第九話
『王様即位歓迎パーティー』、翌日の朝。
早朝──明け方といっても差し支えないほどの時刻に、少年の部屋にドアをたたく音が響いた。
少年はふと時計を見、それからドアの方へと視線を移し、相手へと入出許可の返答をした。
「こんな朝早くにごめん。
…魔術教えてー」
ドアを開けて入って来たのは、すまなそうな表情で、しかし上機嫌な声音の少女。
「…朝から元気だね、夏音…」
「そりゃあもう!
正直、思っても見なかったことだけど、魔法──じゃなくて、魔術が使えるだなんて…!」
──朝、麗らかな陽気が差し込んでくるお城の一室に響く、2人の男女の声。
一方はまだ見ぬものへの興味と期待で目を輝かしつつ、もう一方は寝起きでまだ頭が覚醒していないのか、眠たげな表情で。
「ふわぁ……」
「…あれ、海斗眠い?」
「ん、……だいじょーぶだよ?」
「……。(明らかに大丈夫じゃないだろ…)
…寝る? 元々こんな朝早くに押し掛けてきたのは私の方なんだし」
「…んー。夏音は?」
「……私も寝ようかな。
…流石に、一晩中寝ないのはキツい」
「……ここで寝る?」
未だに寝ぼけなまこの少年は、目をしぱたかせつつ、首を傾げて、そう聞いた。
少女はこくんと頷くと、そのまま座っていたベッドに倒れ込んだ。
そして、倒れ込んだ隣で同じ様に寝転んでいる、自分より少し背が高い少年に抱きつき、そのまま体の力を抜いた。
「じゃあ…おやすみ、夏音」
「うん、おやすみ海斗」
***
「───! ──……っ」
どこからか聞こえてくる声。
それによって、強制的に眠りから起こされた夏音は飛び起きて、辺りを見回し──正面に彼女の兄と見知らぬ女性がいるのを見つけた。
「──なに話してるの? 海斗」
「…あ、夏音起きた? ごめんね、うるさかったね」
「海斗のせいじゃあないよ。
それに、むしろ海斗の声なら子守唄だから」
「……子守唄?」
「うん。 安心出来るって意味で」
意味を図りかねて聞き返した海斗に即答した夏音。
2人の間に流れる空気は穏やかで、先程の喧騒など忘れたかのような空気が漂っていた。
「──無視しないで下さい、陛下!」
──しかし、先程から煩い声を発していた女性のせいで、そんな空気はどこかへ行ってしまった。
…はー…。
久しぶりに、寝起きから機嫌よかったのに…。
この女のせいで台無しじゃないか。
「……陛下って…それ海斗のこと?」
「陛下、どうしてこの方なんかと寝ているんです!?」
無視か。
「…何か問題でもあるの?」
「それなら私と寝てくださいよ!
そんな女じゃなく! 私の方が可愛いでしょう!!」
……。 いや、意味分からないし。
「夏音以外は有り得ないな」
「海斗の身の危険を感じるから絶対駄目。全力で阻止する」
同じ単語を使っているのに、『寝る』の意味が絶対に私とは違うから!
…海斗は気付いてないみたいだけどさ。
「あなたは黙ってなさいよ!」
「あんたこそ黙ってなよ。 朝っぱらからそんな甲高い声で喚かれたら皆迷惑だから」
実際、女の子──夏音と同い年くらいの、そこそこ可愛い容姿(因みに夏音は美人系)──の彼女の声は、良く言えば聞き取りやすい、悪く言えば煩いものだった。
対する夏音は、元々が低めのハスキーな声で、しかも、現在は寝起きであるために普段よりもさらに低い声であった。
───対照的な2人の少女の言い合いは、まだ続く。
「なっ…! 何ですって!?」
「……聞こえなかったならもう一回言ってあげようか?」
いい加減にウザくなってきたのか、夏音は重い溜息を吐くと、そのままベッドの背もたれへと寄りかかった。
──久しぶりに深い眠りに入り、気持ち良く寝ているところを起こされ、しかも寝起きに女子のヒステリックな声を聞かされ、夏音は不機嫌だった。
ベッドに寄りかかったままに、視線だけ目の前の少女を見上げ、暫くすると全身の力を抜いて瞼を閉じた。
「……どうでも良いけど、早くこの部屋から出て行ってくれないかな。 すっごく眠たいのに煩くて眠れない」
「煩いならあなたが出て行けば良いじゃない!」
「……叫ばなくても聞こえてるから…」
「その態度、何様のつもりよ!」
「あんたこそ、人が気持ち良く寝ている傍で怒鳴るとか何様?」
「夏音」
「っ…!?」
海斗の声にビクッと肩を揺らし、恐る恐るそちらに視線を移す夏音。
海斗は、いつもと少し様子が違う兄に怯えている夏音に苦笑を浮かべた。
そして、不安げな表情でこちらを伺い見ている夏音の傍に歩み寄ると優しげな手付きで頭を撫でた。
別に怒ってないからね?──と言外に伝えると、夏音には伝わったのか笑顔を返された。
「……駄目だよ、夏音。喧嘩を売るなんて」
「ん…」
「分かったんなら良いけれど…さっきは怖かった?」
「いや。 海斗の声がいつもより少し低かったから、びっくりしただけ」
「そっか。 なら良かった…」
「──ちょっと、何2人の世界をつくってるのよ」
私達の会話に首を突っ込んでくる彼女。
…ごめん、存在忘れてた。嫌みじゃなく。
「──あ、そういえば……エル、だっけ?」
「あ、はいっ!!」
不意に少女の名前を呼ぶ海斗。
呼ばれた少女は頬を赤らめ、返事を返した。
…珍しいな、海斗から話しかけるなんて。
「夏音」
「…ん?」
「彼女はエル=チェンバレン。
王宮魔術師──魔界の中でも特に優秀な魔術師の1人だよ」
「……うっそだー」
「嘘ってどういう意味よ!?」
「信じられないって意味です」
だって、魔術って結構集中しないと使えないんでしょ?
こんなに落ち着き無いのに王宮魔術師とか勤まるかっての。
「…これは真実だよ、夏音」
『どうしてそんなに仲が悪いの?』と目で問われるものの、私は首を横に振って答える。
だって私にも分からないもの。
呆れられたって、治らないものは治りませんのであしからずー。
「……で、海斗の思惑は?」
「思惑って…。 彼女から魔術を教わると良いかなと思ってね」
「嫌だ」
「嫌です」
「……即答しなくても…」
「海斗が教えてくれれば良いのに。 竜になれるのなら魔力くらい膨大に持っているでしょ?」
「夏音、勘違いしているようだけど、僕は魔術は使えないよ。
それなりに『魔力』はあるけど、それは竜のために使われるから、魔術として使える魔力なんてほんのわずかなんだよ。
…生活に必要な火を起こしたりするのも一苦労な程なんだから」
「……。
(……力はあるけれど、生命維持に使われているようなものかな…?)」
「それに、エル。 僕はさっきの理由で魔術が使えないから、夏音に教えてあげることができないんだ。
だからさ、代わりに教えてあげてくれないかな?」
「……陛下のお望みとあらば、私エル=チェンバレン、第Ⅰ王宮魔術師の名に賭けてその命を完遂致しましょう」
エルと呼ばれた少女は、今までの子供じみた表情を一変させてそう誓った。
声音も、高めなもののどこか落ち着いた印象を与える。
──子供から大人へ。
──プライベートから仕事仕様の顔へ。
瞬時に切り替わった彼女は、やはり王宮魔術師であった。