「落下物」<エンドリア物語外伝32>
「大変、大変なの」
朝8時、隣のパン屋のソルファさんが飛び込んできた。
「おはようございます」
「いいお天気ですね」
開店前の準備をしていたオレとシュデルは挨拶をした。
「おはよう、って、とにかく、2人とも来て!」
両手を振って、おいでおいでをして、外に戻っていく。
オレとシュデルはソルファさんの後を追った。
キケール商店街の入り口には、鉄製のアーチがかかっている。そのアーチの下に人だかりが出ていた。商店会長のワゴナーさんをはじめ、商店街の顔ぶれもそろっている。
「連れてきたわよ」
ソルファさんが言うと、肉屋のモールさんが上を指さした。
「あれだ、あれ」
指の方向を見るとアーチに何か引っかかっているのが見えた。
黒い布のようだが、割と大きい。人が布にくるまれているようにも見える。
「持ってきたぜ」
金物屋のパロットさんが人混みをかき分けるように入ってくると、持ってきた長い梯子をアーチにかけた。
そして、オレの肩をたたいた。
「頼んだ」
「はい?」
「オレっちの年だと、落ちると骨折だからな。若い奴がやるもんだ」
商店街のみんなが、オレを見ている。
「オレが、あれを下ろすんですか?」
「他に誰がいるんだ?」
「オレより、肉屋のモールさんの方が力があります」
「オレだと体重があるからな、アーチに負担がかかるだろ」
モールさんは腕組みをした。
やる気ゼロらしい。
「店長、頑張ってください」
味方のはずのシュデルが余計なことを言う。
「死体だったら、気持ち悪いです」
「とっとと行きやがれ」
モールさんに尻を蹴飛ばされた。
しかたなく、梯子を上がった。
人に見える。
黒い布に包まれているので性別も年齢も判別できない。アーチの飾りに布が引っかかった状態で静止している。
恐る恐る、黒い布に手をのばした。
触れるとなま暖かい。布というより革のような感触だ。
つかめそうな場所を握った。
「あっ」
なぜか、布はツルリとオレの手から抜けた。
「うわぁ!」
「ひょぉ!!」
「きゃ!」
下で騒ぎになった。
「バカ野郎!落とすんじゃねえ」
パロットさんに怒鳴られた。
「すみません。つかみそこねました」
梯子を降りていくと、みんなが、落ちた人らしき物の周りに集まっている。
「コンティ医師を連れてこよう」
走りだそうとしたワゴナーさんの上着の裾を、オレはつかんだ。
「ちょっと、待ってください」
「急がないと」
「これ、人間じゃありません」
「人間じゃない」
みんなが一斉にのぞき込んだ。
オレは布の一部をひっくり返した。顔が現れる。
シュデルが手で口を押さえた。指の間から声がもれた。
「吸血鬼」
取り巻いていた輪が、ズサッと広がる。
「なんでいるんだ!」
「信じられない!」
「アーロン隊長を呼んでくる」
ワゴナーさんが走り出した。オレも今度は止めなかった。
顔近づけて、観察した。
意識はないらしく、微動だにしない。
外見は20代後半の若者。髪の色は黒。目は閉じているので色はわからない。青白い肌だが、彫りが深くて整っている。立派な牙がなければ、吸血鬼だとは思わない。
「本当に吸血鬼なの?いま、朝よ」
「朝でも大丈夫な種族がいるんです。上位種になりますが」
「吸血鬼に詳しいのか?」
「いや、それほどでも」
謙遜じゃない。
モンスターの授業は、半分以上寝ていた。
「店長はエンドリア王立兵士養成学校をでているのです」
シュデルが自慢げに言った。
「うそ!」
「本当なのか」
驚きの声が響いた。
「ウィル、本当なのか?」
モールさんが真剣な顔でオレを見た。
「本当ですけど」
「兵士養成所を出ていて、なんで、そんなに弱いんだ」
一瞬よろめいた。
「だめよ、そんなこと言っちゃ」
「目指したのは、剣士か戦士なんだよ。剣や斧を持たせれば違うんだよ」
「いいえ、店長は武道家です」
シーンとした。
「に、逃げるのはうまいよな」
