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ヤマダヒフミ自選評論集

逆説の喜劇 (太宰治論)

 太宰治の文学は一言で言うと、注釈文学という事になるのではないかと思う。注釈文学というと、彼はつまり文学を文学する事が文学だったという定式を常に抱えていた、という事だ。わかりにくい言い方だが。

 太宰にとって、文学とはおそらくは常に神の如き存在、あるいは宗教的な存在として存在した。そしてそれ故に、それが崩壊した時に、彼自身の隠蔽していた彼の本性が露見し、自らを破壊させる事になった。そうした所に、太宰の劇ーードラマはあったと思う。

 こういう事はもうすでに随分と書かれただろうが、先を続ける。ある個人ーー太宰治という個人にとって、運命とは何かという問題はまだ、それほど掘り下げられていないように思うからだ。僕はまず、『人間失格』のラストの部分の解析から始める事としよう。そしてこの点を解析(走れメロスのラストでも良いが)する事により、単なる『暗い太宰』、あるいは『自己の弱さを肯定する太宰』が全ての太宰治ではないという事がはっきりとするだろう。つまり、そうした点によって太宰を批判している人達は暗に太宰が仕掛けておいた罠から逃れられていないという事だ。太宰は、自身の破滅に向けても以前、作品の中に最後の理性による、的確な罠を仕掛けておいた。僕はまず、その事を最初に指摘する事としよう。



 『人間失格』の主人公葉蔵は、ろくでもない人生を送った。その事を懐古して、彼の知り合いだったバーのマダムは作品のラストで、次のように語る。


「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」

「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」(マダムの話を聞いている『作家』の言葉ーーー筆者)

「あのひとのお父さんが悪いのですよ」

 何気なさそうに、そう言った。

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」


 『人間失格』という作品はここで終わっている。このラストは太宰治特有のものであり、おそらく、分析する余地がある。

 太宰治の暗さ、あるいは、その自己隠蔽からの明るさ、そのような明暗の劇を我々はすでにもうたくさん見てきたはずだ。しかし、今もって世の中では『暗い太宰』というのは一般的認識としてある。

 太宰を好きな人も、嫌いな人も、そうした太宰治が好きなのかもしれない。しかし、おそらく、そうした人達が本当に太宰治とイコールではない、という所に太宰の複雑な精神構造があるように思われる。何故なら、人間にとって『暗さ』を認識するには、どうしても『光』が必要だからだ。

 光と闇は互いに相対的に織りなされており、片方がかけていればもう片方も存在できなくなってしまう。だとすると、太宰は『卑屈な精神を自己肯定するろくでもない小説家』であると片付けるという事にはどのような意味があるのか。太宰が暗闇だとすると、それが闇だと判断する我々は可視光線であり、一つの光であるのだろうか? 光がなければ見えないものを、我々は今目にしているのだろうか?

 太宰にとって、自身が一つの闇であるという自負は常に持っていた。しかし、彼自身、自分が闇であると認識するその自己認識そのものは光であるという認識も同時に持っていた。そしてこの後者の方の自己認識そのものは一般には忘れられているように思われる。それは太宰の愛読者もそうかもしれない。しかし、太宰自身は最後の最後までこの事を忘れていなかった。右大臣実朝の有名な言葉


 「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」


 は正に、こうした真理を明確に語っている。太宰自身は自身の暗さの認識そのものが一つの光であるとはっきりと感じていた作家だった。しかし、光は認識としては、こちら側ーー主体の側に宿るので、それは普通には見えないようになっている。だから、この光に照らされる存在としての闇のみが、作品の中ではクローズアップされ、この光そのものに照明をあてる光は存在しない。しかし、太宰特有の作品のラストのどんでん返し、その作品の転換は、この光そのものに一瞬だけ光を当てる事によって果たされたものだった。それが『人間失格』のラストのバーのマダムの台詞の意味である。マダムはひどい人生を送った葉蔵を、「神様みたいないい子でした」と言う。では、それはどうして神様のようないい子だったのだろうか?



 ここにあるろくでもない人生を送った一人の人物がいるとしよう。そしてその人物は仮に、『葉蔵』という名が付けられるとしよう。そして、この人物は自己告白を始める。…しかし、世の中にはろくでもない人生を送ったろくでもない人間は大量に存在するはずである。だとしたら、この葉蔵という人物の告白一つだけが何故、『文学』、あるいは『傑作』というような名で価値付けられなくてはならないのだろうか?

 人間というのは、倫理的、道徳的に自己を顧みる事はできる。しかし、我々の世界において、ろくでもない人間とは本当は、自分の事を少しも「ろくでもない」と思わない人間に限っているのだ。我は健康で正常なり、と健康で正常な人間が言う事はできる。それは確かに事実かもしれない。しかし、その事実は、それを明言した瞬間に敗れ去る類のものなのである。言葉というのは常に後ろずさりしながら現れる。それは否定を踏み台にして(あるいはそのような見かけで)肯定へのはしご段をつくる。しかし、それはあくまでもはしご状のものであって、その先の真実にたどり着けば、そのはしごは捨てても構わないのだ。ブッダは「私の手の指す先を見ろ。私の手を見るな」と言った。しかし、今や多くの仏教は彼の手を見ている。手の指差す先、言葉の彼方にあるものを、彼は指し示しているにも関わらず、表徴が欲しい我々は常に、「はしご」に執着する。そして我々がはしごを昇る事ができないのは、我々がはしごそのものを目的としているからなのだ。

 整理してみよう。この葉蔵という人物が自己を倫理的、道徳的な観点からしか眺められず、そして自己の暗い部分をここまで露出させているのは何故か。太宰を暗い、と言って斥ける人には、あるパターンや特徴が見受けられる。つまり、それは我々が予め、人生の内から暗いものを取り除いているのではないか、という事だ。我々が自分の中の暗さを見ない時、確かにその対象は明るいものに見えるかもしれない。しかし、それを認識している、認識作用(主体の側)は暗いのだ。そしてそれは太宰が体験した戦争時などに象徴されるだろう。戦争は明るく、人は高揚していた。その中で、太宰は自身の暗さを保とうとした。戦後、戦中の明るさが偽の明るさだったと露見した時、太宰の暗さが社会にクローズアップされた。こうした事はおそらく、偶然でないだろう。個人は世界に対して、その暗部によって対向する。しかしながら、自らの暗さを自覚する己の部分は、実は社会そのものよりも明るいのだ。そしてこの最後の自己認識こそが、太宰が一筋握りしめた芸術的真実だった。彼はそれを知っていたが、彼がそれをこの世界で表現する時は常に、逆説的表現に陥らざるを得なかった。彼の作品に、太宰特有の転調が起こっているのは正にそのためである。

 葉蔵は常に自分の姿を倫理的に見つめる。したがって、そこには常に暗い影が指す事になる。倫理や道徳的な視点というのは一つの光であるので、光はただ光を通してのみ、影を生む事ができる。だから、我々が「人間失格」という作品に見るその内容は常に影である。しかし、そうした影を形作るのは光である。しかし、この光を認識するもう一つの光点、そうした視点というのはどうしても必要だ。そうでなければ、この影はただ暗いものであり、何故、この影に固執するのか?という作者の自己認識が謎になってしまうからだ。こうして、「人間失格」のラストではバーのマダムが登場する事になる。ここで、マダムが葉蔵に「神様みたいないい子でした」と言わせる所に、太宰治の本質がある。つまり、ここで彼は彼の暗さ、へどもどした弱さが、強さよりも本質的に強いものである事、あるいは、自らを影と感じるその認識そのものはただたんに明るいだけの人よりもはるかに明るい、真の光であるという事を証明しているのだ。

