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第三十二話


「…あ、行っちゃった」


 夏音は、彼女が消えた後にそう呟いた。

 彼女の申し出を止めることはしなかったが、少し居心地が悪そうだった。

 これまでもそうだったが。


「給仕は彼女の仕事だから、こういうのは当然なんだろうけど…やっぱ慣れない」

「そうだね。…まぁ、徐々に慣れていくしかないかな」

「うー」


 夏音はテーブルに突っ伏した。

 それを見て、海斗は苦笑を浮かべた。そればかりはどうにもならない。そういう社会の仕組みになっているのだから。



 王族や宰相たちの仕事はこの国を守ることで、彼女ら使用人たちの仕事は僕ら国を動かす者たちに仕えること。

 それは、お互いに過干渉しないことで成り立っている。


 この世界では、将来何になるかは自分で決められる。

 親が農家だったからって農家になれと強要はされることはないし、代々鍛冶屋だからってその跡を継ぐ必要はない。

 だが、子供は大体が親と同じ職業に就くらしい。

 子供は親の背中を見て育つから、自ずと、自分にとって身近な職業を選択するのだろう。

 だから、そんな決まりはないけれども、実際は農家ならその子供も農家、鍛冶屋ならその子供も鍛冶屋になることが多い…というか、例外はあまりない。

 農家はその家独自のノウハウがあるし、鍛冶屋は受け継がれる手法や伝統技術があるのだが、それは当然のようにその家の子供が受け継ぐ。

 そういう子供たちは、幼い頃から親の仕事を見ているから、やはり手際が良い。

 ひいては、子孫を残す限り、その家の伝統が途絶えることはないということだ。


 ──魔界は、こうやって成り立っている。


 夏音は、今はこんなに詳しくは習っていないから分からないだろうけど、じきに習うだろう。

 元々そんなに暗記が得意じゃないから、受験勉強の時みたいに倒れないといいけど…。少し心配だね。


「私たちは生まれつきの王族じゃないんだから、普通の人と同じに接してもらって構わないのに……。何のために身分制度が無いと思ってんのさ」

「…皆をまとめるリーダーがいないと、国は成り立たないからね」

「そーですねー」


 海斗のもっともな指摘を、夏音は割とすんなりと受け入れた。

 自分が愚痴っている内容は人に言ってもどうにもならないことだし、あーだこーだ言っても意味がない、というのは理解しているらしい。

 そこを弁えているなら、別に言わせたいだけ言わせておいても良いかな、と海斗は微苦笑を零した。


「(そういえば、女の子は愚痴を言うことでストレスを発散させるって聞いたことがあるな…)」


 悪口や暴言は、聞いていて気分がいいものではないし諫める必要があるけど。


「だって、公の前だと他人礼儀になるわけでしょ? それは寂しいじゃないか……って、そうだ」


 言うの忘れてた、と何かを思い出した夏音が、がばりと上体を起こした。


「何で今日、私は忘れ去られてたのさ、海斗!」

「? …忘れ去られてた?」


 まったく心当たりがない海斗が首をひねる。それを見た夏音が眉尻を下げ、しゅんと俯いて呟いた。


「起こしてくれなかったじゃないかー…」

「あぁ。それは、夏音にちゃんと療養してほしいと思ったからだよ?」

「…チエネツですが」

「こんな時でもないとちゃんと休まないからね、夏音は」

「……その言葉、そっくりそのまま海斗に返します。なんなら熨斗も付けて。

 海斗こそ休むべきだよ、毎日ほとんどの時間を仕事に費やしているんだから。私は仕事じゃないし、第一、好きだからやってるんだし」

「休息はとってるから心配しなくていいよ」

「…食事睡眠以外のほとんどを仕事で潰している人にそれ言われても、全然説得力ないよ」


 海斗へとジト目を送る夏音は、一つため息を吐いた。

 海斗は、自分よりも他人を優先する傾向にある。その性格のおかげで入院する羽目になったというのに。…これは海斗の美点であるから、正すようにと強くは求めないけど。


「いや、二時間ごとに休憩があるからね? 昼食の時間も一時間あるし」

「…あ、そうなの?」

「そんなに過酷ハードじゃないよ」


 夏音が、拍子抜けをしたという表情で聞いてきた。どうやら勘違いをしていたらしい。


「てっきり執務室に箱詰めかと思ってた」

「……」


 いや、それはいくらなんでも…。

 色々とツッコミを入れたかった海斗だが、それよりも、今の会話で思い出した用件の方を伝えようと思い直し、口を開いた。


「夏音。そういえば朝の会議で正確に決まった事なんだけど、三日後に人間界に行くことになったよ」

「…………は? え、何いきなり」

「僕は魔界の王として、和平交渉しに行くんだけど、夏音も王女様として視察に来るよね?」

「! 行けるのなら行きたい!」

「うん、そう言うと思った」

「でも、視察…? 視察ってどうすれば?」

「それは──」


 言いかけて、口を閉じる。

 頭にハテナマークを浮かべて、どうしたのかと首を傾げた夏音は、食堂の扉が叩かれる音を聞いて解した。


「どーぞっ」

「失礼します」


 猫耳の使用人──ミーラが入ってくる。

 銀色に輝くワゴンを、音をたてずに夏音のところまで押してきて(神業!)、次々に夏音の目の前へと、食事の入ったお皿を並べていく。

 焼きたてほかほかのパン、彩り鮮やかな温野菜サラダ、湯気立っている濃厚な黄色の南瓜スープ。デザートは、甘い香りが仄かに香る蜜柑色のフルーツがきれいにカットされている。白く輝くご飯にははお漬け物が添えてある。

 量は全体的に控えめで、これならば夏音でも全て食べれそうだ。


「(おいしそう…っ!)」

「苦手だそうなので、ラーウェの肉はお出しいたしませんでした。……では、私はこれで」

「! 気が利くね、ミーラ。ありがとー!」


 かけられたお礼の言葉に目礼したミーラは、それらを並べ終わるとすぐに部屋から出て行ってしまった。


 それを見送った夏音は、待望の昼食を前にしても、きちんと食事の挨拶を述べたのだった。




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