三話
ぎこちなく始まった夫婦生活も、数カ月も経てば互いのペースを理解してきた。
特にアーロンは上り詰めることが人生だと思っていた王都の喧騒から外れて、尖った精神が丸くなり、大きな心境の変化が見られた。
どうにも静かな環境が心地よく、無心になって畑仕事をしていれば、かつての騎士団復帰への羨望はいつの間にか薄れていた。だが、騎士団復帰の羨望が薄れてから脚の調子がよくなっていったのは皮肉な話だった。
アーロンの朝のルーティンは変わらない。朝早く起きると、昔からの習慣で素振りを始める。
それを後から起きたギルティアが窓辺でしばらく眺めてから朝食を作り始める。朝食を終えてからはてきぱきと動き出し、アーロンは畑仕事や馬の世話、ギルティアは洗濯や部屋の掃除に勤しむ。
二人の関係に大きな変化は見られないが、アーロンはギルティアから話を聞いて離れていくことはなかった。王都に帰りたいとは思わず、ギルティアに少々強引に結婚指輪を嵌めさせ、アーロンも指輪を嵌めたことで、やっとスタート地点に立った夫婦に辿り着いた。
辺境の地ゆえに夫婦ともに職のない生活を送っている。王都育ちのアーロンにとっては娯楽のない不自由な生活だったが、その不自由さが性に合っていたのだった。
不老不死の譲渡や、適当に選ばれて利用されそうになっていた点はさておき、アーロンはこの屋敷で過ごすことを決心した。
「今日も朝の風が心地いいな。快眠できる毎日に感謝だ」
アーロンは畑の中で大きく伸びをする。騎士団への復帰や親からの圧も無くなったおかげか、左足が痛むこともなく、伸び伸びとした日々を過ごしていた。
ギルティアも不老不死の譲渡を急かすことはしなかった。そもそも長年生きてきた中で思いついたちょっとした気まぐれに過ぎないためだった。
もしアーロンが最後まで譲渡を拒否したとしても、それが当然の事だと半ばすでに諦めている。アーロンとの生活が存外心地いいことに気付いたからだ。
そんな結婚しているにも関わらず、生温い関係を続けてきた二人の元に手紙が届いた。
「アーロン、王宮からパーティへの招待状が届いたぞ」
互いに結婚指輪を嵌めたことで今までの少年呼びを止め、名前を呼ぶことにしたギルティアの手には一通の招待状。
封蝋には差出人が王宮からであることを示す獅子の印が押されていて、畑仕事をしていたアーロンは手を止めてリビングへ向かった。
隣り合ってソファに座り、手紙を読み「ううむ?」とギルティアが唸り声をあげた。「どうした?」とアーロンが聞くと、ギルティアは手紙を見せた。
「なんで今年は私の元に招待状が届いたのかと思ってね」
「貴族だからだろ」
何を当たり前のことを、と言わんばかりに答えたアーロンに、ギルティアは「なるほど!」と手を叩いた。
「そうだった。領地を持たずとも私は貴族の端くれだったな。だから王直々に誕生日パーティへの出席を求められているのか」
「だけど、こんな辺境の男爵家に王宮から招待が来るなんて何事だ? 大きな接点がない男爵家など呼ぶ理由はないだろうに」
「それは仕方がないことなのだよ。何せ私は現王の知り合いだからな」
「は? ……え?」
「王族しか知らないことだが、私はこのクロフォード王国の建国に携わった一人だからな。かつては王宮で働いていたこともあるぞ」
建国よりも前からずっと時の流れを見てきたギルティアは、クロフォード王国にとって歴史を知る重要人だった。
表舞台に出ることを拒否してきたため現在では王族しかギルティアの存在を認知していない。十数年に一度くらいだが、歴史の精査に王宮で手伝いをすることがたまにあるくらいだった。
ギルティアは王族とはずっと懇意にしていて、王家の動きを見守るついでに手伝いをしていたが、ある日を境に姿をくらましている。
「なんで王宮勤めを辞めたんだ?」
「何十年前だったか……、当時の王が私の不老不死の力を欲しがったからだ、危険を察して逃げたのだよ」
「ギルティアは不老不死を手放したいんじゃないのか?」
「私だってこの国に愛着はある。手放して、後の事は知らん、と無責任なことは出来ないさ」
「僕には押し付けようとしているくせに」
「それはそれ、だ。もし王が不老不死の罪を手にすればどうなると思う?」
「……暗殺を恐れなくて済む?」
あまり政治に興味のないアーロンが頭を捻った出した答えに、ギルティアは「答えはその先だ」と過去を思い出しながら瞼を伏せた。
「不老なのだから永遠に王として君臨できる。しかも不死だから暗殺も怖くない。だがどうだ? 文字通り何も恐れるものがない王は私利私欲のために命を出さず、永遠に民のための政を執り行えるのか? 私は無理だと思うぞ。実際無理だったな」
「そうか、幸運も手に入れるから余計に私利私欲に走りやすいのか」
「むっ、それは私を馬鹿にしていないか?」
「そんなことはない」
招待状に書かれた日にちを確認すれば、パーティの開催日はまだ先ではあった。しかしここは国の最西端、王宮まではかなり時間がかかるため数日後には出発しなくてはならない。
頭で計画を立てたギルティアはアーロンを見て「あまり余裕はないな」と呟いた。