 こうした太宰の逆説的な態度というのはそもそも、文学というものの謎と根底的に関わってる。今一般に思われているように、作家とは、生活から文章をひねり出したり、また物語、人を楽しませるお話を創りだしたりする存在ではない。そんな「作家」や「クリエイター」もいるだろうが、今僕はそうした人達を問題にはしていない。彼らが何を考え、何をするかという事にはさほど興味はない。問題は、フィクションと人生という現実がいかに激突するか、という問題である。この問題を巡って、過去の優れた作家はそれぞれに悲劇的な人生を生きた、という事もできる。その生涯においてどれほど円満で恵まれた存在に見えるような芸術家でも、彼が芸術に自己を越えて努力せざるを得なかった(努力しない天才などいない)という点にこそまさに、その悲劇は宿っているのだ。つまり、我々が宿命的に自分自身の生から抜け出し、別の場所へ向かおうと努力する事に根底的に、偉大な芸術家の悲劇は存在する。そしてその作家が、見た目には幸福であろうと不幸であろうと、それは人が思うほどに大した問題ではないのだ。

 そして太宰は正に、その点に向けて自己を傾けた。彼は自分の宿命からそうせざるを得なかったのであり、それがたまたま、『文学』という形に凝結したに過ぎない。根底的な問題はーー我々が自分自身を眺める、その時の態度である。我々は常に、善と悪を許容するような存在として存在している。自己を徹底した倫理の目から眺めれば、そこには必ず悪の萌芽が見られるだろう。(フロイト的に言うと超自我が強いという事になるだろうか?) しかし、そうした悪を発見できる人物は少数である。バタイユの言う通り、聖女のエロティシズム、そして放蕩者のエロティシズムには確かに同一の原理が働いている。明るさ、暗さという人間の、世界に対する態度にもそう言う根底的な原理があると考えて言いだろう。太宰は、以上に示したように「人間失格」において、暗さを自覚する、暗さそのものは、単純な明るさよりも『明るい』思想をわずかに提出した。では、これにはどのような意味があると考えられるのだろうか?


 

 最近、我が国では、自国を賛美する思想が渦巻いている。インターネットでも、またテレビでもそういう風潮が表立ってきている。自分達のしている事、あるいは自分達は『先天的に』素晴らしい。これまでの自虐史観は良くなかった。明るく行こうではないか、上を向いて、自らを褒め称えようではないか。

 社会というのは常に一定のものであると考えても良いだろう。そこでは、暗さや明るさが交代交代に出ているとも考えられる。かつて太宰は言っていたものだ。「こうるさい時代が去って、また別のこうるさい時代が来た」と。

 我々の社会は、戦後の平和期、その唯物論的にはしゃいだ調子から脱却して、また新たな「はしゃぎ」に移行しようとしているようだ。我々は今、幸福の哲学から不幸の哲学、生の哲学から死の哲学へと移行している。つい数年前までは、あれほどまでに生きる事が力強く賞賛されていたというのに、今や、死ぬ事がそれと同じくらい力強く賞賛されている。そういう事が、現に起こり始めている。

 戦争中、太宰は自分の芸術家としての信念にかなり迷いを抱いていた。国家の為に死ぬ、その為に一般民衆が自らを犠牲にする、これは尊い行為である。これを否定するような『非人間的』感情は太宰は持ち合わせていなかった。しかし、また同時に、彼の芸術家としての感情はそれに反し、戦争の高揚感に『否』を突きつけていた。ーーもちろん、これはもっぱら思想的な問題であって、僕は今実際に戦争が良いのか悪いのか、判断をくだしたいわけではない。太宰の短編『鴎』から引用してみよう。


 「私は、やはり病人なのであろうか。私は、間違っているのであろうか。私は、小説というものを、思いちがいしているのかも知れない。よいしょ、と小さい声で言ってみて、路のまんなかの水たまりを飛び越す。水たまりには秋の青空が写って、白い雲がゆるやかに流れている。水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷がおりて笑いたくなり、この小さい水たまりの在るうちは、私の芸術も拠よりどころが在る。この水たまりを忘れずに置こう。」


 こうした光景は、戦争期の明るい世界との対比で読んで欲しい。こうした太宰の弱々しい態度は、本当に、朗らかに挨拶をできる強い人よりも、弱小の思想的態度にほかならないのだろうか? 芸術というものにすがりつく彼は、それが弱いもの、道端に咲く弱いすみれの花だという事を知っている。しかし、そのすみれの花にどんな意味があるのか。強者はこれを踏みつけていくーーー。

 社会や大衆は、旗を振って一つの方向に向かって駆けていく。その時、世界から疎外された彼がいる。彼ーー太宰は道端を歩きながら、自分自身の事を思う。元々、戦争と芸術は互いに相容れない天敵のようなものと言ってもいいだろう。なぜなら、戦争のような巨大な現実においては、それが現実という名の巨大なフィクションとなってしまうからだ。巨大で、あるいは通俗的な要素もたくさん混じりこんだ現実というドラマーーそういうものを人間は作り上げないと承知できない生き物である。何故なら、全ての生命は死ぬ事を宿命付けられているから。

 全ての生命は死ぬ事を約束されている。しかし、彼は「生きている」というその根拠により、それに対し、畏怖と恐怖を感じる。ここで、人間という生命体が考えだした、これに対する対抗策は以下の二つだった。一つは生の哲学であり、もう一つは死の哲学である。では、それらを以下に簡単に見ていこう。

 生の哲学とは、ついさっきまで我々が耽溺していたものである。つまりそこでは過剰な生の賞賛があり、あるいは快楽主義や唯物論などがはびこる。生きる事は素晴らしい、社会は前向きに明るく、というスローガンがなされ、世界全体が「前へ」進行するという理由により、それは我々を奈落に突き落とす死そのものについて意識せざるを得ない。つまり、我々が生を褒め称えれば褒め称えるほどに、それを奈落に突き落とす「死」の存在感は否応なく大きくなる。そして、次第に生の賞賛は、その深淵に怯える事により、死の哲学へと変化していく。つまり、それは戦時中のそれのように、死を賞賛せざるを得なくなる。

 おそらく、起こっている事は単純な事であろう。誰もが死にたくはない、誰もが生を謳歌したい、しかし、それが必ずそうしきれるものではないという事が人間存在にわかってくるやいなや、我々はこれに対して何らかの意味をもたらそうとする。そしてその為にあるゆる全体主義がはびこることになる。つまり、全体主義は個人の死に「全体」という意味を付与する事ができる。こうして、個人の死の意味、そのものは救済される。しかしながら、死に至る存在もまた、この今は生きているのであるから、また死の哲学に反して、生の哲学が持ち上がってくる事となる。死ぬ事への意味が過剰に称揚されるようになると、今度は生そのものの意味が再びクローズアップされる。こうして、生の哲学と死の哲学は歴史を通じて、シーソーゲームを繰り返される事となる。

 太宰は四十年近くの生涯で、このシーソーゲームを体験し得た。多くの人びとが、世界の光が闇へと変わった時、自身の心組織そのものも光から闇へ、あるいは闇から光へ変わればまたそれに順応し…というのに反して、太宰は自身の道を守ろうとした。そしてその過程において、太宰は崩壊した。太宰が自死し、小林秀雄が保守派になったのには、見た目上の、あるいは個人の運命間の変遷しか存在しない。彼らは共に、同じ道を歩いたのだった。そして彼らはそれぞれの道で、それぞれ自分自身を貫こうともがいたのだ。



 文学、あるいは芸術というものが社会においてどんな意味があるのか、という事には一考の価値があるように思う。文学や芸術というものが、「そういうジャンル」として価値があるというような、大学教師的発想には何の意味もない。問題は社会がそれを担保し、認める限りにおいて起こってくる事ではなく、それそのものが社会と激突する限りにおいて存在する。そして太宰は正に、そういう存在だった。

