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五話

 長年、騎士団で培ってきたアーロンの戦闘感は、そう簡単に衰えるものではない。


 アーロンは、屋敷の背後にある深い森に鋭い視線を向け、磨かれた剣を構えていた。


 感覚を研ぎ澄まし、息を殺すこと数十秒。森の草木をかき分けてオオカミ型の魔物が飛び出してきた。


剣を振り上げたアーロンは「はあっ!」と息を吐くと同時に魔物の頭をぶった斬る。縦に真っすぐ斬られた魔物はストンと地面に伏せるように死に絶えた。


「今日はこれで八体目か。毎日少しずつ増えてきたな」


「一定周期でくる魔物の活性化だからね、仕方あるまい。それにしても返り血を浴びないなんて流石じゃないか」


 派手に切り捨てたのに、アーロンの愛用している白いシャツに魔物の血は付着しておらず、汗もかいていない。称賛の声に「ありがとう」と素直な言葉を返したアーロンだが、恐ろしいことを思い出して首を横に振った。


「いや、僕はまだまだだ。団長なんて視線だけで魔物を殺すことも出来るんだよ」


「それは……、話を誇張していないかい?」


「団長って僕と同い年なんだけどさ、聖女として神殿に入るのを拒否して騎士になったんだ。聖なる力を魔物への殺意として使っているらしい」


「力の転用か。あの者がそこまでの実力者であったか」


「なんでも幼少期にペットを殺された恨みで発現した力らしいぞ」


 ギルティアはパーティで話したブリュンドルのことを思いだした。


 聖女の力というのは、怪我や病気を治す力を促進させる効果を持ち、わずかな女性にだけ発現する希少な力のことである。


今でこそ聖女の力には制限が掛かり、人々のために使われる力ではあるが、ギルティアはかつて万能の力を持っていて、それは力の扱い方に制限はなくどのような思いも叶えることでも出来た。


 その力はもう現代では使えなくなったと思っていたギルティアだったが、他にも力が使える者がいると聞いて少しほっとした。


「さあ、夕飯にしよう。最近は肉には困らないが珍しく魚が買えてね、今日はムニエルだ」


「魔物の肉も美味いけど流石に飽きてきたところだ。ちょうどいい」


 剣に付着した血を拭い、アーロンは鞘に納めた。


 久しぶりの魚料理に舌鼓を打ち、食後にカットされたリンゴを食べて落ち着いた時間を過ごした。


 ギルティアが淹れた紅茶を飲みながら、アーロンの昔話に花を咲かせる。


「そういえば、アーロンは騎士団でもかなりの実力者だと聞いたぞ。王妃からの手紙に書いてあった」


「なんで王妃様が僕のことを知っているんだ? それに実力といっても馬鹿正直に訓練に励んだことを認めてもらっただけなんだ。いざ最前線に出たらこれだよ」


 アーロンは自分の左の膝をポンと叩いた。王妃様がアーロンを知っている理由は、王妃の妹がブリュンドルの母だからである。アーロンは娘のお気に入りとあって度々話題に上がっていた。


「僕は団長の期待を裏切ったんだ。だから脚も回復しなかったんだろうな」


 入団当初から前線で魔物相手に死に物狂いの毎日を送っていたが、後輩が入ってくるごとに少しずつ後衛に下げられ、実力を認めてもらって改めて前線に駆り出された時に左足を負傷した。


 ブリュンドルや仲の良かった友人もアーロンの復活を待ち、一時は炊事班に身を置くことにもなったが、聖女の力をもってしても回復は見込めず、最後には裏方事務として炊事の手伝いやデスクワークを余儀なくされた。


「学園も騎士科に通っていたから難しい書類なんて分からないし、騎士服も着ずに机に齧りつく自分の姿があまりにもみじめで退団したんだ」


「だが、魔物は無事に狩れているではないか。十分戦えているぞ」


「だが、脚が使い物にならないと騎士団では致命的なんだ」


「そうなのか? 私は剣を振らないから、あまり騎士については詳しく言えないな」


「団長は違うけど、女性は皆そんなもんだ。魔物が僕に向かってくるなら問題ない、その勢いを利用して斬るだけだが、もしギルティアが標的にされれば、僕は助けることができないかもしれない」


