第五十六話
「それにしても、カノンはあまり食べないわよね」
唐突にかけられた質問に、夏音は口を閉じて咀嚼をしつつ、首を傾げた。
ちらりとエルの皿を一瞥すると、そこにはいつの間にか空っぽになっていた麺料理の皿が二枚あった。
先ほどデザートも頼んでいたようだから、それもまた追加されるのだろう。
「…私からしたら、エルってよく食べるなぁって思うんだけど」
「そう? ここのお店の盛りは少なめだから、そう驚くことでもないわよ」
「いや、多いって。ここの料理の量は」
夏音はもぐもぐと口を動かしながらも、器用に受け答える。
二人が正反対の感想を述べていると、ウエイターがデザートを運んできた。エルが先ほど何やら頼んでいたものである。
その皿の数に、ようやくピラフを食べ終えた夏音が不思議そうな声を上げた。
「二皿?」
「どちらかがカノンで、もう一方が私…と言いたいところだけど。カノン、まだ食べられる?」
「無理。だけど、どっちも味見はしたいから一口ずつちょーだい!」
カラメルソースのかかった木の実たっぷりタルトと、生果物盛り沢山のクリームケーキに、息をつくために背もたれに寄りかかろうとしていた夏音は、勢い良く起き上がるときらきらと目を輝かせた。
わーい、と嬉しそうに左右に小さく揺れ動きながら、とても食べたそうにしている。
そんな夏音に、エルは微苦笑を向けてデザート用のフォークを差し出した。
「食べれるのなら、二人で半分ずつでも良いわよ?」
「食べたい。食べたいけど、そんなには無理! だから、一口味見させて。あぁ、別腹が欲しい…」
夏音は、恨めしそうに自分のお腹をさする。
少しの間不満そうな表情だった夏音だが、それも、ケーキを口に入れたと同時に霧散した。
「これ美味しい!」
早く食べてみて、と催促をされたエルは、ケーキを口に運んでから、その通りだと喜色を浮かべた。
「直感に従って入ってみるものだね。うん、一時間探した甲斐があった」
その言葉に、タルトの方を食していたエルは苦笑を返した。
「最初っから表通りに行っていれば良かったわね。そうすれば、もっと早く見つけられたのだろうけど」
「んー。でも、歩き回ったお陰で、お腹空いたからこそ、私はこの量を食べ切れたんだし…結果オーライじゃない? あ、タルト。最後の一口もーらいっ」
「ええ、どうぞ。で、オーライってどういう意味よ?」
「ノープロ…じゃなくて、うーん……結果的に良かったね、って意味かな。オーライは、元々はall rightから来てるんだけど、これは承諾とか同意を表している言葉なんだよ。まぁ、外国の言葉なんだけどね。半ば日本語にもなってるから、日本人にも通用するよ。まぁ、元々の意味合いとは違う使い方をしているかも知れないけど…」
ノープロブレムは言い換えただけだし、と途中で首を捻った夏音は、日常的に使ってはいるけど感覚的なものだから言葉にし辛いんだけど、と断った上でそう答えた。
その断りに対して、エルは頷く。
「魔術だって感覚的な物よ。だから、感覚を言葉に直すのが難しいっていうのはよく分か…」
──ガタン
隣の席の椅子が、唐突に大きな音を立てて倒れた。
反射的にそちらを振り向いた二人に驚愕の眼差しを向けているのは、その椅子に座っていたらしい男性だった。
え、何?と混乱しながらも、此方は此方でその男性にまん丸くした瞳を向ける。
店内にいた客も、何事かと、その男性を一斉に振り向いている。
それに気が付かないのか気付く余裕もないのか、その男性はその周りからの視線を気にもせず、わなわなと震える指でエルを指差した。
訝しげな視線を送るエルと夏音に、男性は店内にこだますような、悲鳴じみた大声を上げた。
「こいつは魔女だ!!」
その声に触発されたかのように、平和だった店内はざわざわとざわめいた。
一瞬にして店中が異様な空気に包まれ、一角のテーブルに座っている美少女二人に──大半がエルに──驚愕した、畏怖や憎悪の入り混じった、排他的な視線を注ぎ始めた。
無言で彼女らを罵るような、強い負の感情を伴った眼差しが、エルと夏音に突き刺さる。
肌をチリチリと灼かれるような感覚を感じつつ、夏音はエルを窺った。エルの方が、店内の客を見渡せる位置に座っているのだ。
