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-Side Blue-

 ――突然、和音が鳴ったんだ。

 なにを言ってるんだと首を傾げられても困る、オレだってなにが起きたのか判らない。


 今オレが居るのは、防音壁に囲まれた三畳ほどの音楽室。楽譜を入れておくための本棚と、アップライトピアノが一台置いてあるだけの、ちいさな部屋だ。


 オレが音楽室に足を踏み入れたのは一年ぶりだった。

 この部屋に足を踏み入れると、どうしても嫌な記憶がよみがえる。

 ……ずっとずっと、高校時代を使い切って練習し続けた日々。ちょうど一年前、いともたやすく心を折られ、挫折を味わったあの日。


 それは、もう二度とピアノなんて見たくないと思うほどのものだった。

 なんでこんな事に高校時代を消費してしまったのか、悔やんでも悔やみきれなかった。


 才能の差。言ってしまえば、くだらない、その程度の問題だ。


 でもその問題は、少しピアノが出来るからと調子に乗っていたオレの鼻を折って、心を冷たいなにかで串刺しにして居座った。



 そして、一年経って、オレは再びこの音楽室に足を踏み入れた。きっと理由なんてない、なんとなくだ。ただなんとなく、ピアノを見たくなった。


 一年前はあんなに見たくなくなったピアノでも、今イスに座ると自然と弾きたくなる。

 オレ以外にピアノを使う人は居なかったので、ずいぶん溜まってしまっている埃を払ってから、カバーを開けた。


「さて、久しぶりだな」


 小さく呟いて、鍵盤の上に指を置く。


 直後、エレキギターの和音が部屋内に鳴り響いた。


「んなっ!?」


 心臓が跳ねた。思いっきり立ち上がろうとしてイスから転げ落ちるかと思った。慌てて周囲に視線を向けるが、当然、だれも居ない。


 幻聴にしてはハッキリ聞こえ過ぎていた。

 なんだか怖くなって、オレはそそくさと部屋から退散すべくドアへ向かう。

 すると、またギターの音が鳴り響く。今度は、きちんと音楽とリズムに合わせて。


 ドア近くの壁に張り付いて、部屋内を見回すと音の正体はすぐに判った。部屋の中央付近に、ギターを抱える中学生くらいの少女が映って(・・・)いる。


 そう、映っているのだ。


 少し古い映像のようなイメージだ。少女はほとんど透けていて、小さなノイズがところどころに走っている。

 とても難しい顔で必死にピックを動かして、ギターを弾いている少女を眺めていたが、そこでハッと我に返った。


 いやいやいやあれ幽霊かよ怖っ。


 そそくさと、逃げるようにドアを開けて部屋を出た。



 その日から、次の日も、また次の日も、そのまた次の日も、少女は音楽室に現れた。

 ジャーン、と、コード「FM7」と同時に。


 最初はすんげー怖かったし、まだそれなりに怖いけど、この少女が何かしてくる事は無いだろう。

 ただずっと、必死な顔でギターを弾いているだけ。近くに寄っても、それはまったく変わらない。

 もしかすると、高校時代のオレもこんな顔をしてたのかもな、なんて少女を眺めながら思う。


「……もっと楽しもうぜ」


 そんな必死な、苦しそうな、辛そうな顔してないで、気楽に楽しもうぜ、と。


 そう呟いて、オレ自身驚いていた。

 なんで急にそんな言葉が出てきたのか判らない。でも、いきなり出てきたその言葉は、オレの中でしっくり来ていた。


 そうそう、彼女と言葉を交わす事はできない。これは少女が現れてから数日の間に判明した事だ。

 なにを言っても反応しないし。さすがに完全無視を決め込んでいるわけではないだろう。



 と、ここまで来てオレも本来の目的を果たす事にした。そう、ピアノを弾く事だ。

 まだギターの音が気になるが、これを止められないなら仕方ない。イスに座って、軽く肩を回す。


「まず……そうだな」


 オレはちょっとしたお茶目のつもりで、少女と同じ、FM7のコードを叩いた。


 その瞬間、ギターの音が止まって少女の姿が消えた。


「あれ、音を出すと消えるのか?」


 首を傾げて、少し考えて気づく。彼女の側でも、同じ事が起きたのではないか、と。

 つまり、いきなり音が聞こえて、オレがうっすらと見えるようになったんじゃないだろうか。


「なるほどね」


 ニイッと口元がゆるむのが判る。それなら、彼女と同じ事をやってやるまでだ。毎日同じ時間に弾こう。

 ただし、こっちは楽しく弾いてやる。弾きたいから弾くんだ、辛そうな顔はしない。



 それから三日ほど経った日の事だった。いつものようにピアノを弾いていると、そこにギターの音が被った。オレは五日かかったのに、意外と慣れるのが早い。

