四話
時間が経つごとに緊張感が増して肩が上がっていくアーロンの手に、ギルティアは自分の手を重ね、ピタリと寄り添って囁いた。
「私たちが挨拶に行くのはまだまだ後でいい。せっかくだ、ここで一曲どうだい?」
「それは僕のセリフなんだけどな。それと、本当に一曲踊るだけでいいんだよね?」
「ああ、招待されたパーティでメインのダンスに参加しないのはよくない。いつから生まれたマナーなのかは忘れたけどね」
お茶目にウインクしたギルティアに、アーロンは覚悟を決めて手を差し伸べた。
「えと……ギルティア、僕と一曲、踊りませんか?」
「よろこんで」
差し出された手にギルティアは自身の手を添えた。アーロンのぎこちない歩き方にクスリと笑い、腕を組む。
アーロンにとってダンスは周囲に紛れ、その場しのぎに行うものだった。しかし、ギルティアが派手にリードすることで、まるでアーロンがギルティアを自慢するかの如く目立っていた。
アーロンだけでなく、見知らぬ美女が躍っている姿は多くの目を引き付けた。
ただでさえ珍しい白髪のうえ容姿にも優れている。旦那であるアーロンを立てるダンスに多くの男性は感嘆の溜息を漏らし、妻や婚約者に耳を引っ張られていた。
まだ婚約者のいない者も次は俺が誘うんだと息巻き、ダンスが終わるのを待っていたが、その間、アーロンのことを恨めし気に睨み続けていた。
「なんだ、自信がないという割に結構踊れるではないか」
「ギルティアのリードが上手すぎるんだよ、流石は姫だな。……というか、なんか僕等、目立ってないか?」
「そのようにリードしたからな、妻は旦那を立てるものだ」
騎士団に所属する者はパーティの参加は申請が必要だったため、それが面倒で参加してこなかったアーロンのことはほとんどの者が知らなかった。正体不明の二人が躍っている様子に、好奇心と嫉妬の視線は常にアーロンには突き刺さっていた。
音楽が終わると、周囲をちらりと見たギルティアが左手にハンカチを持ち、口元に当てる。ホールの照明に当てられて、左手の結婚指輪がきらりと輝いた。
わざわざ目立つ場所で立ち止まったため「何やってんの?」とアーロンが聞くと「少し汗を拭いただけさ」とギルティアは誤魔化すように微笑んだ。
周りを牽制しつつ我先にと飛び出そうとしていた男性たちは、見せつけられた指輪の輝きに瞳を焼かれ、端へと退散していく二人を口を開けて見送った。
「運動量は大したことないが、やけに疲れたな」
「緊張は無駄に体力を奪うものだ。水でも飲んで休むといい。私はワインでも飲んで雰囲気を楽しんでおくさ」
「ギルティアは酒に強いな。全然酔わないのな」
「いや、ほわほわと気持ちよくなっているさ、私は顔に出ないだけなのだよ」
酒は少量でもすぐに顔を真っ赤にしてしまうアーロンからすれば羨ましい体質である。それは、過去にブリュンドルに酒の付き合いを強要された渋い思い出が原因だった。
時間はゆっくりと過ぎていき、ギルティア目当てで二人に声を掛けにくることもあったが、それらは適当に追い払った。
その中にはアーロンに恨めしい視線を送ってきた男が話しかけにきたが、
「すまないが、旦那以外と踊るつもりはないのでね」
と突っぱねた。それでも諦め切れない男は手を伸ばしたが、アーロンの太い腕が男の手首を捻じりあげた。
「僕の妻に手を出すとは、いい度胸だな?」
「なっ! 離せ!」
魔物を殺す時と同じ鋭い瞳は、剣をまともに振ったこともない男の危機感を刺激する。瞬き一つしない獣を射殺す瞳がジッと睨みつけていた。
ビクともしないアーロンの力に恐れ戦いた男は、手を離された瞬間に尻尾を撒いて逃げていった。
「流石は元騎士団だな」
「これくらいは当然だ。なんのために鍛えたと思っている」
格好いいことを言いつつも、気障なことは慣れていないため、耳が少し赤くなっていた。
音楽隊の演奏に耳を傾けながら、後は王に挨拶するだけだ、と落ち着いて息を吐いたアーロンだったが、二人の元に突っかかってくる者がいた。
「あんたが亡国の魔女だな!」
それはまだ成長途中の小さな少年だった。ギルティアに向かってビシッとまだ剣ダコのないぷくぷくした柔らかい指先を突き付け、「オレが成敗してくれる!」と声高々に宣言した。
