傘
二度寝もできない微妙な時間に目が覚めると、なんとなく損した気分になる。
今日という日はこんなカンジで始まった。
お弁当の卵焼きを焦がす。歯磨き粉がわたしの前でちょうどなくなる。いつもは素直な後ろ髪が今日に限っていうことをきかない。制服のネクタイの結び目が気にいらなくて四回やり直し。
外は結構な雨。買ったばかりのお気に入りの傘の出番ができて気分は浮上するけど、普段は穏やかなお隣りのタロウにやたら吠えられてまたマイナス。途中で二回つまづきかけてさらに嫌な予感。
わたしが校舎に入った途端、雨は小降りに。 ……始まったばかりだけど今日はもう諦めよう。とにかく一日、大人しくして目立たないようにしよう。ため息を間に挟みながら繰り返し唱えた。
一限目の数学から三限目の物理まで連続であてられる。しかも図ったかのように苦手な科目ばっかり。
なんとかたどり着いたお昼休憩。お弁当のお箸を忘れて地味に落ちこむ。借りに行った先の家庭科の先生の長話につき合っていたら、気づけば時間は残りわずか。意地になって焦げた卵焼きだけを食べる。
栄養補給がされないままの体育の授業。ヘロヘロになりながら、自分の不注意を棚に上げて苛立ってしまったことを深く反省。
もうすぐ一年がたとうというのに担任に名前を間違えられる。肩を震わせながら指摘する友達と笑ってごまかす担任を見ていたら、ちょっと泣きたくなった。
好きな人が告白されてたと耳にする。
最後の授業が終わったことで完全に油断していた。固まったわたしは友達に引きずられながら学校を後にした。
抜け殻のようなわたしを見かねた友達がアイスクリームをおごってくれた。大好物なはずのベリーチーズが今日はやたらに酸っぱくて。優しさも一緒に胸に染みた。
友達と別れたら雨が降り出した。ここまできたら笑うしかない。
開かずの踏切にひっかかる。いつもはこれを避けて回り道して陸橋を渡るのに忘れてた。戻ればいいだけなんだけど足は動かない。
ほんと、もう。カバンは肩に。傘を持っていないほうの手は空いていたけど頬は拭わずにいた。
同じ部の後輩だって聞いた。なんとなくあの子かなって、心あたりはある。かわいかったし。
嫌だと思うのが嫌だ。
ぜんぶ、ぜんぶその子のせいにしてしまいそうで。そんなわたしを叱るみたいに雨が傘を叩いていく。
大きな靴が自分の靴の隣に並んだ。たどらなくてもそれが誰のものかわかる。
「傘。この前、一緒に選んだヤツだろ。遠くからでもすぐわかった」
雨と警報音が響いてるために彼の声は大きい。味方に指示を出したり激を飛ばすときの良く通る声。ふたりきりだと静かで優しい声になる。
「……部活は?」
「雨でグランドの状態が悪いから、野球部に体育館貸すことになって。あっち試合近いし。だから今日は基礎訓だけ。てかなんで踏切にひっかかってんの?」
なんでかな。そう言ったら彼が笑う気配がした。そっか。なら雨に感謝しなきゃ、な。すれ違う電車の風圧に傘が浮いて、思わず目を閉じて力をこめた。
彼の手がわたしの手を包む。ふたつの傘が重なるすぐ下で。少しだけ湿ってる手の平でしっかりと握ってくれてるから、強い風でもびくともしない。
傘を仰ぐようにして盗み見た横顔。目にさし掛かる辺りですぐまたうつむいた。
不便な踏切を利用する人は少ない。でも全くいないわけじゃない。照れて萎縮してしまうわたしとは違って、彼はいつだってどこでだって堂々とこうして手を繋ぐ。
くすぐったいのに、あったかい。
今日あったこと、順番に話してみようか。恥ずかしいことばかりだけど。赤くなった目ごと、彼が笑ってくれたらもうそれでいいや。
今日は、まだたくさん残ってる。
了




