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手洗い、うがいの習慣をつけましょう



「なんとかは、風邪ひかないって、いうのにねぇ」

 自分で言うな。

 起こした上半身はフラフラと揺れ、荒い呼吸を繰り返している。

「圭ちゃ……のど、痛……い」

 麻理が風邪をひいた。

「だったらしゃべんな」

 あごに下ろされたマスクをあるべき位置、正しい使用に戻してやる。もごもごと口もとは動いているようだが無視を決めこんで、華奢な肩を指先でひと突き。

 ヘタリと麻理の身体をベッドに沈ませてから、毛布と布団で封をするように覆ってやる。ぐったりした麻理に封を突破してくる力はないようで、冷えないように肩や首に毛布を折りこんでもされるがまま。

「圭ちゃ」

 普段より掠れた舌ったらずの声。さっきから呼ばれるたびにくすぐったくてかなわない。悟られないように無表情に磨きをかけて視線を合わせた。

 勘弁してくれ。

 潤んで少し焦点の合わない、すがるような目。ただでさえここは麻理のテリトリー。落ち着きをおぼえるはずの香りに包まれて、どうにも落ち着かなくなる。

 舌打ちをしかけたら麻理が視線を外した。枕のそばには袋に残されたマスク。それを見てからまた俺を見上げてくる。

 着けろって?

 目で問えば、うんうんと応えた。そんなに頭ふったら目が回るぞ。思わず手で額をおさえて静かにさせる。マスクは苦手だ。息苦しいし、耳のつけねが痛くなる。装着してみせれば麻理は安心したように赤い目もとをちょっとゆるませた。

 うつったら大変。

 しゃべれたら、こう言いながら力の抜けた笑顔を見せたに違いない。

「かみ、きらなきゃ、よかっ……た」

「風邪はウイルスだ。裸で外にいたって必ずひくとは限らない。敗因は年の瀬の人混みを甘くみて出歩いたことだな」

 イルミネーションが綺麗だとか、浮ついた町並みにつられてうろうろするからだ。真っすぐ帰ればいいものを。

 俺を見上げていた目が細められ、急に咳こんだ。今ちょっと笑ったろう。なにがおかしい。苦しい思いまでして笑うとこ、あったか?

「寝ろ」

 もぞもぞと細い指が布団からはい出てきた。肩の辺りを注意し過ぎて、サイドの封じこめが甘かったらしい。脱走を企てた熱い手を掴んで布団に戻す。きゅっと指を握られて、今度は離すに離せない。主の猫目はすっかり閉じられ眠りに落ちかけている。ますます動かせない。

 マジか。

 寝ろと言った手前、起きろとも言いづらい。てことは。甘い手錠をはめられた俺はまんまと囚われの身、か。

 エアコンは麻理のために温度を上げてあるから俺にとっては暑いほどだし、このままでも問題ない。買ってきたスポーツドリンクや水も常温のほうが吸収はいいだろうから、放置してもこれも問題ない。プリンもまぁ大丈夫だろう。

 気がかりはサイドテーブルの上にあるアイスクリーム。

 麻理の食べかけのバニラのカップと自分用のまだ手つかずのラムレーズン。サイドテーブルまでは微妙な距離で、こんなことなら右じゃなくて左手をくれてやっとけば良かった……。

 時を刻む秒針の音。普段は意識しないその音に気づくなんて、この部屋では珍しい。主は小さな咳を時折はさみながら良く眠っている。

 相変わらずごちゃごちゃした部屋だと、することもないので見回してみる。片づけてないとか、掃除がされてないとかじゃない。むしろこれだけモノにあふれているのに埃は見当たらない。

 かわいいね。

 そう愛でながら丁寧にハタキをかけてる姿が目に浮かぶ。

 カエルにしか見えない犬の置物。ガラスで出来た猫の楽団。色とりどりな折り紙にビー玉。ここまではまだいい。なんで犬が緑なんだと製作者に問い詰めたくなるが、置物だろうとわかるだけまだいい。

 部屋のあちこちにある完全に正体不明な物体の数々。お前たちのなにが主の気を引いたのだろう。さっぱりわからん。ここまでくるとセンスの有無すら判別困難だ。

 必要最低限のものしか身の内に入れようとしない俺とは違う。

 整理されていると言えば聞こえのいいそれは、生活するだけの、そのくせ生活感のない簡素な空間で。

 好きなものに囲まれて暮らしたい。

 いつだったかそう言っていた。どうってことのない見逃しがちな日常を、麻里は楽しいことに変えていく。

 こうして埋もれていると、俺自身も彼女のコレクションの一部になったような……おかしな錯覚に陥りそう。

「趣味ワリい」

 どこが良くて。

 自分みたいなヤツを選んだんだか。

 懐のデカさは、きっとこれから先も敵わない。

 それでもこのゴチャつきさ加減はいただけない。将来訪れるだろう揉め事の要因に充分なりうる。これからは自重させるか。

 そのとき咳がひとつ。同時に指も強く握られた。まるで抗議するかのようなタイミングの良さ。 ――これはどうやら長期戦のもよう。

 さっきよりはいくらか赤みのひいたらしい寝顔に安心しながら、額に張りついた前髪をはらってやった。







 ――ヤバイ。

 麻里の寝息につられた。

 自由になっている手を辿った先、ベッドの上はもぬけの殻。

「気持ち良かったぁっ」

 ほかほかと湯気を振り撒きながら、やけにすっきりした顔の麻里が戻ってきた。眠る前とは格段と声の調子も良くなっている。だとしても。

 こいつ、風呂、入りやがった。

「シャワーだけだよ」

 俺の睨みを拾った麻里が小さく言う。完全に治ってない状態で。酷くなるかもしれないっつうのに。

「だいぶラクになったし、汗でベトベトするし」

 ぐずぐずする麻里を横目にマスクを外し、これみよがしにため息をついた。変な姿勢で居続けたために立ち上がると身体のあっちこちが痛い。案の定、アイスは残念な柔らかさになっていた。

 冷蔵庫へ向かいながら、麻里の背中に近づく。熱のせいじゃない頬の赤み。確かに回復はしてきてるらしい。

 シャンプーの香りに誘われながら、切りたてのおかげでいつもよりさらされてる首筋に唇を寄せた。 ――ぺろり。

 悲鳴とともに飛び上がった麻里がその勢いのまま座りこんだ。腰ぬかしたな。

 特に救助してやるでもなくアイスを冷凍室にしまう。再冷凍は舌触りが悪くなるが致し方ない。我にかえったらしい麻里の抗議が、言葉やクッションに姿を変えて背中に投げつけられる。

 悪いとも思わなければ、気にもならない。

 これぐらいはもらっとかないと割に合わないだろ。





 

 

 


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