 「人間失格」のラストにおいて、主人公は新たな倫理の思想によって照らされる。つまり、バーのマダムには、主人公葉蔵の暗さを一つの明かりにする視点というものが存在するのであって、そしてそれこそが、我々の世界に唯一、文学という道を開いてくれるものだと考える事もできる。元々、こうしたバーのマダムの視点というのは、読者が持ちうるものである。読者は、ある暗さを明るさに変えてくれる存在と位置づける事もできる。言葉をちぎりちぎって世界の闇に消えていったアルチュール・ランボーにとってもまた、どこか遠くの見えない場所に架空の読者が存在したように、僕には思える。思うに、ランボーはただ一人神に向かって告白していたのであって、そして、文学という観点から見れば、神というのもまた、作家に仕える優れた、従順な読者の一人に他ならない。

 太宰の告白は、常に『誰か』に向けられている。彼は、ランボーのように神に語りかけているわけではない。それは我々に語りかけている。しかし、この『我々』とは何か? という点にまた新たな太宰的問題が起こる。しかし今はそう急がずに、少し元に戻ろう。

 先にあげたように、太宰は『人間失格』のラストにおいて、一風変わった転調を成した。そしてこれは本来、読者が持つ視点である事も先に述べた。だから、ここで太宰は、ある意味で、最後の最後で読者を取り込んで一つの作品の完結部とした、という事も言える。そしてここには、単なる暗い告白では作品を終わらせる事はできない、という太宰的な自意識が効いている。そしてそれは当然、小林秀雄的な自意識でもある。そしてここで単に、「自らを語る」事がそれ単体では優れた文学になりえないと考えられる、そのような契機が存在するのだ。僕は今、それについていくらか語ろうと思う。

 我々が自らを語る、告白する、という事には一体、どんな意味があるのか? あるいは文学というものには、そもそもどのような一つの機能があるのだろうか? フローベールのような透明で率直な文体を持った作家が、人生の一断面を我々に見せる…しかし、我々は常に人生の只中にいるのであり、社会の只中にいる。我々は生きているので、「生きる」という事についてもうすでに知っているような気がする。ある種の小説家志望者達が一夜のうちに小説を書き上げて、優れた作家として認められたいと願望を持つのも、上記のような誤解にもとづいている。我々は確かに生きてるのだが、生きている事について知っているわけではない。我々は小説を書く事はできる。様々な登場人物を恣意的に動かし、脳髄だけで、どのような物語も組み立てる事ができる。そのノウハウを知っている。しかし、その登場人物は一体、何によって構成されているのか? 今、我々は現在の自分達を生きているのだが、我々は現在の自分自身を俯瞰する視点というのは持っていない。我々が持っているのは、「小説的なもの」とか、あるいは「軽薄化された他者」を俯瞰する視点だけであって、我々は我々に対して俯瞰できているわけではない。もちろん、自分自身に対してもそうだ。

 僕は、もっとも非理性的と、周囲から目されている人間が、「自分はこの中の誰よりも理性的だ」と言ったのを聞いた事がある。僕はその当時、その言葉に驚いたが、しかし、この人物は嘘を言っているわけではない。つまり、この人物は常に自分の価値尺度の中に閉じこもっており、他人の価値尺度なるものに対する理解は一切ないために、常に自分の尺度の中では自分が王であり、神となるのである。自己認識は、他者認識と同じく苦痛なものである。そして真の作家になるためには、この苦痛を引き受ける修練をしなければならないだろう。

 自己が自己を眺める視点を持つという事は、無理難題である。世間にはたまたま、自分そのものが社会という視点に好意的に映る事により、一時的に人気を得たり、評判がでたりする作家、あるいはタレントなどが存在する。そうした無意識的な人気者達は、彼らが無意識的であるという理由によってまたその人気を失っていく。この時、自意識の役割を担っているのはカメラのレンズであり、またそれを通して彼らを見ている人々の目の方である。人々の目が、今では「世界意識」として個人を抽象化し、あるパッケージにとどめる。そして世界意識はこの個人をある適当にでっちあげられた存在物して味わい、楽しみ、やがてそれに飽きると、この存在物をカメラの外側に捨て去るのである。

 太宰のような自己告白や文学というものには一体、何の意味があるのか? 我々は自分達が生きているというただそれだけの理由によって、生きている事を知っているような気がしているが、実は我々は我々を知らない。我々が我々を見る事のできる視点、あるいは自己が自己を見る事のできる視点というのは、根底的に『他者』の視点である。我々は普段、『他者』の視点を持っていない。他人の目に一度なってみれば、『私』の存在は苦もなく消えてしまう、というシオランの言葉はまぎれもなく正しい。しかし、我々が自己として、自分を卑屈に感じたり、また傲慢な自己意識を持つ事ができるのはひとえにこの『他者』の視点というのを自己の内部に持ち得ない、その限りである。そして、太宰治の作品というのは常に、最後の最後にこの画竜点睛のような、『他者の視点』というものを持っていた。それがこの告白の意味であり、またこの告白が文学作品である所以である。文学作品が単なる告白と異なるのは、それが己を語った告白であるという自己意識を持つという点にある。そして自分が自分を見るという視点は基本的に、死の視点、あるいは『他者』の視点である。そして太宰は最後の最後にこの他者の視点を持ちだして、この『ろくでもない』自分自身を構造化し、相対化してしまう。そして、こうして最期に相対化された葉蔵という人物そのものが、我々読者に投げ出される。つまり、そこでは文学というもの機能が、最期のキャラクター、バーのマダムという存在によって批評的に分解され、構造化された後に、我々読者に投げ出される。太宰を、自己否定に見せた自己肯定とか、弱さの肯定、卑屈な精神の肯定というように嘲弄する事は可能だろう。しかし、彼らが根底的に見ていないのは、こうした太宰の複雑な自己意識の構造である。そしてこの文学としての構造を見ない限り、太宰を完全に否定しきる事は不可能であるように、僕には思われる。太宰はここで、己の人生一般を相対化し、構造化した形で示したのだ。そしてそこではある価値観が光っていた。つまり、自分の暗さというのは、人々の無意識的な明るさよりも明るい明かりであるという事。世界が明るい時に、暗くなる事は、誰がどう言おうと、一つ次元の上の存在であり、一つの明かりである。なぜなら、明かりを照らす事ができるのは『暗さ』のみだからだ。だから、まず、太宰は自身で、自分の暗さを明るみに出す。倫理的、道徳的な見方で、自分が悪人である事を我々に示す。しかし、その悪人が、自身を悪人だと感じているその認識は善であるという思想を太宰は、構造的にひねった作品のラストで我々に呈示する。おそらく、それが太宰文学の『意味』だ。



 太宰治という作家は色々に語れる作家である。それは多面的な様相を持っているので、色々な角度から語る事ができる。僕はこれまでとはまた別の角度から太宰について語る事としよう。ただ、それで太宰の本質を掴み得るかどうかはまだわからない。批評というのを書く度に、僕の中で感じる事というのは、言ってみればカント的な認識の問題だ。つまり、僕という個体は太宰という『物自体』に到達する事はできない。本質はいつも常に彼方にあり、対象はいつも彼方にある。そして、僕が語るのは常に、対象に対して「どう感じたか」という自分の感慨だけだ。ここには小林秀雄的、あるいはシェストフ的問題がある。しかし、これら主観的な批評家らの方法論を斥け、全てを一様の切断面で切ってみせる科学的と称する批評法を持ちだして、対象ーーつまり、物自体に触れられるというのは単に誤解でしかないとも僕は考えている。そうした一様的な科学的方法論というのは、どんな凡人でさえそれを使えば天才を越えられる、というような近代的、あるいは現代的な魔法のステッキに他ならない。しかし、もちろん、現実には魔法は存在しない。現実に存在するのは現実だけである。これからも僕はしどろもどろ、自分の感慨を訥々と語っていく事だろう。

