008 悲劇
「またのご来店、お待ちしています!」
最後の客を送り出したリーベの胸には達成感がこみ上げてくるが、すぐさま疲労の奔流に呑まれ、結局、疲れたという感想しか残らなかった。
その耳には一週間前、魔物に襲われた事に起因する様々な言葉が焼き付いていた。
『怖くなかったかい?』
『冒険者でもリーベちゃんが魔物を倒すなんてすごいね!』
『もう冒険者になっちゃえば良いのに』
『リーベちゃんが新しい英雄になってくれれば安心できるのにねえ』
などなど。
(新たな英雄になれって言われても困るよ……)
「はあ……疲れた」
溜め息と共に笑顔を解き、表の札を『準備中』に替えた。そのまま店内に戻ろうとしたが、溌剌とした声に呼び止められる。
「あら、リーベちゃん。随分お疲れみたいね」
振り返ると、そこには武器屋のスーザン婦人がいた。
「はい……お店が賑わうのは嬉しいですけど、忙しい日が続くのも困ったものです」
疲れてるから今は勘弁して欲しいと思いつつ答える。
「ははは! そりゃ、贅沢な悩みだねえ!」
全くもってその通りだった。
「まったく、あんたって子は働きもんだねえ。あたしがリーベちゃんくらいの頃なんて、遊び呆けてたよ」
「ほんとうですか?」
「やぁだ! 世辞に決まってんだろ? あははは!」
裏表のない彼女らしいユーモアに、リーベはつい、笑ってしまう。華奢な肩をひくつかせていると、スーザンはポケットを漁った。
「そうだ、リーベちゃんに良いものあげる」
「良いもの?」
ちょいちょいと手招きをされ、歩み寄ると一口で飲み込めそうな小さな包みを握らされた。
「なんだと思う?」
「……飴、ですか?」
「違う違う! これはチョコレートだよ」
「ええ⁉」
チョコレート――通称チョコは外国名産のお菓子であり、国内ではごく僅かしか流通してない高級品だ。それが今、自分の手の中にある。その事実にリーベは驚愕させられた。
「こ、こんな高級品。貰っちゃっていいんですか?」
「いいよいいよ! リーベちゃんはいつも頑張ってるからね」
そう言うとスーザンはずいと顔を寄せ、ひそひそと言う。
「数がないから1つしかあげられないよ。エルガーさんに見つからないうちに食っちまいな」
「あ、ありがとうございます。でも、これからお昼なので。お仕事が終わったときの楽しみに取っておきます」
「なんだい! アンタまさか、ショートケーキのイチゴは最後まで取っておくタイプかい?」
「はい。最後の楽しみなんで」
「かーっ! これだから最近の若いのは! あたしゃ、一番最初に食べるどころか、旦那の分まで奪ってやるさ」
「え、ひどい……」
「やぁねっ! 冗談にきまってるだろ? あははは!」
ケタケタと笑いながらスーザンは去って行った。
その青空のような果てのない快活さに、リーベは幾らか元気が湧いてきた。
彼女の背を見送ると、チョコをエプロンのポケットに収め、大きく伸びをする。
「ん~~っ……! ふう。よし、午後も頑張ろ!」
今夜はチョコが待っているのだと思えば、どんなに忙しくても乗り切れそうな気がした。
ディナータイムも忙しいが、リーベはチョコを励みに頑張っていた。
「トマト煮とキノコサラダで頼むよ」
オーダーをメモしつつ、「他にご注文はございますか」と言いかけた時だった。
カウベルが鳴らないほどに早く、乱暴にドアが押し開けられた。それに店内にいた誰もがハッと振り返ると、そこには顔を真っ青にした冒険者バートがいた。
ホールで一緒に働いていたエルガーが険しい顔で尋ねる。
「おいバート。どうした、そんな慌て――」
「ぶ、武器屋の……スーザンさんが…………はあ……」
その言葉になにか恐ろしいものを感じたエルガーは彼の口を塞ぎ、娘に命じる。
「! 落ち着け。奥で聞くから――リーベ、水を持っきてくれ」
「わ、わかった」
(スーザンさんに何が? まさか強盗にでも襲われたんじゃ……)
そんな不安に恐々としながらも、水を持って奥へ――
「スーザンさんが…………スーザンさんがヘラクレーエに攫われたんです!」
「………………え」
リーベの視界が揺らぐ。揺らぎ続ける。視界だけではない。意識が……彼女の心そのものが激しく揺さぶられていく。
「うそ…………」
(スーザンさんが攫われた。ヘラクレーエに……あの大きなカラスに攫われた。エサにする為だ。こんな夜中じゃ、救助隊も動けないし……もうダメだ)
「う、うう……!」
(なんで、なんでスーザンさんが襲われなくちゃならないの? あんなに優しくて、楽しい人だったのに……どうして!)
「…………なんで」
途方もない悲しみと苦しみにリーベはダンクをギュッと抱きしめる。そうして感情の奔流を凌いでいると、いつかエルガーが言っていたことを思い出す。
『残されたメスが獰猛化するかもしんねえな』
(そうだ。わたしがあの魔物を――つがいを倒したからいけなかったんだ。カラスは賢い。倒すまでしなくても逃げたはずだ……いや、実際、逃げようとしていたんだ。でも、わたしが魔法で撃ち墜としたんだ)
「……わたしのせいだ…………!」
魔物と戦っていた時、彼女は昂揚していた。魔物と戦うという未知を、楽しんでいたのだ。 その結果がこれだ。親しい人を殺しておきながら、自分はおめおめと生きている。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。自己嫌悪に苛まれていたその時、乱暴気味にドアが叩かれる。
ゴンゴン!