「……おや? これはこれはヒンドラ君じゃないか! 大きくなったねぇ」
ギルティアに突然失礼な態度を取った少年は、クロフォード王国の第一王子ヒンドラ・クロフォードであり、先月十二歳の誕生日を迎えたばかりの垢抜けていない少年だった。
「人の事を魔女だなんて、酷いと思わないのかい? もう一つのあだ名である“傾国の姫”のほうが私は好みだ」
「そんなあだ名あったのか。どっちもいいあだ名じゃないけど」
「おい! オレを無視するな!」
第一王子が騒ぎ出したことでパーティは妙な静けさに包まれた。音楽隊も何事かと演奏を辞め、全員が三人に注目した。
少年がこの国の王子だと気づいていないアーロンは、どうしてこんな子どもが会場にいるんだと首を傾げる。
やけに注目されていることに羞恥心を覚え、ギルティアに合図して逃げ出そうと思ったが、周囲の呟きから子どもが第一王子であることを知って硬直した。
「ギルティア? こ、この子は王子様で……」
「そうだな。六年ほど前だったか? 前に会った時は乳母と手を繋いでぺろぺろキャンディを舐めていた。それが今では初等部最高学年か。時の流れは早いものだね」
「うるさい! うるさい! あんたは魔女だ! あんたは国を滅ぼした悪い魔女なんだ!」
ヒンドラは十二歳の誕生日と共に、国の歴史について家庭教師から教えられていた。クロフォード王国の成り立ちからモーラント王国の滅びについても。ギルティアが生き証人であることも教えられていた。
王はこの歴史をどう受け止めるかで側妃の子ども含む五人から王太子を決めようと考えていたが、ヒンドラはこの国の歴史を、“亡国の魔女ギルティアの罪”と捉えていた。
四人の弟妹を持つ正義感の強いヒンドラは威厳を見せるために必死だった。そのため国を滅ぼし、罪を被っている魔女を公の場で断罪するためにこの場に立っていた。
「そこの男、何者かは知らんがその魔女から離れろ! そいつは何百年も生きている化け物だぞ!」
それは国家機密ではないのかと冷や汗を流したアーロンは、浅く息を吸って丁寧に答えた。
「はい、知っています。だけど化け物ではないです」
「……は?」
「化け物とは心外な。私はそう思われていたのか」
「ギルティアのどこが化け物なんだ? 確かにちょっと不思議なところはあるけど、別に化け物のように思う事はないぞ」
第一王子が相手とはいえ、子どもが見当違いな正義感を振りかざしていると気づいたアーロンは素直に答えた。
「そ、そいつは魔女で、国を滅ぼしたこともあるんだ!」
「本人から伺っています。そのようですね」
「なっ……貴様は何なのだ! どこの誰だ!」
見れば分からないかとギルティアと視線を合わせたアーロンは、王族への挨拶も兼ねて右足を後ろに引き、頭を下げながら自己紹介をした。
「私はアーロン・モーラントと申します。こちらのギルティアとは婚姻関係にあります」
「アーロン……? 知らぬ名だな!」
「ヒンドラ君、私は結婚する旨を手紙で知らせたはずだが? 王も了承しているし、彼が私の夫となることも記載していたはずだ」
「なっ! そんなの知らんぞ! オレは読んでいない! そもそも、あんた結婚したのか!」
「結婚して何か問題でも?」
「それはっ! ……い、いや、なんでもない」
多くの男を魅了する容姿を持つギルティアは、第一王子すらも魅了していた。まだ婚約者を持たないヒンドラにとって淡い恋ではあるが、素直になれない男児特有の好きな子にちょっかいをかけたい衝動が恋心を上回ってしまった。
しかし、国を継ぐ可能性のある王族には不老不死を譲渡することはないと決めているギルティアには、そもそも第一王子の恋心に興味はなかった。
「な、なぜだ……、これでは予定が狂うじゃないか」
ヒンドラはここで格好よくギルティアを断罪し、その罪を許すことで美談に変えようとしていた。
すでに注目を集めてしまい、後には引けなくなったヒンドラは「ボクは王子なんだぞ?」と謎の自己暗示を掛け、
「と、とにかく! あんたは悪い魔女なんだ! オレが断罪してくれる!」
と再度ビシッと指を差した。
「ふむ、では私の罪とはなにかね? 罪状をはっきりさせたまえ」
「国を滅ぼしただろう!」