 いつものように中央でギターを弾いているのだろうと振り返るが、そこには誰も居ない。それでもギターの音は鳴り響いていた。


 しばらくピアノとギターでセッションのような事をやっていたけど、手を止めるまで、彼女が現れる事は無かった。

 待ってたらギターを弾きだすかな、とも思ったけど、どうやら弾く気配はない。


「じゃあ、また明日」


 誰も居ない音楽室にそう呟いて、オレは部屋を出た。



 それからは、言葉を交わす事のできない少女と二人、楽器の練習に励み続けた。


 そもそもなぜ彼女が見えるようになったのかすら判らないが、見えるのは彼女一人が楽器を弾いている時だけで、一緒に弾いている間は彼女の姿が見えない。

 オレは一緒に弾いてる時、彼女の顔が気になって仕方なかった。


 いやほら、惚れたとかじゃなくて、必死な顔がね?

 どうにも彼女はギターを弾いている間は顔がこわばってしまうようで、たまに一人で練習しているのを見かけると、「リラックスしようぜ」って声をかけたくなる。

 適当に合わせているセッションの間もその表情をしているのかな、と気になってしまうわけだ。


 きっと、その表情はオレの高校時代を思い出させるからかもしれない。


 当時はずっと必死だった。ただただ音を出すために指を動かす毎日。

 ピアノが好きだとか、音楽を奏でるのが楽しいだとか、そんな事は一切忘れていた。

 ある意味、狂っていたと言っても過言ではなかった。


 もちろん、今は違う。

 なんかこう、呪縛から解けたって言うか、一度挫折したからこそ柔軟な考え方が出来るようになったって言うか。

 投げやりになった、とはまた違うと思う。


 オレは、ピアノが好きだ。楽器を弾く事が、なによりも好きだ。

 だからどんなに辛くとも、ずっと練習を続いていられたんだと、今更気づかされた。

 気付かせてくれたのはあの少女だ。

 彼女を笑わせようと、笑顔で演奏させようと意地になって毎日音楽室に通わなければ、今の気持ちをハッキリと知る事は無かっただろう。


 だから、弾く。音と一体化するこの感覚を楽しんで。


 彼女は、最近よく練習の手を止めるようになっていた。

 ギターを弾くのが嫌になったのかと思えばそうでもないようで、少しするとまた最初から曲を弾き始める。



 また少し経った日の事。彼女はまだ練習を始めておらず、久しぶりに静かな中イスに座った。


「今なら、弾けるかな」


 ふと、ある課題曲を思い出した。むしろ一年間弾いていなかったので忘れているかもしれないけど、楽器を楽しいと思える今なら弾ける気がした。

 本棚から楽譜を引っ張り出すと、少し緊張して楽譜を開く。

 手をぷるぷる振ってから、鍵盤に指を置く。最後に深呼吸をしてから、演奏を始めた。


 ……難しいけど、楽しい。


 あ、音外した。昔より指動かん。


 くくっ、と思わず笑ってしまった。

 楽しい、もうとにかく、この難しい曲を弾いてる今がとてつもなく楽しい。

 ずっとずっと、ただただ弾き続けたい。そう思ったところで、オレは昔の考えは間違っていたのでは無いかと気付いた。


 今までは、才能なんかじゃなく楽しむ事を忘れていたのが悪かったのかもしれないな、と。

 楽しくなければ上達はきっと遅いし、義務のように演奏し続けてストレスを溜めるのは、自分自身にも悪いだろう。


 なにより、音楽は感性だから。感性は、伝染する。

 演奏している本人が楽しくやれていれば、聴く人も楽しく聴けるものだ。

 まあ、技術的な問題もあるだろうけど、少なくとも、オレは演奏がストレスにしかなってないような人の演奏は聞きたくない。



 曲を終えて、身体から力を抜いた。すると、すぐいつもの和音が鳴り響く。

 演奏をじっくり聞かれていたようで、少女はいつもの中央ではなく、オレのすぐ真横に居た。

 ギターの余韻が残っている間、少女は今までにない、すごい笑顔をオレに見せた。


『ありがとうございますっ!』


 口の動きだけだったが、確かに彼女はそう言った。

 ぶっちゃけオレはこの時「こういう方法もあるのか」なんてどうでも良い事を考えていたけどね。



 それ以来、彼女が一人で演奏をしている時に見かけても、笑顔で演奏するようになっていた。

 オレの演奏を見て、なにか吹っ切れたのかもしれない。

 直接的な原因はまったく判らないけど、オレが彼女を手伝う事ができたのなら、とてもうれしい。


 楽しそうに演奏をする彼女を見て、オレもまたかつての課題曲を完璧に演奏できるように練習しようと意気込む。


「さて、今日もよろしく」


 彼女にオレが来た事を知らせるために、いつものように和音を叩いた。


 今日もまた、FM7が聞こえる。

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