 いくら不老不死とはいえ、アーロンはギルティアから血が出たところを見ている。ギルティアは慣れたことではあっても、元騎士であるアーロンは守るべき義務があると一層素振りの回数を増やしていた。


 ギルティアにはなるべく室内で過ごしてもらい、買い物はアーロンと共に行動することを心掛けている。


「騎士団が今度大規模な討伐作戦をするみたいだから、それまでは大人しくしておくべきだな」


「貴族としては初めての経験だな。もてなしの準備はいるだろうか?」


「いらないよ。別に僕たちは領主じゃないし、団長も堅苦しいことは苦手なのさ。パーティもイヤイヤ参加しているようだし、どうしても気になるなら軽く挨拶くらいはするといいんじゃないか?」


「そうだな、個人的な興味もある。時を見計らって声を掛けてみよう」


 モーラント男爵家の裏にある深い森が討伐区域であり、近々騎士団が派遣される。アーロンも参加したいところだが、今の自分では足手まといになると分かっているため、ギルティアの護衛に務めると決めた。


「そうだ、町を巻き込んでジビエ料理を作ろう。肉は余るほどあるからな」


「嫌な顔をされるから止めてあげな。あいつら討伐が終わったら“お片付け”として魔物の肉を食べることになるから」


 ギルティアの提案に、アーロンは苦笑いを浮かべた。「それは残念」とギルティアはわざとらしく肩を落とした。


 魔物の活性化は騎士団が思っていたよりも早く、屋敷から出るのをためらうほどには辺りに闊歩していた。


 魔物の特徴である真っ赤な瞳が獲物を探して涎を垂らしている。嗅覚が鋭いため、近くに二人がいることが分かって屋敷の周りをうろついている。


「まずいな、魔物は人の匂いを探って動くから、町の方に気配を感じたら一気に流れ込むぞ」


「あの町は冒険者崩れやゴロツキどもが多いから多少は持ちこたえるだろうが、過去の活性化を思い出すに無理だろうな。騎士団が来るまでどうにか持ち堪えたいところだ」


 アーロンは自分が残ることで魔物を引き付け、少しずつ討伐してきたが限界はある。


「魔物は人を見つけない限りは襲ってこないから、籠城するのも作戦ではあるが、魔物には家屋を破壊するほどの力自慢もいる。ただ籠っているのも危険だな」


「騎士団は今日の夕暮れ頃に到着だったか。流石に間に合わないな」


「今いる魔物くらないならなんとか狩れるか……、少し出てくる」


「ああ、気を付けるんだぞ。何かあれば私を呼ぶといい。この不死身の身体は身代わりにもなる」


「させないよ、ギルティアにも僕と同じ赤い血が流れているんだから」


 剣を帯びたアーロンは、飲み終わったティーカップをギルティアに預け、扉に手を掛けた。



「四つ足は首が狙いやすく、鳥足は翼を狙え」


 アーロンが騎士科に入学して最初に習った基礎。肉厚の剣が銀閃を描いて魔物に吸い込まれる。魔物特有の動きに合わせ、身体の捌き方、剣の振り方を徹底的に叩き込まれており、呼吸をするように魔物を仕留めた。


 屋敷の壁を背にすれば背後からの攻撃を気にすることなく、屋根があれば鳥型の魔物は降りて来る。不動要塞のように待ち構えたアーロンは目にも止まらぬ剣戟で魔物を切り落とす。


