球体からカイトが解放される。
しばしの間、場を静寂が支配する。
アルバートはカイトが投げ出した弓の残骸から、長剣を回収すると払うように軽く振り、木片を振り落とすと、両の剣を鞘へと納める。
静かなその空間に、キンッ、と剣が鞘に収まる金属音が、戦いの終わりを告げるかのように響いた。
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(凄い……)
それが、アルバートとハルト達の戦い……いや、既に戦いでは無く一方的な制圧を見ていたエミリーの感想だった。
矢が放たれたと思ったら既に切り落とされており、クレスが踏み込んだと思ったら逆にクレスの剣が圧し折られて次の瞬間には地面に転がされている。
エミリーの知覚を大幅に超えて行われたアルバートの動作を正確には捉えきれていないが、それでも結果として起こった事がアルバートの行動を説明してくれている。
今もまた、一瞬でハルトの前に現れたかと思ったら、次の瞬間には地面に叩き伏せている。
(吸血鬼って、本当なのかな……)
先ほど名前を名乗った時に一緒に伝えられた、吸血鬼という言葉をエミリーは心の中で反芻する。俄かにどころか、太陽は西から昇ると言われるのと同じくらい信じられなかった言葉だが、今目の前で繰り広げられている、Sランク冒険者もかくやという人間離れした光景を見ると、「本当なのかな」という気持ちがエミリーの中に沸いてくる。
「『闇よ、彼の身を縛り影へと落とせ』」
(あれは……魔法の詠唱?でも、あんな詠唱聞いたこと無い……)
エミリーはこれでも魔法学校を首席で卒業してる。なので、自分では扱えなくても一通り全部の属性の初級魔法から大魔法まで暗記をしてはいる。しかし、今アルバートが使っている魔法はそのどれにも該当しなかった。
(もしかして、固有魔法?)
固有魔法。それは、火、水、土、風の四大属性に属さない魔法の事を指す。歴史上記録されている固有魔法は数種類しか無いが、そのどれもが得てして強力で、尚且つ一代限りのものであり、その魔法が継承される事も無かった。
エミリーはアルバートの使う魔法がそれだと推測すると、目を輝かせてアルバートを見つめた。剣の腕は超一流で、魔法も扱える。しかも固有魔法を習得していて、尚且つ人間離れした速度。吸血鬼であると言っていたがきっと冗談なのだろう。ならば、エミリーのなかで行き着く結論は一つだ。
(もしや、とても高名な凄腕冒険者なのでは!)
なんでそんな冒険者がこんな所にいるのか、そもそも高ランク冒険者の人数は少なく、冒険者に憧れて一通りの高ランク冒険者の人相には目を通していたエミリーの記憶の中にこんな人物はいたか。
自分がさっきまで置かれていた境遇も忘れて、アルバートを羨望の眼差しで見ているエミリーにそんな事考えられる筈が無いのであった。
「さて、と。おい、起きろ青髪。」
エミリーがそんな事を考えているとは露知らず、アルバートは一人だけ気絶させなかった地面に転がっている青髪――クレスの腕を取り関節をキメると事情聴取を始めた。……鉄拳制裁の後にする事情聴取というのもなかなか理不尽だが、そんな事は些細なことだとアルバートの出す雰囲気が雄弁に語っている。
「くッ…化け物、がッ…!」
「化け物か、まぁ、人間からすればそうだろうな。……さぁ、質問に答えて貰うぞ。ここで一体何をしようとしていた。」
「誰が答え…ッぎゃぁぁぁぁ!」
「質問と関係の無いことを喋るごとに、さらに腕を締め上げていく。大体状況から察しがついているから、これは確認のための質問だ。素直に答えた方が身のためだぞ。」
「わかった!答える、答えるから腕を緩めてくれ!」
「返答が先だ」
「ッ…!あ、頭のネジが緩そうな女を連れ込んで奴隷にして俺たちのペットにしようと…ッ!?」
クレスが答えた途端、腕を締め上げる力が強くなる。
「どっ、奴隷の首輪はハルトが何処かから調達してきたんだ!俺は知らねえ!こんなことしたのは今回が初めてだ!俺達がどうかしてた!だから許してくれ!」
これ以上強く締め上げられては堪らないと、クレスが聞かれていないことまで喋る。顔には必死の形相を浮かべており、嘘はついていないのだろう。アルバートは、これ以上絞っても何も出てこないと判断すると腕の拘束を解いた後素早くクレスの首を絞める。
「くぺっ!?」
なさけない最後の悲鳴と共に、クレスの意識は闇へと沈んでいった。
その後アルバートは気を失った三人を一か所に纏めると、魔法の詠唱をしているのか二言三言呟やいた。すると、三人の腕に黒い縄のような物が絡みつき、縛り上げる。
「……ここで、首を刎ねるのが一番簡単な処理方法なんだが、人間の流儀に乗っ取るとそうもいかないんだろう?」
未だに上の空なエミリーに、アルバートが声をかける。
「へ?あ……え、えぇ、そうですね。冒険者ギルドの方に突き出すのが一番かと……」
「ふむ。冒険者ギルド……か。まぁ、それはおいおい任せるとして、お前にも色々聞きたいことがあるんだが……」
ちなみに、アルバートは所謂三白眼で目つきが大そう悪い。そんな眼をさらに細めた状態でエミリーを見れば……
「ひぅ!?」
先ほどの尋も…質問のこともあり、当然こうなる。
そんなエミリーの様子に、少し困ったように苦笑すると
「怯えられるのには慣れてるし、自分の眼つきが凶悪なのも自覚しているが……そう怯えられると少し傷つくな。」
こほん、と一つアルバートが咳ばらいをすると
「とりあえず、何時までも呼び方がお前では不便だ。名前を教えてくれないか?」
「ふぇ、えっと、その。エミリー・エックハルト、です。」
「エミリーか、いい名前だ。さっきも言ったが、俺はアルバート・ヴァンピール。吸血鬼だ。」
薄暗い洞窟のなか、壁面に輝く輝石が二人を淡く照らす。
平行を進んでいた二人の運命が、今、交わった。