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雨に咲く



 音のない雨は、花びらを震わせないように気遣いながら降り続いている。

 紫から青、青から白へ。淡く混ざり合う色たちは濡れていくほどに鮮やかさを増して。動くものがなにもないその光景は絵画のように美しい。

 あと少しだけ。

 今朝、傘を持って行かなかった彼が戻るまで、あと少しだけ優しい雨でいて欲しい。その代わり、胸を巣くう痛みは全部わたしが引き受けるから。

 縁側に腰掛けて眺める小さな庭が昔から好きだった。忙しく立ち回る両親との数少ない触れ合いの場だったからかもしれない。

 土をならし種をまき、草を抜き枝を落とし。手をかければこその調和の美や、四季のうつろいに添った草木の選び方。

 地中の成分によって色を変えると云われる紫陽花の話もこの庭で教わった。青、紫、ピンク、白。加減具合で様々な色を持つ花。

 わたしのこの想いは、どんな色に咲くだろう。

 近づいてくる足音を感じながら、湿気を含んだ髪を耳へかける。 ――和室へ入る襖が開かれた。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 振り返らないままで迎えれば、少しだけふて腐れた声。

「だから持っていきなさいって言ったでしょ?」

「……朝は晴れてた」

 恨みがましさを滲ませた声は普段より幼くて。

「笑うな」

 ちょっとだけ咎めるようなトーンもまた笑いを誘うから、わたしはつい意地悪をしたくなる。

「傘に入れてくれるような子、いないの?」

「断った」

 無愛想な彼に話かけるだけでも相当な勇気がいったはず。容赦ない物言いをされただろう顔も知らない女の子に、わずかな申し訳なさを感じる。

「ミチルじゃないから」

 トクン、と心臓が鳴った。

 後ろの彼に気づかれないようにそっと長く息を吐く。仕返し、だ。ふたりの会話に他の人を入れたことへの。

 柱に背中を預ける気配がする。きっと窮屈そうに足を折り曲げながら。少し遅れて彼に訪れた成長期は、わたしに心の準備すら与えてくれない。

 庭に面した和室にわたしがひとりでいるとき、彼は廊下に立ったまま、決して部屋のなかへは足を踏み入れない。仲が良く、最後の瞬間まで共に逝った両親の遺影が飾られたこの部屋には。

 両親の匂いがより強く残る場所でなら、わたし達は子供のままでいられる。彼に、自分に向き合う勇気がないわたしはここへ逃げこんでばかり。

 狡いだけのわたしを彼が責めないことをいいことに。

 けれどもう。この部屋は安息の場ではなくなりつつある。いつまでも優しく微笑む写真を見るのは辛く。そして――。

「お願いしたんだから。帰ってくるまで強く降らないで下さいって」

「どうせなら止むように頼んでよ」

 音が家中に響き出した。

 ザッと降ったのを合図に、強くなった雨は屋根の瓦を、紫陽花を、地面を叩く。跳ね返った滴がサンダルをひっかけた足にも飛んでくる。

「ほら。そんなこと言うから」

「俺のせいかよ」

 笑い合っていても振り返られない。

 見た目と実年齢のアンバランスさを増すだけの、眩しすぎる白いシャツが濡れたところなんて。

 背中に感じる強い視線を真っ正面から受けとめるなんて。

 ――そして、それでも後ろに立ち続けてくれる彼を想うと。

「ミチル」

「……ん?」

 そっけない、声。返すわたしの声も同じように。

「ミチル」

 呼ばれるたびに胸は痛んで。

 皮肉だと思う。許されない想いは名前のように満ちてはくれないというのに。

 わたしがいじけると彼は決まってこう言う。

 ――俺が「カケル」だから。

 目尻からこぼれるのも構わずわたしは笑った。するとカケルも笑って……。

 震える。紫陽花が。握りしめた指先が。

 震える。心が。

 見上げると灰色の雲は厚さを増し、風も出てきた。遠くに雷の音も。

 今なら丁寧に覆い隠してきた想いを小さく呟いても、誰かの耳に届く前に雨が流してくれる。

「ミチル」

 紛れるように呼ばないで。そう叫びたいのに。ずっとここにはいられないってわかってる。だけど今は。

「俺――」

 その先はまだ、聞きたくない。




 

 


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