-Side Pink-
昔。……うん、昔の話になるけど。
私には兄貴が居た。背が高くて、ぶっきらぼうだけど面倒見が良い兄貴だ。
私と兄貴は七歳も離れてて、私が小学校の四年生の頃には軽音部のヒーローに、中学に入った頃にはもうバンドマンしてた。
そんな兄貴の真似をするように、当時の私は兄貴のお古になったエレキギターを貰って練習するようになった。
まあ、最初はそりゃもう大変だったさ。ギターは重いし指は絃に届かないし。
それでも、兄貴が一緒に練習してくれてたから上達できた。私ができないと頬を膨らませると、苦笑しながら毎回教えてくれたんだ。
説明に擬音が多かったし、あんまり教え方はうまくなかったけどね。たぶん。
そんな兄貴が亡くなったのは、一年前、私が中学三年生の夏ごろ。病名は難しくてなんだかよく判らなかったけど、深刻な病気だった。
その時は自分で言うのもなんだけど、私は兄貴になついてたし、心にぽっかり穴が開いた感覚になるかと思った。
でも、実際は思っただけだった。
受験勉強は忙しかったし、兄貴もちょっと前から入院してる事も多くてあんまり家に居なかったし、兄貴が亡くなったなんて認識する余裕が無かった。
お葬式の時はすごく泣いたけどね。
それから、私は無事受験を合格して、高校生になった。
高校生になって、新入生歓迎会で軽音部の演奏を見たとき、私はすっかりギターを忘れてしまっている事に気づいた。
私が練習をするときは、ほとんど兄貴と一緒だったから。
兄貴が入院するようになって、受験も重なってたし、音楽室に出入りする事は無くなっていた。
久しぶりに音楽室に入って、立て掛けてある兄貴のギターとその隣にある私のギターを眺めると、なんかこう、心がぎゅっと苦しくなった。
「そっか、兄貴これ持って逝かなかったんだ」
兄貴のギターを抱えて、肩にストラップを通すと、アンプにシールドを差し込む。アンプから、ごくごく小さなノイズが流れて音楽室を包んだ。
抱えてるギターのチューニングは特に気にしない。とりあえず弾ければそれで良かったから。
まず、自分の好きな和音をジャン、と鳴らす。たしか兄貴は「FM7」だと教えてくれた。
余韻が消えるまでそのまま待って、ゆっくり思い出しながら兄貴の曲を弾いた。
それが、きっと始まり。
私は毎日練習するようになった。
兄貴の楽譜を探し出して、譜面台に立て掛けて。
兄貴がやってたように、「イエーイ!」とか「ヘイヘイ!」とかパフォーマンスを交えながらはやらない。……ってかできない。
そんな事をやってたある日、突然トンと和音が鳴り響いた。
めちゃめちゃびびった。
なに!? って辺りを見回すと、うっすらとピアノと男の人が部屋の隅に見えた。
それでまためちゃめちゃびびった。
この瞬間、私が音楽室を飛び出す速度は世界新を打ち立てられたと思う。
その日、後でアンプの電源を切り忘れてるのを思い出して、嫌だなーとか思いながら音楽室に行くと、もうその怪現象は起きなかった。
ただ、次の日も、また次の日も、だいたい同じ時間にその男の人は現れた。
部屋の端から見えたその人の背中がなんとなく兄貴っぽくて、私はそんなに抵抗なく近寄って行った。
まあ、兄貴とは全然違ったけどね。兄貴はあんな優しそうな顔してないし。もっとカッコよかったし。
でもこの人、本当に音楽が好きなんだなって横から見てて思う。
優しくつぶった目と、うっすら微笑んでいる口元は、音を一つも聞き逃さないぞって意思を感じる。
っていうかこの人、プロ? めちゃくちゃ演奏うまいんだけど。
楽しそうだし、指の動きもきれいだし。兄貴みたいに、時間があればずっと練習ばっかりしてたんだろうな。
「よーし」
パンッ! と頬を叩いて気合いを入れてから、私もギターを抱えた。
ピアノの音は気になるけど、襲い掛かるとかそういうものじゃないみたいだし。
この現象がなくなるまで待ってるとしても、じゃあいつ消えるのよ、って話だし。
準備を整えてからギターを弾き始める。
すると、ピアノを弾いている男の人もピアノも急に見えなくなった。
ピアノの音はまだ鳴ってるから、姿が見えなくなっただけっぽい。
もしかすると、幽霊ではなく別の次元の人なのではないかと直感的に思った。
そんな事あるの? とは思うけど、実際に起こってるし、ただ楽しそうに演奏してるだけのこの人は、とても幽霊には見えない。
実際はどうなんだかわからないけどねー。
男の人は、次第にわかりやすいコードでのアドリブを弾き始めた。さっきまでとは打って変わって、ただ休憩に鍵盤を叩いてる感じだ。練習してる感じじゃない。
……これは私に乗れって言いたいのかな。
私はいったん練習の手を止めて、簡単なパターンでピアノに合わせる。
ピアノの人はとてもリードがうまくて、次第に一体感を覚えていく。
「なにこれ、楽しい!」
いつか兄貴が教えてくれた、「とりあえずこう弾いててみ、曲に聞こえるから」って言うパターンを繰り返しながら叫ぶ。
なにより技術を必要としないから、私でも楽にできるのが良い。
「疲れた……」
セッションをする事に全力を注いだせいか、曲を終えるとどっと疲れがやってきた。