機能しない左脚を使わないよう言い聞かせるように「突出するな、周りを見ろ」と何度も呟き、猛る気持ちを抑えていた。


「隊とはぐれた時の戦い方を学んでいてよかった」


 鳥型の魔物の翼を斬り落とした直後にオオカミ型が飛び込んでくる。アーロンは斬り落とした鳥型の首を鷲掴み、横に振り払う。


「ギャオンッ!」


 オオカミ型の変異した長い爪が、鳥型の身体に突き刺さり爪を折る。再度振り払って首の骨を折った。


「しかし数が増えてきたな。ギルティアは大人しくしているか?」


 アーロンは不安に思いながらも森の方へ視線を凝らした。


数えきれないほどの視線に貫かれながら「どこかで引き上げないとな」と眉を潜めたアーロンは、額に浮いた汗をシャツの袖で拭う。


 この時点ですでにアーロン一人で対処できる数を超えていた。


 普通でも三人、または四人一組で安全に対処するべき魔物を、アーロンは一人で狩り続けていた。


「はあ……はあ……」


 時間が経つにつれ左足が痛み始める。あの時も仲間とはぐれ、一人で対処している時に怪我をしたのだとトラウマが甦り始めていた。


「そろそろか? いや、もう少し粘れば波は一度途切れるはず」


 魔物はアーロンに釘付けとなり虎視眈々と攻め時を窺う。幸い町へは向かっていないため、すぐにでも室内に逃げて騎士団の到着を待つべきだった。そして、アーロンの下した判断は不幸にも裏目に出た。


「脚が……、動かないッ?」


 予想通り魔物の波が一時的に収まったため、「今だ!」と退避しようとした時、左足の力が抜け、砕けるように沈んだ。最近は調子が良かったがために無茶をしていたのだ。


 魔物は弱っている獲物を逃がさない。離れた所で様子を伺っていた魔物はこぞって走り出す。襲い掛かってくる魔物は先ほどの比ではなく、座り込んだままのアーロンでは一撃で致命傷を与えることは困難だった。


 逃げる足はなく、まとまって襲い掛かってくる光景にアーロンはトラウマが甦ってしまった。


「クソッ、クソッ! いやだ、死にたくないッ! 誰か、誰かッ!」


 過去に左足を噛まれた痛みを思い出し、恐怖に身がすくんだ。


 少し時間を稼ぐだけのつもりだったのに。アーロンの脳内には外へ飛び出したことへの後悔で頭がいっぱいだった。


「ガァ――ッ!」


 動かずに投げ出したままだった左足に魔物の牙が立てられた。肉を食いちぎる痛みでアーロンは気絶しそうになる。


「ダメ、だ、今は……」


 噛まれた場所からあふれ出す血に頭が真っ白になり、振り払った剣は空を切った。


 意識が飛びそうになった次の瞬間、アーロンの左足に噛み付いていた魔物が勢いよく吹き飛んだ。


「……え?」


「すまない、助けが遅くなった」


 魔物を蹴り飛ばした爪先をグルグル回して、足の状態を確認するギルティアの姿がそこにはあった。


 防具なんて何もつけていない。ブラウスにパンツスタイルのギルティアの手には肉厚のナイフが握られている。腰にも予備のナイフが数本下げられていて、牽制をしながら構えていた。


「な、なにをしている! はやく逃げろ!」


「そうしたらアーロンが死んでしまうではないか。ただでさえ助けが遅れてしまったのだ、そのお詫びくらいさせてくれ」


「お、お詫び? な、なにをするつもりだ⁉」


 ふわりと笑ったギルティアは、蹴り飛ばして呻く魔物の首筋にナイフを突き立てた。


 突き立てたナイフを捻ってから抜いたギルティアは「私の我が儘に付き合わせて悪かった」と言い、ナイフに付着した血を振り払った。


「アーロン、今から見せる光景で決めてほしい。私の不老不死を受け取るかどうかを」


 ギルティアはアーロンを庇うように前へ出ると、ごく自然な体勢でナイフだけ前に突き出した。


「な、なにを――」


「これが、不老不死と何百年と付き合い続けた哀れな女の末路さ」


 オオカミ型の魔物がギルティアに飛びかかった。長い爪が切り裂こうとするのを真正面から受け止め、逆にナイフを魔物の口の中に突き入れた。


「ギルティア!」


「安心したまえ、これくらいの傷、一瞬で治る」


 魔物の爪はギルティアの顔から腰に掛けて大きく引っ搔いたが、次の瞬間には傷は塞がり、破れた服だけが攻撃を受けた証拠を残していた。


 喉奥からナイフで貫かれた魔物は情けない声を上げて絶命し、ギルティアの腕から滑り落ちた。


牙が貫通して穴の開いたギルティアの腕が時を巻き戻すかのように治っていくのを見て、


「は……あ? なんだ、今のは?」


とアーロンはポカンと口を開けた。


「大きな怪我が治るところを見せたのは初めてだったか? 安心したまえ、もう少しの辛抱だ、先ほど騎士団がこちらに向かってきているのが見えたからね。ああ、実に運がいい」