「これ、僕も参加だよね?」
「当然だ。リードを頼むよ、旦那様」
「はあ、パーティはむかーしに一度、一人で端っこに居ただけなのに。今度は奥さん連れて王様にご挨拶か」
「アーロンは最低限の挨拶とダンスが出来ていればいい。王は私に頭が上がらないからな」
「頼りにしているよ」
すでに胃がキリキリと痛み出したアーロンは、コップに水を汲んで飲み干し、洗ってから畑仕事に戻った。
〇
若干タキシードに着られている感が拭えないアーロンは先に馬車を降りる。踏ん張りの利かない左足をなんとか誤魔化して、馬車の中へ手を伸ばした。
「ありがとう。アーロン」
ドレスの裾を軽く持ち上げて馬車から降りてきたギルティアは、それだけで周囲の目を引く程の煌めきを放っていた。
白い髪は左右で編み込んだものを後頭部で結び、メイクは自然に見える程度に。若葉色のドレスはアーロンの瞳の色に合わせていて、アーロンの髪色と同じ金色の髪飾りを付けていた。
「この熱い視線に晒される感覚、懐かしいな」
「ギルティアは美しいからね」
珍しく素直に嬉しいことを言ってくれたアーロンに「き、急に何を言うか……!」と頬をリンゴのように赤く染めた。
一体どこの令嬢なのだとすぐに噂は広まるが、腕を組む二人の左手に嵌められた指輪を見て、独り身の者の多くが肩を落とした。
煌びやかなホールにはすでに多くの参加者が集まり、ささやかな音楽に踊る者や姦しく雑談にふける者、軽食を嗜む者と各々がパーティを楽しんでいた。
入場を済ませた二人はなるべくホールの端の方へ寄り、軽食と共に歓談する。しばらくして王の挨拶があり、それからは高位貴族から順に挨拶しにいくことになる。
アーロンは騎士団時代の知り合いを見つけ、左足のことを心配され、ギルティアのことは新興貴族の男爵と紹介した。もう騎士団に戻るつもりはなく、男爵家としてのんびり過ごすと伝えると「なんだか丸くなったな」と驚かれた。
「あら、あなたがパーティに出席するなんて珍しいわね」
知り合いが去って行った後、アーロンに一人の女性が話しかけてきた。
プラチナブロンドの髪は緩くふんわりとして、吊り上がり怒りっぽく見える眉に切れ長の瞳。アーロンが騎士団時代に毎日のように顔を合わせてきた女性だった。
「団長……。お久しぶりです」
周囲の男性を寄せ付けない鋭い視線の美少女は、アーロンの元上司であるブリュンドル・ジャックス公爵令嬢だった。現騎士団団長であり、直属の部下だったアーロンは幾度となく彼女の指示に従って前線で戦ってきた。
右頬には戦いの中で負った大きな傷が残っており、それが彼女の騎士として生きることの忠誠の証だった。たとえドレスに身を纏おうとも獅子のような威勢は消え失せたりしない。
「家を追い出されたと聞いていたけど、輿入れしていたのね」
「まあ、いろいろと成り行きで。周りに何もないところですけど、それなりに過ごしやすいところですよ」
「あなたは周囲の煌びやかな空気を嫌っていたもの。田舎の方が過ごしやすいとは思っていたわ」
「アーロン、こちらの方は?」
ギルティアがアーロンに話しかける。アーロンは慌てて、ギルティアを元上司に紹介した。
「僕の妻のギルティアです。僕が輿入れしたので、今はモーラントを名乗っています」
「そう。私はブリュンドル・ジャックスよ。騎士団長が小娘だとかほざいたら斬るから」
「はははッ! そなたの実力を疑いはしないさ。アーロンが世話になったようだし、それに、そなたは“聖女”ではないか?」
ギルティアが問うと、ブリュンドルは驚きで目を見開いた後、少しだけ口元を綻ばせ、ギルティアを見つめた。
その瞳は肯定を意味し、持っていたワイングラスをそっと煽った。
「よく分かったわね。そういうあなたもどこか不思議な何かを持っているわね。今度、時間がある時にお茶でもどうかしら?」
ギルティアの堂々とした姿勢や態度に、ブリュンドルもただ者ではないことを肌で感じ取っていた。同じ“力”を使う者として腰を据えた話し合いを望んだ。
「いいだろう。楽しみにしておこう」
「それと、アーロン君」
「は、はい!」
「今のあなたを見る限り、もうあなたのために取っておいた席はいらないかしら?」
ブリュンドルは、たとえ怪我をして前線に復帰できないとしても、騎士団に戻ってくると思って枠を一つ空けてあった。それだけ、アーロンは信頼できる部下だったのだ。
アーロンは叩きつけた辞表が正しかったのか考え、ちらりとギルティアを見てから答えた。
「はい。僕の居場所はもう騎士団にありません」
瞼をそっと伏せたブリュンドルは、たった一言「……そう」と答えて背中を向けた。
「ああ、そういえば言い忘れていたわ。結婚おめでとう。末永くお幸せに」
髪をかき上げ、手をひらひらと振ったブリュンドルは、テラスの方へと歩いて去っていった。
「本当に騎士団に戻らなくていいのか?」
ギルティアに確認されたアーロンは、迷わず頷き、ギルティアと腕を組んだ。
「脚の不自由な僕に守れるのは、せいぜい一人だけだからな」
慣れていない気障なセリフに、アーロンは赤面した。