しかし彼女はとても人に会える心持ちではなかった。ダンクの腹に顔を埋め、誰かが去るのを待つがしかし、気配が動くことなかった。
「リーベ、起きてるか?」
エルガーの声だった。
(いやだ……今は1人にして…………)
そう訴えるように沈黙を貫くと、ガチャリと音を立ててドアが開かれる。すると廊下からひんやりとした空気が流れ込んできて、彼女のスカートの裾からはみ出た脚を冷やした。
「飯の用意ができたぞ」
ダンクから顔を離し、横目で見やる。そこではエルガーがドアに背を凭せていて、憂いを含んだ瞳で彼女を見下ろしている。
「……ひとりにして」
「断る」
彼は短く答えると深い溜め息をつき、諭すような、落ち着いた声を発する。
「お前のことだ。自分がヘラクレーエを倒すのに加担したことを悔やんでるんだろ?」
「…………」
「スーザンを襲ったのがアレのつがいだってことは、時期的に考えて間違いない」
「じゃあやっぱり、わたしが……!」
「違う。前も言ったが、それは結果論に過ぎないんだ。魔物が街に侵入したとき、冒険者は迅速にこれを排除しなければならない。そういう決まりがある。フロイデはそれに準じただけだし、それに手を貸したお前も、魔法使いの心得と……なにより自分の良心に従って行動しただけだ。それを咎めていいヤツなんていねえよ。もちろん、お前自身もな」
「……うう…………」
それからしばらく、お互いに言葉を発しないでいた。
澱んだ空気の中、彼女のすすり泣く声だけが響く。その虚しい音の連なりは彼女をいっそう惨めな思いに突き落としていった。辛くなって再びダンクに顔を埋めた時、エルガーが言う。
「下に行くぞ」
そう言って彼は歩み寄る。
「シェーンが待ってる。だから行こう。な?」
「いや……」
逃れるようにダンクを強く抱きしめると、彼は静かに言う。
「リーベ……人の不幸を悲しめるのは優しさだが、それに人を巻き込むな。シェーンだって不安になってるし、その上、お前が引きこもちまったらどうなる?」
父の言いたい事は理解出来た。しかし、現状ではとても応じられなかった。
「……ごめんなさい」
どうにか声を絞り出すと、エルガーは深い溜め息をついた。
「……腹減っても知んねえからな?」
そう言い残して娘から離れていくと、ドアの前でピタリと止まった。
「……それと、明日は臨時休業だとよ。だから、今はゆっくり休め」
その言葉を最後に、エルガーは今度こそ娘の部屋を出て行った。
遠のいていく彼の足音に申し訳なさが募るが、リーベは今、自分のことで手一杯だった。
気が付けば、朝だった。しかし鳥の声は聞こえず、代わりにパタパタと雨が降る音が響いている。僅かに湿気った空気を胸に取り込むと、彼女はなんだか物悲しい気分になってきた。
「……スーザンさん」
呟くと、それに呼応するかのように腹が間抜けな音を立てた。
「………………最低だ」
親しい人が亡くなったというのに、自分はなんて呑気なのだろう。
そんな自己嫌悪に苛まれていると、ノックする音が響く。コンコンという、温かくて優しい音だ。
「……どうぞ」
入ってきたのはシェーンだった。
白い肌はいつも以上に白く、緑の瞳は儚げに潤んでいる。その様子から満足に睡眠を取れていないことがわかった。そんな彼女は憔悴した印象を助長するかのように、緩慢な動作で歩み寄る。
「調子はどうかしら?」
「うん……まあ…………」
答えられないでいると、母は察してくれた。
「そう……でも、ご飯を食べないと、気が滅入ってしまうわよ?」
母は気を遣ってくれていた。
その事実にリーベはいい加減、元気を出さないとという気になった……いや、心情なんて関係なくて、昨日は単に疲れていただけなのかもしれない。だがいずれにせよ、今彼女がするべきことは、昨日の非礼を詫び、いつもの生活に戻ることだけだった。
「お母さん……昨日はその、ごめんなさい……」
「リーベ……謝らないで」
シェーンはそっと娘を抱きしめた。娘はその温もりに身を委ねていると涙腺が緩み、涙が溢れてくる。
「……ごめんなさい……お母さんの気持ちも考えないで…………!」
「良いのよ……辛かったんでしょう」
その言葉と共にトントンと優しく背中を叩かれると、リーベが抑えていた感情が急速に膨れ上がっていく。
スーザンは良き隣人だった。快活で裏表がなく、接していて非常に清々しい気持ちになれる人だった。商売の面でも、刃物関連のことでよく世話になっていた。エーアステがここまで繁盛しているのも、彼女の力添えがあったからに他ならない。
そう。エーアステ一家にとって、スーザンは良き隣人であり、友であり、相棒でもあったのだ。
そんな彼女はもういない。一生会えないのだ。
「う……うわああああん!」