「うん、上手、上手」
必死でオレのフォローをしてくれている。
「オレが武道家を目指していたのは、ここに来る前の……」
飛び退いた。
オレの立っていた場所に、吸血鬼がいた。
真っ赤な目、開いた口から長い犬歯が光っている。
オレの首を狙ったらしい。
「ウィルくんを襲った!?」
ソルファさんが叫んだ。
「男も襲うのか?」
「なんで、ウィルなんだ?」
「変態か?」
普通ならパニックになりそうな状況なのに、みんなでコソコソ話をしている。
吸血鬼も、疑問符が飛び交っていることに気がついたらしい。
服のポケットらしきところをゴソゴソやると眼鏡を取りだしてかけた。
「……間違えた」
そして、周りを見回した。
目をとめたのは、シュデル。
「僕は男です。飛びかかってきたら、粉にしますからね」
凍りつきそうな冷たく硬い声で宣言した。
「け、結婚しているから」
フローラル・ニダウの奥さんが言ったが、吸血鬼の視線は奥さんを通り過ぎて、ニダウで働く女の子を見た。
女の子は、少し離れたところから、こっちを見ていたようだ。
吸血鬼と目があったようだが、女の子は無視した。
「また、桃海亭ですか!朝から吸血鬼とかやめてください」
そうオレに怒鳴ると、店に戻っていった。
「オレが呼んだわけじゃ……」
「わかっている。わかっているから、ウィルくん」
フローラル・ニダウの奥さんはそう言ってくれたが、オレのせいだという感じがヒシヒシと伝わってくる。
「腹が減った」
吸血鬼のつぶやきが耳にはいった。
吸血鬼はモンスターだ。
モンスターだが、腹が減っているつらさは、人間とは変わらないかもしれない。
「なあ、薔薇の精気なら食事になると教科書で読んだんだけど、薔薇だとダメか?」
「満腹の時の菓子としてならばいいかもしれんが、食事にはならん」
「処女の血だけなのか?」
「別に処女でなくても…」
フローラル・ニダウの奥さんをはじめとして、女性たちがズサーーーと引いた。
「…男でもいい」
モールさんをはじめとした男たちは、なぜか、シュデルの後ろに移動した。
「少しくらいならやってもいいけれど、吸血鬼になるのも、干からびて死ぬのもイヤだしなあ」
「そなたのはいらん」
「へっ」
「魔力のある血が欲しい」
オレはポンと手を打った。
オレの店には大陸最凶、違った、大陸最大クラスの魔力の持ち主がいる。
「来いよ」
オレが手招きすると、吸血鬼はついてこようとして地面に転がった。
「大丈夫か?」
「一口」
「吸血鬼になるのはなあ」
「食事と儀式は別だ。眷属にするのは優秀な人物だけだ。そなたを、眷属にする吸血鬼はいない」
置いていってもいいが、放置して事件を起されても困る。
「一口だけなら」
「店長!やめてください」
少し離れているところにいるシュデルが怒鳴った。
オレを心配してくれている。
ちょっと胸が温かくなった。
「肉が買えないのに、血液なんて買えません」
心配しているのは、桃海亭の財政らしい。
「豚の血でいいなら、オレのところに少しならあるぜ」
モールさんが自分の店を指した。
「ソーセージになっちまっているけどな」
「ソーセージ?」
「ブラッドソーセージは人気の商品だ」
吸血鬼は首を横に振った。
「豚がダメなのか?牛とか鶏とかならいいのか?」
「トマトジュース」
「トマトジュースがいいのか?」
「と、よく聞かれるが、あれも食べられない」
「なら、言うなよ」
吸血鬼は悲しそうな目でオレを見た。
「あの少年が」
指さしたのはシュデル。
「あれは、やめておいたほうがいいぞ」
俺が本心で言っているのがわかったらしい。
吸血鬼は困ったような顔をした。
本心で言っているがわかったのは、吸血鬼だけではなかった。
「店長、僕がダメというのはどういうことですか!」
靴屋のデメドさんが耳をほじりながら言った。
「そりゃ、うるさいからだろ」