 折口信夫は「水中の友」という太宰論で、おそらく太宰論としては最も重要な事を語っている。少々長いが、次に引用してみる。


 「太宰君の文學者としての生活を見ると、いつか作物の上の生活が、世間の生活から、ぐんと岐れて行つてしまつてゐる。自分だけ守る生活といふものを、極度に信じた事から、たゞ一途に、自分の文學を追求して行つた。謂はゞ、筆は生活追求の爲に使はれてゐた。さうして段々、深みに這入りこんだ彼だつた。私などは、それに氣のつくことが遲かつた。斜陽の「新潮」にのりかけたのを見て、はじめて太宰君が何に苦しんでゐるか、といふことをおほよそ知つたくらゐのものである。現實の出發に先じて、虚構が出發してゐたのである。虚構といふと、とりわけ誤解がありさうな作物だから、文學が先に出てゐると言ひ替へてもよい。平易に、文學的作爲と言ふやうな語をつかつてもよい。斜陽の現實よりも、斜陽の虚構の方が先に發足してゐる。さうして展開する虚構の後を追つて、現實が裏打ちをして※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つた。――私はかう言ふ風に後を追つて考へてゐる。――事實と全く關係のないことだが――あの小説の女主人公のやうなものを、幻像を持つた作者が、偶然少し誇張を加へれば、幻像にぴつたりするやうな女人を知ることになる。それが、文學志願を抱いた娘なんかであつて、自分の閲歴に近いことを小説體に書いた手記風の書き物を持つてゐた。――さう事實を設定して見れば、説明がし易い。其女性に相當知り合ひになつた彼が、手記を借りて讀む。小説の上の生活は、これから出發する。其と共に、虚構の生活は、先へ/\と蹈み出して行く。さうした生活を註釋するやうに、或は確實性を持たせる爲の樣に、小説の上の娘との交渉が進んで行く。謂はゞ、科學者の行ふ實驗のやうに、彼においては、生活の實驗が行はれて行くのである。」


 折口信夫は、その国文学的な傾向を取り除いてしまえば、小林秀雄的な能力を持った文学者だという事がこの文章を見てもよく分かるように思う。折口信夫という人は極めて近代的な人だった。しかし、その傾向が過去へ、古代の日本へと向かっていたので、学問的知識のない僕のような人間にはかなりわかりづらくなっている。しかし、これほどの太宰論は、僕は他にお目にかかった事はない。奥野健男や吉本隆明のような優れた太宰論ですら、この折口信夫の文章にはかなわない。そこでは、現実と虚構の入れ違い、という問題が極めて構造的に捉えられている。

 僕はこの問題を解析する能力はないのだが、ここをきっかけに話を始めてみよう。元々、この虚構と現実との転倒という問題は、作家の内部にのみ起こる問題であるので、他人からは容易には見えないようになっている。今、僕はこの折口信夫の太宰論がもっとも優れていると言ったが、それにはそれなりの理由がある。

 小林秀雄に「当麻」という短文がある。そこで、小林は能楽を見た自分の姿から書き始めているのだが、彼が、批評の導入部として書いている彼自身の姿は、あきらかに小説的なものである。小林秀雄においては、批評は自意識の学として始められた。彼は彼の自意識の広がりを感じる。彼の意識は対象を「見る」のだが、彼はその対象を見ている自分の意識をまた別の角度から眺めるのである。ここに小林秀雄的な自意識ーーその批評の精神がある。

 ある批評物、対象を直接に眺めようとしても、それは基本的に不可能な事だ。先に書いたように、カント的に「物自体」を直接見る事はできない。したがって、批評家と作品の間にはある紐帯、というかある線が引かれる事が予測できる。この線を仮に「感動」と名づけておこう。この「感動」というものは、批評精神の真髄であるので、もっとも重要なものだ。感動なき批評は批評ではないのだが、それは人々(そして半端な批評家自身)が、知的な衣装にだまされやすいというある特質を持っている為に、知識だけの批評もまた跋扈する事になる。小林の批評が優れているのは簡単に言って、彼が彼の感動を論理化できる力を持っていたからだ。(この点では吉田秀和も同じ事だ) しかし、その他の批評家においては、そもそも感動の度合いが弱いか、あるいは、それを論理化できる力が弱い為に、批評としての資質は薄れている。批評というのは当然、頭だけで書けるものではない。

 では、ここにどうやって、太宰的ーーあるいは小林秀雄的、転倒が訪れるか? 彼らに、文学というものと、現実との間の『転倒』の劇が起こったのはいわば、彼らが余りに優れた文学者であったからだ。では、僕は次にそれについて書いてみよう。



 折口信夫はすでに正確に書いているのだが、僕はまた別の方角から書いてみよう。太宰や小林秀雄に、ある種の転倒ーー現実とフィクションとの間の転倒が起こり、書く彼らが、作品の内部に埋め込まれたのは、偶然ではないと僕は見ている。そして折口信夫の太宰論が優れていて、その他の太宰論が、それなりに的を得ていると感じるにも関わらず、なんとなく納得いかないのもそういう点に重要なポイントがあると思う。

 つまり、太宰や小林秀雄のような優れた文学者というのは、文学にのめり込むあまり、「文学」という視点からしか現実を見られなくなった、そのようなある種の現実性、現実の俗性を欠いた人間であって、言ってみれば、彼らは半分ほどは人間ではなくなっているのだ。こういう言い方は、あるいはオカルト的と思われるかもしれないが、僕はそうは思わない。問題は、我々が常に「こちらがわ」にいるという事である。大抵の批評や批判は、「あちらがわ」にあるものを「こちらがわ」に近づけてしまっている。そのわかりやすい例は、作家の作品を作家の生活と結びつける批評や判断である。そういう批評はたくさんある。しかし、僕に疑問なのは、彼らは本当にそのような生活を送ったから、あのような作品を書いたのか?という事だ。一般的な批評は、この生活と作品との間の溝、その懸隔を無視する。何故なら、批評する側にとっては作品と作者との溝は存在しないか、あるいはそれがごく近いからである。そしてそれに比して、彼らが批評しようとする偉大な作家、文学者らにとっては、その溝は、批評する側よりははるかに広くて深い。ここに批評する側と、される側との本質的な差がある。そして太宰のような優れた作家の場合、この溝はまぎれもなく広い。そしてまた、この溝の存在に気づき、これを正確になぞっているのは僕の知っている限り、折口信夫ぐらいなのである。他の批評はどうしてもこの溝をないと考えるか、あるいはこれを短縮して批評してしまっている。

 そしてこの溝こそが、作家に、現実との転倒を起こさせたその当のものなのだ。つまり、端的に言って、彼らは文学を愛好するあまり、あまりにも文学にのめり込み過ぎたのだ。そして彼らにあってはその存在が文学の向こう側に突き抜けてしまった。そしてそこで、丁度折口が指摘した太宰的な転倒が起こる事になる。

 当たり前の話であるが、人生とは劇ではない。我々にとって、劇ーーフィクションとは常に、画面の向こう側か、あるいは活字の向こう側にある何かである。我々は一般には傍観者であり、また観察者である。我々は見るが、見られる存在ではない。…そして日常は退屈だ。

