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お医者さまでも治せます



 からだのまんなかあたり。ぽっかり。おおきな穴が空いています。

 しばらくまえから自覚はありましたが認めたら負けだとダマしダマしやっておりました。

 でももうそれも限界のようです。

 こういうときのためにかかりつけのお医者さまから処方箋をもらっています。だからだいじょうぶ。



 『ごはんをしっかり食べましょう』


 『*注意点・この場合はなるべく好物が良いでしょう。アルコールはひかえましょう』



 いつもはひとつだけにしているイカの塩辛を三つたのみました。いいんです、これは治療なのですから。ねっとりコリコリ。濃厚な旨みと塩気。んまいです。ここは日本酒といきたいところですが自重して、ほうれん草入りの卵焼きと焼おにぎりにしましょう。あ、お味噌汁もください。んまぁい。

 はふう。お腹いっぱいです。集中して食べるなんていつぶりでしょう。お箸をもつのも。そういえば最近は片手ですませられるものばかりだった気がします。はい、ごちそうさまでした。でもちょっとのどがかわきますね。



 『しっかり寝ましょう』



 お腹パンパンでふらふらします。おお、これを利用しましょう。せっかくのふらふらです。牛さんとかブタさんになるとか気にせずにねっころがっちゃいましょう。

 明日の会議の確認とか次のプレゼンの準備とか頭をよぎりますけど無視です。治療中ですから。なんとなくで観ていたドラマも今夜はよしておきましょう。

 お腹がふくれると胸の穴が埋まったような感覚になります。満足感ってだいじですね。のどがかわきますけど。寝ているあいだはなにも考えずにすみ……。



 『お部屋を掃除しましょう』



 清潔な環境は乱れたこころを律してくれるそうです。整理整頓。うでまくりして汚れと向き合いましょう。

 昨日の会議で、ふだんから会話が成立したためしのない宇宙人上司とバトってやりました。攻撃材料はまだまだありましたが同期が止めるので引きました。とっとと星へかえりやがれってんです。

 おお、どんどん汚れが落ちていきます。怒りのパワーとは素晴らしいものです。

 あれ。どうしてくつ下がゴミ箱から出てくるのでしょう。探してた黒のレギンス、カーテンといっしょにかかってます。冷蔵庫の野菜室からはテレビのリモコン。フシギなことがおきるものですね。

 キレイになったお部屋で気持ちもスッキリです。

 開けはなっていた窓からみどりの匂いが入ってきます。葉っぱも青々してまぶしいほどです。

 そっか。いまは、春、でしたね。



 『お出かけしましょう』



 晴れてよかったです。

 空の青に映える桜。満開まであとすこしくらいでしょうか。良いときに来れました。

 友人たちとお花見です。会話でも花を咲かせながら料理自慢の友人の新作に舌鼓、至福のときです。

 みんな、いろいろあるようです。最近、転職したとか。こどものトイレトレーニングに四苦八苦とか。あたらしく習いごとをはじめたよとか。

 わたしもたくさんはなしました。たくさん笑われて怒られてたくさん心配されました。気心が知れているからこその容赦ない会話はこんなにも心地よいのですね。

 ひらり、またひらり、ひろげた手のひらに花びらがふってきます。こうして一枚一枚を見ると白いのに、見上げると――。

 きれいです。なんて、きれい。

 ねぇ、あなたにも見せてあげたいです。

 気づけばわたしを見ながら友人たちが笑っています。あんた泣くとおもしろい顔よねって、ひどい言いぐさです。わたしは泣いてないのに、よしよし泣け泣けなんて頭をさするのです。そんなことされたらもう。わんわん、とまりません。笑おうとするのにやみません。困った社会人ですみません。

 あれからどうやって帰ったのかおぼえがありませんが、わたしはちゃんと家にいました。

 さっきから電話が鳴ってます。なんとなくだれからかさっしがつくのでこのまま放置しておきたいですが、あとのことを考えるとこわいので手にとりました。

 やっぱり。電話は主治医からで。友人のだれかが気をきかせて花見でのことを彼にチクったようです。

 彼はいつものように問診にとりかかります。食事睡眠その他もろもろ。わたしは聞かれたことに答えてゆきます。途中、塩辛の数を二度聞きされました。どうやらあれはまずかったようです。終えて、彼がため息ひとつ。

「処方箋のいちばん最初にはなんて書いてありますか?」

 怒ってるように聞こえるのはキミのなかにやましい気持ちがあるからじゃないのって昔、言われましたっけ。

「電話をしましょう」

「正しく」

「……遠慮せず電話をしましょう、です」

「どうして守らないの」

 だって。

 こんどはだいじょうぶだと思ったんです。

「まえにもおなじこと言いましたよ」

 う。

「ごめんなさい」

 彼が作ってくれたわたしのための処方箋。さみしさに弱くて、こころと身体を壊しがちなわたしのための。

「意地っぱりな患者さんですね」

 呆れ笑いがくすぐったい。

 辛くなるまえに電話してと言われています。処方箋にもいちばんはじめに書かれてあります。

「みっちゃん」

「ん」

「みっちゃん」

「ん」

 貢だからみっちゃんねってわたしが決めたら、すごくビミョーな顔したよね。ぜんぶおぼえてる。みっちゃんとのことはぜんぶ。

 呼んで、返事をしてくれる、それだけのことがね。

「みっ……ちゃ」

「んー」

「あ、いた、い」

「会いたいよ。俺も。会いたい」

 うまく声が出せないけど、みっちゃんにはちゃんと届いたみたいです。

「目をとじて。ゆっくり息して」

 うん。みっちゃんの言うとおりにする。そうしたらいつだってちゃんと良くなってきたから。

「おやすみ、梨花」

 おやすみ。みっちゃん。

「梨花、――――」

 みっちゃん、わたしも。





 なんだか。なんだかすごく、良い夢をみました。どんなだったかおぼえてないけれど。

 起きたらまぶたが大変なことになっていました。ひとしきり笑ってから胸に手をあててみました。

 ぽっかり空いたこころ。穴はすこしちいさくなったように思います。

 みっちゃんの声でチャージができたようです。これでまた、がんばれそうです。

 海外で勉強してくるとみっちゃんが話してくれたとき、ついていくこともできた。でもそうしなかったのは自分です。自分で考えて決めたことです。あの日、勝手に待っていますと言った気持ちはいまも変わりません。

 食え寝ろきれいにして外へ出ろ。

 なんでこんなあたりまえなことしか書いてくれないの。そう問うわたしに彼は言いました。

 いちばん大切で、いちばんむずかしいからです。

 だから食べます。まぶたを冷やしながら、もぐもぐ。

 身支度を整えて。今日の自分に課せられたつとめを果たしましょう。

 疲れたら休んで。そうやってくりかえし、くりかえし。



 つぎの休暇でみっちゃんが帰ってくるとき桜は終わってしまっているから、手のひらにおりてきてくれた欠片たちで栞を作ることにしました。

 みっちゃんが恥ずかしがって困るくらいの桜色にしようと画策中です。



 そしてあれからすぐ処方箋に注意事項がひとつ加わりました。


『イカの塩辛は一度にひとつまで』


 むうう。




 

 

 

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