シュデルがデメドさんを、キッとにらんだ。そんなシュデルを気にすることなく、デメドさんは言葉を続けた。
「文句と愚痴をエンドレスで聞かされることになるのがわかっていて、すすめる男はいないだろ」
「ひどい…」
そう言ったのはソルファさん。
「シュデルくんが口うるさくなったのは、ウィルのせいなのに」
ソルファさんも、口うるさいとは思っているらしい。
「店に来た頃は口数が少なかったのに、あまりに貧乏で、生活が苦しくて、毎日毎日、お財布とにらめっこした生活を続けていく、こうなったんだから、しかたないでしょ」
吸血鬼がオレのズボンを握った。
「一口」
「オレの?」
首を横に振った。
よほど嫌らしい。
「ねえ、ムーくんを連れてくればいいんじゃない?」
フローラル・ニダウの奥さんの提案に拍手がおこった。
「ウィル、頼む」
「連れてきてくれない」
「ここなら、何かあっても店は壊れないだろ?」
「急いでくれよな。そろそろ開店の準備をしないとまずいんだ」
オレは店に向かって走り出してから、誰も[ムーを吸血鬼の餌にすること]を止めようとしなかったことに気がついた。
「アーロン隊長、いらしていたんですか?」
半分眠っているムーを小脇に抱えて戻ると、アーロン隊長が来ていた。
「朝から吸血鬼だと。いい加減にしろ」
「オレは関係ありません」
「それなら、誰のせいだ」
「吸血鬼に聞いてください」
アーロン隊長が吸血鬼を指さした。
地面に倒れ伏した姿は、干からびたカエルだ。
「……吸血鬼しゅ」
ムーがうれしそうに言って、自分から地面に降りた。
「ほいしゅ」
倒れている吸血鬼を、指で突っついていた。
ピクリともしない。
「起きないしゅ」
「腹が減っているみたいだ」
「こうだしゅ」
耳の穴に、指をグリグリとねじ込んだ。
「や、やめてくれ」
か細い声で吸血鬼が懇願した。
「吸血鬼は3種類に別れるしゅ。有名なのは始祖を中心としたヴァンパイア一族しゅ。コウモリになって、ブンブン飛ぶしゅ」
指はさっきより耳の奥に入っている。
それなのに、グリグリと容赦なく、捻り込んでいく。
「動物に人が変身するタイプでは狼さんが多いしゅ。妖怪や精霊で吸血行動をするのも分類で吸血鬼にいれる場合があるしゅ。でも、ちびっとだしゅ。この吸血鬼はコウモリさんの一族みたいしゅ」
吸血鬼が跳ね起きた。
「この下等種がぁ!」
ムーの首筋にガブリと噛みついた。
パリーーーン。
ガラスの割れるような音が響いた。
「痛い、痛い」
口を押さえて、地面を転がり回っている。
牙が折れているようだ。
噛まれたムーの首にはかすり傷。わずかに血がにじんでいる程度だ。
「すげぇ、さすが吸血鬼だ」
感嘆の声をあげたのは、指物師のトレヴァーさん。
「オレは仕事で色んな動物の牙を使うんだが、しなるから折っても音はほとんどしないんだ。やっぱ、吸血鬼の牙は、普通の動物の牙とは違うんだな」
「あんた、耳、大丈夫」
冷たい声で言ったのは、喫茶店のイルマさん。
「今の音はあっち」
イルマさんの指の方向にあったのは、桃海亭。2階の窓が割れている。
「あれが割ったのよ」
いつの間にか、シュデルの頭上にセラの槍が浮かんでいる。
イルマさんは、口を押さえている吸血鬼の側にかがんだ。
「大丈夫?」
「ち、血」
「ちょっと、待ってなさい」
そう言うとイルマさんは喫茶店に入り、すぐに戻ってきた。持ってきたのはスプーンと水の入ったコップ。
オレ達が見守る中、スプーンで素早くムーの首にあったかすり傷をひっかいた。
「痛いしゅ!」
ダッシュでムーが逃げた。
イルマさんはわずかに血のついたスプーンを水の中でかき回した。そして、その水を吸血鬼に持って行った。
「ほら」
わざわざ身体を起こすのを手伝っている。
吸血鬼は水を一気に飲み干すと、ホッとため息をついた。
「感謝する。これでしばらく動けそうだ」
牙も元通りになっている。
「ムーを襲ったりするからよ」
