すりすり
――おかあさん、おゆび、いたぁい?
――マコちゃんがすりすりしてくれたから、もう痛くないよ。ありがとう。
――マコ、いっぱいすりすりしてあげるね。おゆびも、おてても、いっぱいいっぱい、すりすりしてあげる!
「手、出して」
マグカップを置いてから、隣で寝っころがってるひとに声をかけた。
「なに、なんかくれんの? ――って!」
ニヤニヤと催促してくる手をぴしゃりとはたく。大げさに痛がる彼を無視して、宙ぶらりんになったままの手を両手で包んだ。身体を起こした彼は興味津々に手もとをのぞいている。
そらした手のひらを親指で押していく。マグからわけてもらった熱でもって、ゆっくり、ほぐすように。
「ウマイじゃん。どっかで習ったの?」
「高校の体育。芳樹の学校はなかった?」
「ない。 ……ヤロー同士で手ぇもみ合うなんて、想像するのも恐ろしいわ」
そう言いつつ想像したらしい男子校出身の彼の眉の寄りように、わたしはふきだした。
大きな手はわたしのじゃうまく届かない。指だって長いし、しかも意外と頭脳線も長いんだよなぁ。生命線も。中指には受験のときに頑張りすぎたとかでできたペンだこ。あ。ご近所のニャンコにちょっかい出したときの傷、まだ残ってる。
目を閉じた彼から深く長い息がはかれる。いつも冗談とも本気ともつなかないことばっかりがあふれる口もともゆるく閉じられて。なんか、それだけのことで、そういう見た目でもないのにかわいいとか思えてしまうあたり、わたしって。
「すりすり」
「すりすり?」
甲や手のひらをさすりながら小さくつぶやいた言葉を彼は繰り返した。
「小さい頃、よくお母さんの指に薬ぬってあげててね」
刺すように冷たい風がふくようになって、念入りに保湿クリームをぬりこんでいたら昔のことを思いだした。
冬になると増すお母さんの手の荒れようは子どもの目から見てもひどかった。
赤く血がにじんだ指は痛々しくてかわいそうで。傷薬をぬるだけでも辛そうにする姿に胸が痛んだ。すこしでも早く良くなって欲しい一心で手をなでた。なんども。
――すりすり。すりすり。
薬の匂いは好きになれなかったけど、お母さんがうれしそうにしてくれるから。さすっていたら本当に良くなるのだと思えて。
遅くまで起きてると怒るお父さんも、そのときだけはなにも言わなかった。
「イイ子じゃん」
「イイ子だもん」
ほら、すぐそんなからかうような言いかた。子どもっぽいとか甘えん坊とか、そんなの自分がいちばん知ってますよーだ。なんせいっつも言われてますからね、あなたに。
お子さま扱いされることを嫌うわたしの気持ちをよく知る彼の次の行動は、きっと頭なでてく……今日はちがうらしい。反対側をもみ始めてたわたしの手を取って、見よう見まねにマッサージしだした。ちょっぴり強いけど気持ちいい。
苦労してない手だと言われる。指は短くてぽちゃっとして。頭脳線だって短いし。お母さんみたいにスラッとしてたら良かったのに。でもね。
苦労してない手なのはそう感じないように育ててもらったおかげなんだって芳樹が言ってくれてからは、ちっちゃいこの手もそんなに悪くないなって思ってる。
「あったかいね」
「血がめぐるからな」
それだけじゃないよ。胸の奥まであたたかいのはきっとそれだけじゃない。世間知らずのわたしだって知ってる。
学校から帰ると、迎えてくれるのはおかえりなさいの声と頬を包む手。走ってほてった身体に冷たい手がすごく気持ち良くて。ちょっと台所洗剤の匂いがまじってた。
いまわたしの頬を包んでくれる手は。かたくって、わたしをからかって面白がるいじわるなとこもあって、なのにあたたかくてやさしい、のはときどきかな。ちょっと笑いながら目を開けたら芳樹に見つめられてて、手のひらにすりよるフリで顔を隠した。
「自分からやっといて照れんなよ」
「むー」
だって。ほっとするのとおんなじくらいドキドキもするんだから。
「真子」
わたしのするがままでいてくれた手は、いまはもう逃げをゆるさないよう頬をはさんで。コツン。額どうしを合わせれば、かかる息さえくすぐったい。
両手で彼の頬を包む。わたしのなかの熱があなたに伝わるように。 ……あったかい。
そうだ。次に帰るときはクリームもお土産に入れよう、ふたり分を。ぬってあげたらって言ったらお父さん面食らいそう。お母さんのほうがいやがるかな。
「ぶにゃ!」
「お、のびるのびる」
ほっぺはひっぱるモノではありませんっ。変な感心しないでよ、ぷにぷになトコ気にしてるの知ってるくせにぃ。あうあう、いたいって。
「ひっでー顔だな、おい。たのむから、笑うか泣くかどっちかにしとけ?」
泣くほど爆笑してるのそっちでしょっ。せっかくなんとなぁく甘い雰囲気ですっごぉく幸せなカンジだったのに、ひっでー顔とかそっちのがひどいし!
「すりすり。すりすり」
「使いかたちがう」
両手で頬をさすってくる彼は完全におもしろがってる。
「もち、こねてるみてえ」
また笑われるとわかっていたけど、彼の言葉に頬をぷうとふくらませた。
寒い風に肌を冷やされても。手のひらにはいつも、ひだまり。
了