ギターを立て掛けて一息つきながら、ピアノの人がまだ演奏をするのか待つ。
少し待ってても、演奏は始まらない。
もう今日はやらないのかな。
そう思った時、ふと私は男の人の方でも同じように私が見えているのだろうという事に気づいた。
「うわやだ、恥ずかしいじゃん!」
顔を抑えて悶える。練習中はとてもじゃないけど余裕がなくて難しい顔してると思う。……たぶん顔が強張っちゃうのはそれだけじゃないけど。
とにかく、誰か居るのが判ってるなら良いんだけど、私の知らないところで見られるのは、なんかやだ。
なーんて思いながら、いつも通り音楽室に来ちゃうんだけどね。
そこからは、いつも通り普通にやれていたはずだ。
私が練習をしてると、ピアノの人が自分が来た事を主張するように和音を一度叩いてから、練習を始める。そんな、いつも通りの光景。
ただ、それは兄貴をハッキリと思い出すまでだった。
もともと、ずっと「失敗したくない、音を外したくない」って思ってた。
なんでかって聞かれても、兄貴がずっとそうだったからとしか言いようが無いけど。
兄貴は、思い出してみれば完璧主義者だった。私が練習中に難しい顔をしてしまうのは、そのせいでもありそう。これも、兄貴がずっとそうだったから。
まあ、ピアノの人となんとなく始めるセッションはそんな事ないんだけどね。あれは失敗とかないし、私もニヤニヤしてる。
で、兄貴をハッキリ思い出すと、どうにも腕の動きが鈍る。
そういう時は、手を止めてピアノの人の演奏を聴く事にした。
この人の演奏は元気が出る。
なんで毎日音楽室に通ってるのか判んないくらい演奏が上手いけど、雰囲気で楽しんでるのが判るから、暇つぶしとかそういう感じなのかな。
むしろ上手いから音楽室に通ってるのかな?
そんな事が続いたある日、いろいろあって私はいつもより遅く音楽室に入った。
瞬間、狂気を感じた。
今までのゆったりした曲じゃなくて、とにかく鍵盤の移動が多い、速い曲。
ピアノの人は今まで聞いた事のないレベルの演奏をしていた。
気迫に圧されて息をするのも忘れてたけど、ハッと気づいて近くに寄った。
さすがに、こんな本気で演奏してるような時にギターの音を鳴らすなんて空気を読まない事はできない。
横から見ると、男の人はすごく楽しそうだった。それに、とてもカッコよかった。……少女マンガなら、縁取りに花が見えるような。
ハッ、いかんいかん。見とれてる場合じゃない。
隣に立って演奏を聴いていると、途中明らかに音を外したようなズレた音が聞こえた。
私が失敗する事なんてあるんだ、と思っていると、男の人が噴き出す。
……なんかめっちゃ笑ってるし。
でも、楽しさは伝わる。本当にピアノを演奏するのが好きなんだろうな。
兄貴は、ライブの時はこういう顔をしてたのかな。さすがにライブでまで難しい顔してないよね。
失敗しても笑ってるのはある意味衝撃的だった。兄貴が自分の練習をしてる時は笑顔を見た事が無かったから。
それに、この人を見てて思うけど、なるべく難しい顔で練習しない方が良いんじゃないかって。
ここまで来てやっと気づいたけど、たぶん、楽しそうに演奏してるのには意味があるんだ。
なんでかって? 聴いてる私も楽しいから。
私は今まで、ずっと兄貴の影を追いかけてたんじゃないかな。
兄貴がそうやってたから。兄貴がそれを好きだったから。兄貴がそれが良いって言ったから。そうやって、全部兄貴基準で考えていたんだと思う。
だからって、兄貴のようにストイックに練習する必要なんてなかったかもしれない。
この人の演奏を見てると、兄貴は本当に楽しくてギターを弾いてたのか判らなくなる。それくらいこの人の演奏は私の心を揺さぶったし、魅力的だった。
もちろん、兄貴はギターが好きだったんだろうさ。じゃなきゃ、わざわざ私に細かく色々と教えてくれるわけがない。
でも、練習中の兄貴は楽しそうには見えなかったし、『好き』と『楽しい』は別なんじゃないかなって思う。
私は、この人と会って音楽の楽しさを再認識した。
アンプの電源をオンにして、ギターを構えて待機する。
もし、見えるなら。音を鳴らせば私の姿が見えるのなら、どうしても今の気持ちを伝えたい。
「ありがとうございますっ!」
ピアノの音が途切れたあと和音を一度鳴らして、何もない空間にお礼を言った。
きっと、気持ちは伝わったと思う。伝わってると良いなあ。
それから私は、兄貴の影を追う事が無くなった。
使うのは私のギター。むかーし兄貴に貰った古いヤツ。まあ、ボロボロだし、これはたぶん近いうちに買い替えないといけないけどね。
兄貴のギターは音楽室の中央近く、私の隣に置いてある。
「見ててね兄貴、私は私なりに頑張るよ」
兄貴のようなストイックさを得る事は、私には無理だから。
だから、私はあのピアノの人みたいに、見てる人も楽しめるような練習をやってくよ。
兄貴のギターを見て決意表明した後、私はピックを持つ力を強めた。
「今日もよろしくっ!」
ピアノの人を思い浮かべながら、私が来た事をアピールするように、絃を震わせる。
音楽室に大きくいつもの和音が響いた。