飲み終わったコップを受け取ると、吸血鬼から離れた。
吸血鬼はスッと立ち上がった。
「人にあれほど膨大な魔力があるとは思わなかったのだ。まさに化け物だ」
化け物呼ばわりされたムーが、トテトテと近づいた。
ピョンとジャンプすると、髪をむしった。
「んっーーー」
むしられた場所を押さえて、吸血鬼がうずくまった。その吸血鬼に向かって、右手を突き出した。印が結ばれている。
「逃げろ!」
オレの声に反応して、吸血鬼が転がった。
その直後、白い光が通過した。光は鉄製のアーチにぶつかり、砕け散った。小さかったが強力だったようで、散った光の欠片が数個、商店街の外の地面に落ちた。2メートルくらいの穴が開いた。
「あとで警備隊の詰め所に来るように」
アーロン隊長が事務的に言った。
「なにを、なにをしたというのだ」
半泣きになった吸血鬼がオレにすがりついてきた。
「たぶん、血を飲もうとしたので…」
「あれは耳に指を入れられた正当防衛だ」
「…それをいいわけにして、実験材料に…」
「実験材料!」
「ムーは実験が大好きなんです」
笑顔のムーがトテトテと近づいてきた。どこから出したのか、工作用のはさみを持っている。
ズサァーーーーと吸血鬼が逃げた。
そして、シュデルを見た。
「わ、私はそこの少年…」
「僕がどうかしましたか?」
シュデルが冷たい声で言った直後、セラから白い光が吸血鬼に走った。
「ヒィーーー!」
わざと外したようだ。が、マントの裾は焦げている。
「氷魔法も吸血鬼にきくの?」
フローラル・ニダウの奥さんが聞いてきた。
「いや、たぶん、聖なる光だと思います」
「ホーリー系も使えたのか!」
デメドさんが驚いた。
「あれはセラの槍ですけど」
オレの言った意味が分からないようなので、説明を加えた。
「正式な名前はセラフィムの槍。熾天使という名前がついている通り、元々は神殿に奉られていた宗教儀礼用の槍です。儀礼用なので柄が木材ではなく、装飾を重視した金属なんです」
周囲から「おおー!」という驚愕の声があがった。
「信じられない。あの自己中心、傍若無人の槍が、神殿の槍だったのか?」
「はい」
完成したときから今の性格で、神殿が扱いに困って封印した。経年劣化で封印がとけ、現在の神殿では手に負えないということで、桃海亭に『無料でゆずるから引き取ってくれ』という依頼がきたのだ。
「ホーリー系の力は、あまり強くないんで、得意の氷結系で暴れ回っています」
「神殿の槍がそれでいいのか?」
デメドさんに真剣な顔で聞かれたが、答えようがない。
「いいんです。セラはセラです」
シュデルが言い切ったが、こちらには誰も反応しない。道具オタクの親バカっぷりは商店街に知れ渡っている。
チョキン。
響きわたった金属音。
「うわぁーーーー!」
転げ回っている吸血鬼。
うれしそうなムーの手にあるのは。
「マント、もらったしゅ」
黒く薄い皮膜。
「それはコウモリの羽ではないでしょうか?」
無感動な声でシュデルが言った。
オレは吸血鬼に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないだろう……」
ずれた眼鏡の奥の赤い目に、涙がこぼれるほどに溜まっている。
「すみません。あとで腕のいい白魔術師を…」
「私を殺す気か!」
吸血鬼の治療に白魔術師はダメなようだ。
「とにかく、店で休んで」
「いい、もう、帰る。あの少年はシュデルだろう?」
また、シュデルを指さした。
ここにきて、ようやくオレは吸血鬼が何度もシュデルを指していることに気がついた。
「そうです。僕がシュデルですが」
シュデルの好戦的な態度が和らいだ。
シュデルも気がついたようだ。
「手紙を届けに来た」
「手紙!」
「もしかして」
「郵便配達!」
商店街の人々が騒いだ。
「あの、もしかしてシュデルに手紙を届けにきただけですか?」
オレが聞くと、吸血鬼は上着の内側から1枚の封筒を出した。
