おやすみなさい *
「――って言うんだよ。ひどくね?」
最近起こった失敗談を少しだけ盛って話して聞かせれば、彼女の笑い声が右耳をくすぐる。
互いの近況報告から話題のこと。ついもらしてしまう上司への愚痴も、豪快に笑い飛ばされれば、それだけで気持ちはずいぶんとラクになる。
機械越しの甘い息遣いはすぐそばにいるような錯覚をおこさせ、その性能の良さが逆に腹立たしい。
「金曜、終わり次第そっち行くから」
「うん」
次の約束の確認は今日すでに二回目。
「メシ、待ってなくていいから」
「……うん」
彼女は了承を返してくれるけど、約束は毎回守られない。
深夜、調えられた二人分の食卓を前に、バツが悪そうに眉を下げながら、一緒に食べよう? と言われればもう……。
聞き上手な合いの手に釣られてますます調子に乗る俺は、彼女の前でだけ饒舌に変わる。
聞いてもらってばかりじゃなくて、聞いてあげられる男になりたいのに。
朝早い彼女を、もう休ませてあげなきゃいけないのに。
「体、気をつけてね」
「そっちもな」
彼女によって知らされるのは、今まで知らなかった自分。
「……おやすみ」
「うん」
「おやすみなさい」
「ん」
それでもやっぱり、今夜も切りづらい。
了
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おやすみなさい (お直し版)
「──っていうんだよ。ひどくね?」
最近おこった失敗談を少しだけ盛って聞かせれば、やさしい笑い声が右耳をくすぐる。
『おなかいたい』
「マジであせったわぁ」
たがいの近況報告から話題のこと。ついもらしてしまう上司へのグチも彼女に笑いとばされれば、それだけで気持ちはずいぶんラクになる。
ケータイごしの甘い息づかいはすぐそばにいるような錯覚をおこさせ。その性能の良さが逆に腹立たしい。
「金曜、終わりしだいそっちいくから」
『うん』
これ、三回目。
「メシまってなくていいから」
こうつけくわえるのも三回目。
『うん』
彼女は了承を返してくれるけど、まぁ実行されたためしがない。
職場からどんだけぶっとばしても彼女の家につくころには日付がかわってる。
深夜、ととのえられたふたりぶんの食卓をまえに、ちょっとだけバツが悪そうに眉を下げながら、いっしょに食べよう? と言われればもう。
『あのネクタイしてみた?』
「ん、あれ評判よかった。経理のひとに、イケメン風にみえるわよ、って言われた。風ってなんだよってはなしだよな」
『似合ってたよ、すごく』
「見立てのおかげです」
『ねぇ』
聞き上手な合いの手につられてますます調子にのる俺は、彼女のまえでだけ饒舌にかわる。
聞いてもらってばかりじゃなくて、聞いてあげられる存在になりたい。
朝はやい彼女を、もう休ませてあげなきゃいけない。
『忙しいのはいいことだけど、体、気をつけてね』
「そっちもな」
彼女によって知らされる、今まで知らなかった自分。
「おやすみ」
『うん。おやすみなさい』
それでも。
「ん。あ、昨日さ、帰りにネコみた」
『なにいろのネコちゃん?』
それでもやっぱり。
今夜も切りづらい。
了