 我々は我々の惰性から逆に、作家というものを洞察する。(あるいは、あらゆるものを洞察する) 我々は作家や、何らかの英雄豪傑達が、完全に「人間でなかった」か、あるいは単に「人間でしかなかった」と捉えるかの、主に二種の視点しか持っていない。つまり、聖と俗の観点である。聖の場合は、聖なるものを我々から完全に隔離し、そこから人間的要素を排除して了解する。そして俗の場合、どの英雄豪傑も、あるいは文豪達もまた、自分達のような俗な人物の一人として了解される。この二種の見方は顕著である。そしてそのどちらにも、本当の理解はないと僕は見ている。現代では新手の「様々なる意匠」が出てきているが、全て同じ事だ。太宰を精神病者の一群に片付け、それで何が理解できるというのか。では、太宰と同じ精神病者は何故、太宰のような作家になれないのだろうか? ある英雄、文豪が精神を病んでいるから、病んでいない我々が科学的尺度なるものによって安堵できると信仰する事はそれぞれの勝手である。しかし、それは批評ではない。批評とはまず何よりも、対象を理解しようとする努力だ。そしてその対象が、我が道を歩いて行った限りにおいて、了解しようとする私もまた、その辛い道を逆に辿らなければならないのだ。こんな事はもう小林秀雄らによって、自明の事とされたのではないか。それをまた、新手の「様々な意匠」が覆う。しかし、それらは単に装いにすぎない。批評というのは、おそらく対象を理解する己を理解する事によって、自らを逆説的に語るすべである。そしてその場合、批評家は自己を全く感じていない。そして、それは自己を感じておらず、自己に自負も抱いておらず、公平無私であるからこそ、自己がそこに顕現する類のものなのだ。

 我々は畏怖する必要もなければ、また、故意に見下す必要もない。ただ、我々が対象をたどる上で必要な努力は、作家の辿った道をたどる事だ。では太宰は(あるいは小林は)どのような道を辿ったのか?



 人間の生活は劇ではない、と僕は先に言った。しかし、ここに劇が事実となり、事実が劇となった人間がいる。彼は、ランボーの詩のように、自分で自分の踊りを見る演出家である。彼は彼を演出するが、彼は舞台役者でもある。彼は彼が作り出す舞台の上で、孤独な舞を踊る。しかし、その舞いはいずれ、その孤独さ故に散る事になるだろう。世界において、見られている私と見る私が分裂し、なおかつそれが世界に対して孤独である事ーーーこれほどの孤独があるだろうか?

 僕の見方では、太宰は戦後の時代に適応できなかった。彼は、一人時代に取り残された。そしてそれは小林秀雄も同じ事だ。小林秀雄は保守派に転じた。しかし、彼は彼が変わったとは思っていなかっただろう。つまり、小林が保守派になってのは、彼が変わったからではなく、彼が変わらなかったからなのだ。変わったのは、時代の方だった。時代の変化に対して、二人の文豪は対応できなかった。それは逆に言えば、良き文士、あるいは古き良き文学が失われた時代に突入したという事だった。彼らはいずれも、孤独な舞いを踊った。世界は変転し、己は変転しない。こんな事が許されるだろうか? 時代に合わせて、変転した方が楽ではないのか? 僕はそういう人達を知っているが、彼らは時代そのものであるので、その存在すらない存在だ。時代に合わせて、自らを戯れさせている、と信じるのはたやすい。ジャーナリズムに乗っかれば、自分が何者かであるような気がするが、この者は自分が単なる木偶だと、いつ気づくのだろうか? しかし、そう寄り道するのは止めておこう。僕は今、戦争に対する太宰の姿勢について少しばかり語ろう。

 

 「私の慰問の手紙は、実に、下手くそなのである。嘘ばかり書いている。自分ながら呆れるほど、歯の浮くような、いやらしいお世辞なども書くのである。どうしてだろう。なぜ私は、こんなに、戦線の人に対して卑屈になるのだろう。私だって、いのちをこめて、いい芸術を残そうと努めている筈はずでは無かったか。そのたった一つの、ささやかな誇りをさえ、私は捨てようとしている。 (「鴎」)」


 隣では、高揚した精神がある。国民は命を賭して戦っている。それを笑う事はできまい。では、それは後方にいる日本国民のひとりとして、精一杯応援すべきではないのか。祖国愛、同胞への愛。死をかけた戦い。いずれも、舞っているのは美しい物語ばかりである。戦中、我々はおそらくそんな空間の中にいた。にも関わらず、ここに一人の暗い男がいて、その暗い男は自分の暗さに価値を感じていて、それを捨てられない。ーーー何故だろうか?

 生活は劇ではない、と僕はさっき言ったばかりだ。にも関わらず、ここで劇と生活は反転している。戦後においては、折口の見た通りに、太宰は劇と生活との反転を通じて崩壊に至った。それは事実だ。しかし、実は、先にそうした崩壊を模倣していたのは社会の方だった。いわば、この世界は、生活と劇が入れ違う事によって崩壊する事が可能になる。つまり、そこでは死が目的となる。生とは脂汗を流す大事業であり、また地味な毎日の歩みだろう。だが、戦争は我々の生活を劇としての空間に変えた。そこで、全ては劇的に変化した。小林秀雄は口を閉ざした。演出家としての彼は、世界において拙劣な劇が演じられているのを見て、とうとう沈黙したのである。…もっとも、彼も太宰と同じく、一国民としては戦争に賛成だったが。

 僕は今、反戦だとか戦争賛美とか、そんな事を問題にしているのではない。問題はそうではなく、この世界の劇的空間である。現代社会でも、同じような喜劇が起こっている。それは他者から見れば喜劇だが、私達が内から見れば華麗な悲劇である。しかし、残念な事に、どんなろくでもない犯罪者も、自分だけの物語ーー劇を持っているものだ。彼らは自分自身に絶えず言い訳し、自分をだます事によって自分にしか通用しない物語を生み出す。

 しかし、太宰においてはどうだろうか? 彼においては、自分の中に一つの分裂を感じていた。彼は、芸術家の良心として、戦争に対して何かしら偽物の匂いを感じ取っていた。太宰は戦争が一種の明るい嘘だという事を嗅ぎとっていた。ではそれは何故嘘なのか? しかし、彼にはそこまで問う事はできなかった。太宰はそこまでの社会思想は持ち得なかった。彼はただ、自身の芸術家としての鋭敏な嗅覚を知っていたのみである。そしてそこから「明るさは滅びの姿であろうか…」の台詞が出てくる。しかしまた同時に、一国民としては、この戦争に対して賛美せざるを得なかった。同胞が命を賭けて戦っているのに、それを馬鹿にしたり笑ったりできるだろうか? だとしたら、そうした事を否定する自分は正しいのか? 太宰は遂にこの矛盾を自分で解決する事ができなかった。そして「戦後」がやってきた。戦後の混乱期、また全てが逆転した。白が黒になり、黒が白になり。そこで信じていたものが潰えた、と感じたものは遂に崩壊するに至った。崩壊しなかったのは、何も信じていなかった人々である。つまり、誰かが黒を白と呼べばその通りに信じ、誰かが黒を黒と呼べばその通りに信じる、そのような人達である。そしてそのような人達は先に言ったように、時代そのものであるので、存在自体が存在しない。つまり、これらの人々は時代に余りに深く順応するが故に無である。そして、無は有を笑う事もあろう。太宰は、紛れもなく一つの有ーー思想としての「有」だった。だから、彼には崩壊の過程が存在した。

 しかし、これ以上、太宰の崩壊の過程を追うのは止めておこう。実を言うと、僕にはそれを最期まで追いかけるだけの力が不足している。ただ、一つ言うべき事は太宰の宿命の問題である。そしてそれは今まで述べてきた、太宰の『劇』の問題と関係がある。僕はそれを以下に、簡単に述べる事としよう。



 「いのちがけで事を行うのは罪なりや。そうして、手を抜いてごまかして、安楽な家庭生活を目ざしている仕事をするのは、善なりや。おまえたちは、私たちの苦悩について、少しでも考えてみてくれたことがあるだろうか。 (如是我聞)」


