第五十三話
小物店を出てから、暫くして。
「エル、どこか行きたいところある?」
夏音の問いかけに、エルは「私?」と聞き返した。
この『視察』は元々夏音のために企画されたものだから、別に自分は楽しまなくて良い──というのが本音だったが、それを率直に述べるのはさすがにどうかと思ったので(夏音が自分を責めると困る。そうさせるつもりは毛頭ない)、ところどころを端折って伝えてみた。
「私は特に無いけれど。カノンはもういいの?」
「帰り際に食材を買いたいと思ってるけど、それ以外は何もないよ。まだ帰るには早すぎる時間…というか、まだ観光してたい」
「…食材? それなら帰ればあるわよ?」
夏音に内心を悟られなくて済んだと安堵する反面で、エルは前半部分の言葉に疑問を感じた。
(形式的とはいえ)王宮なのでそれこそ最上品質のものが揃っているし、王宮で働いている魔族も多いから食材量には事欠かないだろう。多分。…夏音がべらぼうな量を消費するつもりなので無ければ、という注釈付きだが。
「うーんとね…鶏の卵と薄力粉とバニラビーンズ、ある? 『シフォンケーキの材料』かつ『魔界での食事で出てきた料理に使われていなそうな物』をピックアップ──えぇっと、選んでみたんだけど」
その言葉に、エルは首を傾げた。
それを見た夏音が、ピックアップってこっちじゃ通じないのかな、と言い直す。
言い直した言葉を受けたエルは、夏音へと問いかけた。
「バニラビーンズって、バニラエッセンスとは異なるものなの?」
「バニラエッセンスは熱に弱いから、バニラビーンズの方がシフォンケーキ作りには適しているんだったかな。その特徴以外──材料的には一緒だと思うけど」
そこまでお菓子作りに熱心だったわけじゃなくて、趣味としてたまに休みの暇な日にやってたくらいだから、そこまで詳しくは知らないんだよねえ。
以前たまたま気が向いたので作ってみたら海斗が喜んでくれて、美味しそうに食べてくれた。それが嬉しかったから、それからも時折作っているってだけで、専門的なことは知らない。
私のお菓子作りの知識は、お菓子作りを趣味に掲げている人ならほとんどの人が知っていそうなものばかりだ。しかも、シフォンケーキ限定の知識で。
「バニラエッセンスならあるわよ。香り付けに使うものでしょう」
「バニラエッセンスがあるならこれは解決だね! あとは鶏の卵と薄力粉ー」
「……質問なのだけれど、ニワトリとハクリキコって?」
「鶏は、日本ではコケコッコーって鳴く、抱えられる大きさ《サイズ》の白い鳥で、その頭には鶏冠っていう赤いヒラヒラが付いてるんだよ。ちなみに、卵も肉も食用。どちらも美味しく戴けます。料理のバリエーション…種類は多種多様。
薄力粉は小麦粉を粉状にしたやつで、見た目的には…そうだね、大福の材料である上新粉とほぼ同じかな」
該当したものある?と問えば、暫しの思案の後、エルが答えてくれた。
「カノンのいう上新粉というものに似たのは幾つかあるわ。品質は、人間界より魔界の方が断然良いし、問題ないわよ。
卵は、ニワトリのものでないといけないの?」
「うーん…。とりあえず、大きさが同じなら問題ない、かなぁ。あ、失敗しても再挑戦できるのなら、全然問題ないんだけど」
「そこはまぁ大丈夫じゃない? …調理場を破壊する、とかしない限りは」
「誰がするか、そんなの!」
夏音は反射的にそう反論をするも、エルは笑顔でそれを受け流してくれた。
抗議の意味って、と内心で自問自答をする夏音の隣を歩くエルが、そういえば、と声を上げた。
「お昼、どうしたい?」
「……あぁ、そっか。もうお昼の時間かー」
あの(・・)騒動のせいで、予定していた出発時間よりも、二時間は遅くなってしまった。その恨み辛みを言外に漂わせつつ、「希望としてはお米食べたい」と付け加える。
結局、あの話し合いは平行線のまま、和解には到底到らなかった。
苛つき損とでも言うのだろうか、と、夏音は口をとがらせた。表に出すとこの楽しい雰囲気をぶち壊しそうだったのでどうにか抑制し、頭の中を半ば強引に切り替える。
せっかくのエルと二人での初ショッピングなのだから、あんなのを思い出したせいで気分を害したくはなかった。
夏音は、些細なことを根に持つような嫌な性格をしているわけではないが、あれは笑って水に流せるようなものでもなかった。…私は聖人じゃないから、そんな優しくはなれない。
「おいしいお店知ってる?」
何気なくエルに問うと、彼女は一瞬眉をしかめた。とはいえ、それはほんの一瞬の僅かな表情の変化だったから、見逃しても何ら不思議のないものだったのだが。
「……ここら辺はあまり詳しくないの」
「あ、そうなんだ」
夏音が一瞬だけ気付いたその違和感は、エルの言葉少ない返答で有耶無耶になったのだった。