俯いたエルの表情は髪に隠れていて見えないが、居心地の悪さを感じているのだろう。微動だにせず、片手首をきつく握り締めていた。
こんな視線に晒されれば、誰だってそうなる。──いや、海斗なら大丈夫かもしれないけど、と双子の兄のことを思っていると、更に言葉が投げつけられた。
「何でこんな所に居るのよ!? とっととこっから出て行きなさいよ!」
「………」
何が何だか良くは解らないが、とにかくエルが意味の分からない言葉の暴力の標的にされているのだけは判った。
「……気に食わない」
ぼそりと呟いた言葉は、混沌とした喧噪の中でやけに響いた。ただの独り言だったのだが。
何もこちらは悪いことをしていない。ただ食事を楽しんでいただけなのに、一気に気分が冷めてしまった。
喧嘩を売ってきたのはそっちだと内心で毒づいた夏音は、視線だけで店内をぐるりと見回した。目が合うと面白いようにすっと逸らされる視線に、鼻を鳴らす。
状況が解らなければ、解らないなりに判断を下す。──知らないやつらに、訳の分からない理由で友人を貶されて黙っているなんて、胸糞悪い。
「何で出て行かなければいけないのか、意味が分からないんだけど?」
先ほど「出ていけ」と罵ってきた声の方向に訊ねると、沈黙が返ってきた。
これじゃあ誰が言ったのか分からずじまいだし、何より、謎が解けないままに事態が進行することになってしまう。
とはいっても、反応から察するに、こうすることが共通認識なんだろう。
「…とにかく、誰でも良いから説明してくれません? というか、魔女って何?」
「……し、知らないのか…っ?」
「うん、知らない。だって、こっちに来てからまだ一日も経ってないし、そんな、事前にここの文化について調べたわけでもないし。現地の雰囲気というか、独特の空気みたいなのは、こういう風に肌で感じるものだって聞いたことがあるけど…それがこれ? それなら体験したくなかったなぁ。
あ。でも、ここじゃない或る国の‘魔女’の捉え方なら分かるよ。というか、イメージだけど…箒に乗って空を飛ぶとか、黒猫やイモリや蝙蝠を使役するだとか、黒服と真っ黒いとんがり帽子を被っていて、集会で語り合うだとか、呪いをかけるとか、三日三晩大鍋で得体の知れない液体をコトコト煮るとかね。あぁ、あとは、蛙が好物で悪魔と協力関係だって設定も見たことあるね。
けど、本来の魔女っていうのは薬となる植物や女性の身体に精通していたり、占いや予言をしていた人の事であって──
そういえば、悪とされた経緯は知ってるけど、それとこれとじゃ絶対に背景が違うから、参考にはならないね。
……で、実際はどんな人のことを指してるの?」
「──」
聴衆に訊ねかけてみるも、無反応。というか、椅子から立ち上がって先ほどまで喋っていた夏音を、語り終えても尚、唖然とした表情で見ていた。
そんな彼らに、夏音はややあってから、ぼそっと「…もしかして、日本語になってた?」と呟いて首を捻った。
大丈夫だと思うんだけど、知らぬうちに日本語になっていたとか?と原因を考える夏音に、救いの手はテーブル越しからやってきた。
「……やっぱり博学ね」
「褒めてくれてありがとう。…あ、食べ終わった?」
「えぇ」
夏音は、エルが理解してくれていたということは日本語になってはいなかったのだろうと推測し、未だに座っているエルに質問。
それに対する答えに頷いた夏音は、手の仕草でエルに立つようにと意志を伝える。
その間に、夏音はふと思い出したことがあったようで、ふいに言葉を紡ぎ始めた。相手は、店中にいる全員だ。
「私のいた国では、魔女は悪い者というよりも憧れの方が強かったです。アニメとかでもよく主題になってたり、主人公になってたりしますし。あ、私事ですけど、魔女と相棒の黒猫の二人暮らしのアニメーションは好きです。特に海のシーンが。あと、パン屋のパンが美味しそうでした。ちなみに原作も面白いですよ」
「──あの、そろそろ出ない?」
「え、まだ語り足りないんだけど…あ、精算は?」
「こういうところは、席に置いておけば良いのよ。あぁ、ちゃんと貴方の分も一緒に置いてあるから、わざわざ鞄から出さなくて良いわ」
「ナイス! ──あ、御馳走様でした」
最後の言葉は、夏音をやや引っ張るようにしていたエルがドアの開く音に被って、静かな店内に消えていったのだった。