 こうした言葉を吐くのは本来、太宰文学においては禁忌であったはずだ。太宰は深刻さを隠す事によって、太宰流のユーモアを獲得した。凍った魂を慰撫するために、彼は笑う。他人を笑わせる。しかし、彼が笑わなくなった時、彼はそれまでずっと押し隠していた自らの魂を暴露せざるを得なかった。ここで逆説的な、太宰の物語は終わりを迎える。しかし、「人間失格」の考察で見たように、太宰は最期までその逆説性を完全には放棄しなかった。「如是我聞」というエッセイは、正に太宰が血を吐いて記した言葉と言えるだろう。しかし、人が生きるには、血は通っていなければならない。血は、吐かれてはならないのである。

 こんな書き出しはどうか、と僕も思う。僕は太宰の宿命について述べたかったのだ。うまく述べられるか自信がないが、とにかくやってみよう。

 「人間失格」には確かに、自伝的な要素がある。しかしそれはあくまでも作者によってフィクション化されている。結局、現実生活というものをどの断面から眺めるか、どの点から強調するかというのは、現実以上に大きな要素と言ってもよい。しかし、太宰にある罪障感があった事は確かだ。彼はそれを生涯、持ち続けた。


 「恥の多い生涯を送ってきました。

 自分には人間の生活というものが、見当つかないのです」   (『人間失格』)


 ここで、この主人公ーー葉蔵は、自分が世界から疎外されているという知覚からスタートを切る。おそらく、太宰にとって女性が温かく感じられ、また世の大人が厳しく、鋭く自分に対立していると感じられてきたのも、こういう所に問題があるのだろう。彼は常に精神的に安堵できる場所を探し求めていたし、それが女性だったという事はあるかもしれない。この疎外感は、例えばカフカのそれに似ているとも言える。カフカもまた、世界から疎外されていたと感じていた典型的な文学者だった。しかし、カフカは最期まで、一人の女性を愛す事ができなかった。ーー本当の事を言うと、おそらく、太宰もまた、誰か一人の女性を『愛する』という事はできなかったように思う。そしてこの違いは風土の違いと共に、個人が個人としてきちんと成立してる西欧と、習慣と習俗に堕する我が国の違いに原因があるのかもしれない。しかし、それは大した違いではない。おそらく、この両者はどちらも、ある種の「幼童性」にとどまったのだ。(バタイユの言うように) しかし、その「幼童性」というのは、自分は大人であると自惚れる世の大人ぶった人達が軽蔑できるような類のものではない。何故かと言うと、世の大人ぶった大人には『運命』がかけているからである。人は運命と戦う事により、大人になる。しかし、戦うべき運命が存在しない人間は、社会習慣に迎合する事により、見かけ上の大人に達する。そこには、苦悩なき故に、何かが欠けた存在だと言っても良い。だから、この点をもっと先に伸ばして考えるなら、太宰やカフカの半端な幼童性というものは、世の大人達が、文学などを馬鹿にする、そうした社会習慣的「大人性」よりも先ある、成熟であり、また運命との戦いなのだ。カフカや太宰がある点で自身の宿命に対し、抵抗むなしく敗北した存在であったとしても、彼らは戦わなかった人々よりも、はるかに大人であり、成熟した存在であったのだ。まず、僕はこの事を強調しておきたいと思う。

 いわゆる「普通の人」、「幸福(不幸)な人生を送ってる人」に運命は存在しない。彼らには内的な運命がかけている(充足している)が故に、彼らの苦悩や労苦はもっぱら、外的なものにとどまる。つまり、彼らは内的に充足してるところからスタートを切るが為に、彼らが欠けるのも満たされるのも、全て外的な要因による、と感じられる。彼らには、カフカや太宰のような、ほとんど生まれながらにしての深い欠乏、あるいは世界からの疎外感というものは存在しない。僕はこう考えているがーーー本当の意味での「愛」とは、世界との間の疎外を埋めていき、そして世界そのものに達する行為である。そこでは哲学的に言う「反覆」の問題が現れる。全ての物事は反覆により、現在に到達する事により意味あるものとなる。逆に言うなら、愛が愛に、あるいは意味が意味に達する為には、それ自体であってはならない。まず、世界に対する充足がある幸福な人々は、遂に自らの幸福に達する事ができない。なぜか。彼らはもちろん、太宰やカフカよりもはるかに恵まれた、幸福な人々であろう。しかし、彼らはその幸福を感じる事ができないという理由によって不幸なのだ。そして不幸に生まれついた人は、(努力によって)幸福を感じ取れるという点において幸福なのだ。ここに、人間存在の根底的な物語性というものがある。カフカや太宰が途中で討ち死にしたとしても、彼らは少なくとも、この道を、彼らの努力と労苦によって辿ろうとしたのだ。それを我々が軽蔑できる理由は、僕達にはどこにもないように、僕には思われる。

 健康的、あるいは自分は健康的だと自惚れる人には、太宰の苦悩は見えないだろう。あるいはカフカの苦悩は見えないだろう。それらは、おそらく健常者からすれば、全く理解不能の苦闘と労苦の連続に違いない。だから、健常者達はこれらの事を簡単に「天才」「才能」のカテゴリに入れて、自分達とは違う存在だと安堵するか、あるいは文学などというものは人生に不要であると単に結論づけるかのどちらかであろう。そしてそれによって、世界の秩序と安寧は保たれるように見える。しかし、それは果たして本当にそうだろうか。病人だけが、健康の素晴らしさ、健康である事の幸福を知る事ができるのではないだろうか? そして生まれつきの、死ぬまでの健常者というのは、遂に自分の健康を理解する事ができない。そしてそれ故に、彼らはマイナスの価値だけを感じる事になるのではないか。まず、百点満点の「恵まれた」状態からスタートすれば、彼は次第に自らが蝕まれていく事を感じるかもしれず、そして自らがゼロ点から始めれば、全ての物事は得点として、得られるものとして感じられるのではないか。物語には上昇の物語と下降の物語とがある。では、どちらが上昇で、どちらが下降なのか。どちらが幸福で不幸なのか。…答えは、どちらでも良い。あるのは、それぞれの宿命に見合った運動だけである。そしてこの運動こそが、おそらく人生の過程において「物語」と呼ばれるものだ。そして物語を否定するものは、(セネカの言うように)それに引きずられざるをえないのだ。

 太宰やカフカはほとんど生まれつきの、不幸を背負っていたと言えるかもしれない。あるいはそれは精神分析学的に言えば、『心の安全基地』理論によって説明できるかもしれない。彼らが世界に対して疎外感を、ほとんど先天的に抱くようになったのは、母親を中心とする原初の世界からの疎外をスタートとしていたからかもしれない。彼らにあっては、世界から隔離され、疎外されていた事がその人生の始まりであった。だとすると、世界に認められ、育まれてきたある程度以上の健常者からすると、その始まりからして逆転した世界に生きていたという事になる。彼らはこれを取り戻そうとして、あるいは刻苦勉励し、あるいは極度の虚栄心を持ち、もう一度、世界との紐帯を築きあげようとするのかもしれない。しかし、この契機は、我々には極めてわかりにくい。天才においては才能とか努力などが云々されるが、そんな事は全くどうでもいい事である。天才は自ら努力せざるをえないという理由によってその不幸を逆側から我々に示しているのだ。幸福だと自ら感じている人間は、もうそれ以上何もしなくて良いだろう。新たな世界というのは、欠乏から生まれるのであり、充足から生まれるのではない。そして、犯罪者のような心理の持ち主は、太宰・カフカ的な欠乏を他者に転嫁しようとする。彼らは、欠乏を自らの身に引き受ける事を拒否して、それをこの世界の責任にしようとする。もちろん、それにはある程度の合理性、ある程度の正しさはあるだろう。だが、再三言っているように、正しい因果、正しい論理など、この世界において大した意味は持ち得ないのだ。自分の心の傷を自らの運命と感じ努力するものはいずれ天才に至るだろうし、あるいはその逆に、自らの心の傷を世界に返そうとするものは犯罪者へと至る事になるだろう。そしてそこで起こっているのは、まず運命、あるいは宿命を起点とした、個人の運動のその道程である。彼らはそれぞれの物語を抱えている。まず、その原初において、その運命は決まっているが、この運命にどう立ち向かうか(あるいは逃げ出すか)だけが、個人の自由としては残されている。そしてカフカや太宰はそれと戦うために文学というものにすがりついた、とも言える。彼らは文学にすがりつき、運命に抵抗しようとした。そしてその抵抗の跡が言葉となって我々に残された。結局、人生とは無から無へと運動する旅なのだ。そしてそれがどういう軌跡を描くかは、個人の運命とそれに抵抗する自由との、その対決に着せられる。