「はて? なんのことかな。私にはさっぱり分からないな」
「な、なにを言っている? いまさらとぼけても無駄だ! この者はかつて神なる力を持って国を滅ぼし――……あれ?」
ヒンドラは断罪劇の中で、周囲の視線がやけに痛々しいものを見る目であることに気付いた。
「そんな化け物みたいな人が本当に存在すると思っているのかい?」
「え、あ……、でもあんたは……」
悪を断罪する世直し物の小説を好んで読み耽っていたヒンドラは、ギルティアが持っていたとされる神の力に少々惚れ込んでいた。だが、それは現実と物語の区別が出来ていない愚か者であることに気付くのが遅れてしまい、周囲の視線でようやく気付いた。
「何事だ?」
「ち、父上!」
ヒンドラの声に溜息を漏らしつつ、重い腰を上げてギルティアたちの元へやってきたのは、クロフォード王国の王様だった。
「おや? 王が自らやってくるとは、客人の対応はいいのかい?」
「そなたが厄介事に遭っているのにのんびり客と話ができるはずなかろう」
前髪がだいぶ後退した髪をガシガシと掻く王様への気さくな態度に、アーロンのみならず参加者たちもギョッとした。
ギルティアは王様の幼少の頃から関りがあるため今更畏まる気に慣れないだけだった。
「それで第一王子、これは何事だ?」
あえて息子を第一王子と呼んだ王様の視線が重くヒンドラに突き刺さる。
「こ、これはその……、悪しき者がいれば断罪するのが善とされるものでして……」
「それは最近流行の小説の一節だったか。己の正義のためならば国家機密を漏らし、罪なき者を断罪するのも善であるか?」
「そういうわけでは……、ないです」
風船が萎むように小さく俯くヒンドラ。それを見てギルティアは軽快に笑いながらヒンドラに近づき、その頭をあやすようにポンポンと叩いた。
「王よ、たとえ王子であろうとも子どもであれば間違いを起こすものだ。ここは私の顔に免じて許してやれ」
ぐりぐりとヒンドラの頭を撫でまわすギルティアの存在は、王様がこの場に現れたことですでに隠しきれるものではなかった。
新しい側妃か、それとも妾か。王様を相手に気さくな話し方が出来る相手となればだいぶ限られてくる。
「幸いヒンドラ君は物語と現実の区別が出来ない子のように思われているようだからな、後で説教でもなんでもすればよい」
「だが、それではそなたにはいらぬ噂が立ったままではないか」
「この場に現れた君が言うかね? だが、どうでもよいことだ。それに夫を待たせているのでな。ほら見たまえ、王を前にして氷のようにカチンコチンになっている。見ていて面白い顔をしているが、どうするつもりだ?」
「どうしようもせん。そなたの被害者だと思ってそっとしておいてやろう。そういう約束だ」
「被害者とは! それはなかなかに酷いではないか? だが夫に手を出さない約束は永遠に果たしてもらうぞ」
「誓約は守る。安心せよ」
ギルティアがいくら王に対して対等な会話をしたところで、アーロンはただの婿入り男爵だ。パーティの出席はおろか、役職持ち以外みんな立場平等の騎士団で育ってきたアーロンには口をパクパクさせることすら出来ずにいた。
見開いた瞳はずっと遠くを見て、ギルティアに声を掛けられるまで思考は停止していた。
「そういえば、最近西の森で魔物が活性化している。そなたなら大丈夫だと思うが、旦那のためにも気を付けるといい」
「分かった。頭に入れておこう。ほらアーロン、帰るよ」
「……え? あれ」
「不敬にはならんから頭だけ下げて後ろを向け」
「ほ、本当だね?」
先に「失礼する」とギルティアがカーテシーをした。遅れてアーロンは騎士団で使用される礼を用いて頭を下げた。びくびくとしながら頭を上げると同時にそそくさと後ろを向いた。
騎士団での礼と貴族での礼はやり方が異なるが、ギルティアがわざと王様に聞こえるように話していたため、王様は苦笑いを浮かべて二人を見送る他になかった。
周囲からは相変わらず根も葉もない噂が飛び交っているのが聞こえていたが、王様が手を叩き、パーティ再開を促したことで大半の者が考察を止めた。
音楽が奏でられるとダンスを始める者たちの合間を縫い、二人は会場を後にした。




