精霊騎士は腹黒です
時代考証無視の架空イギリスの昔話です。マーティン卿、口説きに入ります。
ジオンは、自分を前にして挨拶以外何も言ってこない娘がいることに驚いた。
思わず、店の扉に背中をつけて笑う。
ブランカは何やらマーティン卿が笑っているようだが、気にせず商品を主人に見せようとしていた。
しかし、女店主は、ブランカを前にしながら、後のマーティン卿に意識を取られているようだった。
「・・・すまないが、仕事の話をさせてもらってもいいだろうか。」
声をかけることで、やっと女店主はブランカに向き直った。
「ま、まぁ、申し訳ありません、お嬢様。今日は、執事の方ではいらっしゃらないのですか。」
「えぇ、ちょっと、用事がありまして。私が参りました。伯爵夫人に頼まれていたものです。」
ふと甘い果実のような香りが隣でした。
「!」
「マ、マーティン卿っ!」
何事もなかったように彼女の連れのように隣のソファに腰をかけて微笑む彼の姿があった。
「マーティン卿?クラインハイブ侯爵夫人のハンカチーフは、受け取られたのでは?」
「どうぞ、気になさらずお話を続けてください。」
ブランカに向けられた彼の視線がとても熱っぽいものだったため、店の主人も、たまたま店を訪れた女性客も彼が何を考えているのかを見届けるまで動けずにいた。
動かない空気にブランカは大きくため息を吐いた。
「・・・マーティン卿・・・。」
「なんだい?レディ・ブランカ。」
隣を見ると目が合ってしまう。
そう思ったブランカはあえて彼の方は見ずに尋ねた。
「まだ、私に何か・・・?」
「今度、弟の誕生日パーティがあるんだけど、君にも来て欲しいと思ってね。」
ブランカはハッとなり彼を見た。
そして、その眼が自分を見ていることに恥ずかしさを覚えて再び目を逸らした。
「な、何故・・・行く理由がありません。」
言った後で、せっかくのチャンスをと嘆いている家政達の顔が浮かぶ。
スッと目の前に出される招待状らしき封筒。
「知り逢った記念。」
マーティン卿は立ち上がった。
「待って・・・。」
ブランカは立ち上がった。
「こ、困ります・・・。」
そう招待されても着ていく服がないのだ。
「どうして・・・。」
ブランカの家の事情を知っている客がクスクスと笑った。
皆の視線がその主へ向く。
そこには、ブランカと同じ年頃の貴族の娘がいた。
「マーティン卿?無理ですわ。レディ・ブランカには、着ていくドレスがありませんもの。」
明らかに侮辱を含む言葉。
その言葉を発したのは、レディ・ミランダ。
コンスタンチン子爵の娘だ。
「弟君の誕生会・・・是非わたくしに、招待状を戴きたいものですわ。」
自分の方が相応しいと言わんばかりにミランダはジオンに寄り添った。
流行のフリルのついた萌黄色の服に、美しく結い上げられた髪。
何処から見ても貴族の娘だった。
「レディ・・・えーと、」
「ミランダですわ。」
「ああ、そうそう、レディ・ミランダ。では、どうぞ、この招待状を。」
差し出された招待状を受け取ったミランダは、頬を染めて喜び、ブランカを見た。
誰にでもすぐ差し出せる招待状なんだとブランカは少し心が痛んだ。
「ごめんあそばせ、レディ・ブランカ。あなたは、庶民のように地道にレースでも編んでいらっしゃる方がお似合いよ。」
高笑いをするミランダ。
ブランカは、大きなため息を吐き、主人と商談に入る。
今更、パーティに行ったところで、誰も見向きもしてくれないだろうとブランカは今できることに集中しようと思った。
「マーティン卿。送っていただけませんの?」
仕事をしているブランカの隣に座るジオンの肩に手を置き囁く声は甘えているように聞こえる。
「ん~レディ・・・えーと。」
「ミランダですわっ!」
拗ねたような声になる女性。
商談中だと言うに隣で行われる会話が気になって仕方ないブランカ。
「申し訳ないですが、母のお使いがまだなんです。どうぞ、お先に。」
「さっき、公爵夫人のお使いは終わったと仰ってたじゃありませんか、店の者が。」
ジオンは心の中で舌打ちをする。
しかし、娘に向けた笑顔は精霊そのものだった。
「聞き違いでは?」
ジオンは席を立ち、拗ねているミランダの手をとると扉を開けて出るように促した。
「では、また、パーティで・・・きっと、ダンスを踊ってくださいますわね?」
食い下がるミランダ。
ジオンはニッコリと笑った。
「さぁ、どうでしょう。貴方の事がこの瞳に映ったならば・・・。」
やんわりと、アナタとは踊るつもりなどないと言ったジオンだったが、ミランダは彼の瞳に自分が映るのは間違いないと自信があった。
ミランダは店の中、女店主と話をしているブランカに嘲笑の顔を向けて離れた手を再びスッとジオンに差し出した。
「では、御機嫌よう、ジオンさま。」
「・・・御機嫌よう、レディ・・・。」
名前を言う前にジオンは手を離した。
「えっ、あの。」
促されては出るしかないミランダは渋々店を後にした。
ソレとほぼ同時にブランカは商談を済ませ、席を立った。
「ありがとう、また頼みます。」
「そ、そんなお嬢様。」
たとえ貧乏でも貴族然とした振る舞い。
身なりは、街娘と変わらないがブランカは美しかった。
「レディ・ブランカ。お送りします。」
目の前に立つジオン。
ブランカは先ほどマーティン卿が言っていた言葉を思い出した。
「ま、まだ用事があるのでは?」
言った後で、自分が聞き耳を立てていたように思われるのではと内心焦っていた。
しかし、マーティン卿はにっこりとした笑顔で彼女に言った。
「とんでもない。あなたを送るという用事はありますけどね。」
手を取られ、馬車へと促される。
ブランカは辻馬車代金が浮くと簡単に考えてその手を取る事にした。
「一目惚れというものを信じますか?」
馬車に乗るなり彼にそう言われた。
「は?」
どう言う状況か分からず、頭の中を整頓していたブランカは彼の言葉を聞いていなかった。
「アシュットバル家の事情は存じてますよ、」
その言葉は、今までもイヤってほど耳に入ってきた。
「・・・は、恥ずかしい限りだが。真実だ。」
隣で自分に接近するほど近くに座っている彼は満足そうな顔をしている。
「しかし、あなたという存在が男爵家をギリギリのところで支えているのでは?」
「・・・そうだろうか・・・。」
自分の身の上など聞いてくれる人物などいなかった。
そのせいだろうか、ブランカは家のこと、父母の事を初めて会ったこの貴族の男に話をした。
「父上の頭の中は、大学と研究に傾倒しがちで、母上は世間知らずだ。歴史ある男爵家をつぶすわけにはいかないから。皆から、良い結婚相手を見つけるべきと言われたが、私は社交が苦手で・・・」
馬鹿にしているだろうとブランカは思った。
年頃の貴族の娘が社交界を苦手にしているなどと、人生を捨てているようなものだった。
つづく