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第三十七話


「…さぁて」


 準備も終わったし、お風呂入って寝ようかな。


「大浴場と部屋にあるお風呂…どちらにしようか迷うなぁ」


 どちらにしようかな、神様の言うとおり!


「はい、大浴場に決定ー」


 たしか十時頃までは開いていたはず。あと一時間は余裕で入れる。

 寝巻きは女性の使用人さんが既に衣装部屋に用意してくれているので、それを持って大浴場へ行くだけだ。


「きょーうの寝巻きはなんですかー?」


 即興の歌を歌いながら衣装部屋を開けると、そこには上質な生地の、見慣れた服装が置いてあった。

 今日の寝巻きチョイスはこれらしい。

 夏音は、感慨深げにその衣服を眺めた。恐る恐る肌触りを確かめ、その感覚に満足したのか両手に持って広げる。


 夏音は目を丸くしながらも、口許に笑みを浮かべて、その寝巻きをひらりと揺らした。

 紛れもなく、それは、日本人には馴染み深いものだった。


「浴衣…」


 寝巻きが浴衣であることに驚きを隠せない夏音は、それでも嬉しそうに呟いた。

 驚きは二重の意味でだ。

 ──どうして魔界にこれがあるのか。…おそらくは母親が伝えたのだろうけれど。

 ──どうして寝巻きにこれを選んだのか。…本当にどうしてだろう。

 現代っ子の夏音はいくら生粋の日本人とはいえ、寝るときに浴衣を着ることはあまりない。せいぜい旅館に泊まったときくらいのものだ。

 日本では、普段はパジャマで寝ていた。まさか、ここにきて浴衣が出てくるとは。

 まあ確かに、寝巻きといわれれば、今までの寝巻きだったドレスよりかは、浴衣の方がしっくりくるけど。

 それにしても浴衣か。


「(着方は分かるけどさ…)」


 簡単だもの。ただ、羽織って帯を締めるだけなのだから。

 浴衣の色は、咲き誇る桜色。帯の色は、雅な藤色。


「(色のチョイスまで日本風だね)」


 意図してこの組み合わせを選んだのかは分からないけど、なかなかに趣がある選択だと思う。


「さーて、早速入ってこよう」


 予期せず日本の文化に触れられてご満悦の夏音は、片手に浴衣一式を持ち、クローゼットからタオルと櫛を取り出すと、部屋を出た。


 昨日はお風呂に入れていないから、二日ぶりのお風呂ということになる。

 大浴場だから足を伸ばして入れるなぁ、と足取り軽やかに大浴場へと向かう夏音。

 一昨日に大浴場へと行ったから、これが初めてではない。道順も単純なものだから、迷うことはなかった。


「(部屋を出て真っ直ぐ廊下を歩いて、突き当たりの階段を下りて…)」


 頭の中で思い出しつつ進む。

 いつもご飯を食べる食堂を通り過ぎて歩いていると、声をかけられた。


「王女様か?」


 聞いたことのない声に振り向くと、そこには男性が立っていた。

 背は高く、足は長くてスラリとしている。海斗とは違う系統だが、美しい顔立ちをしていた。外国人のようにほりが深く、エキゾチックな雰囲気だ。

顔は引き締まっていて、力を抜いてだらりとした立ち姿にもかかわらず、隙はない。かといって気を張っている風でもない。

 燃えている炎のような赤色の髪をした男は、こちらを見ていた。


 はて、見覚えがないが会ったことがあるだろうか。

 相手の様子からして、彼は私を王女だと知っているようだが…。


「はい」


 夏音が肯定の返事を返すと、彼は一礼をして己の名を告げた。


「──ゼノム・クレトンと申します」

「あ…どうも、ご丁寧にありがとうございます」


 名前を聞いても分からない。

 どうしよう、と思いながらも一礼を返す。


「(もしかして、海斗が王冠を賜った場にいたのかもしれない。あの時、いろんな人が自分の名前を紹介してくれたけど、私全然覚えられなかったんだよなぁ…)」

「あら、カノンじゃないの」


 うんぬんと内心唸っていると、聞き慣れた声がかけられた。

 きょろきょろと辺りを見回すと、左の廊下から少女が歩いてくるのが見えた。

 夏音は笑顔で手を振る。


「…あれ? エルもこれからお風呂?」

「ええ、そうよ。カノンはてっきり部屋のお風呂なのかと思ったけど、違ったのね」

「うん。今日はこっちにしたんだよ」


 予想が外れたにも関わらずどこか楽しげな雰囲気のエルに、大浴場にして良かった、と顔をほころばせる夏音。


「──王女様、楽しそうですね」


 囁くような声でそう言うゼノムの表情も楽しそうだった。

 …どこか、野性的な雰囲気を醸し出している気がする。私の気のせいだろうか?


 どうして彼が楽しそうなのか分からずにきょとん顔をつくる夏音に、エルから声がかけられた。


「誰かと話しているの?」

「うん。クレトンさん」

「クレト……っゼノム!?」


 夏音が話している間に、背後から顔を出したゼノム(心底楽しそうな表情)を見たエルが叫んだ。


「偶然だな、エル」

「な、何でいるのよっ?」

「仕事も終わったから部屋に戻ろうと歩いていたところで、王女様と出会ったんだよ」

「……カノンに変なこと吹き込んでないでしょうね」


 警戒心も露わにそう問うエルに、ゼノムは肩をすくめた。


「そんなに信用ないか、俺は」

「自分の行動を省みてみなさいよ」

「実に紳士的だと思うんだが」

「よくそんな事が言えるわね…」


 芝居がかった口調でそう言ってのけたゼノムに、呆れを混ぜた声音でエルが反論する。


「……ええと、二人はお知り合いでしょうか?」


 夏音はわけが分からずに無言でいたが、ようやく再起動したようで口を開いた。


「………腐れ縁の幼なじみよ」

「婚約者だろ? 照れんなよ」

「照れてないわよ! 再三、あんなの無効だって言ってるじゃない」

「一応効力はあるんだがな」

「…子供の戯れ言だと思って受け流しなさいよ、あれは」

「いや、十二歳は充分に思慮分別がつく歳だよな?」


 最終的に言い負かされたエルが悔しげに唸る。それを華麗に受け流して、ゼノムは、唖然としている夏音へと声をかけた。


「王女様。質問はありますか? 何でも答えますよー」

「…何でそうなるのよ」


 エルは、怒りで小さく震えていた。声も、機嫌と比例して、いつもよりだいぶ低い。


 自分を睨み付けてくる視線をものともせず、ゼノムは王女様へと向き直った。

 その口許には微かな笑みが浮かんでいて、愉快だと言わんばかりの表情だ。


「……無いです」


 そんな二人の様子を見た夏音は、ひきつり笑顔で無難にそう答えた。

 …本当は色々聞きたいけど、エルの機嫌が急降下してるのでやめときます。



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