 


 太宰治の作品に見られるその逆説性はこのようなところからも、はっきりと見て取れる事ができるだろう。太宰作品に特徴的なユーモアというものは、この深淵を隠し通す所にあった。太宰においてのユーモア、その笑いというものは、太宰自身のこの運命に対する抵抗、あるいはそれに対するはぐらかしとして生まれたのであって、それは彼が必死に、自らの運命に対し、努力し、抵抗しているその証であったと言ってもよい。この辺りは当然、芥川とも関わりのある事だ。芥川が、自身の深淵に対して、それに抵抗する時は、神経的な、知的な作品構成となって現れた。彼らは共に、自らの深淵の上に、繊細な橋を作り、それに抵抗しようとしたのであって、共に、晩年になってその橋は崩壊する事になった。そして崩壊した後は、彼らの深淵が明るみになった。深淵が直に作品に現れるようになれば、作家の終末はもう見えている。深淵はなんとしても、隠し通さなくてはならない。血を吐いた告白は人を動かすに足りない。血は皮膚に隠されて、告白されなければならない。そういう理由で、世界に対して我々ーーあるいは表現者というものは必ず、逆倒した形で接しなければならない。そうでなければ、真実はその力を失ってしまうだろう。何故かと言うと、真実という光が生ずる事ができるのはこの世界が闇であるからである。だからまず、作家はこの世界を闇に変えなければならない。そして変えた後、この光を生まなければならない。太宰にとっても、芥川にとっても、自身の運命は闇そのものだった。だからこそ、彼らの作品はその上で、一つの光として輝き渡る事ができたのだ。

 あるいは太宰のユーモアは、漱石のある時期のユーモアに似ている、とも言えるかもしれない。漱石においても、彼が深刻な精神異常にかかってる時には、彼は出来る限りはしゃいだ、楽しそうな様子を見せなければならなかった。「自転車日記」などはそうした一例と言えると思う。しかし、漱石は太宰と違って延命し、大家となる事ができた。どうして、精神を病んだ夏目漱石という男が延命できたのかは、この稿では問題とする事はできない。しかし今簡単に言っておくなら、漱石は、自身の作品と自身の生活を、太宰のそれよりも更に引き離す事により、延命したと考えられる。加工的世界と、実際との生活との間の距離を、漱石は太宰以上に大きく引き伸ばした。そこでは、漱石の生活の影は消えている。「道草」なども、自伝的に見えるが極めて抽象的な作品だ。そこでは、世界が自身の生活から離れて、また一段と客体的な世界となっている。元々、主体的な世界と客体的な世界とは敵対しているものではない。主体的なものが圧倒的に広がるその過程において、それまでの一人称告白では足りなくなるある時期というものがあるのだ。太宰においてはそれは、一人称的告白の客観化(「人間失格」)という水準にとどまったが、漱石はそれよりも更に越えて、主観を客体化した世界が現れた。しかし、それはまた別の漱石論で言う事だろう。今ここでは、これ以上それに言及するのはやめておく事にする。

 太宰においては、「人間失格」で言われているように、人間に対する恐怖が裏返って、道化を演じる事となった。彼のユーモアは人々の間を縫って、輪舞していく。しかし、その道化の素顔は暗いものだった。しかし、この暗い顔にも、光を当ててやらなければならない。道化は、道化で終わってはならない。そこで終わってしまえば、それは文学ではなくなってしまう。だからこそ、太宰は晩年に、その素顔を晒す事になったのだった。それは言ってみれば、喜劇役者の舞台裏だったのかもしれない。しかし、役者が舞台裏を晒せば、その終末は近い。それは先に言った通りの事だ。しかし、舞台裏をさらさなければならないほどに、彼は窮迫していた。この役者にとって崩壊は、深淵そのものの露出となり、深淵の客体化(漱石)とはならなかった。そこに、一つの劇の変転があった。つまり、折口信夫が指摘したように、ここでは、太宰自身が、劇の中の登場人物に転じた。これまでの彼は、自身を仮構して、外部(読者)に提供する一個の役者、芸人だった。しかし、その芸人は、自身の深淵を次第に自分の芸とするようになった。ここで演出家、脚本家たる彼は、舞台役者に転じる。元々、太宰の話体は、自分自身を語っているように見せた一つの話芸だったのであり、その場合には彼の虚構は安定していた。そうした面はおそらく吉本隆明が指摘していたように思う。しかし、次第に彼自身が、社会の明るみに引きずりだされるにつれて、彼は、「斜陽」のようなオーソドックスな小説のスタイルを使うようにもなった。だから、太宰とは元々、根源的に世界に対して倒立した存在だったと言える。彼が崩壊する時は、彼が評価される時だったし、また、彼が安定的だったとは逆に、彼は自身の崩壊を気軽に話芸に託す事ができた。世界と彼の存在は常に、反転したものだった。そしてその反転が、作品と世界との間に起こったのではなく、作者と世界との間に起こったというのが、彼の悲劇の全てだった。彼は、自身をフィクション化していたが、世界そのものをフィクションとする事はできなかった。何故か。そこには、他者に対する恐怖があったからだ。世界に対する恐怖があったからだ。だから、常に、彼は一対一で世界と向き合って語り合う事となった。そして、彼が世界に向かって語りかける存在ではなく、世界に「よって」語られる存在になった時、彼の自意識の構造は崩壊した。何かがまた逆倒し、彼が元々持っていた深淵に、彼自身が飲み込まれていった。



 本評論はこれぐらいの所で終わりたいと思っている。元々、太宰のこうした逆転した劇は吉本隆明らによっても解読されているので、自分が言い得た事はそれほどないようにーー今では感じている。

 元々、優れた芸術家というのは、作者と作品との間に大きな溝をこしらえている。そしてこの溝こそが、おそらく、作品と作者との批評を行う際、もっとも厄介な点であり、こうした点を無視した色々な世評というのが、僕はかねてから不満だった。太宰は当然、優れた作家なので、そういう溝があった。そして今になってみると、はっきり言い通す事ができるが、その溝こそは、彼らの努力量に比例した、彼らの運命に対する抵抗の証(量)であったと言う事ができる。作品と作者を一つの線で結ぶという事は、人が考えているほどに簡単ではない。「走れメロス」という作品の元ネタに檀一雄とのエピソードがあったとしても、そのエピソードと作品間の距離を感じなければ、批評にもならなければ、理解にもならない。人は生活の中を疾駆しながら、同時に生活の上を飛翔しているのである。そして、生活のみに膠着するか、あるいは仮構的な作品のみに執着するか、そのいずれの視点からも答えは生まれてこない。問題は、この作者と作品、生活とフィクションの間の距離にある。そしてこの距離こそがおそらく、作者ーー太宰治が自ら歩んでいった、その道のりそのものなのだ。