 ギルティアの幸運が発揮され、ナイフを振るった先には必ず魔物の急所がある。それでも痛み分けをしているはずなのに、ギルティアのみが立ち続けていた。


 アーロンが現役で活動していた時よりも素早く、一撃が重い。ギルティアのどこにそんな力が隠されていたのかと疑問に思うアーロンの思考を、ギルティアは読んで答えた。


「不老不死とはね、何をしても死なないのだよ。何を当然のことだと思うかもしれないが、それはつまり、行動に制限をかける脳の枷をどれだけ外そうが問題ないということさ」


 徐々に魔物の攻撃を受けなくなっていくギルティアは、すでにアーロンの身体能力を遥かに超えていた。


 攻撃を受けたところで瞬時に治り、骨が折れるほどの捨て身の攻撃を繰り出すことに迷いがない。たとえ心臓が貫かれようとも足を止めなかった。


ギルティアの周辺に積み重なった魔物の数は数えきれず、やがて魔物のほうが恐れをなして一歩引くほどだった。


「ああ、見たまえ、今回の活性化の親玉がお見えだ!」


「な、なんだあれはっ!」


 頭が二つくっついた上半身がクマであり、下半身はヘビになっている。キメラのような魔物がにょろにょろと二人の前に姿を現した。


 活性化を初めて目にするアーロンからすれば間違いなく化け物の姿だった。


「あのような不完全な魔物が生まれる時に活性化は起きる。流石の私でもあの化け物を相手するのは骨が折れるな」


 そう言いつつ新しいナイフを引き抜いたギルティアは化け物に向かって飛び出そうとした。しかし、それはアーロンが後ろから抱き着いたことで阻まれた。


 アーロンはギルティアに、着ていた薄いジャケットを羽織らせ、引き摺り込むようにその場へ座らせた。


「アーロン、何をする? このままでは死んでしまうぞ!」


「もう命を粗末にしないでくれ。ギルティア、平気そうな顔をして、痛みはあるのだろう?」


「こんなものは慣れた。かつて悪しき魔女として炎に焼かれた時に比べたらどうってことはない」


「そうじゃない! そうじゃないんだよ、ギルティア。不老不死は罪なんだろ? だったら罪をこんな風に乱用するんじゃない」


「不老不死は死ねない呪いのようなものだ。逆に利用せずして何の価値がある」


 アーロンは涙を流しながら「価値なんてない!」と叫び、ギルティアの身体をぎゅっと抱きしめた。


「死に至る痛みに慣れたらダメだ。ギルティアは人だ、人として死ぬんだ。君は不老不死の罪を、痛みと共に清算すべきなんだ」


「痛みと共に……?」


 アーロンは頷く。


 長年生き続けてきたギルティアは、すでに死への恐怖を忘れていた。毒を飲もうとも、首を撥ねたとしても、次の瞬間には元に戻る。死に至るほどの痛みを何度も経験したギルティアには怪我を気にすることはなかった。


「決めたよ。僕がギルティアを殺してやる。だから、そのナイフは、もういらない」


 アーロンは放心しているギルティアの手からナイフを取り上げ、遠くに投げた。


 化け物が二人の元へ徐々に近づいてくるが、アーロンには分かっていた。


 足の痛みにふっと意識が飛びそうになるアーロンは、ギルティアの身体を抱きしめたまま後ろに倒れ込んだ。


「あとはお願いします。団長」


 無数の蹄が地を駆ける音が迫ると同時に、化け物の首が一つ、捻じれて弾け飛んだ。


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