受け取ろうとしたオレの横からムーがすばやく取った。
「ムー!」
オレが取り返す前に中を広げて読んでいる。
「ププッしゅ」
オレが取り上げようとした手紙をソルファさんに投げた。横から手を伸ばしてキャッチしたのは、アーロン隊長。
読むつもりはなかったのだろうが、文字が目に入ったようだ。
「ウィル、あとで話がある」
その手紙を取ったのは、パロットさん。
「なになに、『愛しいシュデル』。あ、こりゃまずいな、ラブレターだ」
「渡してください」
無表情のシュデルが駆けていく。
誰が見ても激怒しているのがわかる。
「私はそこに書かれていることをする為、ここに来た。それなのに、この仕打ちはひどすぎる」
吸血鬼が悲しそうだ。
その様子に、パロットさんは続きを読み出した。
「どれどれ、『君の美しさを永遠に留めるため、親友の吸血鬼にお願いした。彼の眷属となり、その美しさを永遠のものとして欲しい』」
シュデルが停止した。ゆっくりと振り向く。
絶対零度の冷たさで、吸血鬼を射殺しそうな視線だ。
「僕を吸血鬼にする為にきたのですか?」
感情のこもっていない声。
オレも商店街の連中も、固唾をのんで見守っている。
「親友に頼まれたから来たのだ」
「誰に?」
「まてまて、ここに差出人の名前が書いてあるぞ。『ラルフ・リミントン』」
「ラルフ・リミントン?」
「誰だ?」
「そんな人、いたっけ」
商店街の人々は、知らなくて当然だ。
ラルフ・リミントン。
東方に住む賢者だ。オレがザパラチ島に行ったとき、シュデルを餌にリミントンのローブを巻き上げた。それ以来、時々、ラブレターとプレゼントを一方的に贈ってくる。
騒ぐ商店街の人々を尻目に、シュデルが吸血鬼に向かって歩き始めた。
「あなたは、ラルフ・リミントンの、友人なのですか?」
微妙に区切られた間が怖さを倍増させる。
シュデルはラルフ・リミントンのことを知っている。ダップがザバラチ島での出来事を懇切丁寧に説明したのだ。そのせいで、命がけで手に入れたソーセージ20本、オレの皿には乗らなかった。
「親友だ。彼が私に血を分け与えてくれるから、私は人を殺さずに生きていける」
親友ではなく、食事とか餌とか呼んだほうが正しい気がする。
「人は傲慢と虚偽と虚飾の生物だ。吸血鬼を信用させ、利用し、利にならないと悟ると殺そうとする。私は人が大嫌いだ。だが、ラルフ・リミントンだけは違う。優しくて、正直で、裏切ることなど考えることすらない、真っ直ぐな青年だ」
吸血鬼は赤い目をキラキラさせた。
ラルフ・リミントンと昔からの知り合いのダップ様は『リミントンっていうのはな、バカがつくほどの正直者で、騙されやすい男だ。他の奴から教えてもらわなければ、裏切られていても、利用されていても、気がつかない、アホだ』と、言っていた。
「私と彼は心から信頼している、彼ほどの真っ直ぐな青年は吸血鬼にもいない」
なんとなくわかった。
この吸血鬼、ラルフ・リミントンと同類だ。
バカ正直なお人好し。人だけでなく仲間の吸血鬼にも利用されてきたのだろう。
傷ついた心で出会ったのが、ラルフ・リミントン。
似た者同士で心が通じ合い、ラルフは見返りなしで血を提供したのだろう。感謝した吸血鬼は、ラルフの頼みに応じて、遠い西のエンドリアに住む、ラルフの恋人のシュデルを眷属に迎えに来たのだろう。
シュデルにもわかったらしい。
倒れている吸血鬼の前にひざまずいた。
「ひどいことをして、すみませんでした。あなたがラルフ・リミントンと親友だと知っていたら、このようなことはしませんでした」
商店街の人々から「おおっー!」という声があがった。数人の女性が離れていった。ソワソワした様子からすると『シュデルくんにはラルフ・リミントンという恋人がいる』という情報を流しにいったのだろう。
「やはり、君がシュデルか。ラルフの言ったとおり美しい」