 元々、太宰治のような魂は、生活や現実から飛翔しようとする癖のようなものがある。しかし、太宰はランボーのそれのように、単に飛翔してこの宇宙の外側に歩んでいくような運動形態は取らなかった。太宰は現実から飛翔しつつも、常に、現実に固着する事を忘れなかった。彼はいつも「誰か」に向かって語りかけていたのであり、その「誰か」というのは、それぞれの立場を超えた、「あなた」としての「誰か」であった。それ故に、彼の作品は普遍性を持つ事ができた。太宰の作品は人々に向かって語りかける。しかし、彼は元、人々から疎外された存在ではなかったのか。だから、以前に言った通りにーーこの疎外を埋める事が、太宰の世界に対する「愛」の証左となる。そしてこうした点でおそらく、キリストの問題が現れる。キリストが、世界との疎外、その差そのものを肉で埋めるように、自ら犠牲になったという事は太宰にとってずっと、重大な感心事だったのだろう。そしてその点で、太宰は人々に「サービス」し続けた。しかし、もはや、サービスする為のその当の道具、マジシャンが聴衆に見せる、マジックの種がつきた時、彼は最期に自分自身を秤に掛けて、人々に提供した。彼は生活から飛翔する存在ではなく、フィクションに追われる存在となった。そしてその後に、死がやってきた。元々、死は、彼の衰弱を救うような性質のものではないのだが、しかし、彼はどうやら衰弱の先に死があると考えたようである。そして実際に死ぬ事によって一つの悲劇(喜劇)は完成した。

 我々、普通に生きている人間というものは、世界というものを逆さに眺めている。太宰やカフカのような存在が、世界を逆さに見ているのではない。そうではなく、あくまでも我々が世界を逆さに見ているのである。だからこそ、パスカルのような哲学ですらも、それは逆説的なものとして現れざるを得ない。我々は幸福になる事ができる、と考える。あるいは不幸になりたくない、と思う。しかし、我々が不幸であったり幸福であったりする事は、それ自体なにものでもないのだ。僕が幸福に憧れる事はできる。しかし、その時、僕の「幸福」は僕の指先を通りぬけ、その先にある。僕の虚栄心は、人々の賞賛によって満たされる「だろう」。しかし、この「だろう」が曲者である。僕は不幸を避け、幸福になろうとする。しかし、それは光のある所における光のような現象であって、それ自体のコントラストを持たない。そしてそうした事が戦時中は奨励された。そしてそれ故に、世界は暗くなった。世界は、ある形而上的観点からすれば、単一の光であろうと単一の闇であろうと、それが単一であるというその理由によって「暗い」のである。だから、ここに相対化の原理が必要となってくる。太宰はその原理をおぼろげながら知っていた。病人には健康によって光を与え、健常者には病気によって光を与える。彼はそういう方法を持っていた。そしてそれが彼の世界との激闘の証であり、また、それこそが彼の世界への愛であり、その発露だった。今は、そう言う事ができるだろう。

 この世界が何であるのか、僕は知らない。しかし、この世界がなんであれ、この世界がなんであるかという事は、生ける個人には先天的な事として感じられる。だとすれば、この世界にいかに対応するか、そこに個人の人生が現れてくる。世界に対して個人は一般に順応し、異体を斥ける。そしてそうして世界は安定と秩序を保つ。しかし、それとともに、世界は常に変化しなければならない。そしてこの変化を契機に、この異体が必要となってくる。異体は、世界から疎外された事を認識し、それを自己の責任として引き受ける。そしてその意味を携えて、また世界に戻ってくる。彼は敗者であるが、自分が敗者であるという事を知っているという認識故に勝者である。彼は人々に向かってやがて、真理を、真実を語りかけるだろう。そして真実というのは常に、我々の外部にあるものであり、また同時に内部にあるものである。何故なら、我々が誰かという事を知る事ができるのは、この世界の住人ではない住人ーーーつまり、宇宙人的な人間によって始めて、可能になるからだ。我々は我々の存在を、我々がすでに締め出した人物によって知る事ができる。つまり、こうして様々な疎外を受けた多勢の天才達も、この世界の一つの大きな歯車として機能する事になる。

 太宰は正にそのようにして、人々に語りかけたのだった。太宰はーー人々の中のもう一人の「人々」に語りかけたと言う事もできる。太宰が話しかける対象は常に、いわば、「絶対」としての個人だったのであり、それは相対的な、あるいは立場的な他者ではなかった。太宰に常に他者は必要だった。しかし同時に彼は他者を常に恐れていたので、恐れから来る身振り手振りが彼の文学となった。彼は他者の言葉を待ち受ける。…しかし、彼はその言葉を先読みして、自分の言葉を綴る。語り、言葉はどこまでも、自己意識の広がりと共に流れるはずだった。しかし、現実にはそうはいかなかった。

 ある個人がどのように世界に立ち向かうかというのは、個人の自由に着せられる。彼が、「暗さ」を明るさによって照らす事によって、一つの光点となろうと、それは彼の自由である。太宰は、自分自身の先天的な運命から出発し、自分の道を歩いた。そしてそれは詩人の歩く道だった。詩人は空中を独歩する。そしてそれ故に、詩人は地上に落下して死ななければならないだろう。では全ての詩人は落下して死ぬのか。そうかもしれない。しかし、もし、この世界に地上しかないとすれば、地上の存在そのものが明らかになる事はなかったろう。太宰は自分の命運を握って、その道を忠実に歩いた。世の多くの批評は、彼の笑いと深刻さとの間を行き来する。しかし、彼はその両方を携えて歩いたのであって、彼の笑いは笑おうとして、また凍る。いや、凍った微笑を解きほぐす為に、彼は他人を笑わせたのかもしれない。世界は、そして己はあまりに冷たく暗い運命に握られていたが故に、彼は華やかで美しい夢を天に一陣かけた。それが、彼の魔法の全てだった。今や、魔法は溶けた。現代の小説家らの書く小説にはもはや、どんな魔法も宿ってはいない。彼らには、深淵が欠け、なおかつその深淵を直視する魔眼が欠けている。彼らは小説的なものについては過去のどんな偉大な作家よりも、知識としてよく知っているが、彼らは運命を回避するが故に、他人事としての文学に座を下ろす事となる。もっとも、この平和で倦怠した世の中にはどんな運命も持ち得ようがないのかもしれない。しかし、そう安堵する所に、彼らが聴衆や、あるいは「文学的なもの」と結託するその要素がある。彼らにはどんな運命もなく、したがってどんな文体もない。彼らには運命を持った肉体が欠けているので、脳髄だけで言葉を、物語をひねくりだす。元々、彼らは座興でしかない。そして人々も座興として文学を見ている。だが、太宰は違った。彼はまず欠損から始めたが故に文学にのめり込み、そしてその先まで突き破らなければならなかった。やがて、彼の生活そのものが文学となった。そして文学が途絶えた時、彼の生命の音は消えた。全ては静寂に戻ったのである。こうして、大地に平穏は訪れた。病んだ人間は、そしてその病を一つの特質として持つ偉大な作家は消えた。そしてそれ故に、戦後の健常者らの創る世界が生まれた。そしてそれ故に、この世界はそれ以前よりももっと深く病む事となった。今、我々はその後遺症の中にいる。そしてこの太宰治という作家の不在を埋める作家は、二十一世紀にはいってもなお、まだ一人も生まれていないのである。僕には、そのように思われる。

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[一言] こんにちは。私はヤマダ先生の「踏み付けられた小天使」というブログの愛読者です。 私はそんなに頭が良くないのでヤマダ先生の文章は分かりづらいですが、言いたいことはなんとなく分かります。 稚拙な…
2019/12/26 15:24 退会済み
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