シュデルが寂しそうに微笑んだ。
「せっかく来ていただいたのですが、僕はラルフさんの恋人ではありません。あの清廉な賢者に釣り合うような人間ではないのです。だから、いただいた手紙にお返事も書かなかったのです」
視線を斜め下にそらしたシュデルは、つぶやくように言った。
「あの方の恋人でないのですから、吸血鬼になる資格はありません。あの方にはもっとふさわしいひとがいるはずです」
集まった商店街の人たちから、また、数人抜けた。『シュデルには恋人がいる、は誤報だ』と教えに言ったのだろう。
シュデルを見慣れている商店街の人には、芝居だとバレバレだ。
「怪我をさせて申し訳ありませんでした。どうぞ、店に来て、ゆっくりと養生をして、怪我を治してからお帰りください」
吸血鬼の手を包み込むようにして、ギュッと握った。
「そして、ラルフさんに、ラルフさんの傍らに立つにふさわしい人と共に生きていくことを、僕が心から願っていることを伝えてください」
吸血鬼は感動した、らしい。
赤い目をうるませた。
「わかった。君の気持ちは必ず伝えよう」
「では、どうぞ店の方に」
ムーが笑顔でハサミをチョキチョキさせた。
「いや、そこの喫茶店で一休みをしてから帰るとしよう」
「それでは、医者を手配しますので」
「必要ない。これでも吸血鬼だ。2時間も休めば治る」
「せっかく遠方からきてくださったのです。どうか、もてなさせてはいただけませんか?」
ムーがしまいかけたハサミを取り出した。
「用事があって、すぐに帰らなければならない」
「それでは、せめて、お茶は僕におごらせていただけませんか?」
「頼むとしよう」
イルマさんは「時間外だ」といいながらも店を開けてくれて、吸血鬼とシュデルは店に入っていった。
オレとムーは、ムーが開けた穴を埋めた後、警備隊詰め所に行って、アーロン隊長に怒られた。
詰め所から帰ってくると、吸血鬼は旅立った後だった。
フローラル・ニダウの奥さんが提供してくれた薔薇のお茶を飲んで、吸血鬼とシュデルは歓談したらしい。
その際、シュデルがなぜ鉄製のアーチに引っかかったのかを聞いたそうだ。
「昨夜、天候が荒れて方向を見失い、大型飛竜の航路に入ってしまったのだ。明け方、ニダウから飛び立ったらしい豪華な飛竜とすれ違ったのだが、その飛竜から黒い炎の玉が飛んできたのだ」
「炎の玉ですか?」
「避けたのだが、追尾魔法がかかっていたようで追いかけてきたのだ。逃げようと速度を上げたが、玉は飛竜から次々に放たれて、その中の一つに当たってしまい落ちてしまったのだ。落ちていく途中、キケール商店街というアーチが見えたので、滑空してアーチにつかまったのだが、攻撃で血を失っており、不覚にも気絶してしまったのだ」
「それは大変でしたね」
「いままで、長く空を飛んできたが、いきなり魔法を打たれたことなどなかった。私は魔法で姿を隠していたし、飛竜の進路を妨げるようなこともしていない。それなのに、なぜ攻撃されたのか。どうも、腑に落ちない」
「と、首を傾げていました」
オレとムーとシュデルは顔を見合わせた。
「あれだな」
「あれしゅ」
「やはり、あれなんですね」
今日の夜明け前、桃海亭の前に豪華な馬車がつけられた。
降りてきたのは豪華な服を着た貴人達。いくつもの書簡を手にオレの店の2階あがると、居候の爺さんを半分腕づくで連れて行った。
あの時間だと、爺さんを乗せた大型飛竜が飛び立つのは明け方。
吸血鬼が遭遇した大型飛竜である可能性が高い。
「爺さん、なにしているんだよ」
「プハッ、しゅ」
「人の良さそうな吸血鬼さんでしたので、とても真実は言えませんでした」
八つ当たり。
腹いせ。
嫌がらせ。
飛んでいた吸血鬼に気がつき、的にしたのだろう。
「頼むから、国でおとなしくしていてくれよ」
今頃、空を飛んでいるリュンハ帝国の前皇帝ナディム・ハニマンを思い、オレは長いため息をついた。